第二十三話 迫る危険
アカネの銀髪はしっとりと濡れ、いつもより少し暗い色に見える。
それがおれに懐かしさを抱かれるのは、幼なじみとして当然の事だった。
夕方の宿の食堂は多くの客でごった返している。
だが、周りの喧噪はアカネとおれの間に入り込む事は無い。
おれは目の前にいるアカネの言葉を待っている。
彼女はどう思っているのだろうか。
両手で包んだコップからはコーヒーのほろ苦い湯気が上り、アカネはそれを傾けゆっくりと啜る。
悠然とした動作でコップから口を離し、眠たそうな瞳をおれに向ける。
そしておれに向かって一言。
「へえ、シゲルってモテるのね」
「だから違うってば!」
おれ達は大きなテーブルに腰掛け、みんなで食事の前の雑談に花を咲かせていた。
もちろん話題は、今日おれに告白してきたアノ男のことである。
アカネは早めのシャワーを浴びたらしく、髪の毛はまだ湿っていた。
おれも今日の依頼と自主トレで流した汗は、宿に戻って来てソッコー流した。
スッキリ!
まだ料理の運ばれてこないテーブルの上には、それぞれの飲み物が置かれている。
みんなリラックスした中、おれが絶賛イジられ中なのだ。
「魂の記憶もあるし、人気もあるし、色々持ってんなぁ」
「ギャハハハ!! 腹痛てぇ!」
「アハハ! モテモテね!」
「やめろぉぉぉ!」
おれは試験後に呼び出され(拉致に近い)告白された後、何とかあの場をやり過ごして逃げ出す事に成功したのである。
今日はユニオンにポアロイルメンバーがついて来てくれなかったので、おれは一人飛んで宿に帰宅したのだった。
ここまで辿りつくまで、何度後ろを確認したことか。
宿に戻った際「裸にトゲベルトを着けた怪しいバトルジャンキーみたいなヤツが来たら、取り合わないように」とスタッフにお願いしたところ、スタッフが彼の事を知っていたいたので、教えてもらった。
おれに愛の告白をして来たのは、ウォーモルユニオンではそこそこ名の通るヤツで、名前をシウバというらしい。
ランクはAでウォーモルの中では最強クラスの実力者だ。
彼には『強者殺しのシウバ』という二つ名がついているのだが、これは彼の性癖を皮肉った二つ名である。
彼自身、鍛え上げられた肉体と、数々の修羅場をくぐり抜けて来た経験により、ウォーモルユニオンでもかなり重宝されている。
しかし、彼は強さを追求するあまり、自分以外の強いものに対して恋をするようになってしまった。
こんなむさ苦しい男に言いよられたら、敵わない。
強者でも逃げ出してしまう事から、『強者殺し』という二つ名がついた。
そもそも、いつから彼はそんな風になってしまったのか。
過去にこの街に凄腕のサーチャーがやって来た事がある。
彼は街に滞在中、上位ランカーでも難しい討伐依頼を次々にこなし、街の平和に貢献した。
当時、まだCランクだったシウバは、その強さに嫉妬した。
そしてある日、あろう事かそのサーチャーに決闘を申し込んだのだ。
理由は何でもよかった。
ただ、むしゃくしゃしていたのもある。
それよりも、シウバはそのサーチャーの戦う姿を見た事が無かったのだ。
この男は本当に自分より強いのか。
自分の目で確かめずにはいられなかったのだろう。
そんなシウバに対して、凄腕のサーチャーは面倒くさそうに決闘を受けた。
結果、その決闘はすぐに終わった。
シウバの惨敗と言う結果で。
シウバは武器を使ったにも関わらず、素手の相手にやられたのだ。
しかも相手は、かなり手加減しているように見えたという。
それからシウバはそのサーチャーに恋心にも似た憧れを抱くようになる。
日を追うごとに彼の中で、凄腕サーチャーへの気持ちが大きくなる。
自分に正直になろう、彼に自分の気持ちを伝えよう。
シウバが決心した時には全てが遅かった。
そのサーチャーは既にこの街を去っていたのだ。
彼は想いを伝える事が出来ず、ただただ涙を流したそうだ。
失恋である。
この失恋経験が「相手は待ってくれない。愛は熱いうちに伝えるべし」というポリシーを彼に持たせることとなった。
そして今ではなり振り構わず、強者には愛の告白をしているのだ。
その告白を受けたものは、シウバ認定の強者なのだ。
「認定されたってことっすね?」
「そんなの認定されても嬉しくねえし」
モリスの言葉にぶすっとしてみる。
全然嬉しくない。
あー嬉しくなーい。
「そうそう、シウバは告白出来ずじまいで去っていった『暴れ太刀』ってヤツにまだ未練があるみたいだぞ」
彼の思い人の二つ名は『暴れ太刀』。
「……おい、それっておれかよ」
そう、『暴れ太刀』とはウチの大将の事だ。
「ギャハハハ!! ソルダットだったか!
そのシウバってヤツの心を乙女にしたのは!」
「アハハハハ! たいちょーモテモテ!」
ソルダットは全く覚えてないらしい。
「二十年以上前だぞ、最後におれがウォーモルに来たのは。おれはもう覚えちゃいないぞ」
「いや、ソルさん。女は忘れない生き物よ」
アカネはそう言うが、シウバって男だしな。
テーブルは賑やかな笑い声に包まれる。
夕食はそんな感じで盛り上がり、夜は更けていった。
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この日、シウバは街のバーで一人酒を飲んでいた。
小さなバーは薄暗く、氷がグラスを撫でる音が響く。
「くそう! あのシゲルって野郎、逃げやがって」
「あらぁ、シウバ? いい子発見したのぉ? 紹介しなさいよぉ」
カウンターに座るシウバに向かい合うマスターは膨よかな男性だ。
男性だが、女性用の衣類を着て、化粧をしている事から、このバーはただのバーではないという事が容易に想像できる。
そういった特殊な嗜好を持つ者たちが集う場所だ。
「そうなんだよ、あんなヤツ初めて見たぜ……素手で鉄のゲージを木っ端みじんだぜ? Fランクのくせによぉ……おれのハートを完全に掴みやがって」
「あーら、ずいぶん強いのねぇ」
グラスに注がれた飴色の酒をぐいっと仰ぐ。
「ふう、今日はもう行くぜ。またなミッちゃん」
「えーもう行っちゃうの?」
ミッちゃんと呼ばれたマスターに会計を支払い、シウバが店を出ようと席を立つ。
その時、三人組の男が早足で店に入って来た。
出口に向かうシウバと、中に向かって歩いてくる三人組は、広くない店の中で相対するのは必然だった。
「おい、シウバだな?」
三人組の一人がシウバに向かって聞いた。
「あ? だったらなんだよ」
シウバは今日のシゲルの一件で、虫の居場所が悪い。
今にも殴りかからんという雰囲気である。
しかし、三人組は嬉しそうだ。
「今日、ユニオンでシゲルってヤツに会わなかったか?」
「ああ?」
聞きたく無い人物の名前を耳にし、シウバは眉間に皺を寄せた。
「だったら何だってんだ?」
「ヤツは何処だ?」
シウバが威嚇とも取れる口調で話しているのにも関わらず、三人組はニタニタ笑いを隠さない。
彼らの顔が癇に障ったシウバは「そんなの知るかよ」と舌打ちをしながら凄んだ。
「なんだ、知らんのか」
三人組はため息を吐く。
「どけ!」
業を煮やしたシウバは、三人の間を強引に通る。
しかし、その瞬間に足を引っかけられて、ずっこけた。
振り向くと三人はクスクスと笑っている。
シウバは額に青筋を浮かべながら、鬼気迫る形相で振り返り、三人組を睨んだ。
対する彼らは、にやにや顔で全く意に関しない。
「ちょ、ちょっとぉ、喧嘩はやめて頂戴……」
恐る恐るという感じで、マスターは当人たちに告げる。
マスター自身、シウバが喧嘩っ早いことも知ってるし、強いのもわかる。
もしこんなところで暴れられたら、店がめちゃくちゃになるのは想像に難くない。
「大丈夫だ、ミッちゃん。表でやっからよ。
てめえら! ボコボコにしてやるから表出な!」
そう言ってシウバは店の扉を開く。
その時、
シウバは油断していた。
まさか店を出る前に始めるとは思っていなかった。
相手は正々堂々とやるようなタイプには見えなかったのに。
今まで卑怯なやり方の相手とは何回も戦った筈なのに。
失念していた。
そしてもう一つ。
まさか自分の命を取りに来ているとは思わなかった。
ここ数日、名の通るサーチャーが闇討ちされる事件が増えているという離しを耳にした。
自分だって今まで盗賊や山賊を相手にした事がある。
もちろん向こうだって必死だ。
こっちが盗賊狩りをするみたいに、向こうがサーチャー狩りをすることもある。
こいつら、もしかして……
そう思った時、全ては遅かった。
既に彼の頭は地面に転がっていたのだから。
「こいつも知らないか……」
シウバの転がる頭を一瞥すると、その頭に向かって盗賊の一人がポツリと呟いた。
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「シゲル殿はおられるか」
重々しい鎧を着た騎士団が自主トレ中の採石場にやって来たのは、その二日後だった。
おれは工員達とお茶をしばきながらの休憩中である。
おれ達の談笑は一旦切り上げて、背後からの声に振り向く。
五人の騎士と一人の男がいた。
「私がシゲルですが、どうしました?」
すると先頭にいた鎧を着てない初老の男(多分偉い人)がすっと前に出て来た。
「君か。シウバという男はご存知かね」
「シウバ? ああ、ゲイの!」
「む? ゲイ?」
おっと口が滑った。
「失礼、知っていますがどうしたんですか?」
物々しい雰囲気である。
なにかあったようだ。
「私はウォーモル守護騎士団の北区副団長のトミーだ」
守護騎士団?
ああ、警察みたいなものか。
トミーと名乗った初老の男性は話を続ける。
「実はシウバ殿は一昨日の晩に亡くなられてな。
犯人は三人組の男という事なんだが、何か心当たりはないかね?」
え?
亡くなったって?
あのゲイが?
話を一緒に聞いていた工員たちも驚きを隠せない。
こいつらも知ってるのか。
まあ、彼は一応街の有名人の一人だったからな。
「……本当ですか?」
犯人がいるって事は殺されたってことか?
でも、あいつAランクだろ?
そう簡単にやられるものだろうか。
「ええ、残念ながら。
別に我々はシゲル殿を疑ってるわけじゃないのだ。
ただ、最近名のあるサーチャーが次々に狙われてな。
先日丁度、君とシウバがもみ合いになってるのを見たという者がいてな。
何か知っているかと思って話を聞きに来たのだ」
もみ合いっていうか、愛の告白されただけなんだけどね。
「すみません、残念ながら私は何も……」
「ふむ……そうか。では、どうしてもみ合いになっていたか聞いてもよろしいか」
う……
まあ、言ってもいいか。
「いや、実はですね……告白されたんですよ」
「何を?」
「……愛、でしょうかねぇ」
「はあ?」
最初は信じてくれなさそうだったが、シウバの特殊性癖も有名らしく、トミーとも周りの騎士団の説明によって納得してくれた。
それから、少し話をして彼らは引き上げて行く。
帰り際に何かを思い出したように、こちらに振り返る。
「そうそう。シゲル殿はポアロイルのパーティーメンバーだそうだが、最近何かと物騒だ。
気をつけた方がいい。
特にウォーモルの近隣の街でも優秀なサーチャーが何人も闇討ちにあっている。
どうやら盗賊を中心としたメンバーでサーチャーを狙う組織があるそうだ。
しっかりとした組織のようで、構成員も一流揃いと聞く。
ポアロイルはこの大陸ではかなり名の通ったパーティーだ。
君たちを狙っている悪党はごまんといるだろう。
何かあったら騎士団に知らせてくれたまえ」
最後に警告をして、引き上げて行った。
去り際にトミーがうっすら笑ったように見えた。
「あぶねえ世の中だなあ……」
「おい! おめえポアロイルだったのか!」
工員たちは別のところに突っかかって来たが、今はお構いなしだ。
殺し屋みたいなのがこの街にいる。
しかも、おれらを狙っている。
この事実はおれの鼓動を早くさせた。
戦闘員の三人は大丈夫だが、ジェフとアカネは危険だ。
モリスはレーダーだから、安全だろう。
ジェフは宿に籠もりっきりだからまだいいとして、アカネは一人で買い出しとかしている。
一番危険だとしたらアカネだ。
そう考えたらいても経ってもいられなくなった。
おれは湯飲み茶碗を置くと、工員たちに別れを告げて走り出す。
アカネは今日も買い出しに行くって言ってたはずだ。
どこに行った?
今日は何を買うって言ってた?
……くそっ! 思い出せ!
どこだ?
そうだ、薬草市場だ!
街に入ると、すぐ目についた人に薬草市場の場所を聞く。
場所は西側の第二市場と呼ばれる場所で、おれのいる北側から徒歩で四十分以上はかかるそうだ。
乗り合いの馬車に乗れと勧められたが、そんなの待ってられない。
仕方ないので全速力で駆け出す。
途中、何人かにぶつかったが構わずに駆け抜ける。
どうか無事でいてくれ……
第二市場までは十分も掛からずに到着した。
日々の鍛錬のせいか、あまり疲れていない。
速さもなかなかだった。
ここからおれは銀髪の少女を探さなくてはならない。
銀髪はこの世界ではかなりの少数派なので見つけやすい。
おれは人ごみをかきわけ、アカネを探す。
なかなか見つからない。
市場の広さはそこまで大きくないが、サッカーグランドくらいあるだろうか。
しかも、小さな店が所狭しと並んでいる。
それに加えてこの人の数だ。
思いの外、捜索は難航した。
「アカネ! どこだ!」
焦燥感からおれは大声を出してアカネを呼ぶ。
周りの人がこちらに注目するのにも構わずに、おれはただアカネを探した。
声を出して探し続ける。
もしかしたらもう宿に帰ったのかも知れない。
そう思った矢先である。
「ちょっと!」
「うが!」
おれの脇腹に綺麗なエルボーが決まる。
鍛えているから痛みこそなかったが、ビックリして口から心臓が飛び出そうだった。
脇腹を抑えながらエルボーが来た方向を見る。
アカネだ。
「さっきから大声で叫んで……一体どうしたのよ」
アカネは少し恥ずかしそうにしていた。
確かに、こんなに人の多いところで名前を連呼されたら恥ずかしいよな。
「……アカネ……よかった。うぅ」
ちょっと安心して泣きそうになったが、さっき聞いた事をアカネに告げ、おれ達は宿に戻って来た。
戻る道でも警戒はかかさない。
早足で移動したので、すぐに宿についた。
宿に入るとすぐにジェフが見えた。
ロビーで読書中だった。
「なんだよ? そんなにボクをジロジロ見るな」
じっと見てたら若干ウザがられた。
よかった。こっちも無事だ。
これで最も危険な二人の安全を確認した。
後はソルダット達を呼んで来て、作戦会議だ。
彼らがいれば、おれがいるよりずっと安心だろう。
「他の連中は?」
「食堂にいるぞ」
ジェフは先に食事を終えていたそうだ。
おれは食堂に向かう。
ロビーに一人で残すのは怖いので、ジェフも連れて来た。
「どうした?」
ソルダットとホワイトとセレシアはまだ食事中だった。
おれはそれに構わず、今回の殺し屋の件について話した。
一昨日のAランクのゲイが殺されたこと。
実力のある賊がサーチャー狩りをしていて、おれ達も狙われている可能性があること。
戦闘員ではないこの二人が、比較的危険であること。
食事中の三人と非戦闘員であるアカネとジェフは、おれの話を真剣に聞いている。
話が終わるとソルダットが面倒くさそうに頭を掻いた。
「そっかぁ……面倒くせえな」
「フハハハ! 返り討ちでいいんじゃねえか?」
どこまでも陽気なホワイトである。
流石というべきか。
…………
……?
あれ?
テーブルの上を見る。
何か忘れてる?
違和感がある。
フォークが四つある…………
あ!
「おい! モリスは!?」
そうだ。
モリスはレーダーがあるが、丸腰となれば戦闘力は高くない。
「さっきトイレに行って結構長いな!」
ホワイトの言い終わる前に、ソルダットが素早く立ち上がった。
こんな真剣な表情の彼は初めて見る。
そして何も言わずに駆け出した。
「くっそ!」
おれはソルダットの背中を追った。




