第三話 天井の絵と白い部屋
休憩を入れつつさらに十時間は歩いたと思う。
かなり疲れた。
上向きっぱなしだったから首も痛いし、革靴だから足も痛くなるし。
バーチャル世界だからだと思うが、日が落ちることは無かった。
ずっと同じ明るさ。
回廊自体は日が差し込まないから、太陽がずっと真上にあんのか?
まあ暗くならなけりゃ絵を見ながら歩けるし、いっか。
しかし、一体いつになったら現実世界に帰れるのかな……
絵の少年は青年になった。
そして成長に伴って絵が変化した。
最初は壁画のような絵で登場人物ぐらいしか描いてなかったのに、
だんだんとリアルな絵になってきた。
普通の絵だ。
どこにでもいそうな普通の人になった。
というか、どっかで見たような面構えって気がしなくもない。
見たことあるような気もするが、おれはこんなやつ知らない。
絵のストーリーは成人してからも何とも無いような、取るに足らない日常が続いた。
登場人物の男が就職したあたりから、全くつまらない絵の繰り返しだった。
毎日地下鉄に乗って通勤して、帰って寝る。
そんな絵がかなり続いていた。
そして遂におれも飽きてきた。
こんなにデカい絵なんだから、もっとなんかあるだろ。
自然災害が起こって、それでも負けずに復興に奮起したとかさ。
なんでこんなにも日常生活ばっかなわけ?
このバーチャル世界が何を意味してこんな絵を見せてるのか見当もつかない。
こりゃ林常務に廃棄処分を勧告した方がいいな。
「ん?」
絵が少し変化した。
新幹線乗り場?
今更ながらこの男の絵の描かれている間隔が短くなってるのに気づく。
「……」
こいつ……。
おれの地元に来やがった。
今まではただの絵だったのに、おれの知っている場所が出てきて現実感を増した。
そして次の絵が見えるとこまで歩いてきて
おれは驚いた。
「うちの社用車……なんで?」
なんとうちの社用車が、この男を迎えに来たのだ。
社用車の登場が、バーチャル世界にしては非常に現実味があって気味が悪くなった。
ひょっとして……
おれの中に一つの仮説が生まれた。
この絵って、現実世界と連動してるんじゃないか?
そう思うと次の絵が気になる。
おれは小走りで次の絵に向かう。
そして次の絵。
頭に無数の電極をつけた男はベッドに横になっていた。
傍らに立っている男と談笑しているようだ。
ベッドの横で笑みを浮かべてるのは……林常務。
これって……
今日あったテストだ。
てことは、このわけのわからん世界はやっぱり現実と連動している?
ならばと思い、おれは走った。
結構速かったと思う。
でも次の絵が見える位置まで時間がとても遅く感じられた。
一刻も早く次の絵を見なければ。
早く現実に帰りたい。
体感では一日中歩いている。
だから早く帰りたくなって焦った。
焦ったら、さっきまで考えてもいなかった事が、脳裏をよぎった。
このまま現実世界に帰れなくったらどうしよう?
そう思った瞬間。
おれは全力で地面を蹴った。
全速力で次の絵に向かう。
なぜあんなに楽観的だったのだろうか。
現実世界に戻れない可能性がちらついた今になって後悔する。
早く次の絵に……!
隣のベッドに上着を脱いでネクタイを緩めた男が頭に電極をつけられていた。
「……あ、おれだ」
隣のベッドに寝転んでいる男はおれだった。
間違いない。
連動している。
と言う事は、
この男、あの時の隣で寝てた男だ。
つまり外部からの被験者って事になる。
ついにおれはこの男の素性がわかった。
でも、おれはこの男を知らない。
部屋に入った時、顔を合わせただけだ。
言葉だって交わしてない。名前すら知らないのだ。
またおれは走った。
この絵はこの男が生まれるところから始まっていた。
ということは、この男の人生そのもの。
長くて、くだらなかった。
後半はつまらなかった。
そして次の絵が見えてくる。
絵の中の時間経過の間隔がさらに短くなる。
その時おれは直感した。
多分……終わりが近い。
このバーチャル世界も、この絵も。
おそらく、この男の人生も……
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それから何枚かの絵を見た。
男のテストは無事に終了して、林常務を何か話してから帰ったようである。
林常務の知り合いかもしれない。
正確な歳はわからないが、おそらく三十歳くらいだろうか。
その後、駅に向かう社用車に林常務と乗り込む。
早く、次の絵を……次の絵を……
「ハァ……ハァ……」
おれは走り過ぎて完全にバテてしまっていた。
しかしおれは目の前に、まだ遥かに遠いがこの回廊の終着点を見つけた。
前方に目覚めた場所の後ろにあったのと同じような壁が小さく見えたからだ。
遠目からは何となく扉っぽいのがあるのも見える。
絵はあと二枚。
次の絵はまだ社用車の中にいる。
場面はあまり変わってない。
あと一枚。
ドタドタと情けなく走った。
足がもつれて転んだが、四つん這いで這っていく。
そしてたどり着く最後の一枚。
最後の絵は
社用車に真横から大型トレーラーが突っ込んでた。
車はぺちゃんこになっていた。
「嘘……だろ?」
この絵が現実と連動してるという事は、確証は無いがこの男と林常務は死んだ事になる。
おれの仮説が外れている事を願うばかりだ。
名前も知らないが、この男は死んだ。
それで、おれはどうなった?
絵にもおれは登場していた。
これからおれはどうなる?
本当に目が覚めるのか?
目の前には扉がある。
家の玄関より少し大きいくらいの大きさの扉だ。
この先に行けば戻れるのか?
先に進む以外、選択肢は残っていない。
頭がふらふらする。
正直、最後のラストスパートのせいで今にもぶっ倒れそうだ。
後ろを振り返る。
長かった回廊が最初と同じように見える。
この回廊は絵の男の人生。
この扉は現実世界へと繋がる扉だろう。
帰れるのか?
おれはゆっくりと扉に手をかけた。
帰るんだ、現実に。
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その後、扉に手をかけたおれは、内開きとは知らずにしばらく必死に押しまくってたのはご愛嬌という事にしてもらおう。
そしてようやく扉を開くと、中から強烈な光が射してきた。
おれは目を開ける事も出来ない。
光だけの筈なのに体を押し返すような力があった。
もしかしたら強風が吹いてるんじゃないかっていうくらい。
腕で目を覆いながら、体勢を前のめりにして扉の中に入っていった。
内側まで入ると後ろの扉が音を立てて閉まる。
扉が閉まると、さっきまでの光の濁流はなりを潜め、体が感じていた風のようなものはすぐに無くなった。
少しだけ目が慣れてきた。
恐る恐る腕を目からどけて、目の前の光景に驚く。
ただ真っ白の空間。
奥行きも、地面も、天井もわからない。
確かに自分の足で立ってはいるが、自分の全周囲が真っ白なので平衡感覚がおかしくなりそうだ。
この空間を一言で表すとすれば「無」だろう。
ただ、すぐ後ろにはさっき入ってきた扉が立っていた。
どこで○ドアみたいな感じだ。
前には似たような扉が一つ。
とすぐ後ろで何かが砕ける大きな音がした。
「うお、と」
振り返ると、さっき入ってきた扉が崩れていた。
崩れたというより粉々になっていた。
よくわからないが、おれがこの空間に入った瞬間こうなることが決まっていたようなタイミングだ。
おれは退路を断たれたわけだが、それほど焦ってはいない。
先に進まなければ何も始まらないと思ったからか。
いやー、しかし……
こうなるともう一択だな。
前方にぽつんと寂しく立ってる扉。
おれはそこに向かう前にもう一度崩れた扉を確認する。
奇妙だな。さっきまであの回廊は確かにこの扉とつながっていた。
でも、扉が立っていた後ろ。理論上さっきの回廊があった空間は何もない。
本当にどこでも○アに入ったみたいだ。
崩れた扉の奥はどこまで続いているかわからない無の世界に……
「あれ?」
崩れた扉の奥にもう一つ扉を見つけた。
またしても似たような扉があったのだ。
空間自体が全部真っ白なので距離感がつかみづらいが、崩れた扉の後方約5メートルくらいに位置している。
二択になったぜ!
よし、一旦この状況を整理しよう。
まずはこの空間には回廊と繋がってた最初の扉に入ることでやってきた。
そして、ここには更に二つの扉がある。
入ってきた方向から見ると、前と後ろに一つずつ。
前方の扉まで進んでみる。
この扉はさっきの扉とそっくりだがボロボロである。
時間経過によるものじゃなくて、誰かが意図して壊そうとしたような……
うぇ、よく見るとあちこちにどす黒く変色した血がついてる。
キモいな。
気味わりーよ、これは……
そしてこの扉の取手だが、完全に破壊されていた。
まるでここだけを徹底的に狙った感じだ。
もちろん開けようにも全く開かない。
力を入れて蹴ってみたがビクともしない。
岩を蹴ったみたいな感触が返ってくる。
これはおそらく、どの方向からどんな方法を使ったとしても開かないだろう。
ここは……よし、無理。
次は後方の扉だ。
ていうかもうここが開かなかったらここから出られないんじゃ……
なんて焦ったけど、ひとまずここは大丈夫そうだ。
こっちの扉は完全な状態を保っている。
一応裏側に回ってみたが大丈夫だった。
さて、もうここしか無い訳だが……
この先はどこに繋がっているのだろう。
もしかしたら、またさっきの回廊に逆戻り?
もしくは、この扉を出たとたん現実世界に戻って「お疲れさまー」とか言われて会社で目を覚ますとか。
うん。それだな。
「よし!」
意を決して扉の取手に手をかけた。
取手を握る手に力を入れる。
押してみると軽く扉が動いた。
なんだか動いた瞬間、視界がぐらっとした。
何故かわからないが心臓が激しく脈打つ。
「……」
いやな予感がした。
第六感とでも言うべき感覚が、この扉を開けるなと警告しているような気がした。
しかし、こんなところで躊躇ってても前には進めない。帰れない。
もしかしたら時間が経ちすぎるとさっきの扉みたいに崩れるかもしれない。
そう考えると自然と扉を開ける勇気が出てきた。
再び取手を握る手に力を……
「っと、うわぁ!」
扉を少し開いた瞬間、おれは凄まじい力で扉の中に吸い込まれた。