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※開封後はひと夏のうちにお召し上がりください  作者: 村崎千尋
第4章「クライ・ガール・クライ」
20/31

(2)



***



 でも一度だけ、オミがあたしをちっちゃい子扱いしなかった夏がある。

 二年前――あたしが中学二年生、オミが高校三年生の夏だ。


 その夏の中であたしとオミが関わったのなんて、お祭りの日とその後にイマチの散歩を一緒にした、たった八日間だけなんだけど、そりゃもうものすごい夏だったね。ドラマみたいだった。

 きっかけになったその年のお祭りはたぶん、八月の二十二日とか二十三日とかそのへんだったと思う。

 あたしはその年、女子バスケ部のメンツ……そう、マッキーや優ちゃんたちと、だいたい六人くらいでお祭りをまわっていた。なんとなく、「彼氏がいないのに浴衣を着る子ってぶりっこ」みたいな風潮があったから、しまむらで安い甚平を買っておそろいで着た。黒地に大きな青い花が散っていて、まあまあかわいいやつだ。


 女同士で祭りに行くメリットって、やっぱり、何も気にしなくていいことである。

 からあげ、焼きそば、いか焼きといったおよそ女子力のない茶色いものをたくさん食べて、輪投げの輪っかを店主のおっちゃんにぶつけ、ジャニーズのブロマイドくじの屋台を冷やかしたりもした。あ、そうそう、誰が一番エロくチョコバナナを食べられるか選手権もした(完全に若気の至りである)。

 そんな感じで祭りを満喫していたのだけれど、だいたい夜八時くらいかな。すっかり暗くなってお祭りの熱気がゆらゆら空へのぼっていくようになった頃、ちょうど花火が始まろうとしていた。

 みんな、花火が見えやすい向こう側の川沿いへ行こうとしていて、その中であたしはマッキーや優ちゃんたちとはぐれてしまった。

 電話もつながらない。メールも返ってこない。途方に暮れていたとき、見覚えのある顔とすれ違った。オミだった。みんなが向こうに行こうとする流れを逆走するように、オミが早歩きしている。


「オミ!」

 振り返って声をかけると、オミが一瞬立ち止まってこちらを見た。その顔がセメントで固められたみたいに強ばっていて、あたしはすごくびっくりしたのを覚えている。次に続ける言葉が見つからずにいると、誰かがオミの腕を掴んで無理矢理引いた。

「行くよ、斉藤くん。立ち止まらないで」

 オミはされるがままといったように引っ張られていく。

 でも、去り際に一瞬あたしに見せたオミの表情は、なんともいえなかった。怖いとか悲しいとか怒りとか、いろんな負の感情がごちゃまぜになったような、オミらしくない表情だった。あたしは慌ててオミの後を追うように人ごみを逆走し始めた。


 追いついて、具体的にどうこうしようという考えはない。当時はあれがオミの元カノだって知らなかったけれど、ただごとじゃないぞと、そう思っていてもたってもいられなかったのだ。

 オミと元カノは森の端っこにある神社に入っていった。ここからは花火が見えないので、今日はあたりには誰もいない。こんなところになんの用事があるというのか。

 十数段の石段を、元カノがオミを引きずるようにのぼっていく。オミが軽く身をよじって抵抗しようとすると、元カノが小さいけれどよく通る声で叫んだ。

「来ないと死ぬから。アヤナが死んでもいいの?」

 アヤナというのがおそらく元カノの名前で、元カノは自分を人質にしてオミを脅しているようなのだった。そうやって言われたらオミが抵抗できるはずもない。完全に、オミの性格を把握しつくしている。


 それにしても死ぬだなんて物騒だ。あたしはオミと元カノが神社の境内に消えてから、ついていった。

 石段に這いつくばるようにして境内をのぞく。小さな神社なので、オミたちは境内の奥の方にいたが声はよく聞こえてきた。

「アヤナ、なんで死ぬとか言うんだよ」

「だってそうでも言わないと、斉藤くん、来てくれない」

「俺たち別れたじゃん。もう彼氏彼女じゃないんだよ」

「アヤナは斉藤くんと別れたなんて思ってない!」

 どうやら恋愛関係でどろどろしているようである、とあたしは冷静に分析していた。そもそもオミに彼女がいることすら知らなかったので、その時のあたしは何がなんだかよくわからなかったけれど、オミがすごく困っているのはわかった。


 暗がりの中で、元カノがオミに詰め寄るのが見える。

「斉藤くん、ねぇ、考え直して? ヨリ戻そうよ? LINEのブロックも解除して?」

 オミがその肩を掴んでそっと押し返した。

「ごめん。アヤナはアヤナでちゃんと考えてそう思ってるのかもしれないけど、俺だって、俺なりに考えて出した結論だから。簡単には覆せない」

 痛いくらいの沈黙が、あたりを支配する。元カノの顔もオミの顔も暗くてよく見えなかったけれど、少なくとも、楽しい表情ではないことは雰囲気で察せられた。

 遠くで花火の音が聞こえ始めた。大きい音が鳴ると、わあっと歓声があがる。それが、あとから合成したBGMのように、どこか目の前の光景にちぐはぐで不自然だった。


「なによ、それ」

 元カノがぽつりと呟いた。それをきっかけに、堰を切ったように喋りだす。

「斉藤くんが教室でゲロ吐いてナカヤくんたちに調子が悪いんだって言ったとき、ナカヤくんとかまわりみんなアヤナのせいだって決めつけて、アヤナの味方してくれたのミホちゃんとかしかいなかった。でもアヤナは斉藤くんを許すよ。アヤナが思うに、斉藤くんはおばあさんのこととか勉強とかで疲れてるだけなんだよ。おばあさん死んじゃったし、そのせいで模試、D判だったんでしょ? だけど今だけだから。今を乗り越えれば――」

「無理だからほんと!」

 オミが声を荒らげて元カノの言葉を遮った。珍しい姿だった。


「アヤナが何を言ってもヨリを戻すつもりはないから。この祭りで、最後にしてください。もう俺に関わらないでほしい」

 肩を押し返すオミの手を、元カノがふいにはねのけた。そして持っていたかごバッグに手を突っ込むと、細長いものを取り出す。あれはなんだろう。暗くてよく見えない。

「アヤナ……ッ! しまえよ、危ないから!」

 オミのその口調からして、それは刃物なのだろう。でも形からしてナイフや包丁の類ではないし、そもそもそれをオミに向けてはいない。だからおそらく、カミソリかカッター。自分を傷つけるための道具。

 あたしは元カノが何をしようとしているかわかって震えた。そんなドラマみたいな出来事が、こんなど田舎のこんな寂れた神社で、身の回りの人間の前で起こっているなんてとうてい思えなかったからだ。


 オミが元カノに手を差し出す。

「ほら、それよこして。アヤナ、ほんと、やめようそういうこと」

「じゃあヨリ戻す?」

「そういうことは言ってないだろ。でも、自分を傷つけるのだけはダメだって」

「綺麗事ばっかり!」

 元カノが手首にその刃物を当てる。


 その瞬間、あたしは思わず足元の石段を蹴っていた。


 三段飛ばしで駆け上がると、下駄が階下に吹っ飛んでからんと音をたてる。それをきっかけに二人がこっちを向いた。転がるように境内の奥まで走ってオミの手を掴むと、オミが「夏那!?」とギョッとしたように目を見開いて声をあげた。

 元カノに対峙する。まだ手首を切ってはいないようだ。彼女は涙に濡れた瞳で、呆然とあたしを見ている。だれ、と赤いリップで縁どられた唇が動く。

「幼馴染です!」

 あたしはそう叫ぶなりオミの手を引っ張って走り出した。元カノに続きを言う隙すら与えずに。

「……斉藤くんっ! 待って!」

 元カノの声が背中に投げつけられる頃には、あたしたちは階段を駆け下りはじめていた。裸足の左足に小枝やら石の角やらが刺さって痛い。それでも、元カノが追ってくることが怖くて、ただひたすら舗装されていない道路を走り続けた。


 田んぼ道に入り、砂利のせいで走れなくなってからあたしとオミはようやく立ち止まった。

 あたしに手首を掴まれたまんま、オミが口を半開きにしている。そのバックの空で花火が咲いて、逆光で表情がよく見えない。

「ごめん、なんか、ヤバそうだから尾行しちゃった」

 あたしが謝ると、オミが「グッ」と言った。

 ううん、正確には言ったのではない。オミの喉がそう鳴ったのだ。

 オミが少しよけて道の端っこにしゃがみこむ。グッ、グッ、何度も喉をそう鳴らし、背中を大きく波打たせながら苦しげに嘔吐している。背中に触れると、ひどく熱くて汗ばんでいた。なのに震えている。

 オミの吐瀉物はさらさらしていて水っぽく、とてもご飯をまともに食べている人のものではないことや、オミがすごく吐き慣れていることは暗がりでもわかった。

 あたしは、オミがこのまま壊れて砂でできたお城みたいに風でさらさら飛んでって消えちゃうのではないかと思ってすっごく怖くなった。


 少し吐くとオミは手の甲で口元を拭い、よろよろと立ち上がる。

「俺、戻らないと。アヤナが」

 そしてまた吐く。

 あたしはただオミの背中をさすり続けていた。それ以外何もできなかったし、何も言えなかった。

 もしかしたら引っ張って連れてきてしまったのは間違いかもしれない。これであの元カノが本当にリストカットなんてしてしまったら、たぶん、オミはすごく自分を責めるだろう。そうなったら、どうなることか。そう後悔さえし始めていた。

 一通り吐き終えたあと、けれどもオミは立ち上がらなかった。


「かな……」

 ひどく疲弊したような声で、オミがあたしを呼ぶ。

「うん、なに?」

「夏那、おれ」

「うん」

「間違ってたのか」

 オミはちょっとずつ、ちょっとずつ、話し始めた。


 一連の事件について語るには、今年の初夏まで遡らないといけない。

 初夏にオミのおばあちゃんが亡くなったのとほぼ同時期に、オミは元カノに別れを切り出した(らしい。オミの話だけど)。理由は知らない。でも思春期の男女の間にはいろいろあるんだろう。ましてや受験生だもの、「何もない」「超平和」っていうほうがおかしい。

 別れ話はすんなり通らなくて、オミは毎日勉強だけじゃなくて元カノとの話し合いにも追われていた。さすがのオミでも体調を崩し、夏バテも加わって食べ物をもどすようになってしまう。そんなオミの様子に見かねたまわりの友達があの手この手で元カノを説得したそうだ。そんで、八月の頭に元カノが別れることに同意して、二人はお別れしたらしい。


 運が悪かったのはその元カノが、ちょっと情緒不安定というか、ざっくりいえばメンヘラだったということだ。

 別れてからも、オミのところには頻繁にメッセージがきた。それは「今なにしてる?」というたわいもないものから、「どうして返事くれないの」とオミを責める内容もあった。オミは元カノのアカウントを泣く泣くブロックした。

 すると、今度は元カノが学校を休みがちになってしまう。元カノの友達が、「あの子とお祭りに一緒に行ってあげてほしい。これが本当に最後だから、あの子の思い出として」とオミに頼み込んだ。罪悪感を感じていたオミは、それを断れなかったのだという。


「たった数時間、一緒にお祭りに行くだけなら」

 オミってほんとお人好しだよね。あたしなら全力拒否だけどさ。

 そういうことがあって普通にお祭りをまわっていたんだけど、急に元カノが話があると言い出したのだそうだ。嫌な予感がして断ると、元カノは「聞いてくれないと死ぬ」と言って、オミの腕を引っ張った。その場にあたしが出くわしたのだ。

 もちろん、お祭りに一緒に行って期待を持たせるような真似をしたオミも、良くなかっただろう。それがすべての元凶だ。

 ただ……あれは、あんまりだ。


「アヤナ、リストカット、したのかな」

 花火に一瞬照らされたオミの目元が異常なくらい陰っている。

「仮にしたとしても!」

 あたしはたまらずオミの肩を掴んでこっちを向かせた。

「あの人のことは、あの人の友達とあの人自身が大事にすればいい」

「でも」

「あのね、オミはあの人のことが心配なのかもしれないけどね、オミが今一番大事にすべきなのはオミだから!」


 オミの目にあたしが映っている。別に怒ってるわけじゃないんだけど、怒ってるみたいな顔をしている。そんなあたしの顔が、そのふたつの瞳の中でふいにぐにゃりと歪んだ。それを隠すように、オミがあたしの肩に額を乗せた。

 びっくりして、武器を持っていないですよって示すみたいに軽く手をあげてしまう。オミの肩が小さく震えだしたのを見て、あたしは、そっとオミの後頭部を撫でた。オミが控えめなしゃっくりをあげるたびに、ゲロの酸っぱいにおいがした。

 いつものオミなら「中二の女の子の肩で泣いてる俺ダサくないか」とか言い出しそうなものなんだけれど、オミはその時だけは素直にあたしに頼ってきた。なんだか逆にオミのほうが四つ下みたいだ。あたしはえらくお姉さんになった気分でオミの悲しみに寄り添っていた。


 その後あたしたちは一週間、イマチの散歩を一緒にした。たくさん話をした。離れていたオミとの距離が再び縮まったきっかけをひとつあげるのなら、たぶん、あのお祭りの日だったと思う。

 結局その後オミと元カノがどうなったのかは知らない。でもオミの様子は、夏が終わって秋になり、冬になっても何も変わらなかったから、たぶん、最悪の事態は起きなかったのだと思う。そうであると信じたい。

 元カノに何もなくても、オミはさっき二年間彼女がいないって言ってた。だからきっと、心の傷になってしまってるんじゃないのかな。




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