(4)
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学校を出て、一度五十川の駅に行った。フードコートで軽く勉強をして三時くらいにバスで六弥に帰ってから、あたしは真っ直ぐに赤ちくじーさんの家へと向かった。
すでにゆりこもいて、ユカさんが浴衣を用意してスタンバってた(決してダジャレではない)。
浴衣は、あたしが生成りの地に青の花柄を、ゆりこが紺地に金魚が泳いでいる柄を着ることになった。さすがユカさんセレクトだ。浴衣から帯から下駄に至るまで、どれもシンプルで定番なデザインだが、細かいところが凝っていてすごくオシャレである。
浴衣を着て、髪飾りをつけて、軽く化粧を施す。鏡の中にうつった自分は別人……とまではいかないが、それなりに見られる程度にはなっていた。
ゆりこはというと、コンタクトにして目尻にだけマスカラをしてアイラインを引いて唇に色を乗せただけで、さすが芸能人って拍手したくなるくらいの美少女に変身した。
オミが六時過ぎに来るというので、蚊取り線香をたいた縁側で二人で座ってオミを待つ。途中で通りがかった赤ちくじーさんが「月とすっぽん」と言い残して去っていくので、それは普段と比べてということなのかゆりことあたしを比べてということなのかわからないけれど、どっちにしろムカついた。
ゆりこは六時に近づくにつれ、自信なさげに手鏡を覗き込む回数が増えていった。
「ナルシィじゃん」
茶化してみたら、ゆりこが形のいい細い眉根を寄せる。
「ねえ、どう思う? 夏那」
「いいんじゃない」
「もう、他人事だと思ってテキトーすぎ!」
ゆりこが軽く腕をはたいてくるのでひょいとよける。ゆりこがバランスを崩して縁側の床板に突っ伏す。
体を起こしてまくりあがった袖を直すと、ゆりこはまた手鏡を覗き込み、今度はリップを塗り始める。ゆりこの肌は白いから、ほんのり青みがかった鮮やかなピンクがよく映えていた。ゴリゴリのイエローベースのあたしには逆立ちしても似合わない色だ。
神様ってフコーヘイだなあって、あたしは足をぶらぶら投げだしたまま縁側に寝転んだ。蚊取り線香のにおいが鼻につく。
丁寧にリップを塗って、手鏡をパチンと閉じると、ゆりこがふいに背筋を伸ばした。しゃきっとした背中は何かを決意したように見える。
「わたしね」
「うん?」
「今日、竹臣さんに告白する!」
「いいんじゃない」
すんなりと言葉が出てきた。
あたしの反応に、ゆりこがぽかんとしてこっちを見る。半開きの口から、とうもろこしみたいに形の整った前歯の先っちょがのぞいている。でも、ゆりこがどうしてそんなにびっくりしているのか、あたしにはよくわからなかった。
ぶっちゃけ、あたしはゆりことオミがくっつけばいいなって思っている。オミはそろそろ元カノショックを忘れて新しい彼女でも作って幸せになるべきだし、その相手としてゆりこはとても適任だと思う。だって今日のゆりこはいつも以上にかわいいし、それにオミのことがすっごく好きだ。
「夏那は、反対すると思ってた」
「なんでよ」
「わかんないけど、ほら、出会ってから早すぎるとか言って」
「あたしのことなんだと思ってんの。人がコクるの邪魔したりしないって。……で、協力すればいいの?」
ゆりこの顔がほころんだ。「うん」
それから、今日の計画を決めた。最初は普通に三人でお祭りを楽しむ。ある程度楽しい気持ちになったら、あたしがトイレに行く。その隙にゆりこが人気のないところにオミを連れて行って告白をする、というのがだいたいの流れだ。
トイレに行くタイミングとかオミを連れて行く場所はお互い空気を読みあっていこう、というすごく雑な計画である。
「告白のセリフ、なんて言ったらいいかなあ?」
「自分で考えてよ」
「夏那、練習相手になって」
「お断りです」
あたしが即答すると、ゆりこはぶーぶーいいながらイマチを呼んで、イマチ相手に練習を始めた。どうやら事前に考えておいたらしく、ドラマみたいな長いセリフを流暢に喋っている。イマチはたぶん日本語なんてわかんないと思うけど、美少女にかまってもらっているのが嬉しいらしくて緩んだ顔つきになっていた。
それ、長すぎ。いまいちすぎ。
思ったけれど言わずに、黙ってゆりこの腕にこぶしをぶつけた。ゆりこがパッとこちらを見下ろす。
「健闘を祈る」
こぶしをふらふらさせたら、ゆりこが慣れていない風にちょっと乱暴に自分のこぶしをぶつけてきた。
「ありがとう」
オミは六時すぎに歩いてやってきた。
ネイビーとグレーのボーダーのサマーニットに細身のパンツというキレイめカジュアルなかっこうである。でも、色合いが落ち着いたトーンなのと、いつもの土で汚れた農作業着とのギャップも相まってだいぶかっこよく見えた。ゆりこなんか目がハートだった。
「お待たせ。ふたりとも、浴衣、いつもと違った雰囲気でいいね」
オミはあたしたちの浴衣姿をさらりと褒めると、手に持っていた二枚のお面を差し出してきた。一度出店の通りに寄ってから来たらしい。
オミはゆりこにキツネのお面を渡すと、あたしにはちょっと笑いながらひょっとこのお面を渡してきた。
「ちょっとぉ、ゆりこがバレると大騒ぎになっちゃうのはわかるけど、なんであたしも?」
「夏那が中学の友達に会ったら、ゆりこちゃんのことがバレちゃうだろ?」
ぐうの音も出ないくらいの正論である。
仕方がないのでお面をつけた。
両目の部分しか穴があいていないお面は、中に熱がこもって鬱陶しい。おまけに、ひょっとこは左目を軽くつむっているので、右と左の穴の大きさが違って視野がかなり狭められてしまう。立ち上がって少し歩いてみたら、足元の小石に蹴躓いて危うく転ぶところだった。
オミがくすくす笑っている。
「わーらーうーなーっ!」
「ひょっとこの顔で言われても」
オミがあたしのお面にひょっとこをチョイスしたの、絶対、狙ってるでしょ。
むーっとしていたら、ハイハイ行くよ、とオミに促される。ユカさんと赤ちくじーさんにお礼を言って、あたしたちは祭りに出発した。
六弥の夏祭りは、花火大会も兼ねている。お祭りに来る人はたいてい大きい道路につくられる出店通りで八時前まで遊んで、八時からは花火がよく見える田んぼ脇の土手に移動して九時まで花火を見て、それで解散だ。ほかの地域の夏祭りと違って一日しか開催されないので、その分この一日にものすごい熱が込められている。
出店通りは、赤ちくじーさんの家からそれほど離れていない。神社の脇を通り、森沿いに歩いていくとその通りにつながっている。
祭りの通りに出ると、まだ六時半にもなっていないというのに結構人がいた。まだ明るいからやっぱり小学生や小さい子が多いけど。でも、暗くなれば高校生や大人カップルも増えてくるだろう。今日この通りには、六弥中から人が集まるのだ。
遠くから、最近よく聞こえていたあの笛の音が風に乗って流れてくる。ここ数日ですっかり耳になれた旋律。六弥のお祭りでは、イナバの物置のごとく人がいっぱい乗れる山車が通りを行ったり来たりして祭囃子を奏でて回るのだ。
「なにか食べようか」
オミが尋ねてくる。ゆりこは緊張しているのか、もじもじ両手の指をからめたまま何も答えないので、代わりにあたしが言ってやった。
「たこ焼き」
「色気ねえなあ」
オミは笑ったが、ちょっと待ってて、と言うと本当に近くの屋台にたこ焼きを買いに行った。
途端にゆりこが復活してあたしの二の腕をガシッと掴む。
「たこ焼きは、前歯に、青のりつくでしょ!」
「あー、考えが至らなかった。ごめん」
幸いなことに、戻ってきたオミが持っていたのは青のりがかかっていないたこ焼きだった。
「青のりはセルフだったからかけなかったけど、あったほうがよかった?」
「別にいらないかな。あってもなくても味変わんないし」
表面のかつおぶしが踊るたこやきをそのまま口に放り込めば、あまりに熱くて吐き出しそうになった。上を向いてはふはふしながらどうにか噛んだら、中の生地の熱さに口の中を火傷した。オミがそれを見て笑っている。ゆりこは竹串で器用にたこ焼きを半分に割りながら食べていた。賢い。
しばらく悶えて、ようやく飲み込んだ。夏祭りのたこ焼きは独特の味がする。ホットケーキミックスの味というか……つまり、ところどころ粉っぽくて半焼けなのだ。
「竹臣さん、お金、いくらでした?」
「いいよいいよ、おごり。俺、東京でバイト戦士だったから」
「やったーゆりこ、食べまくろうね」
「夏那は遠慮というものを知りなさい」
それからカキ氷を食べ、あんず飴をかじり、タピオカジュースを飲んだ(ほとんどあたしが)。ゆりこはもともと少食なのかこれから控えるイベントのためあまり食が進まないのか、ほとんど食べなかった。
花火が始まる八時まであと三十分といったときのことだ。ぶっかけの舞が始まった。これは、山車の下にいる人たちが踊りながらひしゃくでくんだ水を通行人にぶっかけまくるという現代では珍しいトンデモイベントである。実際、毎年帰省でこっちに来てた地元外の人からクレームが来るらしい。
人ごみですっかり汗をかいて暑いのであたしもぶっかけてもらいたかったが、借り物の浴衣なのでそういうわけにもいかない。踊っている人たちは誰彼かまわず水を撒き散らすなので、そそくさと退散しようとした。
の、だが。
びしょびしょに濡れた地面を履きなれていない下駄で急ごうとしたので、案の定、つるりと滑った。後ろ側に体が傾ぐ。思考がものすごいスピードで駆け抜けていく。
このままお尻を強打したら痛いだろうなあ。浴衣が生成りだから汚れちゃうかなあ。オミはきっと笑――。
思考が途中で止まったのは、お尻に痛みがはしったせいではなく、転ばなかったからだ。顔だけ振り返ると、後ろを歩いていたオミが両肩を掴んで、体であたしを受け止めていた。
「あっぶな……」
「オミか」
「オミか、ってなんだよ、オミか、って」
体制を立て直し、あたしは、ほら、と人差し指をたてた。
「超イケメンだったらあたしの王子様じゃん? サマー・ラブが始まっちゃう系じゃん?」
「それが助けてくれた人に言うことかぁ」
「すんませーん」
「まったく。夏那は昔から危なっかしくて目が離せないよな」
少し先を歩いていたゆりこが、振り返ってじっとこちらを見ている。笑いもせずに。けれどもかわいそうっていう顔でもない。
嫉妬してるのかな? でもほんと、なんでもないし。
スマホを見たら、七時四十五分。そろそろいい頃合だろう。
オミを置いてとたとた走り出し、さらにはゆりこのことも追い抜いた。
「じゃ、あたし、ちょっとトイレ行ってくるね。たぶん並んでるだろうから、トイレ終わったら連絡する。二人はそれまで楽しんでてよ!」
あたしはオミたちに何か言う隙も与えずに早歩きであえて人ごみに突っ込んだ。ここらへんはまだ濡れていないから転ぶ心配もないだろう。
仮設トイレはすごく並んでいた。正直、大きいほうがしたかったら待たされすぎて漏れちゃうレベルの列ができている。でも別にあたしはトイレがしたいわけじゃない。かといってお祭りをうろついていてオミたちに見つかったら元も子もないので、児童公園のトイレでしばらく待機していることにした。
児童公園へ向かう道は、花火の会場とは出店通りをはさんで反対側である。だから、向こうから人は来るけれどこっちから行く人はほとんどいない。案の定、児童公園には誰もいなかった。
夜の児童公園のトイレとか、お化けが出るならこれ以上のシチュエーションはないと思ったけれど、電気をつけてしまえば全然そんなことはなかった。数年前に近所のママたちからの要望で新設されたトイレなので、比較的新しくて綺麗である。
暇なので、優ちゃんのMINEにスタンプを送りまくったり、ツブヤイターでマッキーにクソリプを送ったり、芸能人のインスタを見たりした。一通りSNSを巡回して飽きる頃には八時になっていた。準備が出来次第、花火が始まるだろう。
ゆりこはおそらく今頃、神社あたりにでもオミを連れ出して、告白をしているはずだ。
さて、あたしはなにをしようかな。ツブヤイターからすれば、優ちゃんもお祭りに来ているみたいだし、合流してもいいかな。ゆりこたちはうまくいたら二人でいたいだろうし。
トイレを出ようとしたら、トイレの脇のブランコのところに誰かいるのが見えた。二人でそれぞれブランコに座っている。漕いでいるわけではなく、何か話しているみたいだ。……カップル?
その時、切れかけてほの暗くなっていた彼らの真上の電灯が、死に際の最後の悲鳴みたいにカッと光った。あたしはそれを見てトイレに逆戻りした。
――ゆりこと、オミだ。




