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※開封後はひと夏のうちにお召し上がりください  作者: 村崎千尋
第5章「ディサイド・トゥー・××」
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(1)


 その後、東京から迎えにやってきたマネージャーの車で、ゆりこは帰っていった。

 ゆりこはニュースを聞いてから手も足もぶるぶる震えていて、浴衣を脱いで化粧の崩れた顔を綺麗に洗うことが精一杯のようだった。ひどくショックを受けているみたいだった。

 家に帰ると母が興奮していた。あたしがお祭りに行っていて知らないと思ったのだろう。先ほどの特番で得た知識を得意げに語っていた。あたしはそんな母ののんきさに腹が立って、リビングを逃げるように後にした。


 その後、ニュースは再び花園撫子一色に染まる。

 いくつもの特番が組まれ、一連の不倫騒動は時系列順にまとめられた。スタジオのコメンテーターたちは花園撫子がいかにあばずれであるかをつらつらと述べて、花園ゆりこが幸田典彦の娘であると考えた根拠をこじつけた。

 ゆりこは、こんな馬鹿げたワイドショーを見ているんだろうか。ゆりこの公式ブログとツブヤイターをチェックしたが、真偽を問うブログのコメントにもツブヤイターに送りつけられる誹謗中傷のリプライにも一切返答をしていない。


「――そのような事実はございません」


 翌日八月二十一日の夕方、騒動があってから沈黙を貫いていた所属事務所もさすがに耐えかねたのか、マスコミへのファックスでそう発表した。しかし、“そのような事実”というのが具体的にどのような事実のことをさすのか示されていない、明らかにうやむやにする気満々なその発表を、世間の誰も信じようとしなかった。

 あたしはというと、イライラしながらそれを見ていた。背中のすごく痒いところに手が届かないときのような、どうしようもない苛立ちがあった。


 翌日模試があって学校に行けば、クラスの噂好きな人たち数人がその話題を取り上げていた。

「確か花園ゆりこって六弥出身なんだよね」

「えーうっそ。六弥の恥じゃん」

「俺、中学の頃、花園ゆりこと同じクラスになったことある!」

 あたしと同中だった男子がそう出しゃばると、彼はすぐにその人たちに囲まれて質問攻めにされていた。ゆりこはどういう人柄だったの? とか、やっぱり母に似て男関係緩いの? とか。

「全然、緩くないよ。明るくて性格もよかったし、顔めっちゃかわいいし。みんなのアイドルだった」


 噂好きな彼女たちは、同じようなことを、言葉を変えて何度も質問した。けれどもボロは出てこない。ゆりこの中学の時の人柄は、彼女が「女優の花園ゆりこ」としてずっと生きていけるようにと、どの角度から見ても完璧に作り上げられた要塞だ。

 やがてその男子の返答に飽きた彼女たちは、今度はその矛先をあたしへと向けた。

「ねえ、こいつと花園ゆりこが同中ってことは、吉井もだよね?」

「そだよ」

「花園ゆりこ、どうだったの?」

 あたしは少し迷ってから、はっきり答えた。

「ごめんね、わかんない。同じクラスじゃなかったから」


 ちょうどそのとき試験官の教師が入ってきたので、彼女たちもすっかり諦めてそれぞれの席へと戻っていった。

 模試は午前中に二教科、昼食をはさんで午後に一教科の、計三教科。いろんなレベルの高校生が受ける幅広い模試なので、問題は知識と基礎的学力を問うものだった。うちの高校に通っていればノー勉だって全国平均を余裕で超える。ガリガリやってたわけじゃないけどまあそれなりに勉強してたあたしは模試も卒なくこなした。

 試験が終わってから、大学コードを用紙に書き込んだ。これを書いておくと、現時点での志望校の合格判定が出るのだ。早く帰りたかったから志望校は事前に決めておいた。

 選んだ基準は、先生と親に反対されないか、身の丈にあっているか。

 第一志望は実力よりちょっと高め、第二志望は実力相応、第三志望はこのままいけば確実に受かりそうなところで、私立文系狙い。


 呪文みたいに心の中で唱えた。

 でも、昔からあたし、そういう感じあるよね。変化より“安定”、刺激より“安寧”を望んじゃうトコ。

 いろんな友達のところを渡り歩くより、特定の誰かといるほうが好き。臭いものには蓋、見て見ぬふり、なかったことにすること。昔はできなかったけれど、イージー人生の平穏のためなら、十六歳になった今はいくらでもやってみせる。


 ゆりこのことが気に食わないのは、そのせいかもしれない。

 自分のせいでイマチがいなくなったときに泣いたこととか、もう二度と来ることのない三人でのお散歩を悲しんだこととか、どこまでもお芝居に真っ直ぐな姿とか。ゆりこの変なところで真面目な性格が、あたしの心のさかむけになったところにいつも引っかかるのだ。

 ゆりこはきっと、この一連の事件に結論を出すだろう。真面目だからうやむやになんてしない。

 あたしはそう信じている。ゆりこをどこかで信じている。





 帰り際、母から「コンビニで牛乳買ってきて」とメッセージがきた。いつものバス停で降りるとコンビニを通り過ぎてしまうので、途中のバス停でピンポンを押して降りた。コンビニのほうに歩いていく。

 駐車場に、見覚えのあるシルバーの乗用車が止まっている。車種自体は珍しいものではなかったけれど、ナンバーがぞろめで特徴的だから、すぐに誰のだかわかった。

 コンビニの中から出てきた人影は、案の定、木村のおじさんだ。

 おじさんはあたしに気づくと、おや、というように器用に片眉をあげて足を止めた。かっちりしたスーツ姿。これから仕事に行くのだろうか。


「夏那ちゃん、先日は、ごめんね」

「いえいえ」

 何に対しての謝罪なのかわからなかったけれど、とりあえずそう否定しておいた。木村のおじさんはひどく申し訳なさそうに足元に視線を落とす。

「今、すごい騒ぎになっているね」

「そうですねぇ……」

 飛行機が通る轟音がして、あたしとおじさんは同時に空を見上げる。それがやんで、視線をお互いに向けたとき、あたしはふと思い立っておじさんに尋ねた。


「DNA鑑定は、しないんですか」

 おじさんは泣きたいようなそれをこらえているような複雑な表情で、「それはね」と言った。「情けないことに、迷ってるんだ」

 木村のおじさんは、今朝、ゆりこと電話をしたらしい。

 花園撫子は、幸田典彦がゆりこの本当の父親であることに対して、どちらとも言い切れないと言ったそうだ。事務所の方針としてはそれぞれの今後の芸能活動を考えてこのままうやむやにしたいのだという。しかしゆりこはそうしたくないのだと反発して、木村のおじさんにDNA鑑定を提案してきた。

 おじさんがゆりこになんと答えたのかは教えてくれなかったが、少なくとも快諾でないことは、おじさんの口調や言葉の端々から読み取れた。


「信じたくないけれど、仮に僕が本当の父じゃなかったとしても」

 おじさんはため息をついた。

 仮に木村のおじさんが遺伝子的な意味での本当の父親じゃなかったとしても、ゆりことおじさんが過ごした時間や、ゆりこに注いだ愛情はなくなったりなんかしない。大事な娘だと思っている。ただ、おじさんはゆりこがその事実によって傷つくのが嫌なのだ。

 万が一のことがある限り、下手なことはしたくない。

 それは、溢れんばかりの、ゆりこへの愛情だった。


 おじさんと別れ、コンビニで頼まれたとおり牛乳を買って家に戻ると、家の前に若いお兄さんがいた。私服だからおそらく宅配便の人ではない。見たことがない顔だから地元の人でもないだろう。

「あの、どうかしましたか?」

 後ろから声をかけると、お兄さんは振り返って、顔をぱあーっと明るくさせた。

「この家の娘さんですか?」

「え、ええ、そうですけど」

 お兄さんはあたふたと名刺を差し出してくる。ちらりと見ただけでも有名な出版社の名前が書かれているのが目にとまった。


「こういった者なんですけども、花園ゆりこさんは小学一年から中学二年まで斜向かいに住んでいたということですが、少し花園ゆりこさんについてお話を聞か……」

「あいたたたた」

 あたしはその言葉を遮ってお腹をかかえてみせた。

「ごめんなさい、あたし、トイレ行きたいので」

 そう言って、あっけにとられるお兄さんを押しのけるように家の中に駆け込む。我ながら棒演技である。

 家のインターフォンが鳴らされる。誰かしらと玄関にやってきた母に牛乳を押し付けて、あたしは自分の部屋に駆け込んだ。


 リュックを投げ、制服を脱ぎ捨て、スマホにすがるようにしてゆりこへの通話ボタンを押した。

 そっけないコール音が何度も繰り返される。ゆりこは忙しくて出られないかもしれない。わかってはいたけれど、ゆりこと話がしたい。ダメならダメでいい。でも、電話をかけずにはいられなかった。

 しばらくして、ぶつっとコール音が途切れてゆりこが電話に出た。


『もしもし、夏那?』

「ゆりこ!」

 言いたいことはいっぱいある。

 あんたのせいでいろいろな人に話を聞かれて超迷惑しているとか、男子がゆりこのことすごく良く言ってたから中学時代のあんたすごいねとか、記者の人が家に来たとか、数々のワイドショーのこととか、更新されないSNSのこととか。

 でも、あたしの口から出てきたのは、まったく違う言葉だった。


「ゆりこはこれからどうするつもりなの!」

 あたしは、心配している。胸が張り裂けそうなくらい。ゆりこのことを。

 事務所がどうとか、一般人のあたしには関係ない。ただ、ただひたすらに、ゆりこの気持ちを優先してほしかった。

 切実なあたしとは対照的に、ゆりこの返答は落ち着いていた。


『――世間が忘れるまで、待つよ』


 耳鳴りがする。一瞬、本当に何も聞こえなくなった。

 てっきりあたしは、ゆりこが「DNA鑑定をする」と言うと思ったからだ。

『九月から撮影のドラマとか、今度オンエアの番組とか、どうなっちゃうかなあ。わたし、髪の毛切ったこと、はやくテレビでお披露目したいのになあ』

 明るい口調でどうでもいい話を続けるゆりこになんて言えばいいのかわからなくて、あたしも「うん」とどうでもいい相槌をうった。

 階下で、母が何かオーバーなリアクションをとっているのが聞こえる。おそらく相手は先ほどの記者だろう。


『……パパがね、もう帰ってくるなって言うの』

「木村の、おじさん、が?」

『今報道が加熱する中でこっちに来たら、母親との不仲説を邪推されるから。だからあたし、しばらく六弥には戻んないね。ごめん』

「なにそれ」

 思わずきつい声が出る。耳鳴りで自分の声すら聞こえづらい中で、あたしは必死に怒鳴った。

 電話の向こうのゆりこに、本当にこの言葉が伝わっているのか不安だった。


「ゆりこ、小六のとき言ってたじゃん。芸能界に入ったら、いざというときは花園撫子を切って自分をとるって!」

 たとえば花園撫子が麻薬をしていて、それが表に出てゆりこまであらぬ疑いがかけられたとき、ゆりこは表面上娘として謝っておきながら持っている情報をすべてマスコミにリークして母親を売る。でも、逆にゆりこが乱交パーティーに参加したとき、花園撫子はちゃんとゆりこを捨てる。

 この母娘は、そういう関係のはずだった。

 ゆりこが引きつるような呼吸をあげたのが聞こえた。


『夏那が言いたいこと、わかる。ただね、憧れの撫子さんが、憧れじゃなくなっていくの。ただのママになっちゃったの。わたしは家族を捨てられないから、だから』

「でも、そんなのゆりこじゃないよ! あたしは知ってるよ! ゆりこが――」

 ブツッ。

 電話が切れる。見れば、あたしのスマホの充電がなくなってしまったらしく、画面は真っ暗だ。

 充電器につないでから何度か電話をかけたが、コール音が響くばかりで、ゆりこにつながることはなかった。

 何度目かのとき、あたしはついにスマホをベッドに投げつけた。

 心が、冷たい液体で満ちているようだった。



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