6-2 似非軍師と少年
そして1週間後、本当に騎士団も剣士隊も弓兵隊も無くなってしまい、そしてあのヒヒガネが戻って来た。自分は前線どころか戦場にも来ないのに、格好つけているのか弓兵服を来ている。
「じゃあ、皆さんの1週間の成果を見せてもらいましょうか。まずは準備体操してください」
今日は言ってやろうという気でいた。「この似非軍師め!」と声を大にして言う準備をしていた。「アンタが手本を見せてみろ」とも。言うタイミングを今か今かと待っていた。
「4周ね。最後にゴールした人は腕立て10回。じゃ行きますよ」
言おうと思ったが、ヒヒガネは先頭で走りだしてしまった。
確かにロシュは走ったりするのは苦手な自覚はある。
だがそれは魔導師にとって必要ないからだ。騎士は盾の腕前、剣士は剣の腕前、弓兵は弓の腕前、魔導師は魔法の腕前で評価されるべきだ。
もしそれらが一元的に管理されて一つの指標になるなら、自分の『腕前』はきっと騎士団長代行にだって負けない。
そんなことを考えている間に、あっと言う間に皆の背中は遠くなり、自分一人だけになっていた。
「アホくさ。あ……そういえば騎士団長代行じゃなくて、騎士長に変わったんだっけ」
研究職である魔導師には上下関係は無いが、むしろそれがあれば自分がリーダーなのに、と思う。
一応見せかけで走っていたが、誰も居なくなったので脚を緩めて歩き出す。
というか走っていると、首から下げている儀礼剣が服の中で動き回って煩わしいのだ。
ヒヒガネは身軽な格好で走れと言っていたが、ロシュがそれに従ってやる言われはない。
「このまま裏門から中に戻ろう……」
誰かに見られる前に抜け出そうと、少しだけ早足になると、
「どうした? 大丈夫か?」
途端に後ろから声を掛けられた。
「うわぁ!」
「関節が痛かったら言ってくれよ。横っ腹とかなら我慢してくれ」
もう一周してきたのか、ヒヒガネがいた。
この男の、こうゆうところも好きじゃない。大勢の前に居る時は貴族ぶった話し方なのに、相手が数人だと酒場にいる剣士や弓兵のような話し方をするところだ。まぁロシュは酒場に行ったことなどないので想像な訳だが。
「いえ、大丈夫ですから。お気になさらずお先にどうぞ」
仕方ないので申し訳程度のペースで走った。そして、さっさと前に行ってしまえと思った。
「あっ、ロシュ・マジョリティ君だろ? 聞きたいことあったんだよ」
なのに、そんな思いを知らず故か、ヒヒガネは隣を並走し始めた。
「き、聞きたいこと……?」
サボっていたことを誰かに告げ口されたのだろうか。それとも、あのリオという弓兵がまさかヒヒガネのスパイだったとか。
「高速詠唱ってさ、早口言葉じゃないの?」
「……は?」
何を言っているんだコイツは、と思う間もなくヒヒガネは喋り続けた。
というか他の魔導師が続々と抜いていくのにヒヒガネはちっとも前に行こうとしない。
「いや、アリスタが高速詠唱と早口言葉は全然違うって言うからさ。だって普通は2~30秒の詠唱を5秒くらいで終えるんだから早口言葉だろ?」
「ぜぇんぜん、違いますってば軍師さまぁ。高速詠唱は圧縮の短縮なんですよぉ」
不意に頭上から声が響く。どうやら最初からヒヒガネの上を飛んでいたらしい。
伝承ではしばしば妖精は人の善悪を見抜くっていうけど、絶対に嘘だと思った。だってバカっぽいし。
「早口でも圧縮の短縮でもないです。近年の研究では高速詠唱は属性結合の簡略化と効率化だと言われています」
「属性結合?」
「あぁ、あの『ぐいー』っていうのですかぁ?」
確かに拡大解釈すれば魔力圧縮の短縮とも言えるが、実際には高速詠唱が短縮するのはその内の1工程。つまり属性結合だけだ。
「ヒヒガネさんは、そもそも魔法の適性がありませんよね?」
「らしいな。ありがたい妖精様がそう言ってたから」
ロシュは元来、魔法が使えない人間を心の中で見下していた。
それはロシュたちの感覚から言うと文字が読めない、いやそこにあるものが見えない、と言い換えてもいいからだ。
そして魔法属性を持たない人間に魔法を説明するのはとんでもなく面倒なのだ。
「……まず魔力は世界中どこにでもあるんですよ。今もあそこにも、そこにも飛んでいます。アリスタさんにはもっとよく見えているはずです。僕たち魔導師はそれを属性ごとに空間で結合圧縮して魔法にするんです」
「ほうほう」
どうせ分かっていないだろうに、ヒヒガネが相槌を打つ。
「その結合の過程を言語化したのが魔法の詠唱ですけど、本質的には空間中にある魔力に対して働きかけている行為な訳ですから、理論上は無詠唱でも可能なんです。実際同じ魔法でも派閥によって詠唱は若干異なりますし」
ちなみに妖精が使用するのはまさしく無詠唱魔法だ。
「私はできますよ。妖精の落書帳ゥ、おりゃーっ!」
「おい、前が半透明で走りにくいんだけど」
この妖精魔法というのは何度見ても興味深くて感銘すら覚える。見た目や名前はバカっぽいけど。
「空中に絵を描く感じで、魔力をぐいーってするんです。あっ、今のは『絵を描く感じで、絵を描くための魔法を発動する』っていうギャグなんですけどぉ、ぷくくくくく、あっはははははは、ひゃーっ」
本当にバカっぽいけど。
「でも確かにそういった感じです。そのアリスタさんの空中に絵を描くような行為は混ざりあって飛び交う属性を個別に抽出して結合して圧縮することだと思います。魔法の源になるものを結合する行為と、それを圧縮して可視化された魔法にする行為、その2つの工程を進めるために人間の言語を用いるのが詠唱で、その内の結合を極力簡略化して言語化しなければならない部分を減らしたものが高速詠唱です」
「なるほどなぁ」
納得したふりをするヒヒガネをみて、ロシュは少しむっとした。
普通の人間にこういった説明をすると「何言ってんだ、そこには魔力なんてないじゃないか」とか「俺の知っている魔力と違う」とか言うのだ。
普通の人間は属性結合時の発光現象だけを「魔力」と呼んでいるからだ。
「ヒヒガネさん、今の説明で理解したんですか。凄いですね学者にだってなれますよ」
嫌味のつもりで言ってやった。
魔法はもちろん才能が必要だが、実用するには研究と理論の暗記、工程の理解が必須だ。「なるほど」なんて感想で語るなと言いたい。
「いや全然分からんけどさ。それってつまり多くの人間が日ごろに礎にしているロジックとは別物なんだろ? 理論を理解していないと言語化できないし、ましてや言語化を省略するなんて相当勉強してなきゃ無理なんじゃないの? しかもそうゆうのって暗黙知になりがちなのに、俺に言葉で分かりやすく説明してくれるし」
だが、驚かされたのはむしろロシュの方だった。
この男は意外にも、魔法の偉大さに理解を示してみせた。
「いや、アリスタの説明だと、どう聞いても『亀の字の道着を着て「波ァ」ってやる雰囲気』にしか思えなかったからさ。分かりやすい説明だったよ。この砦で1番の魔導師って聞いてたけど、流石だわ。ありがとな、ロシュ」
確かにロシュはここで1番の魔導師であり、王都が健在だった頃には姉に次ぐ天才とも言われていたが、それはロシュに言わせれば他の有象無象の努力が足りていないからであって、無責任な祭り上げにしか聞こえなかった。
だが、認めたくないが、今は悪い気分ではない。「分かりやすい説明だった、ありがとう」などと人から言われたのは、はじめてだ。
「あと1周だな」
ヒヒガネの言葉を聞いて、自分が走っていたのだと思い出した。走るというか歩くよりは早い何か、程度だが。
気づかなかったがすでに3周を終えていたらしい。
しかもヒヒガネは4週を終えているはずなのに、まだ横についてくる。
「あの、なんでランニングなんですか? こんなので行軍速度が上がるんですか?」
最初は魔導師を運動ができない者と見下してやっているのだと思っていた。確かにごく一部を除けば事実だが。
だがどうも魔導師を見下しているようではないらしい。なのでつい聞いてしまった。
「いや、行軍速度はこれ以上上げたら戦盾騎士が大変だろ、流石に」
返って来たのは、当初にロシュがしていた予想通りの答えであり、だからこそ逆にでは何故と疑問が深まってしまう。
「じゃあ、なんで……?」
「万が一魔物に接近されたときに運動不足だったら逃げきれないだろ?」
そしてヒヒガネは当たり前のことを当たり前のように答えた。
「ま、魔王軍を倒すために戦うのに、逃げていいんですか?」
「いや当然だろ。前線の隊ならまだしも、鎧も無しに武器は杖だけで魔物に接近されたら逃げるだろ。むしろ逃げて体勢を立て直してくれよ。ぶつかり合うのは前線の仕事だろ」
確かに魔導師たちの間でも体を張るのは騎士や剣士の仕事であって、自分たちの役目ではない、というのは暗黙の了解だ。だがそれを軍を預かる男が言ったのは意外だった。
「ただし、その分は魔物を吹っ飛ばすことで命張ってる前線に返してやること」
言われるまでもなく、魔物を吹き飛ばすのは自分たちの仕事だし、前線で体を張るのも彼らの仕事だが、まぁもう少し考えてやってもいいのかも知れない。
「でも軍師さまぁ。こんな歩いてるみたいなペースで走ってて、あと2週間で脚が速くなるんですかぁ?」
妖精が数歩分先へ出てひらひら飛び始める。不本意だが彼女の言う通りだ。
「もちろん無理だろ」
「え?」
「え?」
妖精と一緒に驚いてしまう。
「でもロシュなら分かる思うんだけど、勉強でも一つ知っている理論があるとなんとなく読み方が分かって似た理論がすんなり頭に入るだろ。で、また全然別の理論を初見で読むと、こっちは普通に難しいと」
「体が覚えるっていうことですか?」
「あとは、何度か実践したことなら本番でもできるって自信が付くことも大きいかもな」
悔しいが理には適っている。戦場でズッコケる可能性は減るかもしれない。
残りは半周、というところで、少し前方に別の魔導師が見えた。
このペースで走って距離が縮んだということは、彼も手を抜いて走っているのだろう。
「よし、アイツを抜かすぞロシュっ!」
言うが早いかヒヒガネがペースを上げる。
ついついつられてロシュも脚を速めてしまう。
息が苦しくなりはじめ、思考が回らなくなってくる。
ヒヒガネは前の男を抜かすどころか、その先まで行ってしまった。
ロシュはもともとヒヒガネが居たから走っているように見せかけだけだが、結局随分走ってしまった。
ここで立ち止まれば砦3周分の体力を無駄に費やしただけになってしまう。
そんな効率的でも理論的でもない行為は、学問を嗜む魔導師としては甚だ不本意だ。
だから、ロシュは更に走った。
前方にいた男も手を抜いていた割に最後尾は望まないようで、ロシュが抜かせば抜き返してきた。
最終コーナーを曲がって遠目に砦の表門が見える。
先にゴールした魔導師たちと、暇な市民が十数人、こちらを観戦していた。あんな中で最後にゴールするなんて絶対に御免だ。
だが隣の男も同じ意見なようで、二人してペースを上げる。
門の前では妖精が、
「ビリの人は腕立て伏せ10回でぇーす」
などと無責任なことを叫んでいる。
もはや全然回らない頭で、何やってんだ僕は、とだけ考え、思い切り駆け抜けて、結局は隣にいた男の背中を拝みながらゴールした。
「二人……とも……、お疲……れさ……ま」
息も絶え絶えのヒヒガネが迎えてくる。果たしてあれからどれだけペースを上げて走ったのか。
「軍師さまぁ。歳なんですから無理しない方がぁ……」
「歳じゃねーし……まだ28歳だし。300歳超えに……言われたく、ねーし」
などというどうでもいい会話を聞きながら、ロシュはロシュで膝から崩れ落ちた。
「あ、走った後は急に立ち止ま……」
何か言おうとしたヒヒガネの言葉を、カランという金属音が遮る。
ロシュが服の中で首から下げていた儀礼剣が襟もとからこぼれ出たのだ。
「……あっ!」
ヒヒガネは『身軽な格好で走れ』と言っていた。
何か言われるだろうか。指示を無視したことを注意されるだろうか。
だがこれはあの日、王都に残った姉が自分に持たせてくれたものだ。軽い気持ちで持っている訳ではない。
だが、それをわざわざ言うべきか。言い訳がましいと思われないだろうか。
回らない頭でなんとか思考を巡らせるが、先にヒヒガネが口を開いてしまった。
「おぉ。凄いじゃんロシュ。そんな重たそうなものぶら下げて走ってたのか」
だが紡がれたのは意外な言葉だった。
「これじゃ、一概に誰がビリとは言えんな」
それを聞いて、なんとなくロシュは察した。
この男は最初から自分が1週間サボり続けていたのを知っていて、声を掛けてきたのだと。
そして、不本意だがこのただ走るだけの行為にも少しばかりは意味と効果があるんだとも思った。
そうだ。どうせ見抜かれているならば、せめて正直に言おうと思った。
いずれガツンと言ってやろうと心に秘めていた言葉は結局言えずじまいだった。
だがこちらは言うぞ、言ってやるぞ、と心に決めて、口に出した。
「ヒヒガネさん。1週間、走らずにサボっていて、すみませんでした」
なんの根拠も理論も無いが、なんだか少しだけすっきりした気がした。
「え? そうなの? じゃあやっぱり腕立て10回」
そしてそんな思案が全部丸々気のせいだと知って、
「こ、この似非軍師め!」
今度こそ、すっきりした。




