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※開封後はひと夏のうちにお召し上がりください  作者: 村崎千尋
第3章「オンリー・スリーデイズ・オブ・サマー」
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(6)



***



 翌日、六弥の町はこの三日間の中で一番慌ただしかった。お盆休みの最終日だから、実家に帰省していたみんなが帰っていくのだ。熊谷ナンバーも、札幌ナンバーも、練馬ナンバーも、みんな。

 テレビやラジオではひっきりなしにどこそこ自動車道で事故とかどこそこ高速道路で何キロの渋滞だとかが流れていて、朝の番組では珍しく花園撫子をすっとばして渋滞回避術で特集が組まれている。一度家に帰ったら、別に渋滞によって何か被害を被るわけでもない母がそれを見てため息をついていた。


 別に町が混んでいるからというわけではなかったが、あたしは今日はゆりこに会わなかった。

 昨日お泊まりしてさんざん話したからというのももちろんあった。でも、一番の理由は、どんな気持ちでゆりこに接したらいいのかわからなくなってしまったからだ。

 だって、どこまで演技かわからないんだもん。

 あたしの言葉にゆりこが笑うこと、ゆりこスマイルで話しかけてくること、イマチがいなくなったのは自分のせいだと泣いたあの時、また一緒に散歩ができると知って喜んだ笑顔、オミのことが好きだと言って照れた様子、一緒にジャムを食べたときのおいしさに驚いた表情。

 どこまでが演技? もしかして、全部、演技?

 疑い始めるときりがなくて、なんだかこっちが虚しくなってしまう。


 だから、むしゃくしゃして一日中夏休みの課題をやってやった。最近はゆりこと一緒に遊んでいることが多いので、少しスケジュールが遅れがちだったからだ。

 読書感想文と英作文とすぐ終わるもろもろの雑魚課題をあらかた片付ける頃には、夜の九時をまわっていた。リビングに降りていくと、父も母もあたしのあまりの集中ぶりに声をかけることができなかったのだと言う。父が勉強を頑張っているからこれで参考書でも買いなさいと二千円をくれた。

 アイスを買うことにした。


「コンビニ行ってくるー」

 夜ご飯を食べ終えてから、父と母にそうことわり、クロッカスをつっかけて外に出た。メンズのダークグレーのクロッカスはあたしの足より一回りも二回りも大きく、歩くたびに穴だらけのサンダルの中で二十三・五の足が泳いだ。

 住宅街を出て坂をおりていくと、しだいに、覚えのあるにおいが次第に濃くなっていく。立ち止まってあたりを見れば、等間隔に立つオレンジの街路灯にぼうっと照らされて、あちこちの家から煙が上がっていた。何やら話す声も聞こえる。

 それであたしは、ああ、今日はお盆の最終日なのだと身を持って感じた。うちの地域は十五日の夜に送り火をするのだ。

 このにおいは、いろんなものが燃えるにおいである。みんなテキトーだから、ほうろく皿の上におがらを燃やしたりなんていう丁寧なことはしない。そこらへんの葉っぱとかとりあえず燃やしても大丈夫そうなものをかき集めて、焚き火みたいに火をつけるのだ。


 本当はオミの家のほうをまわっていくとコンビニが近いんだけど、さすがにもう九時を回っているためお化けが怖いので(ちょうどあちこちで送り火やっているわけだし)、人通りの多いルートで向かうことにした。

 庭の裏とか畑のあいたスペースとかで、みんなが火を囲んでいる。故人が亡くなってだいぶ経つお家はわりと儀式的に行っていたけれど、新盆のところは心が痛くなるくらい切実な表情だった。でも、どうであれ、いなくなってしまった人を想う気持ちは変わらないと思う。

 コンビニまでのルートの途中に、児童公園がある。背の低い遊具が多くサッカーも野球も禁止なので、利用するのはほとんど小さい子たちという、児童というより幼児公園だ。そのため、夜はほとんど誰もいない。今日はお盆だから歩き回る酔っ払いもいないだろう。

 開放的なイメージにするためか、虫被害でクレームをつけられないようにするためか、あまり木や植物は生い茂っていない。生垣も低いので、中の様子がとなりの道路から一望できるようになっている。


 でも、誰もいないはずのその公園、膝の高さくらいしかないブランコの柵に誰かが座っているのが街路灯に照らされて見えた。斜め上からの光に、顔の半分が陰っている。それでも誰だかわかった。

 あれは、オミだ。

 思わず公園に入っていく。滑らかに舗装されたカラフルな地面は子供が転んでも痛くないように少し柔らかい素材でできている。気持ち悪いそのふかふか素材を踏みつけながら彼の目の前に立つと、彼が顔をあげた。やっぱりオミだった。

「夏那……?」

「なーにしてんの」

 あたしはオミの真正面であぐらをかいて座った。膝の上に置かれたオミのこぶしが、力をこめられて真っ白になっている。見上げると、やや俯きがちなオミと目が合った。


 オミは、送り火で故人と一緒に自分の魂も送ってっちゃったみたいな呆然とした表情をしていた。

「オミん家、送り火終わった?」

「……うん、さっきね。ばあちゃん、もう行っちゃったよ」

 手が二本伸びてくる。農作業のせいでかすり傷だらけの日焼けした細い手が、犬にするようにあたしの髪の毛をぐしゃぐしゃにかき回す。あたしはそれを黙って受け入れた。

 今日だけ、今日だけね。

 やがて、その手がゆっくりと止まる頃には、オミの目が濡れてその表面をまぁるくふくらませていた。オミが小さくまばたきをすると、ほろり、雫がこぼれ落ちていく。重力に従って頬を転がり、顎に伝い、ジーンズに青いシミをつくる。

 オミは一滴だけ涙を流し、けれどもその先は、ただ顔を歪ませただけだった。


「この三日間、ずっとばあちゃんのことばっかり思い出してた」

 オミのおばあちゃんは二年前に亡くなった。今年が二回目のお盆だ。

「じいちゃんがな、甘いもの苦手なくせにトマトに砂糖をかけるんだ。ばあちゃんは塩より砂糖派だったから。たぶん、毎年やる。じいちゃんが死んだ後も、俺がやる」

 オミがそう言うのは、きっと一時の感情の高ぶりからくるものではないだろうなと思った。オミはやるといったらやる男だ。砂糖トマトに飽きようが、糖尿病になろうが、毎年お盆になったら続けていくことだろう。


 オミはそれからぽつりぽつりとおばあちゃんの話をした。あたしがたまに相槌を打つと、そのたびに一筋だけ涙を流した。

 おばあちゃんはもうこの世にはいないけど……オミの中には、おばあちゃんがいるんだろうなと思った。お盆が続いていく限り、オミは毎年ちゃんとおばあちゃんを思い出すんだろうな。そうやってずっと、オミとおばあちゃんの世界は続いていくんだろうな。

 ありがちなB級ヒューマンドラマみたいな文句だけどさ。

「夏那は」

 静かに聞いていたら、突然主語がおばあちゃんからあたしに変わったので、驚いて思わずオミを見た。オミの顔にはすっかり表情が戻っていて、微笑すら浮かべていた。


「夏那は、ヒーローみたいだな」


 オミが何を言っているのかよくわからなくて、一瞬言葉に詰まった。

 ヒーロー? なんで?

「そこはヒロインじゃないんですかぁ」

 言い返すと、オミはいたって真面目な顔をして首を横に振る。

「いやいや、ヒーロー。二年前も、今も、俺が悲しいなーって思ってるときを狙って颯爽と現れるし」

「別に狙ってるわけじゃないんですけどぉ」

 ははは、とオミが笑い声をあげた。もうすっかりもとのオミだった。


「夏那はどうしてこんなところにきたんだよ」

「コンビニ行く途中。アイス買う」

「遅いから送る。話聞いてくれたし、俺、おごるよ」

「ダッツ」

「うーん」

「ダッツ!」

「仕方ない。今日だけ」

「いぇーい」

 短くて軽いノリの会話をしながら、あたしたちは立ち上がった。


 死者は空へと帰っていく。生者の中に強制的に思い出を残して。のぼっていく細い煙がその道筋だ。

「オミ」

「なに」

 言おうかどうしようか少し迷った。でも、あたしは結局へらりと笑ってみせた。

「クリスピーのやつがいい」

「おにーさんのおごりなので好きなの食べてください」

 あたしとオミはハーゲンダッツを食べる。

 これから日常が帰ってくるはずだ。



(第三章「オンリー・スリーデイズ・オブ・サマー」)


送り火について調べたら十六日に行うのが一般的と書かれていたのですが、今回は十五日派でいかせていただきました。よろしくお願いいたします。

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