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※開封後はひと夏のうちにお召し上がりください  作者: 村崎千尋
第1章「アー・ユー・レディ?」
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(1)



 ――斜向かいの木村さん家、ついに離婚したんですって。

 奥さんの芸能活動を理由に何年か前からずっと別居されてたみたいだけど、ようやくだそうよ。ほら、今話題になってるじゃない。花園撫子の不倫熱愛報道! 別れた期間はあるみたいだけど、元を辿れば二十年前から付き合いがあるらしくて、それってつまり木村さんとの新婚当初くらいでしょう?


 あーやだやだ。

 お相手の俳優、まだイニシャルしか出てないけどあの人だと思うのよねぇ。木村さんも年上の方だし、花園撫子ってかなりの年上好きなのね。……でも待って。お相手の俳優、あの方妻子がいなかった? つまりダブル不倫ってことなのかしら。

 まあ、不倫くらいあの人ならやると思ってたわ。PTA役員とか保護者会も、出るのはほとんどお父さんのほうだったじゃない?



 対面キッチンの向こうで、お皿を洗う母が得意げにそう語る。

 視線の先のテレビに目をやれば、流れていたのは、下世話なことで有名な昼のワイドショーだった。明らかに盗撮されたのであろう、黒い線で両目が隠された男の人と花園撫子の路チュー写真が、これでもかというくらい引きのばされて移動式ボードに貼られていた。

 ちょうど、コメンテーターを名乗るおじさんたちが彼女をつるし上げようとしているところだった。


「お相手の同じ事務所のN.K.さんとは二十年前から六年間と、それから十年あいて三年間、交際をしているそうです」

「いやぁーぼくはね、そういうのはいかんと思うのですわ。花園さん結婚したの二十二年前でしょ」

「花園撫子さんの娘さんであり、女優やモデルとして活動している花園ゆりこさんの芸能活動に影響してしまうことが心配ですよ。芸能人として親として、そのあたり節度ある行動をしてほしいものです」


 またか、と思ってしまった。最近の日本は国会議員が仕事中に居眠りするくらい平和で(それいいことなのか悪いことなのかわからないけど)、テレビをつけたらどこの番組でもこの報道ばかり取り上げている。正直飽きた。

 モデルやタレントとしても幅広く活動している国民的女優の花園撫子の熱愛報道は、相手も俳優でおまけに妻子持ちというダブル不倫であること、そしてとても長い期間に及ぶものであることも相まって、かなりヒートアップしていた。中には彼女を擁護して、一般人であるはずの彼女の夫(つまり、斜向かいの木村さん)の落ち度を憶測してバッシングする人も現れ、番組内容はどこも混沌としている。


「――っていうこともあったでしょ。だからお母さんはそう思うの」

「ふーん、そうなんだー……」

 あたしの生返事も、母は気にしない。まだ話し続けている。

 手を伸ばしてレーズンパンの袋を手に取ると、エアコンの風が直にあたって少し毛先のはねた前髪を揺らした。

 設定温度を上げることで地球温暖化を阻止できると思い込んでいる母のせいで、我が家のリビングの冷房の設定温度は常に二十八度だ。「高校生なんだからもう少ししゃんとした格好をしなさい」と母は言うけれど、こんな室温では半袖ハーフパンツのクールビズスタイルでないとやってられない。


「ねぇ夏那、真面目に聞いてるの」

「聞いてる聞いてる」

「まったく夏那は、いつだってそう。昔から人の話を……」

 話題がいつの間にか、芸能スキャンダルからあたしへのお説教にすり替わる。このままだとずっと母のお喋りに付き合わされそうだ。


 あたしはレーズンパンを右手に持ったまま立ち上がった。

「もう、お行儀悪いでしょ。どこいくの?」

「オミんとこ」

 幼馴染の名前を上げると、母は肺の中のものを全部吐き出すような深いため息をついた。

「……竹臣くんにあまり迷惑かけないようにね」

「わかってるわかってる」

 テキトーに返事をして、あたしは玄関で中学の頃から履いているちょっとサイズの大きい運動靴をつっかけた。


 外に出ると、遥か高い頭上に浮かぶ太陽が暴力的なまでにさんさんと輝いていた。空はからりと晴れており、不穏なくらいに立派な入道雲が浮かんでいる。それを背景に、真っ直ぐ続いていく道路の向こうの景色が陽炎でゆらめいている。

 八月に入ってからまだ片手で数えられるほどしか日数が経っていない、夏真っ盛りの昼間だ。先ほどまで、二十八度とはいえ冷房の効いた室内にいたから余計に、満員のバスにぎゅうぎゅう押し込められているような、まとわりつくような、人をイラつかせるタイプの鬱陶しさを感じる。


 オミのところにいく、と母には言ったものの、本当にオミのところにいくわけじゃない。

 オミは親どうしの仲がいい四つ年上の幼馴染で、今は東京で大学生をしている。でも、オミのところのおじいちゃんが腰を痛めたとかで、八月の間だけこっちに戻ってきて畑の手伝いをしているのだとこの前母から聞いた。

 それから会ったのはたった一度だけ。それも、あたしが歩いているところにオミが軽トラックで通りかかったという偶然の出来事だ。

 その時、少し立ち話をした。でもオミはフツーに何の変哲もないオミだった。髪型は最後に見たときよりややこざっぱりしてキレイめ男子になっていたけれど、別にトーキョーに染まってウェイしているわけでもなく、相変わらず農作業着と頭に巻いた手ぬぐいが似合っていた。


 まあ、オミの話なんかどうでもよくて。

 とりあえずコンビニにでもいって、コーヒーか何か買ってイートインスペースでテキトーに涼んで帰ってこよう。コンビニまでは徒歩十五分ほどだ。これだから田舎は不便である。

 住宅街の坂をおりたところで、ハーフパンツのポケットに突っ込んだスマートフォンがぶるぶる震えて、初期設定のまま変えていない電話の着信音が流れた。やたらと胸をざわつかせるそのメロディに思わず肩がはねる。

 画面を確認したが、太陽の光のせいで文字がよく見えない。でも、何かしら文字が表示されているのはわかる。どうやら電話帳に登録している人かららしかったので、画面をスワイプして電話に出た。スマホ音痴な両親ですらイマドキ、連絡はMINEでしてくるくらいなのに、いったい誰だというのだろう。


「もしもし?」

 つながった電話の向こう側が、少し騒がしい。バックに癖のあるアナウンスと懐かしいメロディーが流れてくる。電車、という単語が聞こえた。どこかの駅にいるのだろうか。

『……もしもし。夏那?』

 少しの沈黙ののち、電話の相手がそう答えた。やけに聞き慣れたような感じのする、少し低めだが澄んでいてよく通るような女の子の声だった。たぶん、同じくらいの歳である。

『木村だけど』


 え、誰?

 思わずそう問い返しそうになった。

 心当たりが多すぎてよくわからない。なにせ中一のときにはクラスに「木村さん」が三人もいたし、高校にも「木村」という苗字の友達がいる。でも、彼女たちはみんな、あたしのツブヤイターなりMINEなりのSNSアカウントを知っているはずだ。わざわざ普通の電話をかけてくることなんか……。

 あたしが黙り込んでいると、電話の相手がおそるおそるといったように付け足した。


『木村ゆりこだけど、覚えてる?』

「……ああ!」

 そこでようやく思い出した。同時に、その名前にものすごくびっくりした。


 ――木村ゆりこ。


 ゆりこは、さっき母が言っていた“斜向かいの木村さん家”の子で、そして、女優の花園撫子の娘だ。

 一学年一クラスしかない小さな小学校ゆえに、あたしとゆりこは小学校六年間同じクラスだった。仲はそれなり、ってとこかな。中学になってクラスが分かれてからはほとんど話さなくなった程度のつながりである。

 だからゆりこがいつの間にかうちの中学からいなくなっていたことを、あたしは、友達から教えられるまで知らなかった。

 中二が終わって中三になる前の春休みに東京に転校していったのだそうだ。


 それから少しして、ゆりこをときどきテレビで見かけるようになった。最初は朝ドラで、その次が清涼飲料水のCM。それから映画。

 ゆりこは花園撫子の娘として、花園ゆりこの名前で華々しく芸能界デビューしたのだ。さっき電話に出たとき聞き慣れた声のように感じたのは、最近ゆりこがよくテレビに出ているからか。

 それにしても、ゲイノウジンのゆりこがどうして今、あたしに電話をかけてきたのだろう。


「番号……」

 あたしはバカみたいに口をぱくぱくさせて、しかし口の動きとは裏腹に、たったそれだけ口にした。答えは間を置かずにすぐに返ってきた。

『中一のとき、みんなケータイ買ってもらい始めて、番号の交換が流行ったことがあったでしょ? そのときに交換したじゃん。……まさか、今もつながるとは思ってなかったけどね』

 刺のない万人受けしそうな喋り方は、まさしく中学の頃廊下の遠くから見かけたゆりこで、バラエティ番組で笑いながらインタビューに受け答えしているゆりこだった。物まねや、なりすましなんかじゃない。


「そうなんだ。あたしも、ゆりこから電話がかかってくると思ってなかったけどね」

 あたしが言うと、ゆりこが鈴が転がるような軽やかな笑い声をあげる。

『びっくりした? それでね、わたし今、六弥むつや駅にいるんだ』

「え、六弥に帰ってきてるの?」

『そう。ねえ夏那、今日は暇? 夏那の家に行ってもいい? 会おうよ』

「なんで?」

 嫌だとか面倒くさいとか、そういうわけじゃなくて、純粋に疑問に思ってあたしは尋ねた。


 あたしとゆりこは、確かに小学生の頃は、それなりに(・・・・・)仲が良かった。でも、あくまでそれなりである。中学に入ってからは大きく変わった。

 中一のときも中二のときもゆりことは違うクラスだったし、ゆりこは美人だったのでいつも男女問わずいろんな人に囲まれていた。中学に入ってからあたしと言葉を交わした回数を数えたら、たぶん、両手の指で事足りる。

 ゆりこにはたくさんの友達がいる。中学二年の当時はケータイを持っていない人も多かったけれど、その分を差し引いても、連絡先を知っている人に電話すればみんなが「会いたい」と言ってくれるはずだ。


 そんな中で、どうしてあたしをチョイスしたのだろう。

 ゆりこは「んー」と少し悩んでから、その答えを口にした。『電話帳の一番最後だからかな?』

 あたしの苗字は「吉井」である。

 それは、理解不能だけどこれ以上ないくらい単純明快な理由で、なんとなく気に入ってしまった。今朝の母との会話を思うととてもじゃないが家には呼べないので、あたしはゆりこにそちらへ行くことを告げた。駅前の椋鳥像の前で待ち合わせすることを決めて、電話を切る。


 六弥駅はここから三キロほどのところにある。起伏が大きい土地だから、チャリで思いっきりトばして十五分といったところか。さして苦を感じる距離ではない。ただ、東京からの帰省っていうことはきっとゆりこの荷物は多いだろう。帰るのがたいへんかもしれない。

 そう思ったあたしは脇道にそれ、いつもより少し速いスピードで歩き出した。


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