(2)
砂利がならされた道が蛇行するようにしばらくのびている。道の真ん中は車のタイヤが通らないから、枯れかけの、名前もわからない雑草が身を寄せ合って生えていた。一歩踏み出すたびにつま先が運動靴の中で泳いでかぽかぽいった。
やがて両脇が畑にはさまれた道に出て、真っ直ぐいくと、青々とした生垣に囲まれた木造の二階建ての家が見えてきた。オミの家だ。
生垣の切れ目から侵入する。庭ではちょうど、オミが草むしりをしていた。黄ばんだタオルを首から下げて、頭にはザ・おじいちゃんから借りましたって感じのボロボロの麦わら帽子をかぶっている。
「オミ」
オミはあたしを見ると、ちょうどそっちに太陽があるのか眩しそうに目を細めた。
「あ、夏那じゃん。いらっしゃい。一昨日ぶりだね。どうかした」
「オミ、車出してくれない?」
確か、この前会った時、オミは軽トラックに乗っていた。ということはつまり、自動車の免許を持っているのだろう。
オミは抜いたばかりのねこじゃらしを持ったままきょとんとする。
「それは今の話なのか」
「うん」
語尾のあまり上がらない平坦な質問文に、あたしは食い気味に頷いた。
「でも忙しかったらいいよ」
「平気だけど……なんで」
「ゆりこのこと知ってるでしょ」
我ながら乱暴な話の進め方と思ったけれど、あたしは、まどろっこしいのは嫌いだ。
「ゆりこって、ダレゆりこ」
「木村ゆりこ。うちの斜向かいに住んでる、木村さん家の」
オミは開いているのか閉じているのかわからないような一重の目をさらに細めて微笑むと、また地面に視線を落として草を抜き始めた。
「ああ、木村さんとこのね。最近、テレビでよく見かけるよね。女優になったんだっけ。どうかしたの」
「今、六弥に帰ってきてるらしくて。駅にいるって言うから迎えにいくってなったけど、きっと荷物多いから、暇だったら車出してほしい」
「なるほどね。今、乗用車は父さんが乗ってるから、軽トラで構わないなら出せるよ」
「お願いシマス」
滑り止めのボツボツ付きの軍手をはめた手を叩き合わせ、大雑把に土を払うと、オミはよっこいしょとジジくさい掛け声で立ち上がる。
「じゃあ、じいちゃんに軽トラ借りるって言ってくるから、ちょっと待ってて」
あたしは今しがたオミが抜いたばかりのねこじゃらしを、抜いた雑草の山のほうに投げてまとめた。雑草の山はけっこう大きく、十分やそこらの成果ではないだろう。精が出るなあ。
そうして少し待っているとオミが出てきた。カギ(たぶん、軽トラックの、だ)についた輪っかのストラップに人差し指を通してくるくる回している。
車庫に置かれている軽トラックの助手席のドアを開けると、農作業時に使っているためか、むわっとした熱気とともに土と埃の匂いが鼻をついた。座席に置かれたクッションはぺしゃんこで、乾いた泥がこびりついて汚れている。
「手ぬぐいか何か敷こうか?」
オミが気を遣ってくれるが、あたしは首を横に振った。履いているのはどうでもいいハーフパンツだし、汚れなんか気にしない。
エンジンがかかる。残像が見えるくらい激しく車内が震えだす。
オミの運転は穏やかだった(うまい下手はわからないが、比較的スピードはゆっくりだ)。しかし道が悪いためかそれとも古い軽トラックとはそういうものなのか、ひどく揺れた。窓を開けようとして、窓の開閉ボタンがないことに気づく。
「ねえねえオミ、窓、どうやって開けるの?」
「手動窓だから、そこについてるハンドル回して」
言われたとおりにすると、キイキイ言いながら窓が開く。レトロだねとあたしがはしゃぐと、オミが笑う。吹き込んだ風が前髪をさらうように持ち上げた。
「暑いか」
「ううん、大丈夫」
軽トラックに揺られて、十分もかからずに駅前についた。
駅前といっても、六弥は田舎だ。駅にはおしゃれな雑貨屋さんも服屋さんもお土産屋さんもコンビニもマックもない。ちなみに言うと自動改札もない。駅員さんがガッチャンするタイプの駅だ。単線だし、二時間に三本しか出ていないし、平日の朝以外は利用者が少ないからそれでも成り立っている。
駅を出てすぐのところにはよくわからない椋鳥の銅像が置かれていて、六弥町の小中学生がよく放課後の待ち合わせの目印に使っていた。今日は小学生の代わりに、一人の女の子が立っている。傍らにキャリーバッグがあるから地元の人ではない。
白線がこすれて消えかかった駐車場に軽トラックを止めてもらい、外に出ると、彼女は着用していたマスクを顎のほうに少しずらしてあたしに向かって大きく手を振ってきた。「夏那!」
あれがゆりこのようだ。
「夏那ぁ、久しぶりー!」
ゆりこが黄色い声をあげるので、あたしも合わせていつもより高い声で「そうだね」と笑ってみせた。
予想に反してゆりこは、英字ロゴの入ったTシャツにデニムのショートパンツというラフなかっこうをしている。そりゃ一年ちょっと前まで住んでいたのだから当たり前かもしれないけれど、完全に風景に馴染んでいた。すっぴんだしメガネだし芸能人オーラ皆無だし、言われなければあの「花園ゆりこ」だと気づかない。
けれども、なんだかそれだけではない違和感がある。
ゆりこはあたしが違和感を感じていることに気づいたのか、肩の上でバッサリ切った自らの芋臭いおかっぱ頭に触れた。
違和感の正体はこれである。
そう、確か、テレビの中のゆりこはロングヘアだったような……。
「夏だし、今度出るドラマの役作りもあって、事務所からお許しが出たから切ってみたの。別人みたいでしょ? 今オンエアしてるバラエティではまだ髪長いから、変な感じするかもね」
ゆりこがさらりと「事務所」とか「オンエア」とか言うのを聞いて、ああ、ゆりこは芸能人なんだと身に迫るように感じて、急にどうしたらいいのかわからなくなった。何も言えなくなったあたしに、やだぁ、とゆりこが腕を軽く叩いてくる。加減が下手くそで、地味に痛い。
「フツーにしててよー。わたし、女優もやってるけど、フツーに夏那の友達だし、フツーに女子高生なんだから!」
「あ、そうだよね。そうする」
「ね、ね、夏那はドコ高に進学したの?」
「三高」
「えー! マジで!」
ここらで三高といったら隣町の五十川第三高校のことで、偏差値六十くらいの自称進学校である。
田舎の偏差値六十は、数字のわりに大したことない。現役進学率はそれなりに高いし上位層は都会のすごく偏差値の高い大学に進学したりもするが、下位層なんか目も当てられない進学実績だ。第一志望より、とりあえず「進学すること」をとるのである。
あたしはそんな高校の中で、だいたいいつも真ん中くらいの成績をキープしている。すごくもなければアホでもない。
それでもゆりこは頭がいいとか制服がかわいいとか文武両道とかひとしきり三高をもてはやした。なんだか悪い気はしないね。
「ゆりこは?」
「芸能コースがあるとこ。出席日数足りない分はレポートとか追加補習で拾ってくれるの。頭はあんまよくないけどさ」
「でも、毎日、芸能人見放題じゃん」
「売れっ子はあんまり学校来ないから、そうでもないって!」
「自分も売れっ子のくせに」
「まあ、おかげさまで」
「否定しないんかい」
あたしのツッコミに、ゆりこが口元を手で隠してくすくす笑う。
なんだか……、久々に会った友達という感じも、小中学校が一緒だったという感じもしない。いい意味で言っているのではない。まどろっこしいこと抜きでもっと直接的に言えば、あたしたちはまるで初対面のようだ。
それは、ゆりこが芸能人らしくなってしまったからではないだろう。
ゆりこが東京に行く前だって、あたしはこうしてゆりこと明るい会話を交わしたことなんてない。もしかしたらこれが初めてかもしれなかった。
小学生の頃、ゆりこはお世辞にも明るいとは言えなかった。無口でサバサバしていて女の子どうしでトイレに行かないタイプ。「芝居のお稽古があるから」と言って、放課後や休日に友達と遊ぶこともあまりなかった。
ゆりこが変わったのは中学校に入ってからだった。それまでとはキャラを一変して、ハイテンションでいろいろな人に話しかけるようになったのだ。
優れた容姿に明るい性格のゆりこは、すぐにみんなの人気者になる。あたしたちの小学校出身の女子はあたしとゆりこを合わせても六人しかいなくて、みんなどちらかといえばおとなしい性格だったので、その変化を咎める者は誰もいなかった。
「夏那は変わらないね」
「あ、そう?」
「うん!」
あんたが変わりすぎなんだよって、思ったけど、言わなかった。
「あれ、迎えに来てくれた人」
会話もそこそこに切り上げ、あたしは向こうに見えるオミの軽トラックを指さした。全開にした軽トラックの窓枠に頬杖をついて、オミはどこか遠くを見ている。
「覚えてる? 斉藤竹臣。小二のとき、登校班の班長さんだった」
「ぼんやり……かな?」
「まあいいよ、紹介するから」
近づくと、オミが軽く片手をあげた。ゆりこが人懐こい微笑みを浮かべるのが視界の端に映る。
「わざわざ車出してくださって、ありがとうございます。木村ゆりこっていいます」
「テレビでよく見てます」
「えぇー! 嬉しいです! 竹臣さん、あたしが小二のとき、班長さんでしたよね?」
ぼんやり、と言っていたことを忘れさせるようにすらすらとゆりこの口からそんな言葉が飛び出す。さすが期待の人気若手女優だ。演技力がカンストしている。
「ああ、そうそう。よく覚えてるね」
「あのときはお世話になりました」
「いえいえ。……助手席は一人しか乗れないけど、二人で荷台に乗るか一人が助手席でもう一人が荷台に乗るか、決めてね」
オミが後ろを指差す。
「いや、いいよ。キャリーバッグだけ荷台に乗せて、ゆりこは前に乗りなって。荷台、揺れそうだから」
あたしの言葉にゆりこは一瞬戸惑ったような表情を浮かべたが、でもすぐにそれはいつもの微笑みに戻った。
「えぇー、じゃあ、お言葉に甘えて助手席に乗ってもいいかな?」
オミに手伝ってもらってゆりこのキャリーバッグを荷台に上げた。荷台には米俵のようなものと鍬やスコップが乗っているのみだ。
「ホントはよろしくないんだけどね、荷台に人乗せるの」
そう言うわりに、オミはワルい笑みを浮かべている。
新たにあたしとゆりこを乗せて、軽トラックは走り出す。荷台は体感的に助手席にいるよりも揺れるような気がしたが、開放感がある分それほどひどくは感じなかった。
オミの運転はやっぱりゆっくりだ。急いでいるらしい他県ナンバーのセダンがものすごいスピードで追い越していく。田舎ではみんな運転が荒い。
「その手ぬぐい、洗いたてだから大丈夫だよ」
「ありがとうございます!」
荷台と運転席の間には窓があって、開け放されたそこから二人の会話がいやでも聞こえてくる。ゆりこの座るところにもちゃんと手ぬぐいを勧めてあげたらしい。平等に気を遣うところがまさにオミだ。
「ゆりこちゃんも今、東京にいるんでしょ。俺も東京の大学に通ってるんだ」
「えー、ドコ大ですか?」
「K大」
「えー! わたし、K大の近くの駅よく使うんですよー!」
「じゃあもしかしたらどこかで会ってるかもしれないね」
「だといいですね!」
初対面ではないけどあまり親交がなかったくせに、二人の会話は随分と盛り上がっている。お互い現在東京に住んでいるからか、新宿駅に初めて行った時迷子になったとか、表参道を歩くときはいまだに緊張するとか、一度原宿に行ってみたいとか、そんな話題ばかりだ。
口をはさむ隙間なんて一ミクロンもなくて、あたしは黙って前を向いた。
町の景色が、後ろから前へと流れていく。
家の近くに戻るまで、ただ、それを黙って眺めていた。