外伝 -4 決戦の日ですわ
一人一冊のアダムス教典を所有する宗教国家のライラ共和国などとは異なり、ゴルトシュタイン王国においては書物といえば基本的には娯楽か教養目的のものが多い。
中にはクラティスたちの描くような一点ものの本もあるが、通常は用途に応じて数十冊から数百冊の写本が行われて流通する。
人気の英雄譚や戯曲は絵本や伝記として数多く流通していたし、魔道や金融に関する学術書などはその道の人間にとっては必読のものでもあった。
かつて王城で執政官を勤めたというクラティスの祖父もまた相当な読書家であったようで、財政、金融、軍事、歴史を中心に様々なジャンルの学術書が壁いっぱいに広がる書棚をびっしりと埋めている。
幸いにして両親は学問には疎く、書庫に近づくことは無い。そして書庫の管理清掃を受け持つ使用人はプラータ・スタンレーであった。
つまるところ、クラティスが『本を隠すなら書棚の中作戦』を思いつくのは、ある意味では必然であったといえるだろう。
「これで完璧ですわ。よもや軍師様といえども、この立ち並ぶ難解な学術書の一冊一冊を開いて確認はされないはず」
クラティスは書棚を眺めて、満足げに腕を組んだ。
ざっくりと眺めただけであれば自分でもどこに戯画帖があるのか分からないほどに溶け込んでいる。
「確かに査察であれば資産的価値の高い書物を優先されると考えられます。流石はお嬢様です」
プラータも満足げだ。
こうして眺めているだけでも歴史書や伝記、金融といった革貼り表紙の豪華な装丁の本へと無意識に視線が誘導される。
戯画帖が目に留まる可能性は低いだろう。
「さらに戯画帖は軍師様の興味の薄そうでかつ難解な書物の棚の足元のあたりに紛れ込ませて置きますわ。軍師様は自然と自分の興味のあるジャンルの本へ注目するはず。これならば軍師様の視線を戯画帖と異なる方へとそらせるはずでしてよ」
そして書棚の本は棚ごとに縦列に区切って大まかにジャンル訳されている。軍師様の注意が一列の棚に集中すればその分、他の列を観察する時間が減るというものだ。
更に別の作戦を講じて時間や集中力を奪っておけば、きっと他の列は胸から目線にかけての高さあたりの本をチェックする程度になるはずだ。
というかそうであってほしい。
ちなみに、クラティス本人は知る由も無いが、これは軍師様の世界で言うところのバーチカル陳列を用いた手法であり、割と理にかなったものでもあった。
ある特定のジャンルのみを見やすい位置に持ってくることが可能な横列型陳列と比べて、縦列型陳列はその個別のジャンルごとにゴールデンゾーンを設けることが可能で、ある程度陳列側の狙い通りに視線を誘導することが可能なのだ。
スーパーマーケットの酒類販売などでは比較的このどちらを採用するかの個性が見えやすく、縦列型陳列を採用している場合には見やすい位置にあるブランドの酒を店側がプッシュしたいのだなとハッキリ見て取れたりもする。
逆に言えば本人の興味の薄いジャンルの棚で、なおかつゴールデンゾーンの高さ以外の位置ともなれば、注意を引く可能性はきわめて低いと言える。
そんなこんなで、彼女の天性の才能が無意識に発揮された戦略的棚割りが完成した数日後、ついに査察の日が訪れた。
軍師様はだいぶ世俗に染まった性格であるという噂は以前から耳にしていた。実際クラティスも何度か言葉を交わしたこともあったが、公的な場での振舞いとは裏腹に標準的な庶民のような人柄に見えた。
だからこそ、あるいは書庫へと立ち入る前の段階でそれなりに足止めが可能なのではないかと思っていた。
父親を言いくるめて、自ら案内役を買って出たのもそれ故だ。
「ようこそお越しくださいました、軍師様。本日は私たちがご案内をさせて頂きますわ」
クラティスはスカートの裾を両手でつまんで小さく頭を下げた。
プラータもその横で深く頭を下げる。
ドレスは日ごろの女性同士のパーティでは着ないような、胸元の開いたちょっぴりセクシーなものを用意してある。
数年前に戦況の悪化で縁談が流れて、結局一度も袖を通さずじまいだったものをプラータの提案で引っ張り出したものだ。
「ええ。こちらこそよろしくお願いします」
「ひゃー、クラティスさん。いつもの格好とは全然違いますねぇ。とっても似合ってますよ。すっごい可愛いですぅ」
さわやかな笑顔で返してくる軍師様と妖精さん。戯画帖の中で禁断の恋に揺れていた面影は無い。
「ありがとうございますわ、アリスタさん。家を代表して軍師様をおもてなしさせて頂くのですから、これくらい当然ですわ。さぁ軍師様、お茶とお菓子、よければ年代物の蒸留酒もご用意させて頂きましたわ。まずはおくつろぎあそばしませ」
もちろんお茶とお菓子はあくまでも囮であり、本命は同じテーブルに用意した蒸留酒だ。
軍師様は王都を奪還して以降、日々の仕事が終わると商店街の酒場に通って新製品の開発に協力していると聞く。
ジェヴォンズ家の蔵に眠っていた年代物の酒ならば、きっと試さずにはいられないだろう。
そうして時間と判断力を奪ってしまえばあとはこちらのものである。
限られた時間、アルコールの回った頭での査察ならば戯画帖が見つかることはまずないはずだ。
「あぁ、いえ。折角ですけど仕事中ですし、今日は他にも何件か回らないといけないので」
だが予想に反して軍師様の反応はそっけないものだった。
「え? で、ですが……えっと……その……」
「あぁいや、申し訳ないですけど、その辺はホントお気遣い頂かなくて大丈夫なんで」
完全に出鼻を挫かれた気分である。
軍師様と言えば優れた才能による斬新な戦略で軍を動かし、それでいて下らない雑談やちょっとした遊び、あるいは料理と酒を好む、というのがクラティスやプラータたち一兵卒の認識だったはずだ。
なのにこれでは賄賂を好む役人どころかその真反対。まるでアージリス隊長である。
そしてアリスタさんまでもが、あるで「軍師さまの性格ならそう言って当然」とばかりに横を飛んでいる。
「あ、軍師さまぁ。じゃあ折角用意してもらったものなので他の査察も終わったらまたクラティスさんのお宅にお邪魔して、ご一緒に頂くのはどうですかぁ?」
「あぁ。まぁそうゆうことなら、クラティスさんが良ければ」
そんなクラティスの様子を察してかアリスタさんが気を回してくれるが、査察後では全く意味がない。というか万が一見つかってしまった場合その後に一緒にお茶をするなどとんでもない罰ゲームである。
「え……えぇ勿論ですわ。で、では書庫へご案内致しますわ」
とは言え堂々と異論を言えるはずもなく、仕方なしに先頭に立って歩いた。
まぁ図々さを十分に持ったタイプの貴族ならばここで何か言えたかも知れないが、ジェヴォンズ家は娯楽を嗜み統治も行いつつも、代々家内での教育をしっかりと行い、国の政治にも学術的見地から関わってきた家系だ。
父の代は幼少から戦火に見舞われてそれも失われ、クラティスの代には軍へと入る結果となったがとは言え、そこそこ分別と遠慮を持ち合わせた家であるのだ。
おまけに弓兵のクラティスにとっては軍師様は王女殿下に継ぐ高位の意思決定者であり、貴族のクラティスになったからといって急に図々しい態度を取れるはずもない訳である。
「プ、プラータ。こちらに」
屋敷の廊下を歩きながら、何か役を申し付ける振りをしてプラータを傍へ呼びつけた。
「はい。お嬢様」
「ど、どうしましょう。軍師様にはお酒を召し上がっていただくつもりでしたのに……」
小声で話すクラティスに、プラータも背を曲げて顔を寄せてきた。
「落ち着いてくださいお嬢様。そのためのそのドレスです。元々軍師様がアルコールに酔わない体質だったときに備えて用意したものですから」
「そ、それはつまり……?」
「酒に酔わないのなら、お嬢様の体に酔わせてしまえば良いのです」
そう言いつつドレスの胸元に手を伸ばしてくいと襟元を引き下げるプラータ。
ただでさえ平坦な胸元には危険なデザインのドレスだと言うのに、使える主に向かってとんでもない使用人である。
「でも、そ……そういうのは私ではなく貴女の方が、その……」
ありがたいことに弓がとっても引きやすいクラティスの胸元に比べて、プラータは実際に年上であるしその肉体は大人の女と呼んでいいだけの起伏が備わっている。
「リオ隊長とサーブリックさんから聞いた話をお忘れですか。お二人いわく、軍師様は『リオ隊長のような女性』が好みであるらしいです」
身長わずか2ラールグでかつクラティス以上に弓兵向きの胸板を誇るリオ隊長がタイプというのはだいぶ偏った嗜好だが、まぁタイプだと称される本人がそう言っていたのならきっとそうなのだろう。
ちなみに厳密にはサーブリックさんもアージリス隊長と同じく隊長格なのだが、直属の隊員を含めて隊長と呼ぶ人はほぼいないらしい。
「で、でもタスク様にはサーブリックさんが……」
「それは我々の頭の中だけの話ですよ。大丈夫です。リオ隊長がいけるということは少なくとも、どっちもいけるタイプであると考えられます。サーブリックさんの厚い胸板と、お嬢様のある意味薄い胸板、どっちもいけるはずです」
さらりといろいろな方面に失礼なことを言っている気もするが、ともあれこうなってはプラータの作戦で勝負にでるしかない。
「こちらが書庫になりますわ。軍師様」
そんな話をしているうちについに書庫へ到着してしまった。
「どうぞお入りください、お足元にお気をつけて」
プラータが恭しく扉を支え、三人を招き入れる。
軍師様に続いてアリスタさん、そしてクラティスが立ち入ったところでプラータが小声で合図を送る。
「お嬢様。今です」
「あぁ、躓いてしまいましたわー。あーれー」
足元に躓いたふりをして、軍師様へ向かっていく。
軍師様の好みが情報どおりならばこのいま一つ成長しない平坦な胸を押し付ければイチコロのはずである。
そんな自分で言って悲しくなるようなことを考えつつ、クラティスは軍師様を押し倒すべく突っ込んだ。
「うおっと」
そしてあっさり抱きとめられる。
「あ……あら……?」
「えっと、大丈夫か?」
押し倒して体を密着させるつもりで突進したのに、逆に抱えられてしまった。
「おい? ……クラティスさん? 大丈夫?」
覗き込んでくる軍師様。
「え……えぇ。あ……ありがとうございますわ」
確かにクラティスは剣士や騎士と違って体格に恵まれている訳ではないが、とはいえ毎日訓練に勤しんでいる自分が押し倒すつもりで突っ込んでいって、抱きかかえられるとは思わなかった。
こんなのは軍師様のイメージではない。タスク様はもっとこう……サーブリックさんとアトキンソン隊長との間で心を揺らすヒロインのはずなのに。
心配そうな軍師様を見つめて思わずそんなことを考えてしまうが、その思考は小さな口から発された大きな悲鳴で中断させられた。
「あぁーーーっ! ヨコシマな気持ちを感じます! 不純ですっ! 不潔ですっ! 離れてください!!」
軍師様が耳をグイグイと引っ張られて腕を下ろすと、クラティスの足は再び地に着いた。
「痛てててて、何言ってんだお前。たんに彼女が転びそうだったから……」
「違いますってばぁ! 軍師さまじゃなくて、クラティスさんがヨコシマなんですぅ!」
子を守る親猫のごとく軍師様との間に割って入る妖精さん。
「お前何言ってんだ。失礼すぎるだろ」
「妖精には分かるんですぅ! 妖精はしばしば人の善悪を見抜くって人間さんの間でも評判なんですからぁ!」
「それ迷信だってロシュが言ってたぞ。それにお前にそんな便利機能があったらアージリスと出会った時点で発動してるだろ。あの時点で魔物より危険なヤツと分かってれば逃げ出してたわ」
「とーにーかーくっ! 分かるんですぅっ!」
さらりと酷いことを言う軍師様であったが、ここでアリスタさんが介入してくるというのはクラティスにとっても想定外であった。
「……こほん。危うく転んでしまうところを助けて頂き助かりましたわ。アリスタさんも誤解を与えてしまい申し訳ございませんわ」
「むぅーっ! クラティスさん……ひょっとして軍師さまのことを……」
両手を広げて威嚇してくる妖精さん。ここで彼女から疑いを向けられるのも避けたい。
「いえ、私などがとんでもない。本当に躓いてしまっただけですわ。それにしても軍師様は執務をなされているイメージが強かったのですが……存外に逞しいんですのね。ビックリいたしましたわ」
「あぁ、一応この職についてからは先生にちょいちょい剣も教わってるからね。それに昔は野球やってましたし」
確かに早朝や夕方に剣士たちの訓練を見に行くとたまに軍師様が混ざっているというのはそこそこ有名な話だ。
だが『ヤキュー』とはいったい何だろうか。
「あの、そのヤキューと言うのは一体なんでいらっしゃいますの? 軍師様」
あの軍師様が意外にもそこそこ鍛えた体だったことはやはり気になるし、理由が存在するのなら聞いておきたい。
今日の査察はクラティスにとって最大のピンチであると同時に、本人を間近で一対一で見ることの出来る貴重なチャンスでもあるのだ。
今後の作品の為にも軍師様のことは知りたい。
「あぁ、自分の元いた世界でのスポーツですよ。えっと、そうですね、主に男性がプレーすることが多いんですけど、何ていうか球を棒で打って得点を競うんですよ」
「……男性!?」
プラータが即座に反応する。
「た、玉!?」
無理も無い。
「……棒!?」
王国の窮地を救い王女殿下とも親しく話されていたあの軍師様の口から出るにはあまりにも過激な発言だ。
「そ、そそそ……それは、お互いの玉を棒で、その……そうゆうプレイなんですか?」
上気した顔で興奮気味に尋ねるプラータ。
聞けなかったことを口にしてくれたことにはクラティスとしても感謝したい。
まぁ本人は最早クラティスのこととか、相手が軍師様であるとかは全部どうでもいいのだろうけれど。
「え? あぁ、まぁそうですね。攻め側が棒を使って相手が投げたボールを打つんですよ」
対する軍師様は逆にこちらがちょっと引くくらいに平然としている。
文化の違う方だとは聞いていたがまさかここまでとは思わなかった。
「攻めっ! 攻めですってよ。お嬢様!」
「プ、プラータ。少し落ち着いてちょうだいな」
更に興奮するプラータ。
「あ、もし興味があるなら、もう少し復興したらいずれはレクリエーションとしてサーブリックやアトキンソンも誘ってやってみたいなと思っていたんで、二人もぜひ見に来てくださいよ」
そして更にとんでもないことを言い出す軍師様。
「み、見に!?」
「そ、それに……サーブリックさんだけでなくアトキンソン隊長も誘いますの?」
「えぇまぁ。18人いないとプレーできませんからね。そんなに興味あるならむしろ一緒にプレーします? スポーツとしても面白いし交流も深まりますよ」
もはやクラティスの理解は限界を超え、だが限界を超えたその先に新たな創作の扉が見えた気もしてきたそんな気分だった。
18人。18人でプレイを行うと言って、おまけに平然と自分とプラータを誘ってきた。
「え……わ、私もやはり婦女子でございますので、いきなり大勢そのような激しいものは……」
顔が熱くなっていくのが自分でも分かるほどに、恥ずかしいのと興奮するのとが同時に襲ってきていた。
プラータはもはや興奮しっぱなしだ。
「あぁ、ごめんごめん。クラティスさんっていつも弓兵隊で頑張ってる印象が強いからついさ。貴族の方をお誘いするにはいささか失礼でしたかね。まぁ確かに球が当たったりとか危ないことだってあるし」
しかしここで気安い口調を見せるとともに、するりと一歩引いてみせる軍師様。
実は女中や女性兵士の間では、軍師様のその役職に見合わない気安い口調が逆にたまらないと密かに話題になっているのだ。
リオ隊長がそれを求めているのも、男女の話に耳聡い女中や女性兵士の間では有名な話だ。
もちろんクラティスもそんな口調の軍師様がサーブリックさんと話すのを観察するのが楽しみだったのだが、まさかそれが自分に向けられるとは夢にも思わなかった。
「あ、私はその。いきなり大勢でというのにビックリしただけで、あ、いえ。でも……その、タス……軍師様と二人でなら、私……た、た、玉でも棒でも……頑張りますわ」
「私もまずは軍師様とサーブリックさんの二人が致しているのを、横で見学させて頂くところからで構いませんか?」
そして絶妙なタイミングで口を挟んでくるプラータ。
「あぁ勿論。いやぁお二人が野球に興味を持ってくれて自分もうれしいですよ。さて、それじゃ書棚を拝見させていただきますね」
折角魅了して注意を奪おうと思っていたのに、逆にクラティスの方が当惑させられてしまった。
プラータはまた少し違う意味で顔を赤くしているし、アリスタさんもこれまた違う意味で顔を赤くしてこっちを睨んでいる。
そして当の軍師様はといえば、涼しい顔をしてとうとう仕事を始めてしまった。
※ 応募用の原稿が遅れているので続きは10月になります ※




