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生徒会室での出来事 

生徒会室の扉の前に立ち、私は一度だけ深呼吸をした。

そして、重厚なマホガニーの両開き扉をゆっくりと押し開ける。


そこは、ただの「学校の一室」という枠を完全に逸脱した、まるで王城の謁見室のような空間だった。

足音が完全に吸い込まれるほど分厚い深紅の絨毯が敷き詰められ、壁際には天井まで届く本棚が並び、膨大な魔導書や学園の歴史資料が整然と収められている。部屋の中央に鎮座するのは、磨き上げられた巨大なオーク材の長テーブル。そして、部屋の最奥にある巨大なガラス窓からは、王都の街並みと、それを覆う大結界がパノラマのように見渡せた。


部屋の中には、三人の男子生徒がいた。

一人は、テーブルに積まれた書類の山を前に、銀縁の眼鏡を押し上げている冷徹そうな美青年。一昨日の温室にも駆けつけた生徒会会計、ガイル・フォン・クリフォード伯爵令息だ。

もう一人は、壁際に直立不動で立っている生真面目そうな青年。同じく書記のアーサー・ギルフォード。代々近衛騎士を輩出する騎士爵家の長男で、彼の立ち姿には一寸の隙もない。


そして。

長テーブルの最奥、窓を背にした巨大な革張りの椅子に深く腰掛け、両手を組んで私を見据えている人物。

燃えるような紅蓮の髪に、まるで獲物を品定めする肉食獣のような、鋭く危険な金色の瞳。

ミリス王国第三王子にして、この学園の絶対的なカリスマ――生徒会長、レオンハルト・フォン・ミリスその人だった。


「……よく来たな、マリー・トマス」


低い、地を這うような声。

同時に、部屋の空気がビリッと震え、肌を刺すような重圧プレッシャーが私を襲った。

ただそこに座っているだけで、呼吸が浅くなるほどの圧倒的な魔力の波動。下位貴族や並の平民であれば、この眼差しと魔圧を受けただけで膝から崩れ落ちてしまうだろう。

アーサーが少しだけ緊張したように息を呑むのがわかった。


しかし。

私は「失礼します」と一礼し、堂々と絨毯を踏み締めて、テーブルの前まで歩みを進めた。


「呼び出しと伺いました! 私が何か、学園の規則に違反したでしょうか?」


真っ直ぐに金色の瞳を見返して問う。

私は、魔力を放出することはできないが、飛んでくる魔力を『物理で砕き、喰らう』特異体質だ。だから、どれほど高密度の魔圧による威嚇を受けようが、私の背中の傷跡がチリチリとそれを吸い込んで相殺してしまうため、ただの『少し強い風』くらいにしか感じないのだ。


レオンハルトの金色の瞳が、微かに細められた。


「……ほう。我が王族の覇気マナを真正面から受けて、顔色一つ変えんか。なるほど、エラルドが隠したがるわけだ」


レオンハルトは面白そうに口角を上げると、組んでいた手を解き、机の上に置かれた一枚の報告書をトントンと指先で叩いた。


「一昨日の夕刻。旧温室にて、外部からの侵入者があった。お前はそれに遭遇し、エラルドが到着するまでの間、単独で交戦したな?」

「はい」

「報告によれば、侵入者は教団の闇魔法を行使したという。……ただの魔力を持たぬ平民の小娘が、結界をすり抜けるほどの暗殺者を相手に、どうやって五体満足で生き延びた? なぜ、お前は無事だった?」


レオンハルトの声色に、明確な『疑い』が混じる。

(なるほど。私が教団とグルになって、自作自演をしたんじゃないかって疑ってるんだ)

私は内心で冷静に状況を分析した。

普段は「お昼ご飯美味しいー!」と叫んでいる私だが、甘く見てもらっては困る。伊達に十年間、エラルドという頭の切れる幼馴染の隣で、貴族たちのドロドロした思惑や陰口を躱し続けてきたわけではない。野生の勘に近いが、相手が何を考え、どこを突っつけば納得するかは肌感覚でわかるのだ!


私はふっと肩の力を抜き、レオンハルトに向かって呆れたように言い放った。


「私が教団の手引きをしたスパイじゃないか、ってことですよね? 会長、それは論理的じゃあありません」

「……何?」

「もし私がスパイなら、わざわざエラルドが気づくほど派手に結界ガラスをぶち破って、大騒ぎになるような戦い方はしません。教団の目的が『霊脈の汚染』なら、私はおとなしく気絶したフリでもして、あの男の工作が完了するのを見過ごせばよかったはずです」


ガイルが、ピタリと書類をめくる手を止めた。アーサーが目を丸くしている。


「私はただ、あいつの気味の悪い魔法が飛んできたから、ムカついて全部素手で殴り飛ばしただけです。結果的に温室は半壊しましたけど、工作を防いだんだから、怒られるよりは褒められてもいいくらいじゃないですか?」


あっけらかんと、しかし一切の矛盾なく事実だけを突きつける。

数秒の、完全な静寂。


やがて。

「――くっ、ははははははっ!!」


レオンハルトが突然、腹を抱えて豪快に笑い出した。

肉食獣のような威圧感が一瞬にして霧散し、年相応の悪戯っぽい少年の顔が覗く。


「おい聞いたかガイル! 『ムカついたから闇魔法を素手で殴り飛ばした』だと! エラルドの奴、とんでもないじゃじゃ馬を飼い慣らしているな!」

「……会長。笑い事ではありません。温室の修繕費は生徒会費から捻出されるのですよ。頭が痛い」


ガイルがため息をつきながら眼鏡を押し上げている。どうやら、最初から本気で私を疑っていたわけではなく、私の度胸と頭の回転を『面白がって試した』だけのようだ。


「いや、見事な返しだマリー・トマス。平民特待生の中には萎縮して言葉を失う者も多いが、お前は違う。その図太さ、嫌いではないぞ」


レオンハルトが上機嫌に笑いかけた、まさにその時だった。


「――俺の幼馴染を、あまりからかわないでいただきたいですね、会長」


ガチャリ、と。

背後の重厚な扉が開き、涼やかで、静かな、けれど微かに覇気を纏った声が響いた。

振り返らなくてもわかる。さっき中庭で令嬢たちの黄色い悲鳴を浴びていた、あの完璧な王子様だ。

エラルドが、音もなく生徒会室へと足を踏み入れた。


「エラルド様」

「遅かったな、エラルド。今朝も中庭でご令嬢たちの相手で忙しかったようだが?」


レオンハルトがニヤリと笑って挑発するが、エラルドは完璧で優雅な微笑みを崩さない。しかし、そのサファイアの瞳の奥には、私を勝手に呼び出したことに対する静かな抗議の色がはっきりと浮かんでいた。


エラルドは迷うことなく私の隣まで歩み寄ると、ごく自然な動作で、私とレオンハルトの射線を遮るように『半歩前』へと立ちふさがった。

それは、一昨日の温室で私を背中に庇った時と全く同じ、完璧な護衛の立ち位置だ。


「彼女は昨日まで高熱で寝込んでいたのです。病み上がりの生徒に、いきなり王族の魔圧をぶつけて試すような真似は感心しませんね」

「おいおい、過保護すぎるぞ。彼女は俺のプレッシャーなどそよ風程度にしか感じていなかったようだが?」

「……それでも、です。彼女の身の潔白は、俺が保証します。これ以上、彼女を生徒会のいざこざに巻き込むのはやめていただきたい」


優美に微笑みながらも、王族と次期筆頭公爵の間で、バチバチと不可視の火花が散っている。

圧倒的な権力者である第三王子を前にしても、エラルドは一歩も引かない。むしろ、私のこととなると、彼の方が底知れぬ凄みを放っているようにすら見える。


(うわぁ……エラルド、めっちゃ怒ってるじゃん)


私は彼の広い背中を見上げながら、少しだけ申し訳ないような、でもひどくくすぐったいような気持ちになっていた。

外の世界では誰よりも完璧で、雲の上の存在として振る舞う彼が、ただ一介の平民である私のために、王族相手に本気で噛み付こうとしている。


「わかったわかった、俺の負けだ。これ以上深追いすると、お前に王城ごと凍らされそうだからな」


レオンハルトがおどけたように両手を挙げて降参のポーズをとる。


「だがな、エラルド。冗談はここまでだ」


直後、レオンハルトの表情から笑みが消え、再び生徒会長としての鋭い顔つきに戻った。


「温室の地下、霊脈の調査結果が出た。……マリーが防いでくれなければ、学園の結界は内側から崩壊していた可能性が高い。そして最も厄介なのは、あの教団のネズミが『誰の手引きで』この厳重な結界をすり抜けたのか、という点だ」


レオンハルトの言葉に、エラルドの瞳もスッと細められ、部屋の空気が一気に張り詰めた。


「内部に協力者がいる……あるいは、教団の人間が『生徒』や『教師』として、すでにこの学園に潜り込んでいるということですか」

「そうだ。十年の沈黙を破り、灰が再び動き出した。……警戒を怠るなよ、エラルド。お前のその大切な『盾』ごと、足元からすくわれるやもしれんぞ」


「……忠告、感謝します。ですが、彼女の足元を崩される前に、僕がその地面ごと凍らせるまでのことです」


レオンハルトの挑発めいた警告にも、エラルドは涼しい顔で返し、一歩も引かない。

そんな二人のバチバチとしたやり取りを横目に、ガイルが小さく咳払いをして、テーブルの中央に一枚の大きな羊皮紙を広げた。どうやら、学園全体の地下構造を記した見取り図のようだ。


「お二方、威嚇し合うのはその辺りにしていただきたい。マリー・トマス、君もこれを見なさい」

「えっ、あ、はい」


ガイルに促され、私はテーブルを覗き込んだ。図面には、学園の校舎のさらに下、地下深くに複雑に張り巡らされた『青い血管』のような線が何本も描かれている。


「これは『霊脈れいみゃく』――大地の底を流れる、巨大な魔力の河を図式化したものです。このミリス魔法学園は、国内でも最大級の霊脈が交差する真上に建てられており、その無尽蔵のエネルギーを汲み上げることで、王城に匹敵する絶対的な大結界を維持しています」


ガイルの銀縁眼鏡が、知的な光を反射してキラリと光った。


「一昨日、君が襲撃された『旧温室』。あそこはただの使われなくなった植物用施設ではありません。実は、学園の深部に封印されている『奈落の迷宮』へと直接魔力を注ぎ込む、霊脈の極太の『結節点ハブ』の真上に位置しているのです」

「……結節点?」

「人体の血管で言えば、心臓に繋がる太い動脈のようなものです。温室で育てられている『星見草』は、その霊脈から漏れ出る魔力の質を測るための、いわば天然のフィルター兼メーターの役割を果たしていました」


そこまで聞いて、私はハッと息を呑んだ。

温室の男が言っていた言葉の意味が、ようやく正確に理解できたのだ。


彼はそこに教団の瘴気を流し込み、あの忌々しい大結界を足元(根元)から少しずつ腐らせていたのだ。


「つまり……あの男は、お花を枯らしていたんじゃなくて。学園の地下を流れる動脈に、直接『毒(闇の瘴気)』を注射しようとしていたってことですか?」

「ご名答です。君が間一髪で止めに入らなければ、致死量の瘴気が霊脈に乗って学園の心臓部へ到達し、大結界は内側から完全に腐り落ちていたでしょう。そして結界が消滅すれば、奈落の迷宮から無数の魔獣が地上へ溢れ出していたはずです」


ガイルの恐ろしい仮説に、壁際に立つアーサーがギリッと奥歯を噛み締めた。


「十年間、完全に息を潜めていた『灰の教団』が、今になって突然、学園の要所である霊脈の結節点をピンポイントで狙ってきた。……偶然とは思えません」

「あぁ。しかも、あの男は正規の結界を力業で破った形跡がなかった。結界のパス(通行許可)を誤魔化して入り込んだか、あるいは学園の内部から招き入れられたとしか考えられん」


レオンハルトが腕を組み、金色の瞳を険しく細める。


「内部に教団の『手引き』をした協力者がいる。学園の構造や霊脈の配置を熟知し、結界の死角を突ける立場の人間……おそらくは、現在この学園に在籍している『教師』か『生徒』の中に、教団のネズミが潜り込んでいるということだ」

「……厄介ですね。王国の未来を担う貴族の子弟の中に、狂信者が混ざっているとなれば、学園の存亡に関わる大スキャンダルだ。徹底的な身辺調査が必要になります」

ガイルがうなづく。

「あぁ。ガイル、アーサー。早急にここ数年の特待生の身元、および教師陣の経歴を洗い直せ。エラルドは引き続き、魔導士団と連携して結界の修復とパトロールの強化に当たれ」


「「はっ!」」


そこから先は、学園のトップエリートたちによる、ひどく高度で専門的な会議へと移行していった。

結界の術式構造の再構築、貴族院における派閥の動向、オイラーの魔力定数を用いた霊脈の干渉率の計算……。


「――したがって、第二結界層のルーンの配列を三度ずらし、マナの逆流を防ぐためのバイパスを……」

「しかし会長、それでは魔力供給の遅延が発生し……」


飛び交う専門用語の応酬。

ふかふかで足が沈み込む深紅の絨毯。

王族の威厳ある、低くて心地の良い声。

そして何より、病み上がりで全快とは言えない私の身体。


(あ……だめだ、これ)


私の頭のキャパシティは、最初の『霊脈』の説明でとうの昔に限界を迎えていた。

長くて難しすぎる話は、私の脳を容赦なくショートさせ、急速な睡魔となって襲いかかってくる。


(えっと、つまり……悪いネズミさんが、学園のどこかに隠れてて……お花畑の地下にあるお注射の管から……毒を、チューって……)


まぶたが、鉛のように重い。

思考が完全に泥水の中に沈んでいく。


コクリ、コクリ。


立ったまま、私の頭が前後への激しい船漕ぎ運動を始めた、その時だった。


「――ふっ」


すぐ隣から、小さく吹き出すような声が聞こえた。

そして、今にも高めの長テーブルの角に顔面から激突しそうになった私の額を、横からスッと伸びてきた大きな手が、ふわりと優しく受け止めてくれたのだ。


「会長。今後の対策については了承しました。……ですが、そろそろお開きにしていただけませんか」


エラルドの声だ。

私がハッと目を開けて顔を上げると、彼は私の額に手を当てたまま、呆れたような、けれどひどく心配そうな目で私を見下ろしていた。


「見ての通り、僕の幼馴染は難しい話を聞きすぎて、頭脳のキャパシティが限界のようです。これ以上立ち話をさせると、立ったまま気絶してしまいそうなので」

「あ、ちがっ、寝てないよ!? ちょっと目をつぶって、霊脈の……えっと、ルーンの角度について深く考察してただけで! あともう熱はなくなった!」

「はいはい。君のその顔は、脳みそが完全に停止した時の顔だ。……まったく、生徒会長の御前で居眠りしかけるなんて、君くらいのものだよ」


エラルドが私の鼻先を軽く指で弾く。

その、あまりにも自然で隙だらけのやり取りを見て、ピリピリと張り詰めていた生徒会室の空気が、ふっと緩んだ。


「……くっ、はははははっ! 立ったまま寝るとは、本物の大物だな! いいだろう、本日の会議はここまでとする。エラルド、そのじゃじゃ馬を責任を持って送り届けてやれ」


レオンハルトが豪快に笑い飛ばし、ガイルとアーサーも毒気を抜かれたように苦笑している。

私は顔を真っ赤にしながら、「失礼しましたぁっ!」と慌てて頭を下げた。


「ほら、帰るよマリー。……よく頑張ったね」


エラルドが私の背中にそっと手を添え、生徒会室の扉へと促す。

振り返ると、レオンハルトが金色の瞳を細め、悪戯っぽく、しかし確かな信頼を込めた視線で私たちを見送っていた。


「……あの、エラルド。私、また恥かいちゃった……?」

「そうだね。でも、君らしい見事な啖呵だったよ。……少し、見直した」


廊下に出た途端、エラルドは私の頭をポンポンと優しく撫でて、ふわりと解けたような笑顔を見せた。


「じゃあ、私教室に戻るね! 多分1限目とっくに始まっちゃってる!」

じゃあねーと私は廊下を駆け出して行った。 廊下を走らないで転ばないでというエラルドの声を背にしてーーー



学園の頂点に立つ者たちの、静かで張り詰めた会議。

窓の外の青空とは裏腹に、ミリス魔法学園には、確実に暗く冷たい影が忍び寄り始めていた。

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