第二話 初めて
おれは寝ぼけている。
その寝ぼけた状況ながら、大いに戸惑っている。
何せ目から光が勝手に入ってくるだもの。
意識が闇の中から急上昇してくる。
だけど不思議と不快感はない。
あらら?
瞼がめっちゃ軽い。
自動で開くシャッターみたいにぐわんぐわん開いていく。
目は開けられたが何もかもが真っ白。
暫く開いた目は機能しなかったが、ゆっくりと風景の輪郭が形作られ、視界は色を取り戻した。
夢のようだが、夢じゃない。
そこでおれは悟った。
これが自然と目が覚める感覚だと。
すげー!!
おれは感動した。
これが自然に起きるって感じか。
なんだかとても素晴らしいな。
今までは全くわからなかったけど、こんな感じなのか。
おれの目は視界を完全に取り戻したが、網膜に映る情報に脳が追いつかない。
目では見てるけど脳が信号を処理してない感じ?
寝起きの状況では良くある事だ。
ん? そーいえばおれ、どうしたんだっけ?
頭がふわふわする。
全然思い出せない。
とても静かだ。
耳も機能してないのかもしれない。
「あー」
確認したくて、声を出した。
オッケー、聞こえる。耳はすぐに使えた。
おれが自然に目を覚まして、ここまで約十秒程経っただろうか。
ようやく視界からの情報を脳が認識し始めた。
しかし目の前の光景に、またしても脳は置いてけぼりにされてしまう。
「……え、ちょ、ま、何?」
おれは、鏡みたいにツルツルな石のタイルの床に立っていた。
見渡すと横幅百メートルくらいはあるだろう広いフロア。
前方を見渡すと更に果てしなかった。
合わせ鏡のようにどこまでも続いている。
まっすぐ一直線に伸びて、おれの視界の先、つまり回廊の先は点になってる。
風景が点になって交わるほどに先が遠い。
このくすみ一つない綺麗な床がどこまでも続いている。
そして、その左右には大の大人が10人いても抱えられないような太さの真っ白い柱。
周りには人っ子一人いない。
「……はい?」
おれの声は空しく空気の中に溶けた。
ただ広くて明るくて長い西洋寺院の回廊のような廊下。
先はどこまで続いてるかわからない。
「どこよ、ここ?」
何でおれはこんな所にいるんだ?
考えても、何故か頭の中に靄がかかったように、情報を引っ張りだせない。
なんだかとても気持ちが悪い、吐きそうだ。
おれは悪心に耐えるようにして頭を抱えてうずくまった。
そして、ここがどこなのか、おれは何をしていたのか考える。
五分くらい経っただろうか。
徐々に頭の中にかかった靄が晴れていき、直前の記憶が蘇ってきた。
そうだ。会社にいたはずだ。
確か林常務から直々に頼まれて、新しい機器の脳波なんちゃらテストの被験者が急に来れなくなったとかで、代打に行ったんだよな。
林常務の直々の頼みだったし、午前中の仕事がサボれると思って行ったんだ。
それで、試験室に行くと、おれよりさきに機械につながれてる一般人モニターの人がいて、その隣のベッドに横になった。
リラックスして眼を閉じるようにと指示があった。
おれは「寝たらアラームなしで起きれないんで起こしてくださいね」なんて林常務に言ったんだ。
そうだそうだ。
確かそんな感じだった。
んで、電極がいっぱい付いたヘルメットみたいなのをかぶって……
その直後、おれはここにいた。
……わからん。
拉致られたか? 寝てる間に。
まさかな。
いや、しかし……なんだここ?
考えれば考えるほどわからない。
ふと上を見上げた。
天井にはわけのわからない巨大な絵が描かれている。
うお、でっけえ……
絵はこの回廊の横幅いっぱいの幅で、さらに前方はその倍くらいの長さだ。
何の絵だろうか? なんだか宗教チックでもある。
エジプトの壁画みたいに2Dで表現されている。
絵は一つ一つコマで区切られているっぽい。
一つ目の絵は妊婦の絵……かな?
お腹が大きい女性の絵だ。
何だか絵の中の女性の目が動いたように見えたが、見間違いだということにしとこう。
後ろを振り返ってみる。
後ろは……壁か。
とりあえず前に進んでみるか。
わけのわからないこの状況で、むやみに動くのは躊躇われるが、ここがどこだかわからない以上、帰る道を探すべきだろう。
拉致されたにしては、人はいない。
……てか、おれを拉致っても何もないしな。
ただの平社員だし、家だって別に普通だし。
もしかしたら脳波測定の機械がなんらかの誤作動を起こして、一時的に幻覚を見てる……ってことはないか。
まあ何とかなるだろ。
おれは楽観的なのだ。
少し歩いてみよう。
しばらく歩いていると、この空間の異常さが改めてわかった。
何せこんなに歩いてるのに全く景色が変わらない。
当たり前かのように人の気配もないし、動く影もない。
体感で大体三時間くらい歩いているだろうか。
結構疲れた。
左右にずらりと並んだ柱も、どこまで続いているのかちっとも検討がつかない。
まさか、終わりなんて無いんじゃないだろうか?
そんな事さえ脳裏をよぎる。
歩きながら少し左側に寄って柱の外を観察してみた。
左右の柱から外を覗き込めば、眼下には果てしなく続く雲海。
上は突き抜けるような青空。
下を覗き込んでみると30メートルくらい下から雲が建物を覆っていた。
てことは……空の上なのか?
おれはこんな建造物を知らない。
少なくともおれの知識の中にはない。
こうなると脳波の誤作動で幻覚を見てるという説が信憑性を増してきたぞ。
いや、多分十中八九そうだ。
これは実はマジであり得る話なのだ。
実はウチの会社、以前ドロフィンセラピーを研究しているオーストラリアの団体と合同で、変な装置を開発したのだが、この装置の被験者10人の内、3人が変な世界を暫く彷徨ったとか言い出したのだ。
現実には存在しない世界で、意識はそこを漂う。
つまり仮想世界、バーチャルだ。
イルカの出すθ波が脳内の神経伝達物質がどうたらこうたらであるからと、えげつないモノを作ったもんだな。
まあ、これは資金繰りが絶望的でお蔵入りしたそうだがね。
そして今回もこんなことになってるんだから、シャレにならない。
おいおい、ウチの会社VRMMOとか作れちゃうんじゃねーの?
などと一人で心の中で思いながら、広大な石タイルの上を歩いていく。
何も変化が無い道をひたすら歩くのは想像以上に疲れるが、おれは大して退屈はしてなかった。
「ふむ、これは運動会か」
おれは天井の絵を見ながら歩いていた。
歩き始めは気がつかなかったが、天井の絵が色々と変化があって楽しいのだ。
最初の妊婦の絵からここまで見てきて、この絵が一枚ごとにストーリーになってる事に気がついた。
一番目の絵は妊婦だったが、二枚目からはずっと妊婦が生んだ男の子を中心に描かれていた。
内容は何の変哲もない日常のようである。
それこそ二十枚目くらいまではただの幼児の成長記録みたいな感じで一枚ごとに大きくなっている赤ん坊が書かれていたが、
ハイハイもできるくらいになると絵にも多くの変化が見られ始めた。
食事のシーンだったり、おもちゃで遊んでるシーンだったり、お母さんとお出かけだったり。
一枚一枚が巨大なので歩いて絵の下を通りすぎるまで五分くらいかかった。
さらに、絵を見ていくうちにに描かれている子供が日本人だということにも気づいた。
まず遊んでるおもちゃがウル○ラマンとか、読んでる絵本が日本語とか。
そうすると親近感が湧いてくるから不思議だぜ。
時代がかなり近代だし。
でも壁画チックに描いてあるから、ちょっと間抜け。
っていうかミスマッチ感がすごい。
この画家は何を考えてこんな壁画っぽくしたのかね。
しかし三時間でまだ小学生あたりか。どのくらい続くんだろ?
まさか、よぼよぼジーサンになるまで続くとかないよね?
もしそこまで続いてたら、林常務に直々に「今回の試作品はクズです」と言ってやろう。