5-5 騎士の英雄譚
翌日、レバル山の麓で、アージリスは夫婦貝へ向けて力強く喋りかけた。
「アージリス・クラスタル以下30名っ! エクルス砦よりただいま到着した! いつでも開始できるぞっ!」
アージリスとしては甚だ不本意ではあったが、ヒヒガネがソフィアから正式に任命されている以上は与えられた課題の中で自身の力を知らしめるしかない。
かつては不名誉にも自身の父によって地位を遠ざけられた彼女であったが、あの日からより一層の鍛錬を重ねて、そして更に今は他の団員たちにも『戦盾騎士の心得』を遵守するための指導にも打ち込んでいる。
自分もあの頃よりも成長しているという自信があった。
そして彼女とてヒヒガネが軍を強くしようという思いで動いていることは認めている。ならば、自身の強さを証明して考えを改めさせるまでだ。
ぐっと拳を握りこんで待つと、夫婦貝から可愛らしい声が返ってきた。
「あ、アージリスさん。いらっしゃいませぇ。いま軍師さまは服を脱いでサーブリックさんといるんでぇ、ちょっと休憩して待っていてくださぁい」
アリスタの声に、何人かの女性隊員がざわめく。
特に弓兵の少女クラティスと女剣士のプラータは顔を赤らめ鼻息を荒くして、「こ、これはえらいこっちゃですわ」「……サー×タスということですね」などと語り合っている。
無意識に更に拳を握るアージリス。篭手が軋み、金属が悲鳴を上げた。
「どこまでもふざけたヤツめ!」
数十秒後、ペチンという音と「ふぎゃん」という妖精の悲鳴が聞こえ、その後ようやく夫婦貝から男の声が響く。
「……失礼。お待たせしました。ちなみに頭洗って水浴びしてただけだから。変な誤解しないでください。女性はそうゆうの好きかもしれないけど、マジで変な誤解しないでくださいね」
更に篭手がベキベキと鳴った。貴様のことなど心底どうでもいいわ、と思ったが、反応するのも癪なので何も言わなかった。
「はいでは、現在の最短タイムは砂時計6・5回転分です。全員で協力してベストを尽くすこと」
最短タイムはサーブリックで間違いないだろうと思った。アージリスも彼のことは知っている。飄々として気に入らない男だ。同じ村で育ったというアーレイとかいう男と一緒になって自分をからかってきたこともあった。
だが自然の中で育ったあの男なら適当に見えつつも的確な助言で仲間を導くような芸当をみせてもおかしくない。
「リタイアしたくなったら妖精の癇癪球を割れば、妖精とインストラクターの人が向かうから。それでは健闘を祈ります。スタートしてください」
「征くぞ!」
アージリスは合図と同時に勢いよく山へ駆け込んだ。
ドスドスと地を踏み鳴らしながら山道を駆けるアージリスに他の隊員が続いてゆく。
アージリスの見たところ、この競争の決め手となるのは戦盾騎士だ。比較的身軽な弓兵や剣士と比べて、鎧に大盾、それに騎士個別の武器もある。最も早く疲労するのは必至だろう。
だが、騎士10人、剣士12人、弓兵8人という配分は全ての隊で共通。皆が同じ条件だ。
そしてアージリスには自信があった。隊員の配分はヒヒガネとマクレラント、アトキンソン、サーブリックとリオ他数名で協議して行なったようだが、アージリスの隊には偶然か配分の都合か、比較的優秀な戦盾騎士が揃っていたのだ。
騎士10人全員が平均か、あるいはそれ以上の実力者揃いだった。
全員がゴールすることが条件ならば、この勝負は騎士の能力差で決まる。山に強いサーブリックであろうと仲間の能力まで好きにできる訳では無い。
ゆえに、アージリスはこの勝負をなんとしても勝ちに行くと、隊員たちにも伝えていたのだ。
「足元を確認して、既に踏み均された場所を進め!」
更に今日が登山の最終日でもあり、山道はすでに多くの足跡で踏み均されていた。これならば初日に挑戦したサーブリックよりも一層有利だ。
とはいえ、当然のこととして重装備の登山が楽であるはずも無く、隊員たちの息は徐々に上がりはじめる。
「……過酷だったのはどの隊も一緒だ! 気合を見せろ貴様ら」
背中ごしに次々と威勢のいい返事が聞こえてくる。他の隊員たちも大隊の中心を担う名誉には憧れているようで、良いタイムを出したいという意欲が伝わってくる。
あるいはそんな思いから生まれた発言なのかも知れないが、
「大丈夫か? なんならその盾、交代で持つぜ」
という声が聞こえてくる。アージリスは思わず立ち止まって、振り返った。
「馬鹿な口を利くな貴様っ! 戦盾は騎士の誇りだ! 騎士にとって戦盾は重荷になりえない! 他者に預けることもない!」
怒鳴りつけると、それを口にしたであろう剣士の男と、言われたであろう騎士の男とが、共に吃驚した様子で頭を下げてきた。
「し、失礼しました」
戦盾は騎士の誇りであるし、それにこの競争はアリスタの魔法でヒヒガネにも監視されている。
確かにタイムは重要だろうが、それだけで評価されるのかが不明な以上、騎士道に反した行動をとって評価を下げる真似は避けたかったというのもあった。
「分かってもらえればいい。征くぞ。急げ!」
再び具足を地面に打ち付けて、ひたすら山道を進んでゆく。隊員たちもまた、それに続いた。
アージリスにとって父マズルスは憧れであったし、騎士団長という職も憧れではある。
だがそれ以上に、騎士という、力強く、逞しく、栄誉ある職業。その規範でありたいと思っていた。
幼い頃から、国にその身を捧げ、民からの羨望を一身に受ける、その素晴らしい職業に憧れていたのだ。
始まりは、やはり父の影響であったのかとも思うが、とにかくアージリスはおねしょ癖がようやくなおり始めた頃には、既にその鎧姿の大男たちに憧れていた。
なんなのかは分からずとも格好いいその鎧姿を眺め、やがて真似事を始めて、そしてそれは本格的な鍛錬になった。
体格に恵まれていたこともあって、14歳で騎士団に入隊して以後はすぐに周りを圧倒してのし上がって行った。
だからこそ、昔も、そして王都を追われた今でも、騎士の中の騎士でありたいと思っていたのだ。
そう。『主君を護り、民を護り、己を護る』という規範を実践してきたつもりだった。
先日の勝利もそうだ。確かにタスクの策が効果的であったことは認める。だが実際に戦場での勝利をもたらしたのは戦盾騎士があればこそだ。
だからこそアージリスは、この場においてもヒヒガネに対して騎士の高潔さを、戦盾の尊さを、証明しなければならない。
そんな気迫もあって、そして隊員たちもまたそれに引っ張られたこともあって、アージリスたちはペースを落とすことなく1時間近くを走り続けた。
「頂上はそう遠くないぞ! 気概を見せろ!」
アージリス自身も汗にまみれて息を切らしながらも、隊員たちを奮起させようと、声を張り上げて発破をかける。
もしかしたら、それが返って隊員の注意をそらしてしまったのかも知れない。
短い悲鳴とともに隊員たちが後続から順々に「隊長!」と呼びかけてきた。
振り返ってみれば、最後尾を走っていた、クラティスが脚を抑えて倒れている。
「何事だ!?」
尋ねるが、皆が気まずそうに視線を泳がせる。
クラティスはといえば「すみません、すみません」と涙をこぼすばかりである。
近づいてみれば足首が赤みを帯びている。
「……捻挫か?」
少女はなんとか立ち上がろうと試みるが、バランスを崩してしまい、プラータがどうにかそれを抱きとめた。
この様子では山道を行軍するのはとても無理だろう。
「頂上を間近にして、なんということだ……」
部下を負傷させて、途中で棄権するような失態を目にしてヒヒガネは何と言うだろうか。
いや、口では何と言われようが構わない。だが、ヒヒガネが軍師として客観的に自分たちを眺めている以上、自分の今後の発言力は完全に失われたと見るべきだろう。
それどころか騎士を代表する立場でこのような醜態を晒しては、近衛騎士という名誉ある役職にまで泥を塗ったことになりかねない。
そんなアージリスの様子を見てか、先刻怒鳴りつけられた剣士が口を開く。
「じ、自分が背負って行きます」
自分の剣を隣の仲間に預けた剣士がクラティスに手を差し出す。
騎士にとっての盾ほどかは分からないが、剣士もまた剣を誇りとしていることはアージリスも知っている。
以前に鍛冶に預けた剣を回収した剣士が、これは自分の剣じゃないと騒いでいるのを目にしたことがあった。
この剣士もあるいは、多少は覚悟を持って他者に剣を預けたのかも知れない、と思った。
ともあれ、部下がそうまで気概を見せてくれたのであれば、アージリスとしてもそれに応えてみんなを鼓舞しなくてはならない。今は進めるだけ進むことが先決だ。
「急ぎましょう。隊長」
そうだ。山頂まではそう遠くない。まだ進める。
ここまでは順調だった。多少ペースを落としても、まだ十分にトップを狙えるはずだ。
だが、申し訳無さそうに涙ぐむ弓兵の少女を見て、アージリスはふと既視感を得た。
それは、いつだっただろうか。
少女を背負ったことなどあっただろうか。
記憶を巡らせると、なんとなくある光景が浮かんできた。
それは確か、幼少のアージリスのまだおねしょ癖がなおっていなかった頃だ。
あんな風に涙ぐんでいた少女を、鎧の騎士が優しく背負ってくれた。
それはきっと誰よりも強く、誰よりも逞しく、誰よりも大きな、この国で一番の騎士の背中だったと思う。
「……いや。……違う」
だが、自然と否定の言葉がこぼれ出た。
その日、その赤毛の少女はどうして思い立ってしまったのか、幼少の身一つでふらりと母親に会いに出かけたのだ。
王都の北西のはずれにある、花と緑が美しい場所。そこには石でできたお布団が沢山並んでいて、その中の一つにはお母さんが眠っている。
幼いながらもそれを知っていた少女は、どうしてもお母さんに会いたくなって、女中に告げた。「旦那様のお仕事が終わったらお願いしてみましょう」と女中は言うが、そうは言われても、お父さんが帰ってくる頃には少女はいつも眠たくなってしまうのだ。
だから一人で出かけた。最初は勇み足だった。住居区を抜け、商店街を抜け、牧場区を抜け、ひたすら歩いた。
だが、少しずつ不安な気持ちが出てきた。お父さんと来た時にはこんなに遠い道のりだっただろうか。いや、道はあっている。でも、こんなに心細い道のりだっただろうか。もっとあっと言う間に辿り着いた道のりじゃなかっただろうか。
最初の内は通行人で溢れていた道のりも、街のはずれに近づくに連れてひと気がなくなり、いまは辺りを見回しても誰もいない。
途端に怖い気持ちでいっぱいになったその少女は、お母さんに早く会いたくなり、駆け出して、そして転んでしまったのだ。
そうして、誰もいない道の真ん中でわんわん泣いていた少女に声を掛けてくれたのは、偶然通りがかった戦盾騎士の青年だった。
盛大に泣き立てる少女をどうにかなだめたその青年は、少女の目から見ても頼りなさげで、身の丈は女中たちと同じくらいだし、肩幅など少女の父親の半分程度しかなかったと思う。
その矮躯の青年は背負っていた戦盾を外して近くの木に立て掛けると、少女を優しくおぶってくれた。
戦盾を置き去りにしたままのんびりと歩く騎士が背中越しに語ってくれた話。伝承に伝わる騎士の英雄譚。強敵に立ち向かう屈強な騎士の物語。それらを聞いている内に、少女は泣き止み、次第に彼の話に夢中になった。
その大きくて強い騎士の物語に夢中になりながら、王都のはずれの墓地にたどり着き、帰る道でもまた同じ話をせがんだ少女は、以降その騎士という存在に憧れ、そして誰よりも偉大な騎士であった父の背を追うようになっていったのだ。
その幼い少女が憧れたのが、大きくて強い物語の騎士なのか、見るからに頼りなさげな矮躯の騎士なのか、まぁそれは思い出しても前者だろう。
だが、アージリス・クラスタルは衣嚢から取り出した妖精の癇癪球を握りつぶした。
ポンポンという弾ける音とともに、妖精固有と思しき魔力信号が辺りに弾け飛ぶ。
「……隊長!?」
先ほどの剣士が驚きの声を上げると隊員たちが次々と振り返った。
リタイアしたくなったら妖精の癇癪球を割れ、というタスクの指示は誰しもが聞いていたのだから当然だ。
「無理をして貴様まで怪我を負ったららどうする? その者にも早急な治療が必要だろう。大局を見ろ。私たちがなすべきなのはこの山を登頂することではない。主君を護り、民を護り、己を護ることだ」
なにも記憶の中の騎士のような「優しい」などという存在になりたかった訳ではない。
だがアージリスは、一面だけでは全容を知ることのできない騎士というものの奥深さを、改めて少しだけ学べた気がした。
程なくしてサーブリックとアリスタが現れた。クラティスには薬草と巻布で治療が施され、サーブリックの「まぁ全治1週間とこスね」という言葉に一先ず一行は安堵した。
結局、アージリスの隊は途中棄権した唯一の隊となり、4泊5日の山頂生活を終えたタスクたちをともなって、砦への帰路へ着くとことなった。




