変人の生態
「わあー、響子さん、おかえりなさい! 今日はねー、おろしハンバーグが作ってありますよー。お風呂も沸いてますけど、どっちを先にしますか?」
「……御飯」
家に帰るなりに間の抜けた……ぽよんとした声に歓迎された。そして彼は私の返事を聞くと、楽しそうにキッチンへと戻って行く。いそいそと盛り付けを始めた彼の横で手を洗ってから、彼が作ってくれたハンバーグと卵スープをリビングのテーブルまで運ぶ。……変人、女子力高過ぎだろ……。
「じゃあ、早速食べましょうよー、響子さん! いただきます!」
彼はそう言って両手を合わせてみたものの、私が最初の一口を口に運ぶのをずっと待っている。……いつもそうだ。私の反応を見てとろけそうなほど幸せそうな笑顔を浮かべて、それから自分も食事に取り掛かる。
「おいしい……」
仕事に疲れ切った私は、いつも同じようなことしか言ってあげられない。それでも彼は、本当に嬉しそうに笑って見せるのだ。
「本当ですか? 良かったです! 頑張った甲斐がありました!」
笑うと眼鏡の奥で垂れ目が細まって、本当にかわいい。ついつい、釣られて私まで笑顔になってしまうのだ。ポーカーフェイスを崩さないように硬直していた筋肉が、その瞬間に弛緩する……。それが一番疲れていることを実感する時間でもあったし、同時に癒されていることを実感する時間でもあった。
「いつも大変じゃないの? 買い物行ったり、御飯作ったり……」
それに、彼がしているのはそれだけではない。ここ数日で、私の部屋もすごく綺麗になった。元々そんなにだらしなくはしていなかったが、何と言うか、隅々まで綺麗になった、そんな感じなのだ……。そして、何でもしてくれる彼に申し訳なさも感じていた。
「そんなことないですよー。僕は響子さんがおいしいって言ってくれて、のんびりしながらモデルをやってくれれば、それで幸せです! それに、響子さんは夜遅くまで仕事をして大変なんだから、僕が色々するのは当然ですよ!」
……随分と殊勝な居候だ。でも、その心がけがありがたいと言うのも事実で……。
「あ、ありがとう……」
私の口から、自然とそんな言葉がこぼれた。誰かにお礼を言うなんて、何年ぶりのことだろう。仕事に忙殺される内に忘れかけていた人間らしい感情の一つが、戻って来たのだ……。そして、私のその一言を聞いた居候は……泣いていた。……えっ?
「ちょ、ちょっとどうして泣くのよ! 怖いから! 怖いからやめて!」
「ず、ずびばせん(すみません)ー。でも、嬉じがったんですよー!」
……理解不能だ。いや、たかが数日寝食を共にしただけでこの変人の生態を理解できると思った方が間違いだったのだ。仕方なくティッシュを出してやると、彼はお礼を言ってからそれを手に取り、涙を拭いたりした。一通りの作業を行ってから、勢い良く顔を上げる。
「……僕っ、響子さんのためにもっと頑張りますからね! 明日は何が食べたいですかっ?」
「……肉じゃが、かな……?」
わかりました! と元気に答えて、彼は食事を再開した。食べ終わると、私はまずお風呂に入った。しばらく浸かって明日しなければならない仕事について一通りのことを考えてから、パジャマを着てバスルームを出る。……その短い間に食器が全部綺麗になっているのだから、驚きだ……。
「あっ、ねえねえ響子さん、一つお願いがあるんですけどいいですか?」
「何?」
タオルで髪を拭きながら、冷蔵庫からビールを取り出す。それをコップに半分ずつ分けて、コップの片方を彼に渡した。ありがとうございます、なんて言ってコップを受け取ってから、私が座るのを待って口を開く。
「僕っ、響子さんの髪を乾かしてみたいんです! いいですかっ?」
「はっ?」
ああ、やっぱり何を言い出すかわからない奴だ……。はっきり言ってどうでもいい提案に、対処に困る……。
「だってー、響子さんの髪って、長くてとっても綺麗じゃないですか! 一度やってみたかったんですよー!」
「……好きにすれば?」
私がそう言ってやると、彼は喜んでドライヤーを取って来た。それから私の後ろのソファーに腰掛けて、髪を乾かし始める。……あ、意外と気持ちいいかも。寝ちゃいそう……。
私の髪は肩を通り越して、背中にかかる位まで伸ばしている。綺麗かどうかと言われれば自信はないが、長いというのは事実だ。
「ねえ、どうしてこんなに器用なのよ?」
「えー、僕、器用ですか? ……きっと画家だからです! 画家は皆器用なんです、きっと!」
いや、そんなはずはないだろう……。後ろで鼻歌なんぞ歌いながら上機嫌にしている居候に、他にも色々と聞いてみる。最近、モデルをやりながら色々と彼について知って行った。
名前は最初に会った時に名乗った通り、仲井啓介。職業は画家、趣味は絵を描くこととのんびり歌を歌うこと、特技は料理。年は私より三つ年下の二十四歳。とにかく困っている人を見かけると放っておけない性分で、後先考えずに手助けをしてしまう。その結果自分が行き倒れてしまうこともしばしば……。それに、眼鏡を外すとと案外整った顔立ちをしている。……やっぱり子犬みたいだけど。
そして、今日わかったことは泣き虫だということ。それから、長い髪が好きだということ。後、髪を乾かすのが上手だということ。……やっぱり変人だということ。
「響子さん、どうかしましたか?」
私の口からクスリと笑い声が漏れていたらしい。上からひょいと覗き込むように、彼が顔を見せた。私は何となく意地悪がしたくなってしまい、彼の鼻をつまんでみた。
「何でもないわよ!」
いつになく弾んだ楽しげな声でそう言った私に、彼はそのまま笑いかけて見せた。……鼻をつままれたまま笑うなよ……。
今日わかったことがもう一つ。……変人は、鼻をつままれるのが好きらしい……。




