7-4 斬岩
90にも及ぶ死体が転がるその惨状を見て、マクレラントは思った。
軍師殿は、これをもう知っただろうかと。
「いったい何が起きたというのか……」
返り血にまみれたゴブリンたちが迫ってくるのをみて、圧迫感さえ感じた。
第5大隊を預かっていたアルフリードは剣の腕は勿論、判断力にも優れる有能な男だった。
かつてはラガードに命を救われ、以来それを目標に腕を磨き続けてきた男だ。マクレラントはずっとそれを見守って来た。
「せ、先生……」
剣士たちはマクレラントが隊長の任についても変わらず昔からの称号で呼ぶ。アルフリードもそうだった。
隊員たちが次々と、ある一点を見つめながら「せ、先生」、「た、隊長」と、恐怖を訴え狼狽え始める。
通常ゴブリンの隊長は約2ラールグ前後だ。子供かホビット、あるいは小柄なドワーフ程度だろう。
だが、死体の上ではしゃぐ他のゴブリンたちの奥にぬっとそびえ立つそいつは、どう見ても2・6ラールグのマクレラントと同じか、それ以上くらいの身長がある。
それに隆々としたその筋骨は明らかにゴブリンのそれではない。
その右手には深紫色に煌く片刃剣を握り、左手には肋骨が開かれ胴が空洞になった隻眼の剣士が引きずられていた。
「ゴ、ゴブリン・ウォリアー……」
隊員の一人が呟く。
出所の分からない噂話だと思っていた。
強敵との戦いを好み、倒したものの肋骨を開いて血肉をすすり、そして倒したものの装備を根こそぎ持って帰るという、くだらない噂の中の魔物だと思っていた。
「……お主らは、他の戦線への助力へ迎え。大隊を一つ失ったとあれば、戦局は一大事であろう。ましてや……ここで全滅することはあるまいて」
ゴブリンたちへと近づいてゆくマクレラントに、隊員たちは狼狽えながらも共に戦おうと構える。
だが、それを制したのは以外にも教え子である剣士たちだった。
「行け。そして軍師殿に伝えよ。件の魔物は、『斬岩』が斬ったと……」
隊員たちは剣士に連れられて少しずつ離れていった。
これは大局を見て戦え、という指南役であるマクレラントの教えの賜物でもあるだろう。
だが、何人かの剣士は、その巨体のゴブリンが持つ武器に気づいていたのかも知れない。
そう。倒したものの肋骨を開いて血肉をすすり、そして倒したものの装備を根こそぎ持って帰るというその魔物が持っている片刃剣に。
そもそも『斬岩』とは、元を正せばマクレラントの異名ではない。
マクレラントが若き日に、挑んでくる者は誰かれ構わず切り捨てていた頃に、南の地の洞窟で一人で暮らしていたドワーフに譲り受けた『斬岩剣キャズム』の名なのだ。
多分にもれず名前が大袈裟という節はあり、もちろん本当に大岩が斬れる程ではない。だが数人斬れば刃こぼれが生じる王国の剣とは明らかに一線を画す品ではあった。
その剣はマクレラントが現役を退いて指南役になるまでに刃こぼれ一つ起こさず、そして彼の息子に譲られてもまた、刃こぼれ一つ起こさず戦い続けた。
「……ねぇだろ」
故に、『斬岩』は剣の名であり、そして仮に『持ち主の異名』であったとしてもそれは、剣を受け取ったラガードのものなのだ。
「……じゃねぇだろ」
そして、ゴブリン・ウォリアーの異名ではない。たとえ、そいつが斬岩剣キャズムを所有していたとしても、断じてゴブリン・ウォリアーの異名ではない。
「……テメェのモンじゃねぇだろ! ソイツはよォォォォォォォォっ!!」
ゴブリンたちはマクレラントが瞬きの瞬間には横を駆け抜けていったことに驚き、そして、血飛沫を上げて次々と倒れた。
ラガードはもともと、すでに全盛期を大きく過ぎた頃のマクレラントが、だが剣を捨てられず旅を続けていた途中で立ち寄った、とある街の路地で見つけた孤児だった。
カビとホコリだらけの捨てられたパンを食べようか迷っていたその小僧に、マクレラントは気まぐれで、無言のまま新しいパンを放ってやったのだ。
すると何故か王都までついて来たので、放っておいたら周りの世話を受けて勝手に自分の養子になっていた。
ラガードという彼の名も、その時に人づてにはじめて聞いたものだ。
最初は半年に1回程度しか会話をしなかったが、それが月に1回、週に1回となるにつれて、マクレラントは他の人間とも会話するようになっていった。そうして剣術指南を担う頃には独り言すら碌に言わなかった男が1日に何十人という人間と会話をするようになり、ラガードとも、まぁ日に1回か2回は会話をするようになっていた。
そう。マクレラントもまた、幼少から剣のみを友として生きた身であり、大局を見るという座右の銘のようなものも武者修行の旅に出て剣を振るっていた際に一人で思いついたものだ。
だからそれ故に、これは、
「何っとか! 言えよっ! みどりヤロォォォっ!」
マクレラント・グランドが54年間の人生で初めて味わった、心の底から湧き上がる怒りであり、いわゆるブチ切れる、という感情だった。
荒れ狂う暴風のごとき猛烈な剣撃を放ってなお、ゴブリン・ウォリアーはそれを防御してくる。
いや違う。マクレラント自身が無意識に自ら剣撃を『いなされて』いるのだ。
はぐれドワーフが独自の技法で金剛鉄を何度も折り返して鍛え、刃筋と峰とを異なる温度で焼き戻すことで生み出されたというキャズム。その刃と真っ向から討ち合えばマクレラントの愛剣とて3合と持たないだろう。
激昂し、呼吸さえも忘れて斬撃を叩きつけながらも、剣歴52年のマクレラントの肉体は刃がぶつかる瞬間に、意図せずともそれを避けていた。
当然のこととして、逆にゴブリン・ウォリアーが攻勢に転じれば、その剛腕で繰り出される剣撃で、防御した剣は一撃のもとに叩き折られるだろう。
それゆえ、攻撃に転じることを許さぬ、息もつかせぬ程の斬撃の嵐を見舞い続ける。それこそが、斬岩剣キャズムとゴブリン・ウォリアーへの唯一の打開策でもあり、マクレラントは無意識それを実行していた。
「ずぇあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
更なる咆哮とともに斬りつけ続ける。
だが息もつかせぬその攻撃は、実際にマクレラントに無酸素運動を強いるものでもあり、当然ながら息はどんどん上がり、呼吸が続かず、体は発熱していく。
周囲のゴブリンたちを巻き込み、血風を散らしながら、我武者羅に斬撃を見舞うその老剣士の体が長くは持たないのは必至のことだった。
片刃の峰が擦れ合い、散った火花は300か、400か、あるいは500かそれ以上か。
一閃一閃が必殺の斬撃を無数に放ち続け、もはやマクレラントに意識はほとんど無かった。だが、その生涯を剣にささげた彼の肉体は自然と、必死にして必殺の判断を下した。
徐々に剣撃が鈍り、そして遂にゴブリン・ウォリアーからの反撃を許した瞬間。
斬岩剣キャズムが自身の首筋へ触れるかというその瞬間。
マクレラントもまた、生涯最速の一撃を、その緑野郎の顔面へと見舞った。