第二十五話 孤独な逃走
茶髪の青少年は額の汗を拭い、大きく息を吐いた。
「はぁ、参ったっすね……」
モリスは狭い路地に身を隠して、追っ手の目を欺く。
探知を出来るだけ大きく、且つ精密に展開し、全力疾走を続けた彼は、肩で息をしていた。
壁際に置いてある水瓶の影にうずくまり、膝を抱えたこの体勢は、路地側のどこからでも見えない。
追っ手の足音が通過するのを静かに待つ。
「チッ! 向こうから探すぞ!」
追っ手にとって、感覚系素質を持つモリスを追跡するのは骨の折れる作業だ。
たった今通過して行った奴らは感覚系でない者だったようだ。
効率の上がらない捜索で、ゼイゼイ言いながら離れていった。
(ていうか、ジェフっちの新作本当に意味あるんすかね?
丸腰なんで早く助けに来て欲しいところなんすけど……)
心の中で悪態をつきながら、瓶に魔力を送り続ける。
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事の発端はこうだ。
モリスはここ数日、街中で血錆びと火薬の匂いが目立つ事に気づいていた。
まさにポアロイルがウォーモル入りした次の日辺りからである。
しかし、ゲートワールドではサーチャーという冒険者稼業が多く、当然この程度の血錆びや火薬の匂いなどはユニオン周辺では溢れ返っている。
故に特に気にしてなかったが、一昨日の晩に異変に気づいた。
濃い血の匂いが風に乗って来たのである。
モリスは血の匂いはわかるが、匂いで動物の血なのか人間の血なのかまでは判別できない。
だが、深夜に血の匂いが流れて来た。
昼間なら肉屋が動物を精肉のため屠殺すれば血の匂いは流れて来る。
ゆえに、この時間の血の匂いというのは、十中八九殺しである。
就寝前、神経を集中して出来るだけ正確に、広範囲に探知能力を解放する。
どうやらポアロイル周辺にも何人かの人間が纏わり付いてるらしい。
しかし、それは決して手を出すという訳ではなく、あくまでもこちらを警戒しているだけのようだった。
それもそのはずである。
ポアロイルはユニオン登録されているパーティーでは最強クラスの実力を持っている。
手練の賊と言えども、ポアロイルに手を出したがる奴らはいない。
世間の一般認識でのポアロイルは『ホワイト・マリシオクネ』『天災のセレシア』を『暴れ太刀』が率いていた超豪華パーティーなのだ。
実はソルダットは死亡説が出ており、生存を知っている者は少ないが、これはまた別の話である。
ともあれ、自分たちをポアロイルと認識して、こちらに攻めてくる者は皆無なのだ。
こちらに攻めて来る意思が無い事を感じ取ったモリスはぐっすりと眠ったのだった。
そして今日の夕食時。
モリスは一人トイレに立つ。
この宿の客室以外の便所は離れにある。
そのため一度庭に出ないといけない。
まさにモリスがトイレの個室に入った時にそれは起こった。
モリスが一人になった時に、あちら側がアクションをしかけてきたのである。
まさか本当に攻めて来るとは全く予想していなかった。
その上、彼らの動きは自然な動きで、ここまで気にも止めていた無かった。
このタイミングで来たという事は、向こうも探知能力がある者がいるらしい。
四つ並んだ個室の自分が入ったドアの前に二人やって来た。
武器をもっている。
ここ数日、自分たちの周りに付き纏っていた匂いだ。
さて、どうしたものか。
モリスは考えた。
探知能力で見ると、食堂の中のソルダット達は気づいていない。
さらには食堂に続く庭には武装した男が三人。
行く手を塞がれた。
モリスも油断していた。
まさか自分が孤立させられるとは思ってもいなかった。
それほどまでに相手の動きは、こちらを警戒させない自然な動きだった。
ここでモリスの残された選択肢は逃走の一手のみとなった。
しかし、自分に何かが起きたというのは伝えなくてはいけない。
ホワイトとアカネは魔力強化で感覚を強化して探知できるが、こんなに人が大勢いる中では全く役に立たないだろう。
しかも、彼らの探知能力は一般人が耳を澄まして音を聞き分ける程度のものであり、モリスのそれに遠く及ばない。
そこでモリスは自分が肌身離さず着けている友人の形見の品を地面に落とす。
自分がここにいたという事を知らせる為に。
(はあ……みなさん探知出来ないから仕方ないっすね)
ドアがノックされる。
その刹那。
まだノックが止まないうちに、ドアを力一杯蹴り開けて外に飛び出す。
これでノックしていた者の手は折った。
うめき声を殺しながら男は腕を抑えて地面を転がる。
残りの一人は唖然としている。
運良くまだ抜刀してない。
相手が反応できないタイミングで飛び出したのだから、抜刀が間に合わないのは当然である。
不意をつく形で喉仏にエルボーをかました。
これで逃走の目処が立った。
庭に出る事無く、直接大通り側へと走る。
大通りに出ると殺気と視線を感じた。
直感的に走りの軌道を変えると、自分のすぐ横にヘビーボウガンの矢が刺さる。
即座に向かいの屋根にスナイパーがいるのを察知。
肉眼で確認すると、真っ赤な服とスカーフで顔を隠した者が一人。
仕方ないので、大通りから裏通りに通じる路地に入った。
そこから全力で察知能力を展開しながら逃げる。
人の多い場所に逃げようとしたが、恐らく向こうの追っ手にも感覚系の素質を持った者がいるのでやめる。
道が複雑に入り組む場所をメインに逃走を開始。
暫くしないうちに、モリスのレーダーは十の人影がこちらに向かって走っているのを捉える。
追跡部隊の様だ。
想像よりも数が多い。
十人は三、三、二、二の四つの小隊を組んでこちらに迫る
三人組の小隊二つは正確にこちらに迫る。
恐らくこのグルーブには最低一人ずつの探知能力者がいる。
残りの二人グループは適当に走っているようだ。
更に逃走する。
しかし体力は無限にあるわけではない。
早いところ宿に戻り知らせたいが、追っ手がうまいこと道を塞いで迫ってくる。
モリスにはソルダットたちの位置はわかるが、彼らにはわからないだろう。
せめて宿の近くまで戻れれば、大声をあげて知らせる事ができるのだが、追っ手は自分がポアロイル合流するのを邪魔するように、うまく立ち回っている。
(参ったなあ……)
手がかりを落として来たが、いつ気づいてくれるのか……
(あ!)
モリスはポケットに手を突っこむ。
(そういえばジェフっちの魔道具があったっすね)
何と無く説明は聞いたけど、詳しくは覚えてない。
(たしか魔力を送ると、もう一方の方が……どうなるんだっけ?)
ポケットから取り出してみる。
(そうだ、魔力を込めるともう片方が光るんでしたっけ)
魔力を入れてみる。
しかし、向こうにちゃんと魔力が行ってるのかわからない。
(また変なの作ったっすね。ジェフっち。)
その時、ホワイトの気配が高速で動くのを察知。
同時に、ポアロイルのメンバー全員が動き出すのを感じた。
(お、ついに気づいてくれたみたいっすね!
他のみんなはあまり動いてないみたいだけど、ホワイト先輩一人で突っ走りすぎなきゃいいけど)
「いたか!?」
「いや、いない」
ノーマークだった探索能力の無い二人組グループが近くまで接近してた。
急いで水瓶の影に身を隠す。
追っ手の会話に耳を澄ます。
「こっちにもゴルダーかリネがいれば、もっと効率がいいのだがな」
会話から推測すると、おそらくゴルダーとリネというのは感覚系だろう。
闇雲に探し、相当走り回ったみたいだ。
「仕方ない、むこうから探すぞ!」
「おう!」
足音が離れて行く。
ふう、と心の中でため息を吐いた。
レーダーは常に起動してるが、一気に地理情報と敵の位置と行動を把握するのは流石の彼でも疲れる。
ウォーモルはモリスにとって、初めて訪れる街である故に、余計に神経を尖らせなくていけない。
しかも、感覚系を有した追っ手がこっちに来てるようだ。
ここで留まっていては捕まるのは時間の問題だ。
移動しては隠れ、移動しては隠れ。
どのくらい時間が経っただろうか。
(移動しなきゃ……)
モリスは水瓶の淵に手を置き、ぐっと腰を上げる。
軽く伸びをして、索敵を開始。
その時。
「みーつけた」
「え?」
後ろから声が聞こえた。
見つかった?
まさか。
自分のいる半径10メートルいないにはだれもいないはず。
それは自分の能力でわかる。
ゆっくり後ろを振り返る。
「……」
「えへ☆」
そこには、シゲルが手で眼鏡を作ってニコッと決めポーズしていた。
その後ろにはジェフとセレシアの姿もあった。
「もう! ビビったじゃないっすか!」
「肝っ玉が小さいのね!」
「このボクが助けに来てやったんだから、ありがたく思えよ」
ジェフの手には新作の魔道具と、かつて盗賊の襲撃の際に使用した気配を消す魔道具が握られていた。
この気配を消す魔道具。タバコの箱くらいの大きさでジェフの知恵の結晶である。
その名は朧月。これがあれば音やニオイは消せないが気配は完全に消し去れるのだ。
気配を消しながら近づいていたのだから、盗賊の気配にだけ気を張っていたモリスは気がつけなかったのだ。
「よし、これでとりあえず安心だ」
シゲルは持っていたライトボウをモリスに渡す。
何気にシゲルも愛用の棒切れを持参している。
「ふう、正直ビビったすよ。まさかこっちがポアロイルと知ってて仕掛けて来るなんて」
「上等ね! さっき三人ぶっ殺してやったわ!」
ボウガンに矢を充填すると、モリスはセレシアに向かって人差し指を口に添え、声を抑えるように目線を送る。
その視線を受けて、彼女は手を口に当てコクコクと頷いた。
ジェフは気配を消す魔道具をみんなに見せながら口を開く。
「どうする、ここでやるのか? それとも一旦戻るか?」
ここで一度魔道具を解除すれば、追っ手側はこちらに増援が来た事がわかり、取り逃がすことになる。
流石にポアロイルのメンバーが増援に来たとなったら、そこらへんの盗賊は尻尾を巻いて逃げるだろう。
逆に解除しなければ、モリス一人だと勘違いをして、そのまま攻めて来る。
「お、おれは対人戦は無理だからな?」
さっきまでおどけていたシゲルは、戦闘の気配がすると急にビビりだした。
主人公のくせに。
「なら、ここはセレシア姉さん、頼みます」
セレシアは口元を緩ませる。
「任せなさい!」
彼女の美しいブロンドヘアーは逆立ち、彼女の華奢な体はすっと中に浮かんだ。
「直ぐに来るっす。前方のT字路に十二秒後、三人。後方の十字路から十八秒後に三人!
万が一に備えてシゲルさんは上を警戒してください!」
「え? お、おう!」
「ふん! いつでも来なさい!」
その丁度、十二秒後と十八秒後。
ノコノコと現れた敵の地面から岩石の拳が飛び出し、彼らは空の彼方まで飛んで行ったのであった。




