第四十六話 不意打ち
完全に意表を突かれた形となった。
肩に刺さる矢を見て奥歯を噛み締める。
そして屋根の上の赤尽くめを睨みつけた。
ヤツはソルダットとウォーモルで対峙した時に逃げたので、既に戦線離脱をしたと思っていたが、まだおれをつけねらっていたとは。
どうする……
相手は遠距離攻撃型でおれは接近戦タイプ。
もしおれの方から突撃したとしても、追いつけそうもない。
ましてやヤツはホワイトの追撃も躱し、ソルダットですら逃走を許した程の手練だ。
おれが行っても捕まえられないどころか、上手い事距離を開けられて攻撃を受ける事になるだろう。
いくら身体強化出来ると言っても、何十発も矢を防ぎきれる保証は無い。
肩に喰らったのはライトボウガンの矢だが、ヘビーボウガンを受けたらいくら強力な身体強化でも受けきれない可能性もある。
なにせ遠距離から石畳を貫くほどの威力だ。
それにおれは既に手負いだ。仮に追いついたとしても、ヤツの戦闘力がわからない以上、この状態での戦闘は危険だ。
ジェフの張ったバリアがガンガンガンと三度揺れた。
三発打たれた。
若干ヒビが入って来ている。
ヘビーボウガンに持ち変えられたらバリアは確実に破れる。
「逃げるぞ、ジェフ!」
おれは身体強化を全身に施すと、ジェフを無傷の左手で抱え上げた。
元の力でも大きな岩を持ち上げられる腕力に、おれの特殊な身体強化を施せば、ジェフなんてピンポン球くらいの重さにしか感じない。
「どこに行くんだ!?」
「わかんねえけど、適当に路地を走り回るぞ!」
狭い路地を通り、相手を撒く。
今出来る事と行ったらそれしか無い。
いや、宿に向かって走ればいいのか?
どうせコイツはソルダットやホワイト、セレシアには勝てない。
しかし、宿まで逃走したとしても、ソルダットたちがいなかったら状況は変わらない。
だからこそコイツは、今おれを個別撃破しようとしているのだろう。
ヤツもこれが最後のチャンスだと思っているに違いない。
そしたら、おれの逃走も困難になるはずだ。
でも今は動くしか無い。
「しっかり捕まれ!」
おれは全力で地面を蹴ると、風のような速さで走り出す。
周りの風景が視線の端を凄まじい速度で流れていく。
狭い道だ。しっかりと見て通行人にも気をつけなきゃ。
振り返らず、前方にだけ意識を集中させ走り抜く。
三十秒くらい走った所でジェフに声をかけた。
「後ろまだ追いかけて来てるか!?」
「ああ! 全く距離が縮まってないぞ!」
「クッソ!」
ヤツは高い所にいるので、おれが方向を変えれば即座に対応し、屋根を伝って最短距離を走って詰めてくる。
今の位置関係じゃ撒くことは困難だ。
これじゃ埒が明かない。
「大通りに出るぞ!」
大通りは建物同士の間隔が大きい。
横幅は50メートル以上あるので、いくら何でも飛び越えられないだろう。
ヤツが地面に下りたら、おれたちは身を低くして一気に反対側の路地に飛び込み、朧月を使って身を隠す。
そうすればなんとか撒ける可能性がある。
これでいこう。きっと逃げ切れる。
全力で細い路地を駆け抜け、大通りに出た。
やはりここは交通量が半端無く、シャレにならないくらい多くの人、馬車、荷車が行き交っていた。
反対側の路地に入る為には、ここを突っ切らなければならない。
かなり走りづらいが、ここでヤツに追いつかれたら撒ける可能性は限りなく低くなる。
しかし、馬鹿正直に人ごみを避けながら走ったら意味が無い。
ここでリードを広げなくてはならないから、 この人通りを蹴散らしてでも進むしかない。
蹴散らすのは非現実的だ。
そうなると、飛ぶしか無いな。
「おい、後ろ来たぞ!」
「わかってら、しっかり捕まっとけよ!」
「シ、シゲル?」
おれは五歩くらい助走をつけて、思い切り跳んだ。
初めて身体強化を使っての跳躍だ。
大砲で打ち出されたかのように飛び出し、猛烈な速度で空中を行く。
足下には人々の頭が広がり、ふと感じた無重力に股間がすーっとした。
風を頬に受けながら、着地地点を予測。
このままだと大通りの四分の三ほどの場所に落ちる。
予想を遥かに上回る大ジャンプだ。
地面が迫ってくる。
何もなければよかったが、あいにく着地地点には大きな荷馬車が走っていた。
このままでは衝突は免れない。
ジェフがおれの肩にぎゅっとしがみ付く。
「どけぇぇぇぇええ!!」
そのままジェフを庇いながら荷馬車に激突した。
周囲が悲鳴に包まれた。
おれとジェフは荷馬車の側面の外壁を破壊して、積み荷の中でようやく停止。
幸いなことに中味は家畜の餌と思われる牧草だったので、良いクッションになってくれた。
「大丈夫かジェフ!?」
「イタタ……ああ、大丈夫だ」
ジェフは頭を抑えながら答えた。
よし、これで大分距離を稼げたはずだ。
赤尽くめもこの交通量を避けながらここまで来るのには時間がかかるだろう。
ヤツもこんな大ジャンプは出来まい。
馬車の持ち主の怒号を聞き流し、おれは素早く路地に逃げ込んだ。
そして暫くぐるぐると路地を走って、屋根の上からは見えないであろう物陰に隠れる。
ここまで休みなしで走ったからか、それとも怪我の影響か、吹き出す汗が止まらない。
右肩から下の感覚は既に曖昧なものになっていた。
しかし、これで一安心だ。
右手だってアカネがきっと治してくれる。
壁にもたれかかるようにして腰を下ろす。
今更になって足が震えて来た。
その震えだした足を抱くようにして背中を丸めた。
こういう姿勢を取ってないと、右肩の痛みに耐えられないのだ。
「大丈夫か、シゲル?」
「ああ、なんとか……」
ジェフは心配そうな顔でおれを見るが、あいにく彼に出来る事は今は何も無い。
やれる事は、せいぜい朧月とダウジングランプに魔力を送り続けることくらいだろう。
朧月があれば赤尽くめに見つかる事は無いはずだ。
もしも見つかってしまったら、今度も逃げ切れる保証はない。
それから時間の流れが酷くゆっくりに感じられた。
約十分後、モリスとセレシアがやって来た。
最初はそれこそダウジングランプの光を頼りに、のんびりとこちらに向かっていたのだが、途中で血のニオイに気がつき急いで来たらしい。
助かった。
しかし、欲を言えばアカネに早く来て欲しい。
最初は熱を持っていた右肩が、だんだん冷たくなっている。
だが、決して痛みが無いわけではない。
「大丈夫っすか!?」
「ああ。でも、これ抜く時の事を考えると憂鬱だ」
「誰にやられたの!?」
「あの赤尽くめだよ。ウォーモルの時の」
モリスは心配そうにおれの肩に目を落とし、セレシアは憤怒の表情を顔に貼付けた。
怪我をした状況だからこんな事を思うのかも知れないが、心配してくれるコイツら(もちろんジェフも)を見て「仲間っていいな」と思った。
「大丈夫っす。今この周辺で屋根の上に上がってるヤツはいないっす」
「ふん! いても私がミンチにしてやるわ!」
二人から心強い言葉が飛んだ。
この二人がいたら、戦闘になった時にはかなり心強い。
モリスはレーダー能力と遠距離攻撃を持っているし、セレシアは全射程型の強力な攻撃力を持っている。
そう考えると、おれの隣で壁に寄りかかっているジェフは戦闘には心許ない。
戦闘の手段を持たないし、小さな体なりの体力しか無い。
まあ、彼の魔道具のおかげで助かったのもあるが、もし赤尽くめを撒く事が出来ていなければ、おれもジェフもやられていたかもしれない。
もしくはヤツの一撃目がおれの心臓を貫いていたら……
そう考えるとぞっとする。
「……近づいて来たっす」
声を殺しながらモリスが身を低くした。
セレシアはここで戦っても構わないとばかりに上が見渡せる位置に動いた。
もしここでセレシアが戦ったら確実にヤツを殺せる。
しかし、こんな住宅の密集したところでエレメントを出せば、確実に一般人を巻き込み死人も出るだろう。
ここはやり過ごして、ソルダット達の到着を待った方がいい気がする。
そうすればおれも治療出来るし、こちらの人数も増える。
流石のヤツも、モリスが指揮を執ったセレシア、ホワイト、ソルダットに包囲されれば逃げられないだろう。
だが肝心の彼らがいつ到着するかわからない。
するとモリスが肩から下げたライトボウガンに矢を装填しだした。
何をする気だ?
「セレシア姉さん、ここはオレがやるっす」
「わかったわ」
まさかモリスが?
そういえばモリスが戦ってるところは見た事が無いが、敵のとの相性を考えればここはモリスが一番適任かも知れない。
彼には高精度の察知があるし、その察知によって確実に相手の先手を取れるはずだ。
見えていなくてもモリスには相手の位置がわかる。
これは絶対的なアドバンテージだ。
しかし、本当に大丈夫だろうか。
「ここから真上に向かってオレを打ち上げてください。十メートルくらいでいいっす」
モリスは地面に目印となる矢を突き刺すと、セレシアは「わかったわ」と返事をして魔力を控えめに放出し始めた。
矢が刺さった地面にすこし小さめの岩の手が生えた。
モリスは躊躇う事無くそれに乗ると、ボウガンを腰だめに構えた。
「合図したら飛ばしてください」
緊張が走る。
モリスは目を瞑り、神経を集中させているようだった。
セレシアはいつでも来いといった様子だ。
そんな彼らを、おれとジェフはただ見ているだけだった。
「三、二、一っ! 今っす!」
ごうんと地面から勢いよく岩柱が突き出てモリスが真上に打ち上がる。
ここからではよく見えないが、上からボウガンを連射する乾いた音が鳴り響く。
少し遅れて「ぐわっ!」と男のうめき声が聞こえて来た。
どうやら無事にヒットしたようだ。
「行ってくるわ!」
セレシアは髪の毛を逆立たせると、今度は遠慮なく大きな音を立てて岩の手カタパルトに乗って屋根に上って行った。
取り残されたおれとジェフは安堵のため息をついた。
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その後、ドガンとデカい音が一度響いて彼らは戻って来た。
赤尽くめは死んだらしい。
最初のモリスの連射は赤尽くめの足にヒットして、ヤツはモリスを迎撃。
しかし、神経を集中したモリスは、引き金に指を掛ける僅かな音と息づかいを聞きながら軌道を読み、難なく回避。
片足で退却を回避した赤尽くめだったが、路地を飛び越える際に岩の手に阻まれる形で激突。
そのまま地面に落ち、落下の瞬間に合わせてモリスがボウガンを正中線に三発打ち込み、危なげなく倒した。
おれは死体を見たくなかったので、ずっとうずくまっていた。
ジェフは見に行ったが、全く知らないやつだったそうだ。
こういった小賢しい戦いをしてくる相手には、モリスは相性がいい。
相手の意識の外から攻撃すれば、対策を講じる事も出来ない。
ソルダットやホワイトが不覚を取ったのは、ただ相手がこういうヒット&アウェイのスタイルだったからだろう。
戦いにおいて、相性というのは非常に重要である事を再認識させられた。
モリスとセレシアが赤尽くめを倒して直ぐに、ソルダット達がやって来た。
彼らは赤尽くめを無事に倒したと聞いて、「やっぱりああいう相手はモリスだな」と言って笑っていたが、おれの肩口に刺さった矢を見てギョッとした。
すぐさまソルダットが鏃を剣で切り落とし、アカネが何種類かの魔法をかけながら治療してくれた。
流石はアカネ。痛みはすぐになくなり、傷口は跡形も無く消えた。
しかし気怠さは消える事無く残った。
「もう、心配かけないでよね」
「……すまん」
アカネがおれの傷口があった場所を撫でながら、心配そうな顔をしている。
なんだか恥ずかしいな。
おれの顔、赤くなってないだろうか。
ふと振り向くと、モリスだけおれ達を見てニヤニヤと笑っていた。




