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※開封後はひと夏のうちにお召し上がりください  作者: 村崎千尋
第3章「オンリー・スリーデイズ・オブ・サマー」
15/31

(3)


***


 少し、木村家の母娘について話そう。


 これは全部ワイドショーとうちの母の受け売りなんだけど、花園撫子は昔から地元でも有名な美少女で、三十年近く前、修学旅行で行った渋谷駅で今の事務所にスカウトされたそうだ。その数ヶ月後、とあるドラマのオーディションに合格してデビューしたらしい。

 デビュー早々いきなりそのドラマがヒットして、一躍人気女優となり、その活動はモデル業やタレント業にまで拡大していき、今の花園撫子がある。


 そんな花園撫子と木村のおじさん、それからゆりこの関係は、確かに家族という共同体ではあるのだけれども、ほかの家族のそれとは明らかに違っていた。

 毎日お父さんが朝から晩まで働いて帰ってきて、それをお母さんがご飯を作って待っている。家族みんなで夕食を食べる。夜には一緒にバラエティ番組を見て笑う。休日は遊園地に出かける。

 しかし、花園撫子の仕事は不規則かつ多忙であったし、木村のおじさんの塾講師という職業は学生を相手にしているためたいてい午後から夜までかかる。そしてゆりこは週五日も芝居のお稽古に通っていて、残りの二日は鍵っ子だった。

 世間が「家族とはかくあるべき」と思って漠然とつくっている枠組みに、木村家は何一つ当てはまっていないのだ。


 木村家はタイムスケジュール的にはすれ違いの一家だったが、家族仲はその頃(あたしたちが小学生の頃のことだが)それほど悪くないらしかった。

 木村のおじさんは花園撫子のことがちゃんと好きみたいだったし、花園撫子は確かにPTAや地域行事には参加しなかったけれど、近所の人に対して見下すような態度をとったり芸能人ぶるようなこともしていなかった。ゆりこはゆりこで“女優として”の花園撫子を尊敬しているようだった。

 吉井家において家族というのは家族だけれど、木村家は、家族っていう名前のアイドルユニットみたいに見えた。もちろんユニットとしての活動サイクルはある。その中で、個人でのお仕事だって優先するあたりが。それはあたしの目にはちょっぴり奇妙に見えた。


 いつだったろう。

 あれは、小学六年生の春。

 四年生の秋にキョーハンとなったあたしとゆりこは、五年生のときにウサギが死んだためウサギ当番として関わることはなかったけれど、体育の柔軟体操でペアを組む程度には仲良くなっていた。

 それはもちろん、あたしの所属する女子のグループが三人グループで、二人組になるときは一人余っちゃうからっていう事情もあるんだけど。


 ゆりこはというと、時が経つにつれて、さらに美しく気高くなっていった。でもあたしが好きだったのはゆりこの容姿じゃなくて(容姿はむしろ嫌いだ。かわいいから何しても許されるようなところが気に食わない)、サバサバしているところや、そのくせ自分がこうだと決めたことに対しては一切妥協しないで真っ直ぐにぶつかってくる熱いものを秘めているようなところだ。

 ゆりこはその細身の中に、強く強く“「木村ゆりこ」という自分”を持っている。

 そんなところが、あたしの憧れだったのだ。

 ……それはおいといて。


 小学六年生の春、下校前のグラウンド解放の時間のことだ。

 ウサギ小屋の近くに三角スペースがある。腰くらいの丈の草がボーボーになっている、その名の通り三角の形をしたスペースだ。そこにしゃがみこんでいる子を見つけた。

 体格からして、たぶん、五年生か六年生。垢抜けたチェリーレッドのランドセルが近くに投げ出されている。足元に生える若草に溶け込むような春色のワンピースの背中には、見覚えがあった。

「ゆりこ!」

 具合でも悪いのかと思ってひやっとして駆け寄った。弾けるように振り返って立ち上がったゆりこは憤怒の表情を浮かべていて、あたしは自分が怒られているわけじゃないのに思わず後ずさる。

「な、なに、やってんのぉ……」

「一大事なんだから、のんきなやつはあっちいってよ!」

 ぴしゃんと、ありんこの入る隙間もないくらいに完璧にシャットアウトされた。


 今のあたしなら間違いなく「あっそ!」ってブチギれて帰って、MINEで仲間内に悪口を広めて根回しすることを怠らないだろう。だが、その時はまだそこまで性格がねじくれていなかったので、再びしゃがみこむゆりこになおも引き下がった。

「何か、探し物?」

 ゆりこは顔の周りに小さな虫でも飛んでいるみたいに鬱陶しそうにあたしを手で払いのけた。随分とひどい扱いである。

 そのせいであたしは引くに引けなくなって、ゆりこの背中に話しかけ続けた。

「ゆりこー」

「ゆりちゃーん」

「お探しのものはなんですかー」

「ゆーりーこーちゃ――」

「……鍵」

 あたしのしつこさに根負けしたのか、それとも一人では見つからないとわかったのか、ゆりこがぼそりと答えた。


「鍵。家の。白いウサギのふわふわのマスコットがついてるやつ」

 それだけ言って、ゆりこはまた草をかき分け始める。

「なんで、鍵をこんなところになくしちゃったの?」

 隣に座ってなんとなく草の根っこのあたりをまさぐってみたりしながら、あたしはゆりこに尋ねた。

 三角スペースはグラウンドの特性と土地の広さの関係でできてしまった、特に意味のないスペースである。中途半端な狭さゆえに何にも使えず、手入れもされていないので、草がボーボーでみんな立ち入ることなんかないはずだった。

「あんた、わたしに関わんないほうがいいよ」

 ゆりこがふいにあたしの質問とは違うことを答えた。ゆりこは確かにサバサバしているけれど、「あんた」みたいな突き放すような言い方をしたのは初めてで、あたしはびっくりしてゆりこの横顔を見た。

 薄くて血色のいい唇が、醜く歪んでいた。


「あんたのグループのモリタが」

「ミオカちゃん?」

「そう、わたしとあんたが体育の柔軟を一緒にやってるの、気に食わないみたい。『これ以上夏那と一緒にいるつもりなら、夏那を完全ハブにするから。オトモダチなら身を引いてあげてね』って言われた」

「それ、探し物と関係があるの?」

「さあね」

 ゆりこはアメリカの役者みたいにオーバーに肩をすくめて、かわいいイエローのスニーカーが汚れるのもかまわずに草の中にどんどん入っていった。

 もしかして、ミオカちゃんがゆりこの鍵を三角スペースに投げ込んだりしたのだろうか。


 あたしはミオカちゃんの友達だけど、ううん、友達だからこそかな。あの子ならやりかねないって思った。

 ミオカちゃんは基本的にはおとなしくて内気な子だ。特に先生とかオシャレな子とか、自分と対等か自分より上の人の前ではしゅんとしている。ただ、自分より下だと決め付けると、途端に当たりがきつくなる。小さなクラスだからいじめこそなかったものの、頻繁に起こる女子の陰湿な小競り合いはミオカちゃんが関わっていることが多い。

 あたしはその場に立ち尽くす。


 ――夏那を完全ハブにするから。

 その言葉が、延々と頭の中をリフレインする。

 五年生になってから、クラスの女子の間に明確な線引きができた。背が高くてちょっと大人びている、中学受験するつもりらしい子二人。ミオカちゃんとあたしともうひとりの生き物委員の子。それから、ゆりこ。

 うちのクラスの女子は六人しかいない。狭くて、閉じられた箱庭のような世界なのだ。

 小学校六年間ずっと一緒に過ごしているミオカちゃんから、完全ハブにされる、なんて。

 呼吸が引きつる。


 完全ハブというのは、たぶんこの小学校でしか使われていないローカル的な言葉だ。ハブ、つまり仲間はずれや無視は一時的なものだが、完全ハブはグループからの永久追放を意味する。要するに一方的な絶交宣言だ。

 最初クラス内のグループはゆりことそれ以外の五人って感じだったんだけど、中学受験組の子が勉強よりも恋とオシャレに夢中なミオカちゃんに愛想尽かして完全ハブを突きつけた。ミオカちゃんはあたしともうひとりの生き物委員の子を引き連れて、グループは分裂した。

 完全ハブはただの脅しじゃ、ない。

 ゆりことミオカちゃん、どっちかを選べってこと?


「ない!」

 ゆりこが乱暴に足元の草を引きちぎる。

「鍵がないと、家、帰れない」

 引きちぎった草を投げ捨てて、ゆりこが絶望的なため息をついた。

「お母さんと、木村のおじさんは?」

「撫子さんは今ロケでパリにいるから。パパも、夜遅いと思う」

「じゃあ見つからなかったら、うち来る?」

「行かない。夏那んとこのおばさん、うるさいもん」

「それはわかる」

 確かに、ゆりこが来たらうちの母は舞い上がって、花園撫子がどーたらこーたらとかゆりこちゃんは女優さんになるのかだとかゆりこを質問攻めにするだろう。ゆりこ、そういうの嫌いそうだもんなあ。


 再び草をかき分けながら、ゆりこが言葉を続けた。

「わたし、これから芝居のお稽古で、終わったらすぐ帰らないと間に合わないんだけどな」

「何に?」

「九時からの、撫子さんが主演のドラマ」

「録画すればいいのに」

「リアタイで見て、いつも直後に撫子さんに感想をメールするから」

「ふーん」

 少しの間納得して、でもちょっと疑問に思ってあたしはゆりこに尋ねる。


「お母さんのこと、なんで撫子さんって呼ぶの? 昔はママって呼んでたし、木村のおじさんのことはパパって呼ぶよね」

「わたしは将来、女優になるつもり。そのためならなんだって厭わない」

 ゆりこが突然どうしてそんな話をしだすのかわからなくて、うん、と頷いた声がすっぽ抜けた。かまわずゆりこは続ける。

「芸能界に入ったら、いつまでも母娘ごっこはしてらんない。わたしはいざというとき撫子さんを切って自分をとる」

「“切る”って?」

「たとえばママが麻薬をやってたとするでしょ。それが表に出て、娘のわたしにもあらぬ疑いがかけられたとする。そのとき、わたしは表面上娘として謝罪しておきながら、持ってる情報をすべてマスコミにリークして、撫子さんを売る」

「え、ひどい」

「でもその逆も覚悟してる。わたしが乱交パーティーに参加したり事件を起こしたりしたら、撫子さんがちゃんとした手順でわたしを捨てられるように。……って言ってるし、言われてる」


 ゆりこの目は、本気(マジ)だ。

 そのふたりの関係は、奇妙を通り越してむしろ怖かった。

 うちの母は、夕ご飯抜きとか勉強しなさいとかうるさいけど、あたしが崖から落ちそうだったらなんだかんだいって自分の身を呈して助けてくれると思う。あたしだって母が落ちそうだったら全力を尽くす。でもゆりこたち母娘はそうじゃない。いざというときはお互いを蹴落とす約束をしているのだ。

 怖いし、あたしには真似できない。鳥肌がたつ。


 何か言おうと思って体をズラしたとき、視界に白いものがちらりと入った。

「あ、ゆりこ!」

「なに」

「もうちょっと奥。奥。ゆりこの左手のほう。白いものが見える」

「うそっ?」

 あたしとゆりこはそちらのほうに同時に駆け寄った。毛玉みたいなふわふわしたウサギのマスコット付きの鍵が、マスコットは少し汚れてしまったが、ちゃんとあった。

「よかったね!」

「そうだね」


 頑張ってずっと探していた鍵が見つかったにも関わらず、ゆりこの反応はドライ&クールだった。さっさと草の中を抜けて、ランドセルを拾いにいってしまう。慌ててその後を追いかけると、ランドセルを左肩にだけかけたゆりこがあたしを待っていた。

 あたしたちは並んで、校門のほうに歩いていく。

 完全下校時刻が間近に迫っていて、校門近くでゴリラの先生が早く帰るようにと声を張り上げていた。

 ゴリラの先生に追い出されるように学校を出て、最初の交差点では、ちょうど歩行者信号の青が点滅して赤に変わりかけている。あたしたちは渡るのを諦めておとなしく立ち止まる。あたしたちのまわりには誰もいない。目の前を、やたらと背の低い車が通り抜けていくだけだ。


「夏那」

 ゆりこが、前を向いたまま口を開く。

「わたしには捨てる覚悟・捨てられる覚悟ってモンがあって、けど……」

 ゆりこが何か言いかけて、でも口を閉ざした。しばらくして、ゆりこが言った。

「わたしじゃなくて、モリタのとこ行って。夏那なんか完全ハブ!」

 その時ちょうど歩行者信号が青に変わって、ゆりこが駆け出した。ランドセルの中の筆箱をカタカタ鳴らしながら、五十メートル七秒八の瞬足で猛然と走っていってしまう。ううん、七秒八どころじゃなかったかも。わたしも走るほうは悪くないんだけど、でも、この時ばかりはどうやっても追いつけそうになかった。

 そのゆりこの言葉は、最初に言おうとした言葉と同じなんだろうか。それとも、違うんだろうか。あたしにはわからなかった。




 ――その後、あたしは結局なるがままにミオカちゃんたちのグループを選び、彼女たちと過ごした。体育の柔軟体操で一度ゆりこを誘ってみたが、声をかけても無視されるので、いつの間にかミオカちゃんたちと三人でやるようになっていた。

 中学に進学してからは、ミオカちゃんとは話すこともなくなった。ミオカちゃんはもうひとりの生き物委員の子と一緒に地味グループの女の子たちと相変わらずすったもんだしていたらしい。中学受験組は無事私立中学に進学したそうだ。ゆりこは人気者になった。


 あたしはというと、相変わらずなるがままに、テキトーに作った友達とテキトーに女子バスケ部に入って、マッキーや優ちゃんたちと知り合って、今もテキトーにつるんでる。

 まあ、そんな感じ。



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