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ようこそ、生徒会室へ

医務室から馬車に乗って家に帰るまでの記憶は、実のところすっぽりと抜け落ちている。

安心感からか、あるいは限界を迎えていたのか、私は馬車の中でエラルドの肩を借りたまま、再び深い眠りに落ちてしまったらしい。


翌日。私の身体は、昨日の無茶な連戦――ジュリアンの渾身の炎槍を砕き、直後に教団の闇魔法を連続で弾き飛ばした代償を、きっちりと支払わされていた。

背中の呪いの傷跡が焼け火箸を当てられたようにひどい熱を持ち、私は一日中、実家の自室のベッドでうんうんと唸りながら過ごす羽目になったのだ。母のマーサが作ってくれた滋養強壮の特製スープを飲み、父の調合した苦い薬を流し込み、ただひたすらに泥のように眠り続けた。


夕方、学園の放課後の鐘が遠くで鳴ってからしばらくした頃。

私のお見舞いにやってきたのは、親友のアイリスだった。


「……馬鹿ね。だから無理して笑わなくていいって言ったのに」

ベッドの脇の丸椅子に座ったアイリスは、呆れ顔でため息をつきながらも、持参した高級な見舞いの果物籠をそっとテーブルに置いた。

「ご、ごめんアイリス……」

「昨日、図書委員の仕事中に貧血で倒れてエラルド様に運ばれたって聞いたわよ。まったく、特待生が無理して倒れたら、また周りの貴族たちがうるさいんだから。……しっかり治しなさい」

アイリスはあえて「教団」や「襲撃」といった物騒な言葉は口にしなかった。それが彼女なりの気遣いであり、学園側が表向きに流した「貧血」というカモフラージュに合わせてくれているのだろう。

毒舌の裏に隠された不器用な優しさに、私は「うん、ありがとう」と力なく笑い返した。


***


そして、すっかり日が落ちて、夜の静寂が訪れた。


夜の帳がすっかり下り、窓枠を揺らす微かな夜風の音だけが聞こえる頃。

コンコン、と控えめなノックの音がして、私の部屋の扉が静かに開いた。


「……マリー。起きてるかい?」


ベッドサイドのランプが放つ淡いオレンジ色の光に照らされて姿を見せたのは、エラルドだった。

学園の制服姿のままだが、いつもは隙なく締められているネクタイが少し緩められ、第一ボタンも外されている。その端正な顔立ちには、隠しきれない疲労の色が濃く滲んでいた。昨夜から今日にかけて、生徒会役員として結界の異常の事後処理や、教師陣との緊急会議に追われていたに違いない。


「エラルド……お疲れ様。ごめんね、忙しいのに」


熱で重い頭を少しだけ動かして声をかけると、エラルドは少しだけ困ったように眉尻を下げ、ふっと柔らかく、安堵したような微笑みを浮かべた。


「君の顔を見ないと、安心できなくてね」


彼は音を立てないようにベッドの傍らに歩み寄ると、そのまま丸椅子に腰を下ろした。そして、身をかがめ、私の額を覆うようにそっと大きな手を当ててくる。

夜の冷気をまとっているのか、それとも氷の魔力を持つ彼自身の体温なのか。熱を測るその掌はひんやりとしていて、火照った身体にひどく心地よかった。私は思わず、彼の手にすり寄るように小さく目を細めてしまう。


「……少し熱は下がったみたいだね。トマスおじさんの薬が効いている」


至近距離で私を覗き込むサファイアの瞳は、学園で見せる『完璧な貴公子』の様子とはどこかが違う。もっと、人間くさい、私の体調を案じ、痛みを代わってやれないことを悔やむような。


言葉を交わさなくても、額に触れる彼の手の優しい感触だけで、彼がどれほど私を心配し、また無事を確認してホッとしているかが痛いほど伝わってくる。


「うん。……明日には、絶対学校行けるから」


これ以上彼に心配をかけまいと強がって言うと、エラルドは私の額からゆっくりと手を離し、今度は熱で額に張り付いていた私の前髪を、指先で愛おしそうに梳いてくれた。


「無理はしないで。君がまた無茶をして倒れたら、今度こそ俺の心臓が止まってしまうよ」


冗談めかしてはいるが、その低い声には、何らかの重みが孕んでいた。沈黙が落ちる。 彼は短く息を吐き、私に掛けられた毛布の端を首元まで丁寧に整え直してくれる。


「……おやすみ、マリー。ゆっくり休んで」


最後にポン、と優しく頭を撫でられ、彼の静かで規則正しい足音が部屋を出ていく。

扉が閉まる微かな音を聞きながら、彼が残していった微かな木の葉の香りと、額に残る心地よい冷たさに包まれて、私は再び深い、安心しきった眠りへと落ちていった。


* * *



そして、翌日。

 特異体質ゆえの野性的な回復力を発揮し、私はなんとか平熱まで体温を下げ、朝の光が差し込む学園へと登校を果たした。


「おはよー! アイリス、昨日のお見舞いありがとう!」

「……ちょっと、まだ病み上がりなんだから廊下を走らないの! 埃が舞うでしょう!」


 教室の扉を勢いよく開けて飛び込んだ私を、最前列の窓際席から鋭い声が迎え撃った。

 アイリス・フォン・レイン。

 艶やかな亜麻色の髪を完璧なハーフアップにまとめ、背筋をピンと伸ばして座る彼女は、今日も一寸の隙もない優雅な淑女の佇まいだ。下位貴族である男爵家の令嬢だが、その洗練された所作と学年でも上位の頭脳ゆえに、上位貴族たちすら彼女を迂闊に侮ることはできない。

 平民で、おまけに特待生の中でも一番の落ちこぼれである私が、この階級社会の学園でなんとかやっていけるのは、間違いなくこの口うるさくて面倒見のいい親友のおかげだった。


「ほら、昨日の『魔法薬学』と『精霊史』のノート。私が綺麗にまとめておいたから、放課後までに写しなさい。……写し終わるまで、絶対におやつは抜きだからね」

「えええええっ! アイリス神! 女神! 一生ついていきます!」

「はいはい、大袈裟ね。……でも、本当に顔色が戻ってよかったわ」


 バサッと渡された美しい筆記体のノートを拝み倒す私を見て、アイリスは呆れたように小さく息を吐き、最後だけふっと微かに口角を上げて安堵の表情を見せた。


 私たちがそんな他愛のないやり取りをしていた、その時だった。


「キャァァァッ……! エラルド様よ!」

「ああ、今日もなんてお美しいの……っ」


 突然、教室の外の廊下――中庭を見下ろす大きな窓の向こうから、女子生徒たちの黄色い悲鳴と、堪えきれないような感嘆の溜息が波のように押し寄せてきた。

 私とアイリスが顔を見合わせて窓の外を覗き込むと、そこにはいつもの光景が広がっていた。


 朝の陽光が降り注ぐ中庭の石畳。

 そこを、プラチナブロンドの髪を風に揺らしながら歩いてくる一人の青年――エラルドの姿があった。

 彼の周囲だけ、まるでそこが神聖な不可侵領域であるかのように、すっぽりと空間が空いている。高位貴族の令嬢たちでさえ、彼に気安く触れることはおろか、三メートル以内に近づくことすら躊躇い、ただ頬を染めて遠巻きに見つめることしかできないのだ。


『おはよう。今日も良い天気だね』


 エラルドが立ち止まり、周囲の生徒たちに向けて優雅に微笑みかける。

 ただそれだけで、令嬢たちの何人かが「私に微笑みかけてくださったわ!」とその場に崩れ落ちそうになり、取り巻きの令息たちが慌てて支えている。

 成績は常に首席。圧倒的な魔力量。次期筆頭公爵という絶対的な権力。そして、誰に対しても驕ることなく向けられる、あの完璧で甘い微笑み。

 彼はこのミリス魔法学園において、誰もが憧れるけれど、誰の手にも決して届かない『雲の上の存在』なのだ。


「……相変わらず、すごい人気ね。今朝も下駄箱のところで、伯爵家の令嬢からの告白をこの世の物とは思えないほど紳士的に断っていたそうよ」

「うわぁ……エラルドも大変だね」


 頬杖をつきながら感心したように言うアイリスの横で、私は興味なさげに授業で使う教材を確認するためカバンをひっくり返していた。


 あの中庭で、何百人もの生徒の視線を一身に浴びながら、近寄りがたいほどの完璧なオーラを放っている『氷の貴公子』。

 でも、つい十数時間前の昨日の夜。

 あの雲の上のあいつは、制服のネクタイをだらしなく緩めたまま私の狭い部屋の丸椅子に座り、私の熱を測るために、ひどく心配そうな顔をしてその大きな手を私の額に当てていたのだ。全く心配性な幼馴染さまさまである。



(――学園のみんなが知ったら、暴動が起きちゃうかもね)


 私にしか見せない彼の無防備な顔を思い出して、私はこっそりと笑った。


 やがてエラルドが別の棟へと消え、廊下の喧騒がようやく落ち着きを取り戻し始めた、その時だった。


「特待生のマリー・トマス。いるか?」


 突然、教室の入り口に低く硬い声が響いた。

 振り返ると、そこに立っていたのは、左腕に『生徒会』の腕章をつけた見知らぬ上級生の男子生徒だった。

 アイリスがハッと息を呑む。周囲の生徒たちも、「なぜ生徒会の役員が、わざわざこんな平民の教室に?」「まさか何か不祥事を起こしたのでは……」と、何事かと一斉にざわめき始めた。


「は、はい! 私ですけど」


 私が慌てて挙手をして立ち上がると、上級生は私を品定めするように冷ややかに一瞥し、感情の読めない声で宣告した。


「生徒会長からの呼び出しだ。至急、中央尖塔の生徒会室へ来るように」


 教室の空気が、シンと凍りついた。


生徒会室は、学園で最も高い『中央尖塔』の最上階にある。

磨き上げられた螺旋階段を登りきり、重厚な両開きのマホガニーの扉の前に立つ。緊張でゴクリと喉を鳴らし、私は控えめに扉をノックした。


「入れ」


内側から響いた、深く、よく通る声。

重い扉をゆっくりと押し開けると、そこはまるで王城の会議室のような、豪奢で威厳に満ちた空間だった。

床には足音が沈み込むほど分厚い深紅の絨毯が敷き詰められ、壁際の本棚には膨大な魔導書や資料が整然と並んでいる。部屋の中央に鎮座する、艶やかな巨大なオーク材の長テーブル。

その席に座っていたのは、ミリス魔法学園の頂点に立つ、生徒会の面々だった。



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