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死んでないおれの不確定な死亡説  作者: 提灯鮟鱇
序章 現実と非現実
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第四話 女は獣

「シゲルくーん!」

「ん……夏川さん?」


 おれは目の前にいる会社の同僚である夏川さんから声をかけられて目を覚ました。

 白い天井に白い蛍光灯。

 さらにごちゃごちゃに積まれた機材から発せられる機械音が、この部屋を無機質に染めていた。


「おはようございます」

「あれ? えっと?」


 ああ、ここは開発二部のテスト室だ。

 そうか、おれ、目を覚ましたのか。

 よかった……


 ん? でも何で夏川さんが?

 夏川さんは社内でも有数の美人社員で、経理部のマドンナである。

 その夏川さんがどうして開発二部に入ってるんだろう?

 それに加えて、おれは夏川さんと話した事なんて一度もない。

 結構この人、高飛車だからな。

 あ、仕事を押し付けられた事はあったかも。


 横になったまま首だけ回し辺りを確認する。

 周りには誰もいない。

 林常務も他の被験者もいない。


「全然目を覚まさないから心配しちゃったじゃん!」

「えっと、その、はい。すみません」

「もう! なんでそんなに他人行儀なの?」

「はい?」


 まだベッドの上で横になっているおれに夏川さんが近づきベッドに腰を下ろす。


「ねえ。いつもみたいに名前で呼んでよ」

「な、名前?」


 顔を紅潮させて夏川さんが更に近づく。

 おれはヒドくドキドキしてきた。 

 なんだ、この展開?

 一つ重要な事を言うと、おれは夏川さんの下の名前を知らない。

 同じ部署って言っても、接点も無いし。


「ねえねえ、お願い」


 そう言いながらだんだんと近づいてくる顔は、さっきよりも紅潮しているようだ。

 息づかいも心なしか荒くなっている。

 よく見ると、胸元のボタンも大きく開いているようだ。

 完全なるムフフ展開である。


 しかし、こういう時に慌てるのが男の悲しいサガ。

 おれは慌てて起き上がろうとする。

 が、何故か体に力が入らない。

 そうこうしている間に、夏川さんの顔がどんどんと近づいてくる。


「誰もいないから、ね? いいでしょ?」

「いやいやいや!」

「恥ずかしがらないで。大丈夫だから」

「いや、ちょっとマジで何やってんすか夏川さん!」


 その時、むわっと夏川さんの匂いが漂ってきた。

 うっ!? もの凄く獣くさい。

 なんだ、人間って発情すると獣臭が出てくるもんなのか?

 そして次の瞬間。


「ぺろっ」

「ひゃっ!」


 あろう事か、夏川さんに顔面を舐められた。

 えっ? キスじゃないの?


「昔からシゲル君のこと、舐めてみたかったの!」


 アイスクリームじゃないんだぜ、おれは。

 おれは驚いて慌てふためくが、一口舐めた夏川さんは止まらない。

 味わうようにおれを舐める。


「ぺろぺろぺろぺろ……」

「ちょ、マジでやめてください!」


 口では拒否してるが、会社のマドンナからこんな背徳的な事をされて、若干であるが脳内麻薬が分泌されている。

 彼女の愛撫はおれの首元まで下がってきた。

 依然として、激しくおれをねぶる。

 ああ、ちょっとニオイが気になるが、夏川さんの愛を黙って受けよう。

 ムフフフフ…………





 ――なんて。

 人間は、本当に都合のいい夢ばかりを見る。

 しかも、現実と夢を連動させて、自分が望むような形で夢を見る。


 荒々しいねぶりと異様な獣臭・・

 明らかな外的刺激である。


 おれは目を開けた。


-------


 覚醒する意識の中で、自分の状況を確認する。

 ここは現実世界か。

 それともまだ幻覚の世界にいるのか。

 もしかして、まだあの扉のある白い部屋にいるのか。


 目を開くと大きな影が見える。

 影?


「グルルルルゥゥゥ……」

「ッ!?」


 低い低い唸り声。

 いや、鳴き声と言った方が正しいかも知れない。


 目の前には謎の獣がいた。

 近すぎて全体像は見えないが、異様にデカい。

 虎くらいの大きさだ。

 その獣が、おれの事をベロベロと舐めていた。

 まるで味見をするように。


「うわッ!!」


 おれは慌てて飛び起きる。

 すると、おれの事を舐めていた獣が驚いたように大きく後ろに距離をとった。

 警戒心丸出しである。 


 なんだこの動物は?

 こんなの見た事もない。

 オオカミのような動物で、体躯は虎くらいのデカさ。

 手足は短いようだが、口から露出している牙は鋭い。

 そして頭には、カモシカのような5センチくらいの短く鋭利な角を生やしている。

 なんだよこいつ!?


 おれはそのまま立ち上がって正体不明の獣に向き合う。

 心臓がバクバクと激しく動く。

 なんだなんだ!?

 こんな動物、現実にはいないし……

 まさかまだバーチャル世界なのか!?

 


「ガウッ!!」

「ひいっ!?」


 目の前の獣が、牙をむき出しにして威嚇してくる。

 涎を垂らし、毛を逆立てる。

 敵視されてるっぽい。


 おれはこんな見た事もない獣に真っ正面から敵意を浴びせられ、足が怯んだ。

 何とかしないと……!


 周りを見渡してみる。

 乾いた赤茶けた土が辺り一面に広がっている。

 さっきの白い部屋ではない。

 荒野だ。

 なんでまたこんな場所にいる?

 ワープか?

 

 そんな事はどうでもいい。

 何かないか?

 目に入るのは、乾いた地面と所々に生えている枯れ木と草。

 隠れられそうな建物はない。

 武器になりそうな物もない。

 何もない。

 ただの荒野だ。


 詰んだ。

 バーチャル世界だけど、詰んだ。

 

 え? 待って待って。

 これ、この世界で死ぬとどうなんの?

 戻れんのか?

 それともこのまま死んで、現実世界でも死ぬのか?


 一気に顔面から血の気が引いた。

 そして時間差でどっと冷や汗が吹き出す。

 心臓はより一層激しく脈打った。


 どうするどうするどうする!?


 と、目が回りそうなほど焦っているおれに、獣が突進してきた。

 鋭い角がこっちを向いている。


 は、速ッ!?


 何とかギリギリで身を翻し、獣の突進を避けた。

 しかし、無理な動きで完全にバランスを崩して、おれは地面に転がった。

 一方の獣は、ワンステップで方向転換を既に完了させており、頭をこちらに向けている。

 その角は黒く光り、そのきっさきはおれの心臓に向いている。

 慌てて立ち上がったが、明らかな殺意に足が振るえて上手く動けそうにない。

 怖い……

 吐きそうだ。


 だが、獣は一切の慈悲もなく、再びおれに向かって突進を仕掛ける。

 先ほど同様、もの凄い速さだが、距離が近かったので上手く避けきれない。

 おまけに恐怖で足がもつれた。


「ぐっ!?」


 なんとか直撃は避けたものの、かすっただけで結構吹っ飛ばされ、おれは地面を転がった。

 もの凄い重量を持った突進である。


 あばらがズキンと熱くなる。

 息を吸い込もうとすると、凄まじい痛みが走った。

 肋骨が折れているかも知れない。


 待てよ。

 痛みがあるって……どうゆうことだよ?

 バーチャルな世界だったら、そんなものないはずだろ?

 それとも痛みまで錯覚してるって事か?


 激痛を堪えて立ち上がる。

 首を動かし獣の方を見ると、ヤツは既に走り出していた。

 もう避けられない。


 そう思った時、反射的に昔習ってた空手を思い出した。

 中学までずっと習ってた空手。

 こんな瞬間に思い出すなんて、思った以上に体に染み込んでたんだなと思った。

 おれは足を使う選手だった。

 少し不利になると、蹴りで距離をとって逃げる。

 あわよくば、その蹴りで勝負を決める。

 そんな選手だった。


 獣はもう目の前だ。

 おれは痛む肋を意識の外に放り出して、膝を曲げて蹴りの体勢を作る。

 何年間も繰り返し練習したんだ、上手くいく。

 大丈夫。

 この蹴りをアイツの脇腹に入れて肋を折ってやる。

 幸い、穿いている靴は革靴。

 先は少し尖っていて堅い。

 これなら行ける。


「ハァッ!!」


 蹴りの間合いに入った所で、思いっきり脇腹に右足で蹴りをかました。

 この獣、脂肪が少ないのか、肋骨が浮いて見えていたので、狙うのは簡単だった。

 狙い通り、肋におれのつま先がずぶりとめり込む。

 ボキッと骨を折る感触も足に伝わった。

 そして何より、蹴り足に重心を乗せ、さらに軸足を浮かせて蹴った事で、おれの体は右側に逸れ、うまく突進を躱せた。

 本気の一撃を喰らわせ、相手の一撃を避けた。

 よし、いける!


 しかし、脇腹を負傷した獣は地面で少しのたうち回ったが、直ぐに立ち上がった。

 口から垂らす涎を倍増させて、おれに向かい合う。

 そこまで効いていないのか?

 感覚的には肋骨を折ったはずだが。


 獣はさっきよりも速い速度で突進してきた。

 おれもそれに合わせて再び蹴りを入れようとするが、ダメだ。

 間に合わない。


 不格好に蹴りを放ったが、力が乗り切る前に獣の突進をモロに喰らった。


「ぼっ!?」


 意識が飛びそうになった。

 痛いと言うよりも、びっくりした。

 荒野の景色が前方に流れていく。

 おれ、空飛んでるじゃん。


 そして、地面に尻から落ちた。

 受け身なんて取れない。

 ビタンと落ちた。

 内蔵が激しく揺れた。

 息が吸えない。

 吸い込もうとしても、吸えない。

 とても苦しい。

 体中が痛い。

 おそらく、何カ所か骨も折れてるだろう。


 そして、腹から温かい感覚。

 震える手でシャツをめくり上げると、見事に角が二本とも直撃し、腹には穴が開いていた。

 血だ。

 そこからダクダクと血が流れている。

 それを見た瞬間、一気に痛みがこみ上げてきた。

 狂ってしまいそうな激痛。

 意識を剥ぎ取られそうになる痛みに、奥歯を食いしばって抗う。


 なんとか耐えろ、耐えるんだ!

 さもなくば、死ぬ……!

 震える膝抑え、何とか立ち上がる。


 しかし、おれの目に飛び込んで来たのは、無慈悲な光景。

 肋骨を折ったはずなのに、全く怯んでいない獣。

 そして、どこからか来たのか、同じ獣がもう一匹いた。

 二対一。


 終わった。

 そう思った瞬間、ふっと体の力が抜けた。

 どう力んでも、力が入らない。

 頭もぼーっとする。


 限界が来たのだ。

 おれは地面にドスンと倒れ込んだ。

 

 意識が途切れる。

 視界がぼやける。


 ぼんやり薄れ行く視界の中で、獣が突進してくるのを眺めながら「死んだら現実世界に無事に帰れたらいいな」と思った。


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