3-1 王都陥落
北の地で30年に渡って魔王軍との戦いを続けていたサヴァイ国が遂に陥落したと聞いたときにも、国民たちは不安などほとんど口にしなかった。
騎士団と王国軍、そしてゴルトシュタインが誇る魔導師隊がいれば魔王軍など恐れるに足らず。
誰しもがそう思っていた。
だが、国境付近での防衛戦を繰り返すうちに、前線の者たちが気づき始めた。
倒せども倒せども魔物たちの侵攻は止まない。おまけに魔法においてもゴルトシュタインのそれを上回る威力であった。
やっとの思いで敵のゴブリンやコボルトを倒せば、今度はオーガやトロールが出てきて腕自慢の騎士たち数人をまとめて片手で吹き飛ばす。
見かねた魔導師たちが火属性攻撃魔法を放つが、それもまた敵陣に突き刺さることなく水属性障壁魔法によってかき消された。
積み重なった仲間の亡骸を前に、魔導師たちは前線の兵が戦線を突破できないせいだと叫び、兵士たちは魔導師が決定打を与えられないせいだと声を荒げた。
そんな戦いを何十か何百か繰り返した頃、戦場は自然と王都の正面にまで迫っていた。
ゴルトシュタイン王国騎士団団長、戦盾騎士のマズルス・クラスタルは、民に慕われる騎士の鑑のような存在だった。
そのおおらかな人柄と、一騎当千の戦鎚斧捌きによって民衆や騎士たち、そして国王からも一様に広く深い信頼を得ていた。
それが過去形であることを本人は否定しない。
3・5ラールグにおよぶ鍛え上げられた屈強な体躯は、王国で唯一オーガとさえ対等に戦える存在であったが、いまやそんな程度では国民からはなんの羨望も得られなかったのだ。
敗戦の連続で国民からの信頼は地に落ちていたが、そんなマズルスにも所謂『最後の砦』程度の役目は残されていたようで、こうして城門前の戦線にて全軍の指揮を担っている。
本来であれば自身も前線に身を投じて戦友たちの盾となりたい。だがいまはそれもままならない。この城門こそが名実ともに最後の砦なのだ。
後方から新たに若い騎馬兵が報告に現れる。まだ少年とも呼べる年頃だ。
「クラスタル騎士団長。ご報告致します」
騎士団や兵士には顔の効くマズルスであったが、ここ半年で兵士たちにずいぶんと見慣れぬ顔が増えた。
つまりは見知った顔がその分消えていったということだ。
「うむ。状況はどうか?」
「国民の避難は概ね完了いたしました。西門にもいくらか敵軍が回り込んでいますが、護衛の軍が応戦中です」
避難民の護衛には残った軍の約半数を当てている。敵本隊に突破されない限りは大丈夫だろう。
「国王陛下はどうなされたか?」
「王妃殿下とともに御身の戦いを最後までご覧になられるそうです」
言い終えて、若い騎馬兵は城を仰ぎ見る。マズルスもまたそれにならった。
戦盾騎士として王国に仕えて30余年、同世代であった現国王とは忠誠を誓った主従の関係であったとともに、密かに酒を飲みかわす仲でもあった。国民を第一に考え、国を思う素晴らしい王だ。彼のもとで戦盾を握れることはマズルスの誇りでもあった。
「……王女殿下は?」
「はい。共に御身を見守られることを望まれておりましたが、クラ……近衛騎士のアージリス・クラスタル様をお傍におかれて避難民と共に脱出されました」
一瞬言葉に詰まったのは報告対象と報告相手が同姓であったからだろう。
「……大儀であった。貴公は避難民の護衛へと合流し民を守れ!」
今更少年一人を逃がしても仕方がないが、ここに残らせたところでそれは更に仕方のないことだ。
若い騎馬兵が離れていくと、同じ頃合いで物見の兵が声をあげる。
「前線が突破されました!」
目を凝らせば既に迫りくる魔物たちが見える。
「全軍構えぃ! 戦盾騎士隊は横隊にてオーガを止めよ!」
「はいっ!」
マズルスの持つ特注品ほどではないにしても、巨大な盾を構えた騎士たちがずらりと並んだ。
「ラガード! 剣士隊を率い、有象無象を蹴散らせ! 敵後衛をさらけ出すのだ!」
「……心得ました」
寡黙な性格ながらも、剣において右に出るものはいないと評されるラガード・グランド。
もとは孤児であった身ながらも、『斬岩』と呼ばれる剣士に拾われ、以来その腕を磨き続けてきたストイックな青年だ。
彼を先頭に、剣士たちが一斉に剣を引き抜く。
「アーレイ! 弓兵隊を任せるぞ! 敵後衛をかき乱せ!」
「うっす。リョォカイです」
森の中で生まれ育ったアーレイ・リリアントは、風見の魔法を使いこなす凄腕の射手である。
彼とその親友であるサーブリックの剽軽なやりとりは、平素は勿論のこと、戦時においても荒んだ皆の心を和ませた。そしてそれでいていざとなれば頼れる、弓兵たちのまとめ役でもあった。
彼が矢を握ると、仲間たちも一斉にそれに続いた。
「レイトリィア! 魔導師隊は攻撃魔法を6、障壁魔法を4にて配置、合図に合わせて詠唱を開始せよ!」
「は、はい。がんばります」
弟思いの心優しい性格の持ち主で、酒の席ではいつもアーレイにからかわれて、すぐに泣きべそをかいてしまうレイトリィア・マジョリティ。
しかし魔法に関して彼女に並び立つものはいない。王国でも唯一の、3つの属性を減衰無く自在に操る三属性魔導師であり、高速詠唱の使い手でもあるのだ。
魔導師隊が彼女の指示に合わせてピッタリと6対4に分かれた。
「城門を突破されれば国は落ちる。我々に後はない。だが負けてはおらぬ! ケダモノどもに思い知らせてやれ! ここがゴルトシュタインであることを! 最強の盾を! 最強の剣を! 最強の魔法を! ここで示せっ!」
そして兵士たちが一斉に吠える。
確かに広い目で見れば戦局の悪化によって、騎士団長マズルス・クラスタルはかつて王国全土に響いたカリスマの多くを失ったかもしれない。
だが今この場において、兵たちは勝利を確信していた。
魔物どもを一匹残らず切り飛ばし、叩き潰し、焼き払う。王都を守り抜き、そして侵攻された北方方面も取り戻す。まだ王国は負けていない。ケダモノどもに王国軍の力を思い知らせてやるのだと。
王国最強の戦盾騎士と、自分たちならばそれができると、皆が確信していた。
「征くぞぉぉぉぉぉぉぉっ!」
鬨の声をあげて突進するマズルスに、全軍が続く。
マズルスたち戦盾騎士が最前線で敵を引き付け、その隙間から飛び出したゴブリンをラガードが次々と切り刻み、他の剣士もそれに続いた。
弓兵たちが続々と矢を放ち、とりわけアーレイのそれは風の流れに乗って、空を駆ける鳥猿類の目すら射抜いた。
前線から要請があれば魔導師隊が即座に答え、魔法を放つ。
およそ戦いには適さない性格のレイトリィアであったが、その手から放たれる魔法は、何十、何百という魔物を打ち倒し、潰し、焼き払った。
誰しもが思った。
やれる、と。
皆が思った。
勝てる、と。
そうして戦い続けて、程なくして、王国を守る最後の砦であるゴルトシュタイン軍の精鋭たちは、全滅した。
その最後の一人となってしまったレイトリィアは、詰みあがった仲間の死体を眺めて、そして迫りくる手斧が視界一杯に広がるのを見ながら思った。
『あぁ、いったいどの時点で、間違えていたたのだろう』と。