3-2 思惑と王女
タスクは目を覚ますと、まず頬を抓って、そして額の汗をワイシャツの袖で拭った。
どこからが夢だったっけ、と考えて空を見上げれば蒼く輝く三日月。
周囲を見渡してみれば、先ほどと同じ砦の中庭だ。腕時計の時刻は午前3時。ただし日没した頃を午後6時として適当に合わせ直しただけだが。
「……ひょぇあああーーーっ!」
「うぉ!」
耳元で響く突然の悲鳴に思わず体を震わせてしまう。
「……ってあれ? 勇者さまぁ?」
はたして妖精に伝わる吃驚したポーズなのか、アリスタはバンザイしたままの姿勢できょろきょろと視線を巡らせた。
「急に変な声を出すな。夜は静かにしろ。そしてお前は昼ももう少し静かにしろ」
「えぇー、だってすっごい怖い夢だったんですもん。べちゃべちゃの血まみれの斧が、びゅーんって迫ってきて」
何気なく話すアリスタであったが、タスクは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
「途中までは、なんだかカッコイイ感じだったんですよぉ。おっきな体のおじさんが出てきて。たしかぁ、名前は……」
側頭をくりくりしながら思い出そうとするアリスタであったが、その必要はない。
「……マズルス・クラスタル」
馴染みのない土地の名詞だろうと直前に見聞きしたものを忘れるタスクではない。
「あ、そうですそうです! えぇー!? 勇者さまも同じ夢を見てたんですか? すっごい偶然ですねぇ」
偶然なはずがない。なんの因果関係も生じずに二人そろって見ず知らずの人間の夢をみるなどあり得たことではないだろう。
「俺が説明責任とか言ったからか? おい。大精霊は俺に何をさせたいんだよ?」
「えっと、それは私にも……。勇者さまは世界に調和をもたらすお方ですから」
情報が得られるのは助かるが、こんな無用の長物は求めていないし、心臓に悪いのでやめてほしい。
「まぁとにかく丁度いい時間だ。裏の方から出るぞ。姫の居た部屋や食料関連の施設は番が居るだろうから避けて、人の居ない方から行くから。先に飛んで行って様子を見てくれ。静かにしてろよ」
「えぇーっ!? 本当にここから出ていくんですかぁ?」
「いいから行けよ。ほれ」
前を飛ぶアリスタについて中庭を出て、廊下を進む。
深夜とはいえ、そこを寝所にしている中の何人かは起きている者もいた。だが、明かりもろくに無く、それ以上に他の誰かに興味も無い環境では素通りしたところでさして問題は無かった。
砦の奥半分を抜けてドアを開けると裏庭にでる。どうやらここは寝所代わりには解放されていないようで、見渡すかぎりでは市民や兵士が寝転がっている様子はない。
「って言っても、背の高い庭木があるから気を付けて進……」
「あ、どうもこんばんわぁ」
タスクは思った。確かに先に行って様子を見てくれと言ったし、静かにしてろとも言った。だが堂々と挨拶をしちゃダメだぞ、とは言わなかった。
タスクは更に思った。あぁ、俺が馬鹿なのか、それともコイツがアホなのか……、いやいや後者だろ、と。
しかし先方側にも予期せぬ挨拶であったようで、そのブロンドヘアの少女はすこし狼狽した様子を見せた。
「ア、アリスタさん。それにタスクさんも。こんばんは」
タスクとしては彼女と会うのは、あまり嬉しくない。
この少女、ソフィア姫に「国をお助け下さい」とか、「本当は大精霊の導きに見合ったお力があるんですよね」とか言われれば一層面倒くさいことになってしまう。
ゆっくり死んでいくのが確実な場所にいるくらいなら、多少のリスクを許容してでも隣の国まで行きたいのは当然だ。
だがタスクとてここへ残る人々へ同情はする。
深夜の裏庭に一人でお姫様がいて、泣き腫らした目元に気づかれまいと、さり気なく拭っている様子を見れば、大抵の男は同情だけならするだろう。
若くして、いやたとえ若くなくとも、住む場所すら失った大勢の国民の上に立つ器量などタスクには到底ない。
逆の立場ならタスクだって泣いているだろう。
そして、まぁだからってしてあげられることは無いけど、と心の中で付け足すのも忘れなかった。
「ですが、お二人ともこのような時間にどうなされたのですか?」
「あ!」
そして慌てて口を塞ぐアリスタ。なぜお手本のように怪しい行動をとろうとするのか聞きたい。
「いやぁ、これはですね……」
走って逃げる手もある。昔は脚には自信があったし、今でもジョギングはたまにしていた。
だがソフィアの反応は、タスクの予想とは少し違ったものだった。
「……そうですか。お発ちになるのですね」
アリスタの多大な失態があったとはいえ、今の一瞬からそこへたどり着かれたことにはタスクも少し驚く。
こうなっては、正直に対応するしかない。
「……そうですね。良くして頂いて恐縮ですけど、もともと自分たちはよそ者ですし」
遠慮なさらずに、という返しが通用する言い訳だが、彼女になら少なくとも意図は通じるだろうという思いはあった。
「……いえ。タスクさんこそお気遣いありがとうございます。でもよろしければ少しだけ、こちらでお待ちただけませんか? すぐに戻って来ますので」
そう言うとソフィアは返事をする間もなく、走り去ってしまう。
「……どうするんですかぁ? 勇者さまぁ?」
「どうって……」
もしかしたら油断させて人間重機を連れてくるのかもしれない。
今の内に出発した方がいいのだろうか。と、そんなことを迷っている間にソフィアは戻ってきてしまった。
時間にすれば2分も経っていない。息を切らせているところ見ると、走ってきたのだろう。
人を連れている様子はないが、手に何かを持っている。
「お伝えすればこの地を発ってしまわれるのではと思い、先ほどは言い出すことができなかったのですが、これまでの周期から考えると、きっと明日明後日中には魔王軍の攻撃があると思います。どうかそれまでにできるだけ遠くまで行かれますように」
タスクの予想は、半分は当たって、半分は当たらなかった。
確かになんの関係も無い身としては、早急にここを出た方がよさそうだ。だが、ソフィアはそれを引き留めることはせず、なんの関係も無い男にまで気を使ってくれた。
彼女が手に持っていたものを手渡される。
「朝晩は肌寒いですから。こちらを」
濃赤色の外套だった。金糸を使った刺繍で王国の紋章があしらわれている。
「もともとは執政職の者たちが使用していたものですが、タスクさんは騎士や貴族というお見かけでもありませんし、こちらがお似合いかと思いまして。もし他国を目指されるのであれば国境でもお役に立つかもしれません」
確かに仕立ては良い。着の身着のままのスーツだけよりは信用も得やすいだろう。
「ありがとうございます。恐れながら、引き留められるのかと思っていました」
あえて本音を漏らしたのはタスクなりの誠意のつもりでもあった。
たとえ立場の離れた関係であっても、礼を弁えた建前よりも、多少礼を欠いでも明かした本音こそが誠意たりえる場面もある。
「タスクさんはとても思慮深くて、お優しいお方なのですね。お話していれば分かります」
それは無いし、少なくとも貴女ほどじゃないよ、とタスクは心の中で返す。
「……本当は何かお力添えを頂けるのであれば、お力をお借りしたいという思いもあります。……でも、これ以上ここで誰かが傷ついてしまうのを……見たくはありませんから」
いまにも消え入りそうな声で紡がれた言葉であったが、言わんとしていることは伝わった。
「……お引き留めしても申し訳ありませんし、そろそろ失礼しますね」
ソフィアが少し足早に去っていったのは、濡れた頬を見せまいという思いからだろう。
彼女は『これ以上ここで誰かが』と言った。それはつまりこの砦の人間たちについては、すでに覚悟を決めているということだろう。
何が悲しくてこんな安っぽい映画のような悲劇シーンを見せられなければいけないのか。
そもそも、もとを正せばタスクはごくごく普通の経営コンサルタントであり、一刻も早くもとの世界に帰りたいのだ。
「ソフィアさん、やっぱり良い人でしたねぇ」
「まぁな」
先週受注した事業再生。あれを成功させて、おいしい仕事を増やして、いい車に乗って、キャバクラに通って、そんな生活をしたかったのだ。
どうしても無理ならせめてこの世界で事業でも始めて一山当てたい。
「ったく。ひどい世界だな。行くぞ」
そうゆう訳で、さっさと砦の外へ向かう。
「えぇ。本当に行くんですかぁ? ソフィアさん可哀想ですよぉ。勇者さまぁ」
「いいから行くぞ。あとその勇者も辞めだ。二度とその呼び方はするな」
貰った外套はとりあえず羽織っておくことにした。




