5-4 登山と肉と騎士
ビジネスのシーンにおいても中間管理職は大変、とよく言われるように、ある小集団の長たるものは部下たちが遺憾なく実力を発揮できるように環境を整え、同時に大集団の意向に沿うように彼らを従わせて導かなければならない。
ところがその二つの両立は必ずしも簡単ではなく、そこには飲み屋で中年男性がよく言っている「いやぁ、上と下との板ばさみでもう嫌んなっちゃうよ」というアレが発生する。
強い力で部下を服従させれば、それは押さえつけられたバネのように凝り固まって柔軟性を失わせるし、もしかするといずれは強い反発を見せるかもしれない。
部下と仲良く楽しく好き勝手にやれば、それは組織全体の目標から乖離して迷走し、最終的には『下の上から中の下』くらいの成果に落ち着くだろう。
上から与えられた目標を効率的に達成し、高い成果を生むためには、「トップの意向を理解していて、色々なことに精通していて、それを教えてくれて、下らないジョークに付き合ってくれて、そして怒らせたらヤバい」タイプの上司が必要なのだ。この場合の怒らせたらヤバいというのは心理的なものでも、進退や給与に対する影響力でも、どちらでも構わない。
よく軍隊などでは上官が圧倒的なパワーで部下たちを押さえつけているが、タスクが映画などで見かけた限りではそれも主に新兵時代、いわば半ば学生に近い立場だからこそであり、それを乗り越えればむしろ小隊とやらは家族のような付き合いになるとも聞いたことがあった。
そんな訳で、あれから6日後、タスクは砦の南方、レバル山の頂上に居た。
タスクの足でもおよそ2時間もあれば登頂できる程度の山で、途中に危険な場所も多くない比較的安全な場所だ。
流石にスーツで来るような場ではないので、これを機会にかつて王家の仕立て屋だったという中年女性にクリーニングとして一張羅を預け、代わりに弓兵隊の軽装を借りてきた。
格好だけ見るとコスプレ登山者だが、もちろん生き抜きで登山に来たわけではない。
どうせならと、オリエンテーションも軍隊風にしてみたのだ。
既存の集団を一度解散して、新たに組んだ『戦隊』。騎士10人、剣士12人、弓兵8人で編成されるその戦隊ごとに山を登って親睦を深めようというものだ。
ただし、タスクの知っている軍隊よろしく、兵たちは各々のフル装備で登ってきてもらう。重装備の戦盾騎士にはなかなか過酷な道のりだろう。
そして今日はその4日目だ。
「軍師さまぁー。次の戦隊さんがスタート準備できたみたいですぅー」
夫婦貝を被るように頭に装備しながらアリスタが報告してくる。
当然ながら砦を無防備にする訳にはいかないので、日と時間を分けて時間差で上ってもらっているのだ。
アリスタの頭から受話器、もとい、ほら貝を取って応える。
「現在の最短タイムは砂時計6・5回転だ。全員で協力してベストを尽くすこと」
そして、もちろんハイキングしただけでは本当にただのオリエンテーションだ。
なので「この登山の結果や、日ごろの成果をもとにして大隊の指揮官とその中心となる戦隊、あるいは更なる人事異動を決定する」と全兵士に伝えてある。
これで皆の張り合いも出るだろう。
「リタイアしたくなったら妖精の癇癪球を割れば、妖精とインストラクターの人が向かうから。それでは健闘を祈ります。スタートしてください」
妖精の癇癪球はアリスタが木の実の殻をもとに魔法で作ったアイテムで、割ると固有の魔力信号が周辺に発されるというものだ。
妖精の魔法は人間とは根本的に異なるようで、ヴァンガード村的な名前の某雑貨店兼書店のグッズよろしく、役に立つんだか立たないんだか分からないものばかりだ。
「さて、じゃあモニターも出してくれ」
「はい。森の監視者。とぉーうっ!」
スクリーン代わりの妖精の落書帳に山の風景がぼんやりと映し出された。
効果半径は狭いが、事前にマーキングを行った魔力溜りの精霊と視点を共有することが可能な妖精式の監視カメラである。
登山経路の魔力溜りは6箇所。山全体とはいかないが、これを使えば先に登って頂上で待つ身のタスクでも同時に多くの兵たちを見守ることができた。
皆で励ましあう様子が映ったかと思えば、激しく口論をする戦隊もいる。あるいは皆してのんびりとハイキングペースで登り始める戦隊もいた。だがどんな過程を経た者たちであっても、頂上に到着し労いを受けると、その後は満足げに談笑しながら下山して行った。
ちなみに、タスクとアリスタが二人きりで4日間も山の頂上に居座り続けているのかと言えば、もちろん違う。
初日に最高タイムを叩き出した戦隊の隊長に残ってもらい、以降は食料調達に寝床作りと世話になっているのだ。
当初はいま一つやる気の無さそうだったその男に、タスクは「お前の戦隊は逆に半端なタイムを出したら大隊長に任命するから」と伝え、そしてその結果、初日の一番手で挑戦した彼の戦隊のタイムは、いまだに破られていない。
四苦八苦しながら山に挑む者たちを観測し、登頂したものを労い、それを5回ほど繰り返して4日目が終わった。
「第18戦隊はかなり口論してたなぁ。こりゃマイナス30点だわ」
妖精の落書帳に戦隊ごとのスコアをまとめながら、タスクはおもむろに骨付き肉に齧りついた。
「今日のはイマイチだな。昨日の甘草で味付けしたってヤツの方が美味かったぞ」
流石に山まで来るとそこそこの動物がいるらしく、また砦より南方で魔物が少ないこともあって、この山頂の生活はタスクにとっては久々の肉ライフでもあった。もちろん自分で狩った訳ではないが。
「ありゃあ別に味付けじゃなくて腹に良いから使っただけですぜ。ってーか、味付けこってりの濃いめが好きなんて、やっぱ軍師さんていいトコの生まれなんスね。普段の振る舞いは田舎モン臭いけど。俺は街に来るまで、食いモンの味付けに好みがあるなんて考えもしなかったスわ。まぁ女の子の味なら大歓迎でテイスティングするスけど」
同様に骨付き肉に齧りつきながらサーブリックが答える。
王国の中でも大きな街からは離れた森の小村で生まれ育ったというサーブリックのアウトドア知識は流石のもので、本人はもちろんのこと、他の戦隊員たちすらもほとんど疲労させずに最速で登頂して見せた。
それから以後4日間、昼寝をしては食料を調達し、軽口を叩いては食料を調達し、という生活を送る彼に、タスクはなんだかんだで世話になっている。
「あぁー。……ビール飲みてぇ」
もちろん仕事は仕事としてこなすが、稼いだ分だけ遊ぶのはタスクの信条だ。大抵の日本人男性が夢に見たであろう骨付き肉に齧り付いたならビールだって飲みたくはなる。
「なんですかぁ、それぇ?」
「酒だよ。酵母を使って麦を低温発酵させたヤツ」
「へぇ。麦酒みたいなもんスかい? やぁー俺も酒なんて久しく飲んでないスわ。あー、話してたら飲みたくなってきた」
砦でのスープに若干の穀物があったので、もしかしたらとは思っていたが一応存在はするらしい。
「まぁ王都を取り返したら、一杯やりましょーや。んなことよか、軍師さん。大丈夫なんスかい? 明日は姐さんの隊が来ますぜ?」
アージリスのことだ。
「いや姐さんて、お前のが年上だろ。アージリスって呼べよ」
「やぁー、その、ほら。姐さんは姐さんスから」
やはりというか、彼もまた人間重機にはビビッているみたいだ。
2日目の晩に聞いた話だが、まだ王都が健在だった頃に、酒の席で友人と二人して、どちらがジョークで彼女をより笑わせられるかを競い合ったことがあるそうだ。結果、二人仲良く彼女の左右の手で宙吊りになったらしいが。
「大丈夫って何がだよ?」
「いや、だって軍師さん、姐さんの言い分をズバっとやっちまってたじゃん。俺だったら死を覚悟するスねぇ」
「そぉですよ、軍師さまぁ。アージリスさんの傷ついた乙女心に謝った方がいいですってぇ」
二人して好き勝手を言ってくるが、タスクとしてはそんなものを気にかけるつもりはない。
いま考えるのは一匹でも多くの敵を効率的に倒し、そして一人でも多くの味方を生き残らること。
広い視野で全体を見渡し、必要な時に必要な行動がとれる人材を上に立たせることだ。
当然、一人の我侭など聞いてはいられない。確かに怖いけど。
「そもそも俺の居た世界じゃ3・2ラールグの人間重機を乙女とは呼ばないから」
女心を介さないタスクの言葉に、アリスタは頬をぷっくりと膨らませる。
「むぅーっ! 酷いですっ! 軍師さまぁっ! アージリスさんだって女の子かも知れないじゃないですかぁ!?」
「なんで疑問形なんだよ。むしろそっちの方が可哀想すぎるだろ。……それで、マズルス・クラスタルっていうのはどうゆう人だったんだよ」
それはさておきということで、タスクが口にしたその名に、それまでヘラヘラ笑っていたサーブリックは少しだけ驚いたそぶりを見せた。
「……ひゅう。意外だなぁ。軍師さん、知ってたんスかい?」
「惚けるなよ。お前がわざわざアージリスの話題を振ってきたんだ。その先を俺に話すつもりだったんじゃないのか?」
アージリスが立腹していることも、明日にアージリスの隊が登山に臨むこともタスクは承知の上だ。そして同様にサーブリックだってそのことは分かっているはずだ。
なのにわざわざ話を振ってくるくらいだ、求めていたのはその話題ではなく、その続きにあたる部分だろう。
タスクとしてもあの夢でみたマズルスたちの不遇の最後は、忘れたくとも忘れられないものだ。
たとえ望まずとも記憶に残るし、あの230センチはあろうという騎士団長の男性がクラスタルという姓であったことも覚えている。
人事の判断材料にする気は微塵も無いが、サーブリックが話すというのなら聞く気はあった。
「俺としちゃ決まったことに逆らう気もないスし、姐さんとも別に知り合い以上友人未満なんで義理立てする気もないんスわ。まぁでも姐さんが怒った理由は軍師さんの人選の役に立つかも知れませんぜ」
「話してくれるんなら聞くさ。人事の参考にする気はないけどな」
確かに日本でも、同族経営において経営権が受け継がれた際などに、それが良い方向へ作用すれば下で働く社員たちが「先代の遺志を継いだ二代目のために頑張ろう」と奮起するケースはある。
だが好意的に作用しないケースもあるし、そもそもトップの人間が適切な能力を持っているかどうかとは関連性の無い話題であって、今の王国の人事に必要な考え方ではない。
そんなタスクの思慮を察しているのかいないのか、サーブリックが話し始める。
「軍師さんの知っての通り、姐さんは最後まで王都に残ったっていう先代騎士団長の意志を継いで、騎士団長代行になったんスわ」
「だろうな」
そのくらいは予想の範疇だ。
「姐さんは昔からクラスタルって姓のせいで優遇されるのを嫌ってて、一般枠で騎士団に入団したらしいんスね。俺はまだその頃、村に居たんで又聞きスけど。んで、並み居る猛者たちを寄せ着けず、圧倒的な強さで出世して、なんと1年後には姫様の近衛になったんスわ」
「いや、あのガタイなら当然だろ」
タスクが思わず失笑すると、サーブリックもまた「でスよね」と笑った。
「んで、姫様……王女殿下の近衛ってことは将来の国王と王妃の近衛なわけスから当然、騎士団の副団長に推薦されたんスね」
タスクには分からないが口ぶりからすると、この国では至極当然の出世コースなのだろう。
「ところが、ここでまさかの事態。騎士団長、つまり親父さんがそれに反対して、結局姐さんへの任命は見送りになっちまったんスよ」
「……マズルスはなんて言って反対したんだよ?」
サーブリックの口ぶりが演技がかって上手いせいもあって、タスクとしても正直気になると言えばなる。
それにタスクとて人の気持ちが分からない訳では無い。誰だって周囲や家族から高く評価されれば嬉しいし、逆に否定されれば悲しい。父親に出世を反対されたとあっては同情だってしたくはなる。
「なんでも、『此の者は戦盾騎士第一の心得を解するに至っておらず』って話らしいスわ。あぁ、ちなみにその第一の心得ってのは確か、『主君を護り、民を護り、己を護る』ってのだったかな」
思わず考えてしまう。
「……その三つくらいなら満たしてはいるように思えるな」
ソフィアを護り、砦の民を護り、自分自身を護る。まぁ若干単細胞気味なのはさておき、少なくとも今はその条件くらいはクリアしていそうだ。
「でスよね。んで、まぁ、それから何年か後に俺らは……王国はこうなって、姐さんは騎士団長代行の任についてからもその心得ってのを守り、守らせてるっちゅー訳スよ」
タスクとしても疑問ではあった。マクレラントが剣士隊長『代理』なのに対して、アージリスが騎士団長『代行』であることについて。
素人なりに解釈すれば、マクレラントは臨時で就いた職ながらも自らの剣の道を、あるいは教えを説いて部下を導いているのに対して、アージリスは実質的にマズルスの空席を埋めているに過ぎないということだ。
ソフィアの判断とも思えない。本人が望んだことなのだろう。
「なるほどなぁ。まぁどうでもいいけど」
タスクはごろりと横になって、少しだけその心得とやらについて考えた。




