(1)
たくさんの他県ナンバーの車が、六弥町内を走っていた。
お盆の田舎は帰省ラッシュでひどく混む。練馬、福島、長野、春日部……まるで地名のごった煮だ。
赤信号で止まった車の脇を、ボロいママチャリですいすい抜ける。排気ガスの臭いが濃ゆい生暖かい風が、もみあげをさらうように吹き上げる。クラクションと音割れした洋楽と重く響くエンジン音の数々に茹でられながら、駅に向かって走っていく。
路傍の小石を踏みつけて自転車がはねると、荷台に横座りしていたゆりこが「きゃっ」と小さく声をあげた。悲鳴ではなく、嬉しそうな声で。
ゆりこがマスクをずり下げてあたしの肩口からひょっこり顔を出す気配がする。
「自転車の二人乗り、初めて!」
「うそ?」
「だってわたし、中学の頃、パパの送り迎えだったもん」
「あー、そうなんだ。――じゃあ二ケツは、“女子高生”?」
合言葉みたいに「女子高生」の部分を強調して言ってみせたら、ゆりこが満面の笑みで頷いた。
「うん、“女子高生”」
いや、まあ、確かにあたしたちは女子高生なんだけど。
実は、今日はゆりこの役作りに付き合ってあげている。ゆりこは次のドラマでわりとはっちゃけた女子高生の役なんだけど、なにせお仕事が忙しくて、友達とはっちゃける機会も、そんな友人もいないらしい。「女子高生ごっこ」というのが今日のテーマだった。
さて、「女子高生らしさって何か」と考えたとき、間違いなく、赤ちくじーさんの家でイマチをかまったりオミにちょっかいを出したりすることではないと結論が出た。
あたしとしては、女子高生は東京の駅のスタバで三時間近く話し込んでいるイメージなんだけど(実際にあたしたちがそうかどうかはともかく)、ゆりこは意外にも隣町のイオンに行くことを提案した。別に反対意見もなかったので、あたしは頷いた。
チャリでしばらく走って駅につくと、五分後に電車が来るというアナウンスがタイミングよく流れた。ちょうどいいねなんて言ってそれに乗った。ゆりこが切符じゃなくてSuicaなのが大人っぽくて、都会人風だ(あたしは普段バス通学なので、そういう類のものは持っていないのだ)。
電車内でふたり、ドア際に立って、あたしとゆりこは特に何も話さなかった。ゆりこはマスクにメガネ姿だったけれど、喋ったらたぶん声で花園ゆりこだとバレてしまうから……というわけではなく、単に話題がなかったからだ。ゆりこも終始床に視線を落としていた。
乗り換えして、さらに三駅。
あっという間にイオンの見える東五十川の駅につく。
少し歩いてイオンの自動ドアをくぐると、まとわりつくような夏の熱気から解放されて涼しい空気が頬を撫でた。汗がさっとひいていくのがわかる。
それまで大人しくしていたゆりこが途端に元気になって、あたしの上腕部を軽くたたいた。
「ね、ね、何する?」
「んー、服見たりとか?」
言ってから、ゆりこはモデルもしているからこういうショッピングセンターなんかで服を買わないのだと気づいた。ゆりこが服を買うのはおそらく、渋谷とか原宿とか下北沢とか、よくわかんないけどそういうおしゃれなところなんだ。
でも、ゆりこは目をきらきらさせて頷いた。
ゆりこがチョイスしたのは、二階にある女子高生に人気のプチプライスの服屋さんだった。流行の型の服がとにかく安く手に入るので、あたしもよく行くお店だ。系統は幅広く置いてあるけれど、どちらかといえばポップなデザインや原色の服が多い。
テレビの中のゆりこはいかにもスタイリストさんが選んだ大人っぽいかっこうが多いし、こっちに戻ってきてからは男子小学生みたいなラフな服装をしているところしか見たことがないので(実際に、今もTシャツにパーカーに七分丈パンツだ)、ゆりこがどんな服を選ぶのか未知数でちょっと楽しみ。
「わたしね」
エスカレーターで二階に上がる途中、あたしよりも二段上で、ゆりこが反転してこちらを向いた。
「シークレット・ラビリンスのモデルやってるでしょ? キャラとしても合ってるし、私服でもああいう系統を着たほうがいいってマネージャーに言われてるの」
シークレット・ラビリンスというのはゆりこがイメージモデルをつとめるファッションブランドだ。とろみ素材のブラウスとか無地のワンピースとか、わりと清楚系キレイめな服が多いことは、ファッション雑誌で読んで知っている。
なるほど、私服でもああいうのを着ているのか。
「だから今日は、女子高生っぽいもの選んでもいい? 何選んでも幻滅しないでね?」
「それは別に、いいけど……」
服屋に入ると、最近流行りのパリピ系ソングががちゃがちゃやかましく鳴っていた。
ゆりこはあれがかわいいだとかこれがかわいいだとか言いもせずに(それが買い物の醍醐味なのに)一通り服を見て、結局、服ではなく黒いタトゥーチョーカーを選んだ。
タトゥーチョーカーというのは、テグスやゴム素材でできたアミアミの首輪のことだ。この服屋で洋服を買う女子高生の半分以上がこれを持っているといっても過言ではないくらい、最近ヒットしている商品である。首輪といってもよく伸びるので全然苦しくないし、普通のネックレスと違ってカジュアルな印象だ。
ゆりこはそれを二つ買って、一つをわたしによこした。
「おそろいにしよ? 女子高生っぽいじゃん」
「えー、今日の服に合わないんだけど」
「今日は女子高生ごっこだもん」
頑なにそう主張するゆりこと、つけたくないあたし。しばらくその押し問答が続いて、やがて折れたのはあたしのほうだった。「ハイハイ」って言いながら仕方なく首につけたら、ゆりこが満足げに笑った。
ため息が出る。
次に、ゲームセンターでプリクラを撮った。
耳がわんわんするくらいあちこちから聞こえてくるゲームの音楽がうるさい。「どのプリ機にする?」なんて声を張り上げて、あたしたちは「宇宙一盛れる!」というキャッチコピーのプリクラ機を選んだ。人気お笑い芸人とコラボしているものだ。
「やばーい! インスタでよく見てたけど、こういう感じなんだぁ」
最新の肌補正やデカ目機能の選択をしながら、ゆりこは一人ではしゃいでいる。
「さっさと決めたら、すぐにポーズとらないと……」
あたしが忠告しようとした瞬間、「さん、に、いち」と撮影のカウントダウンが始まった。
「えっ」
「どうするどうする」
とっさに出たのは、ピースサインだった。
こんな感じに撮れたよ、とアナウンスが流れて写真が表示されてから、あたしたちはお互いの腕をどつく。
「ちょっと、ピースとか、小学生じゃないんだからさ」
「夏那だってそうじゃん。ていうか、いきなり写真撮られたらフツーにピースするから。ジャパニーズ・ソウルだよ?」
「そゆこと、バラエティでは言わないようにね。スベるから」
ゆりこはプリクラ慣れしていないみたいで、とろうとするポーズがいちいちダサかった。小顔補正は今時、顎の近くの裏ピースではない。手を前に出すギャルポーズとか、もう誰もやってないっつーの。
あたしが提案して、指でハートをつくったり小顔に見えるように手を顔の近くに持ってきたり、それなりに無難なポーズでプリクラを撮っていく。
あっという間に最後の一枚になった。
「ねえ、ジャンプしよ」
ゆりこが言った。
「は? ジャンプ?」
聞き返した瞬間にカウントダウンが始まったので、あたしはもうやけくそで、アナウンスのゼロに合わせて思いっきり高く飛んだ。
――結論から言っていい?
できた写真はひどいものだった。
ゆりこはTシャツがめくれて引き締まったお腹が見えているし、髪の毛は乱れ、顔も鼻の穴がとても大きく見える角度で、半開きの口から前歯が微妙にのぞいている。わざとつくった変顔よりうっかりそうなってしまった変顔のほうがよっぽどひどい。
でもゆりこはそれを見て、自分がものすごくブサイクに見える写真だというのにすごくおかしそうに笑った。
あたしたちはそれには一切落書きを施さなかった。けれど、メールでプリクラの画像を取得できる機能で撮った写真を選ぶとき、どちらからともなくその写真を選んだ。
それからいくつかのお店を冷やかして、フードコートでちょっとお高いアイスを買った。夏休みだからか、お昼時はとうに過ぎたのにフードコートはすごく混んでいて、席を探すのに苦労する。ようやく見つけたのは、トイレの脇の二人がけの席だ。
あたしは無難にチョコレート味のアイスをチョイスした。否、するはずだった。
でもゆりこは当初、抹茶とオレンジシャーベットのダブルアイスにすると言い張っていて、あまりにもひどい組み合わせだからさすがに止めたのだ。そしたら「抹茶もオレンジも食べたいからいいの」と駄々をこねるので、結局あたしが抹茶を、ゆりこがオレンジシャーベットを買ってふたりで半分こにすることになったのだった。
そんで、案の定、ゆりこがほとんど食べた。
なんだよってちょっと思った。
「あ。お祭り。今年もあるんだ」
ゆりこがスプーンを口に含んだまま、壁の掲示板に貼られたポスターを見上げる。
「うん、八月の二十日だっけ。人手不足でたいへんらしーよ。六弥も過疎ってんのによく続いてるよね」
「夏那、行こうよ」
「暇だったらねー。ほら、アイス溶けるよ」
「はいはーい」
まるでお母さんと娘みたいだ。
アイスを食べながら、ゆりこがふと首をかしげた。
「夏那は、最初に行った服屋さん好き?」
「まあ、それなりかな。安いし。ゆりこは?」
「えぇー? 夏那は? 他に好きなブランドないの?」
「ゆりこの話を聞いてるんだけど」
「うーん、そう言われてもなあ」
「なにそれ」
なんだかおもしろくない。
と、いうのも、明らかにはぐらかされているからだ。
好きな服の系統がないならあまり定まっていないって言うはずだし、芸能人としてイメージモデルとして模範的な姿なら「シークレット・ラビリンス」って即答するはずだ。つまりなにかしら好きな系統はあるんだけど、あたしには話したくないっていうことなのだ。
人には話させといて、さ。
あたしが仏頂面をしていることに気づいたのか、ゆりこがへらへら笑う。
「ま、いいじゃん、そんなこと」
そんなことって言われてしまったのも、少しムカつく。
あたしはさっき撮ったプリクラをスマートフォンのロック画面にしようかなって思っていたのに、にわかにその気分も消え失せて、黙ってそっぽを向いた。
それからあたしたちは急に話をしなくなって、ゆりこがぽつりと「帰ろう」と言ったのをきっかけにイオンを出た。帰りの電車でも話さなかったし、チャリに乗り換えても一言も交わさなかった。子供みたいだと思ったけど、なんとなく、ゆりこと話したくなかった。
いつの間にか、空はオレンジ色がかかり始めている。空の上のほうはまだ水色を濃く残していて、地平線に近づくにつれてオレンジ色へと変貌し、その境目が淡くグラデーションになっていた。
進行方向に太陽があるので、あたしは目を細めながら自転車をこいだ。ゆりこが乗っているせいでペダルが重たいことにイライラしながら、イライラしている自分にもイライラした。
――あたしは、ゆりこのことになると、ちょっと変になる。
小学生の頃、仲が良かったときの思い出を反芻して懐かしむこともあれば、今のゆりことのギャップになんだか違和感を抱いたりもする。特別に何か話したりするわけでもない、楽しいとも感じないのに、一昨々日からなぜか一緒にいてしまう。優ちゃんやマッキーには優越感すら感じるのに、ゆりこのささいな一言は気に食わない。
わざとギアを上げて、イライラをぶつけるように、立ちこぎでペダルを強く踏み込んだ。
バカヤロー。
バカヤローバカヤロー。
全部、バカヤロー!
あちこちの家から今夜の夕食の匂いが漂ってくる。六弥の町はとてものどかだ。それに似合わぬスピードであたしのチャリは疾走する。あたしのTシャツの裾を掴んでいるゆりこが、「ちょっと、夏那!」と悲鳴をあげた。でも気にするもんか。
風になれ。雨よ降れ。あたしの内面は、嵐だ。
あたしは無我夢中で自転車をこぎ続けた。
ようやく立ち止まったのは、住宅街の急勾配で長い坂に差し掛かったからだった。乳酸のたまった脚が、ふくらはぎが、これ以上は無理だと訴えている。
素直に自転車を止めると、ゆりこが転がり落ちるように自転車から飛び降りた。
「ちょっと、夏那!」
「……ごめん」
本当はそう思っていないけれど、とりあえず形だけ、謝っておいた。
ゆりこが文句を続けようとする。
しかし、スマートフォンの着信音がそれを遮った。
あたしは自分のスマートフォンを見るが、電話は来ていない。どうやらゆりこのスマートフォンから鳴っているようだ。手帳型のカバーを開いて画面に視線を落とし、ゆりこは表情をこわばらせる。「もしもし」その声は震えている。「もしもし」もう一度ゆりこは繰り返した。
ゆりこはちらりとあたしを一瞥すると、あたしから離れるように少し歩いていってしまう。ゆりこが何かぼそぼそ話しているのはわかるが、その内容までは聞こえない。
ゆりこはしばらく電話をしていた。声は終始落ち着いた調子だったが、その横顔はパーツがぎゅっと真ん中に寄って険しい。
やがて電話を終えたゆりこは、もう一度こちらに歩いてくると……ゆりこスマイルを浮かべた。一分の隙もない、まるで最初からそう作られた人形みたいな完璧な笑顔だった。なんかちょっと気持ち悪くて、あたしは一歩後ずさる。
「ね、ね、夏那」
声のトーンも、先ほどより明るい。
「明日、暇?」
「特に用事はないけど、なんで……?」
「女子高生ごっこの続きしようよ。夏那、女子高生って東京の駅のスタバにいるって言ってたでしょ? それやってみたい」
「うん、わかった、けど」
「じゃ、決まりね! 一時に駅で待ち合わせ!」
ゆりこが、理由を尋ねる暇さえ与えずに、一方的にそう会話をぶったぎって歩いて行ってしまった。
「ちょっと、ゆりこ!」
今度はあたしがゆりこに文句を言う番だ。
自転車を押してその背中を追いかけたが、脚が疲れていて、なんとなく追いつけそうになかった。




