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※開封後はひと夏のうちにお召し上がりください  作者: 村崎千尋
第3章「オンリー・スリーデイズ・オブ・サマー」
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(4)


***


 事務所を飛び出し、スクランブル交差点を駆け抜けた。渋谷駅で帰りとはまったく逆方向の山手線に乗ってしまっても、山手線でぐるっとまわって日暮里で乗り換えしたあとも、ゆりこはずっと黙り込んでいた。

 一人分の席を確保して、ゆりこが座ってあたしがつり革に掴まる。下を向いて、あたしのほうを見ようともしない。酔っちゃうよ、と言ったら、うん、と弱々しい返事だけがあった。こりゃ、そうとうまいっているらしい。

 でも確かに、親の不倫相手なんか見たくもないし、そいつから「お父さんと呼んでくれたっていいんだよ」なんて言われた日には、あたしなら発狂しちゃうかもしれない。何が「お父さん」じゃボケェ、って。いやそれはちょっとふざけたけど。


 一時間ほど乗っただろうか。大きな路線から、六弥に向かう単線の電車に乗り換えた。

 人がまばらな古い電車の天井にはいくつもの巨大扇風機が設置されていて、電車内の空気をどこもかしこも余すところなくかき回している。あたしたちは間に一席あけて赤いシートに座り、向かいの窓の外の景色が静かに流れていくのを、馬鹿みたいに見つめていた。

 横目で見たら、扇風機が顔をこちらに向けるたびにゆりこの軽く巻いた前髪がふわっと浮き上がっていた。ひどく鬱陶しそうだったけれど、ゆりこは前髪を押さえたりすることもない。そんな気力もないように見えた。


 六弥の駅につくと、まだ五時くらいだからか、外は明るかった。

 駅の構内を出たゆりこはのっそりとスマートフォンを出して電話をかけ始める。木村のおじさんにだろうか。あたしはチャリだからもう帰ってもよかったんだけど、一応、ゆりこに「ばいばい、またね」を言おうと思って待っていた。

 ゆりこがぼんやりと虚空を見つめて、電話がつながるのを待っている。

 十コール分くらいあいて、ふいに、ゆりこが背筋を伸ばした。


「――もしもし! パパ?」

 明るい声だった。

「うん、そう。夏那と東京で遊んできたの。今六弥駅まで帰ってきたとこ。忙しい? ……ほんと? 迎えに来てくれる? うん、うん」

 さすが女優、と拍手を送りたくなるくらい寸分の隙もなかった。

 まるで今日の半日、東京であたしとイチマルキューでショッピングしてたりスタバで語り合ってたりしたみたいな、それが真実であるかのような、満足感に満ちた口調だった。

 だからこそ、ゆりこがすごく痛々しく見えた。

 だって、あたしは知っている。あたし“だけ”が知っている。決してそうじゃないんだってこと。


 木村のおじさんとの通話を終えておろしたゆりこの手首を思わず掴んでいた。ゆりこの肩がびくりとはねる。なにを言おうか考えていなかったので、あたしはしばしまごついた。

「なに、夏那?」

 帰りの電車ではしゅんとしていたくせに今更思い出したようにそうやって元気ぶるゆりこに腹が立って、思わず、あたしは大声をあげていた。

「今日は女子高生ごっこだよね!」

「そう、だ、けど……?」

 ゆりこの語尾がすぼまる。あたしは知らんぷりして続けた。

「じゃあ泊まっていいかな!」

「え?」

「今日、ゆりこの家、泊まってもいい? お泊まり会しよう」


 ゆりこが言葉を濁しても、うまく丸め込む気でいた。みんなにちやほやされてたゆりこと違い、どろどろの女子バスケ部コミュニティで揉まれてきた分、この三年ちょっとの間であたしのほうが口は達者になっていると思う。

「わたし、でも」

「いいよね? おじさんがダメって言うなら諦めるけど、ゆりこはいいでしょ?」

「……うん」

 押されたように、ゆりこは頷いた。


 しばらくして木村のおじさんが車でやってきた。あたしが泊まってもいいかと聞くと、おじさんはちゃんと家族に連絡することを条件に快く頷いてくれた。これでゆりこに退路はない。

 お泊まりをして具体的にどうこうしようという考えは、ぶっちゃけ何もない。ただ……あたしは、なんとなく気に食わなかったのだ。このままゆりこを家に帰してしまったら、あたしはただ利用されただけみたいな気がして。

 ゆりこの計画に反することをしてやりたかった。

 木村のおじさんの運転する車で一度家に着替えを取りに戻った。母に友達の家に泊まるからと言ったら、

「ああそう、ご迷惑おかけしないようにね。ちゃんとありがとうとごめんなさいは言うこと。そちらの家のルールに従うこと」

 小学生の親みたいなことを言われた。ちょっとムカついたけど、いつものことなので軽く流す。


 ゆりこの家でカレーをご馳走になった。当たり前だけど、テレビは消えたまんまだった。だって、そりゃ、ね。面白くないワイドショーばっかりだし、ね。木村のおじさんとゆりこはほとんど話さなかったし、あたしも盛り上げるキャラじゃないのでみんなで黙ってカレーを食べる。

 それから、あたし、ゆりこの順でお風呂に入った。あたしは中学のジャージをパジャマ代わりにしていたが、ゆりこは某有名ブランドの淡い紫色のルームウェアを着ていた。部屋着にも妥協しない女子力の高さにちょっとムカつく。

 ゆりこの部屋は、この夏だけ帰ってるんだから当たり前だけど、ほとんど何もない。ベッドもカーテンも勉強机も。家具は小さい子が使うような背の低い折りたたみデスクと備え付けのクローゼットのみで、キャリーバッグだけが所在無げに部屋の隅っこに立てかけられている。


 そのがらんとした部屋の真ん中に、客用の布団を並べて二枚敷いた。

 木村家は基本的に十時消灯が原則らしく、十時になるとゆりこが自主的に消した。

「お泊まりとか、わたし、初めて!」

 電気を消すとにわかにゆりこが元気になって、うつぶせのまま、眠ろうとするあたしを布団の上から叩く。十時とか、吉井家ではまだ居間のテレビがついているような時間だよなあって思った。おかげで全然眠くない。仕方なくあたしもうつぶせに起き上がって、両肘をついて上体だけ起こす。

 ゆりこが体を寄せてくる。ほんのりと甘い木村家のシャンプーの香りがした。

「ね、ね、恋バナとかしよ?」

「ハイハイ、勝手にしてれば」

「もー。夏那は何しにお泊まりにきたの」

 文句を言いつつ、ゆりこはうっとりした目で暗闇を見上げる。


「竹臣さん、今頃何してるかなあ?」

「お盆だから、親戚の相手で忙しいんじゃない」

「ドライすぎ」

「ゆりこの脳みそがガバガバなだけ」

「ひっどーい」

 けらけら笑っていたゆりこだが、すぐにまた、真面目な顔になる。

「内緒の話してもいい?」

「ダメ」

「あのね」

 あたしが聞いていよういまいがかまわないのかもしれない。

 ゆりこは両手の指先をもじもじとからめた。人差し指と中指が、甘く絡んでは離れるのを繰り返している。4Kテレビでうつされてもまったく問題ないような、ささくれ一つない滑らかな手だった。

 きっと、オミの骨ばった細い手とよく合うだろう。


「夏那は竹臣さんのこと、どう思う?」

「どうって……普通に幼馴染。お人好しだけど裏を返せばいいやつ、としか」

「よかったぁ」

 あたしの言葉を遮って、ゆりこが胸をなで下ろす。「夏那がライバルだったら勝ち目ないもんね」

 ごろりと寝転んで天井を見上げたゆりこは、両手で顔を覆って、その隙間から覗くようにあたしを見た。

「わたし、中学に入ってケータイ持ってから、長内とメールするようになって、長内が好きになった」

「長内?」

「ほら、小学校一緒じゃん」

 顔がぼんやりとして思い出せないが、同じ生き物委員で四年生のときゆりことウサギ当番を組んでいたあの真面目くんだろう。確か、受験してめちゃくちゃ頭のいい私立中学に進学したはずだ。


「だって頭いいんだもん。わたしの持ってないものを持ってて、いいなあって思った」

「へえ」

「その次が中学一年のとき同じクラスだった佐藤くん。顔が整ってるから。で、その次が飯村くん。サッカー部で面白かったから」

「うわ、一軍ばっかじゃん。じゃあなんでオミなんか好きになったの? 確かにちょっと頭はいいけど、イケメンでもないしサッカーもできないし、てか、女運の悪さたぶん日本一だし。取り柄なんて人がいいところくらいしか」


「だからだよ。優しいから、好きになったの。顔がいいとかサッカー部とか、ずっと、スペックで人のこと好きになってたから。だから……竹臣さんみたいに、人の内面に惹かれて好きになるの、初めてなんだ」

 へへ、といつもよりやや抜け感のあるゆりこスマイルが炸裂する。普通の男ならこれでころっと落ちちゃうだろうな。

「ふーん」

 あたしも寝っ転がって天井を見上げた。木造の吉井家と違って、ゆりこの家の天井は白い。蓄光の蛍光灯がほんのりと青白く灯っているばかりだ。


 二人して並んで天井を見上げて、しばらくそのままでいた。

 セミもカエルも暴走バイクも救急車のサイレンも聞こえない。まるであたしたちのためだけに黙っているみたいな、そんな不自然なくらい静かな夜だった。

 ゆりこの呼吸だけが隣から聞こえる。「はぁ」よりは「ふぅ」に近い吐息は、何か不穏なものをはらんでいるようにも聞こえる。

 あたしもそっと息を吐いた。目を閉じる。眠たくはない。


「夏那、起きてる?」

 寝転んだまま、ゆりこからそう不意打ちみたいに話しかけられた。

「寝てる」

「じゃあこれは夢の中の話。……今日はごめんね」

「なにが」

「騙して無理やり連れてったことも、変な役回り押し付けたことも、うちの家族のどろどろ見せちゃったことも、帰りの電車でずっと黙ってたことも。夏那を嫌な気持ちにさせてごめん」

「別に」

 あはは、夏那っぽい、とゆりこが笑う。

 さすがにムカついた。

 それは、真面目な話なのに笑ってるゆりこに対してじゃない。

 こんなときにまで明るいテンションを保とうとする、その痛々しさに対してだ。


「なんで、笑うの」

「なんでって……不快だったら、謝るよ」

「そういうこと言ってるんじゃない」

「夏那が何に怒ってるのか、わからないよ」

「ゆりこは!」

 そんなに大きな声を出したつもりじゃないのに、がらんとした部屋にあたしの声は大きく響いた。あたしは毛布の隅っこをぎゅっと握り締める。


「なんでそうやってへらへらするの。だってここ悲しいところじゃん。泣きはすれど笑うところじゃないじゃん。違う?」

「違わないけど……」

「なんでこっちに戻ってきたの。なんであの時マッキーたちから逃げたの」

 今の話とはまったく関係ないことなのに、言葉は勝手に口からこぼれ落ちていく。止めようと思っても、蛇口の壊れた水道みたいに次から次へと出てきた。

 ゆりこの表情が見えないのが、それを助長していた。


「なんであたしを選んだの。本当に電話番号が最後だったからなの。ゆりこは何を思ってるの。ゆりこは誰なの。あたしにはわかんないよ」

 あたしのゆりこはどこにいっちゃったの? かっこよくて、憧れで、ミオカちゃんに嫌なこと言われても一人で凛と鍵を探してた小学生の頃のゆりこは。

 今のゆりこは、ゆりこっていう名前をかぶってるだけの、まったくの別人みたいだ。

 あたしが一方的に言葉をぶつけると、ゆりこは少し黙って、それからおそるおそるというように「それは」と言葉を落とした。あたしが何も言わないのを確認するような間を置いて、ゆりこの言葉が静かに続けられる。


「わたしが夏那を選んだのは、夏那なら、わたしに同情しないと思ったから」

「え?」

「五年生のときの、白いウサギのことを覚えてる?」



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