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※開封後はひと夏のうちにお召し上がりください  作者: 村崎千尋
第1章「アー・ユー・レディ?」
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(4)

***



 ゆりこたち木村一家があたしのうちの斜向かいに引っ越してきたのは、あたしたちが小学校一年生になる年の春のことだった。

 人と人との関わりが希薄になりつつある昨今の日本においてたいへん珍しいことに、木村一家は田舎の慣習に忠実に従って、その付近の家に引越しの挨拶をして回っていた。

 もちろん、斜向かいのあたしの家にもやってきた。


 なんだか来客が来て騒がしいようなので玄関に向かってみたら親子三人がいて、母とぺこぺこし合っていたのをちょっと不思議に思ったのを覚えている。

 ハの字眉毛の気弱そうな木村のおじさんに、人気ドラマで主演に抜擢されたばかりの花園撫子、それから当時六歳のゆりこである。

 突然目の前に現れた芸能人に母は色めき立ったし、あたしも花園撫子ばかり見ていた。実物の花園撫子は、テレビの中よりずっと美人で、ずっと細くて、ずっと背が高い。あたしが道端に生える草なのだとしたら、花園撫子はまごうことなく凛とした撫子だった。


「夏那ちゃんはうちの娘と同じくらいですかね?」

「あら、ゆりこちゃんおいくつですか? うちは今度小学一年生なんですけど」

「うちもですよ! ……夏那ちゃん、ゆりこと仲良くしてやってね」

 木村のおじさんがそう言うので、あたしは母によってゆりこの前に突き出される。

 ゆりこは無愛想な少女だった。木村のおじさんの脚に隠れるようにしてあたしをじとーっと見つめていて、おじさんに促されて「よろしくお願いシマス」と口元を歪める。その瞬間、あたしは「この子とは仲良くなれそうにないな」と思った。それは、嫌悪というよりは、純粋無垢な直感に近いものだった。


 まあ、結果的に仲良くなっちゃうんだけどさ。


 そんなゆりことあたしが引越しの挨拶以来初めて話したのは、小学校一年生のゴールデンウィーク前である。

 入学直後に少し遅れたインフルエンザにかかって一週間も休んだあたしは、まだ学校に慣れておらず、友達もあまりいなかった。その日は、昼休みに一緒に遊んでいる唯一の女の子の友達が家族旅行に行くと言って学校を休んでいたので、あたしは一人で過ごすことになってしまったのだ。

「みんなとお外で遊びましょうね」

 教室に残って一人でいると担任の先生にそう叱られるので、あたしは鬼ごっこをしようと言って駆け出すクラスメートたちのどさくさにまぎれて一人で外に出た。遊具は二年生や三年生が占拠していたし、グラウンドでは六年生たちがサッカーをしていて、その流れ弾が時折こっちのほうにまで飛んでくる。


 それを避けるようにして、あたしは敷地と外を区切るフェンス沿いを、校舎に背を向けるようにしてぶらぶら歩いた。今の二年生が一年生だったときに植えたという朝顔が枯れて蔓のみフェンスにからみついていて、どことなく物悲しかった。

 敷地の遠く隅っこには木造のボロい小屋があった。記憶が定かではないが、確か、大きさは二畳か三畳ほどの小さな小屋だ。大きさはあやふやなのに、屋根がトタンだったことは鮮明に覚えている。青いペンキがはげてところどころ下地のグレーがまだらに浮かび上がっていて、当時社会問題になっていたサンセイウのせいだと根拠もなくそう思ったから。

 入学して二日目にある校内探検のとき風邪で休んでいたので、あたしはそのときそれがウサギ小屋であることを初めて知った。


 ウサギ小屋には、当然だけどウサギがいた。白いウサギと、茶色いウサギの二匹。白いほうはあたしの姿を見ると軽やかに跳ねてやってきて、目の細かい金網に鼻を押し付けるようにしている。餌か何かをもらえると思ったのかもしれない。

「お前、人懐こいねえ」

 指先を入れて鼻を撫でてあげようとしたら、

「吉井夏那ちゃん!」

 誰かが切羽詰まった調子であたしの名前を呼んだ。驚いて顔をあげると、そこにいたのはゆりこだった。

 花の刺繍が施された白いワンピースというおよそ外遊びに相応しくないかっこうをしている。実際、ゆりこは砂遊びもターザンロープも鬼ごっこもドッジボールもしない。しているところを見たことがない。


 てっきりいつも校舎内にいるのだと思っていたから、あたしは少し驚いて「ゆりこちゃん」と声をあげた。ゆりこが金網に入りかかっていたあたしの指先を掴んだ。

「ウサギさんのとこに、指入れちゃいけないんだよ」

 ゆりこが悲痛な声で言った。「食べられちゃう!」

「えっ、そうなの?」

 あたしはゆりこの忠告にビビって慌てて指をひっこめる。

 あたしの大きな声で人間の存在に気づいたのか、ようやく茶色いほうも重い腰をあげる。少し遠回りしてこっちにやってきた。


 ゆりこがあたしの隣に並んでしゃがみこみ、足元の小さな雑草をぶちぶちむしり始めた。そしてそれを金網の隙間から差し込んだ。お腹がすいているのか、白いウサギと茶色いウサギが顔を寄せ合い、お互いを押しのけるようにして草を食んでいる。

 あたしも真似して、足元の草をウサギに差し出した。小さな口が細かく動いて草を飲み込んでいくのが面白かった。

「ゆりこちゃんは、鬼ごっことかしないの?」

 お互い一心不乱に草をむしってはウサギにあげながら、答えはわかりきっていたがあたしはゆりこに尋ねた。

「やらない」

 ゆりこが木々の影から差し込む柔らかな光に目を細める。しかし、その様子とは裏腹に声色は冷たくて硬質だ。


「夏那ちゃんこそ、やりたいならやればいいじゃない」

「今日、ミオカちゃんいないからなあ」

 ミオカちゃんというのはあたしがいつも一緒にいる女の子である。ゆりこは、あっそ、と頷いた。あたしのぼやきなんかにゆりこは興味ないみたい。また黙り込んでしまう。

 ミオカちゃんにくっついて回っているあたしとは対照的に、ゆりこはどこか一匹狼のような印象があった。けれども友達がいないわけじゃなくて、体育の二人組ペアはスムーズに作れるし、誰かと談笑していることもある。ただ、それがあたしにとってのミオカちゃんのように特定の相手ではないということだ。

 初対面の時の純粋な気持ちとは違い、当時のあたしは少し、そんな理由でゆりこが苦手だった。


「……夏那ちゃん、ゆりこのこと、嫌いでしょ」

 ふいにゆりこが言った。心を見透かされたような気がして、あたしはどきりとしてゆりこを見た。

 ゆりこはいたずらが成功したかのように茶目っ気たっぷりに笑っていて、あたしはその時ゆりこが本気でそう思って言ったのではないのだと知る。

「こーゆーことを“カマカケル”って言うって、ママが言ってたの。刑事ドラマでママはよく、犯人役に“カマカケル”んだよ」

「そうなんだー……」


 あたしはホッとして胸をなでおろした。同時に、いつの間にかゆりこへの苦手意識からくる緊張もほどけていた。こういうところ、ゆりこが一匹狼のくせに嫌われていない理由なのかもしれない。

 あたしとゆりこはそれを機にぽつぽつと少し話をした。

 主な話題は、女優としての花園撫子がいかに素晴らしいかについてだった。ゆりこはクールなくせに、世界一ママを尊敬しているみたいで、大げさなくらいの口調で花園撫子が演じた役名をつらつらあげた。

「ママは女優としては、一番すごい。一番かわいいし、一番演技がうまい」

 ママとしてはサイアクだけどね、とゆりこは顔をしかめる。


「ゆりこちゃんも、将来、お母さんみたいな女優になるの?」

「わかんない。でも、週五回、芝居のお稽古には行ってる」

「すごいね。女優さんになれるといいね」

 気づいたら、あたしたちの目の前からウサギはいなくなっていた。お腹いっぱいになっちゃったんだね、とゆりこが言うから、そうなのかとあたしはなんの疑問も抱かずに納得する。

 ちょうど昼休み終了五分前の予鈴が鳴ったので、あたしたちは同時に立ち上がり、けれども別々に教室へと戻っていった。


 ――その二日後のことだ。


 あたしとゆりこはそろって職員室に呼び出され、生き物委員会顧問のゴリラみたいな先生にこっぴどく叱られた。

 どうやらあのあと、ウサギがお腹を壊してしまったみたいなのだ。あたしたちが雑草をあげていた場面を見かけていた生き物委員会の四年生がそのことをゴリラの先生にチクったせいで、あたしたちのせいということになってしまったらしい(見ていたのに注意してこなかった時点でその四年生も同罪だと思うんだけど)。

 でも、こういうときの大人に逆らったりしたら面倒くさい状況になるってこと、よく母を怒らせて知っているので、あたしは黙って「ハイ……ごめんなさい……もうしません」を神妙な面持ちで繰り返した。


 そんなあたしの努力も虚しく、お説教も起承転結の転を過ぎたあたりでそれらを全部ひっくり返したのがゆりこだ。

 ゆりこは大柄で強面のゴリラの先生にひるむことなく言い返した。

「生き物委員の人の許可なしに草をあげたことはごめんなさい。でも、ゆりこたちがあげた草は、ウサギが食べても大丈夫な草です。ウサギの本で読みました。お腹を壊したのはゆりこたちのせいじゃないです」

 ゆりこは図書室から「はじめてのウサギQ&A」という本を持ってくると、ウサギが食べてもいい草と食べてはいけない草について力説し始めた。その勢いといったら、ゴリラの先生だけじゃなくまわりの先生もやや引き気味だったくらいだ。

 ゆりこのおかげで、ウサギがお腹を壊した件は「動物病院に連れて行く」ということで丸く収まり、あたしたちは解放された。


 職員室から、リノリウムの廊下が冷たくのびている。電気は消されているので薄暗い。「はじめてのウサギQ&A」を小脇に抱えたゆりこが、新しい上履きをぺたぺたいわせながらあたしの五歩先を歩いていく。その真っ直ぐな背中に向かってあたしは話しかけた。

「ゆりこちゃん、すごいね」

 ゆりこが振り返る。ロングヘアの、隅々まで栄養の行き届いたような毛先が動きに合わせたはねた。


「ゆりこがすごいのは、ゆりこが一番よく知ってる!」


 それだけ言って、ゆりこはまた歩き出す。

 ゆりこへの気持ちが「苦手」から「ちょっといいかも」に転じた瞬間を区切るのだとしたら、たぶん、この時だと思う。



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