4-4 かんばん
そして翌朝、砦の一室に集まった一行に、遂に軍からの接敵の報告が入った。
「草原の方で魔物を確認したそうです」
夫婦貝から耳を離したハーズが知らせを伝える。兵士は近衛を残して進軍しているので、夫婦貝の交換手はハーズとバーグの姉弟についてもらうことにした。
避難民の中では比較的元気であったし、それに知らない顔よりは知った顔の方がいいだろうという思いもあった。
「峡谷も敵が見えたみたいです」
同様にバーグからも報告が入る。
「敵の数は?」
タスクの声に2人が夫婦貝に語りかけた。
通信専門に人を用意するというのは少し物々しい気もしたが、こうしてみるとほら貝を二つ同時に扱ってそれぞれと会話をするというのは一人では難しそうだ。判断としては間違っていなかったようである。
「見渡す限りが山犬蜥蜴みたいです。オーガも見えるみたいです」
バーグからの報告。峡谷側だ。
昨日も出会ったあの恐ろしい怪物が見渡す限りいるだなんて、考えるだけでも恐ろしい。
「鳥猿類が100体くらいと、沢山のゴブリンだそうです。スライムもきっと隠れてるって言っています」
同様にハーズから草原側。
ミリタリー的な知識のないタスクではあったが、それでもだいぶいい加減だというのは分かる。
だが少なくとも鳥猿類とやらの配置が事前情報と差異が無いのは良好だろう。
タスクは震えを抑えるために、ぐっと拳を握った。
前線の者たちがこんな比ではないプレッシャーを得ているのは承知しているが、それでもここに座って聞いているだけでも胃に穴が開きそうなのだから仕方がない。
「草原の軍へ連絡。『かんばん作戦』を開始させてくれ」
「分かりました。……『かんばん作戦』を開始してください」
タスクの声に合わせてハーズがほら貝に語りかける。
「峡谷の軍へ連絡。『問題児作戦』を開始だ」
「はい。……えっと『問題児作戦』だそうです。頑張ってください」
同様にバーグも峡谷の軍へ伝達する。
あとは、上手くいくのを祈るだけだ。
地平まで広がった北の平野。少し南に進めばエクルスの森がある。
もともとはこの一帯も妖精で賑わうエクルスの森の一部であったが、それも遠い昔の話となってしまった。今は平時から、はぐれゴブリンがうろつく危険な土地だ。
そこを大勢の具足が踏み鳴らす。
「総員横隊! 突げぇぇぇぇきっ!!」
アトキンソンの声に、戦盾騎士たちが続いて吠えた。
「一匹たりとも後ろに行かせるな! 戦線を押し上げろぉぉぉぉ!」
戦盾騎士の最大の任務は横隊での突撃。身の丈の6~7割にも及ぶ大盾で敵を押し戻すことによる最前線の戦線構築だ。
そしてその後ろに控えるのは剣士隊だ。戦線を突破した敵を切り倒すだけでなく、必要ならば戦盾騎士の前へと出て攻勢へ転じる役割である。
その更に後ろには弓兵隊がいる。前線へと群がる敵へ矢の雨を降らせる仕事であるが、昨今は鳥猿類の風属性障壁魔法との物理的な相性に悩まされていた。
そして最後衛に魔導師部隊だ。魔法障壁を破り敵への攻撃を行う役目と、逆に魔法障壁によって敵の魔法から味方を守る役割も担っている。
不意に魔物の群れの中から、水の塊が飛び出してくる。水属性攻撃魔法だ。
魔導師隊によって即座に地属性障壁魔法が発動され、前衛部隊は守られた。
だが次の瞬間には頭上の鳥猿類から風属性攻撃魔法が放たれる。圧倒的な数の差は属性の相性さえも覆し、火属性障壁魔法を貫通した暴風の一撃によって、屈強な戦盾騎士が10人以上まとめて吹き飛ばされた。
そう。これは何度となく繰り返された光景であり、そして繰り返されるたびに激しさは増していったのだ。
圧倒的な数の差によって魔導師たちが受ける指示は障壁の一辺倒になる。
そうして防戦一方に追い込まれ、前衛を徐々に削られていく。
前衛に穴が開けば、剣士隊を突破した敵が弓兵たちへと押し寄せ、戦場は大混乱となる。
そして多大な犠牲のもとに、やっとの思いで魔物たちの前衛の数を減らせば、魔物たちは日暮れを迎えた子供のように帰っていき、数が整えばまた再び現れるのだ。
だが、今日は違う。
「カンバァーン! ヒダリィーっ!」
魔物とは逆の方向を見守っていた弓兵の一人が、叫んだ。
「カンバァーン! ヒダリィーっ!」
他の弓兵たちも叫ぶ。
それに合わせて戦線左部の剣士隊は一斉に後退し、空いたスペースへ戦盾騎士が後退した。
ゴブリンたちが何事かとそれを追撃しようとした瞬間に、一斉に魔法攻撃が降り注いだ。
ほぼ全てが障壁によって防御され実際に貫通したのはタスクの言葉通りの、たった『5~6単位』であった。
「いくぞお前ら! ぶっ潰せぇっ!」
だが敵陣が乱れたその瞬間に、アトキンソンが突撃し、戦盾騎士たちが魔物の群れをかき分ける。
「機を逃すでない。続けぇい!」
そこへすかさずマクレラントが切り込み、剣士隊が続いてなだれ込む。
若き日には大勢の腕利きを斬り倒し、王国最強の剣士、『斬岩』と呼ばれたマクレラントではあったが、昨今は筋力は衰え、瞼はたるみ、教え子たちに後れを取り始めていた。
だがそうとて、今は再び剣士隊を預り前線に立つ身。例え一瞬であろうと、生じた相手の隙を見逃す彼ではない。
片刃剣による攻撃が目にもとまらぬ速さで繰り出され、ゴブリンたちは青黒い血飛沫をあげて次々と倒れていった。
全体の指揮役でもある鳥猿類がそこへ注目したと思えば、再び弓兵たちが叫ぶ。
「カンバァーン! ゼンタァーーイっ!」
「カンバァーン! ゼンタァーーイっ!」
人間に近い程度の知能を持っている鳥猿類であったが、それが何を意味する言葉で、そして人間が何をやっているのか、全く理解できていない様子だ。
今度は前衛全体が下がり、そして魔法が降り注ぐ。
やはりほとんどが障壁によって防がれるが、今度は先ほどよりも少しだけ多く、10単位以上が貫通した。
同様に戦盾騎士と剣士がそこへ押し入り、弓兵たちは鳥猿類の注意の薄れた隙を狙って弓を引いた。
そして魔導士隊はさきの2工程と同様に、間髪入れずに詠唱を再開する。
魔法の詠唱は標準的な魔導師で約2~30秒。
これまでであれば、障壁魔法を事前に唱える役目の者と、前衛の指示や援護妖精に合わせて攻撃魔法を唱えるものとを事前に配分し運用していた。
それは前衛と後衛の連携を活かした完璧な戦法。そう思われていた。
だが今日は魔導師たちは独自に、魔導師たちの中でのみ連携をとって、すなわち魔導師の判断で詠唱を行っていた。
そして独自に判断し配分した内の、攻撃魔法の詠唱が15秒を超えたあたりで、自分たちが魔法を撃ちこみたい場所、効果的であると思われる場所に合わせて、その『かんばん』を掲げる。
「カンバァーン! ミギィーっ!」
「カンバァーン! ミギィーっ!」
掲げられた看板に合わせて弓兵たちが叫び、前衛が退く。
すかさず一斉に魔法を撃ちこむ。
今度は先ほどよりも更に多くが貫通した。魔物たちの障壁展開は追いついていない。
それに魔物たちからの攻撃魔法の手も緩い。前衛の切り込みと後退の激しいこの戦場では撃てないのだ。
魔法を用いるインテリジェント・スライムやウィル・オ・ウィスプなどの種族は比較的知能が高い。野生の本能的な部分も合わせて、無意識に自覚しているのだろう。
度を越して味方に命中させてしまえば混乱が生じ、最悪の場合はゴブリンたちの剣が自分たちへ向くと。
詠唱が進み、再び『かんばん』を掲げる魔導師たち。
これまでの待遇に不満があった訳ではない。
だが思い返せば、いつも指示を待ちながら戦場を眺めていた。
自分たちが主導になって、逆に前衛を動かすなど、考えたことも無かった。
だからこそ、魔導師たちのモチベーションは今この瞬間、最高潮であり、そんな最高のコンディションの魔法に障壁も無く曝された魔物たちが次々と吹き飛ばされるのは、自明の理であった。




