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組織の再来と再び迫り来る悪夢

「――彼女に、その汚い手を向けるな」


 極北の氷河よりも冷たく、そして、絶対的な怒りを孕んだ声。


 ドゴォォォォォンッ!!


 エラルドの着地と同時に、彼を中心に展開された『絶対零度の衝撃波』が爆発した。

 私を押し潰していた重力呪縛の陣が、ガラス細工のように一瞬で粉々に凍りつき、粉砕される。そればかりか、男の構えていた闇の刃も、手にした杖ごと、男の右半身が一瞬にして分厚い氷に覆われてしまった。


『が、あぁぁぁぁぁっ!? 無詠唱でこの規模の氷結魔法を……っ! 貴様、次期公爵の――』


 男が恐怖に顔を引き攣らせて後退ろうとしたが、エラルドは一瞥もくれなかった。

 彼は音もなく私の傍らに降り立つと、私の腕をガシッと力強く掴み、引き上げるようにして自身の『背後』へと庇った。


「マリー、怪我は!?」


 エラルドは私を背後に隠したまま振り返り、私の肩にポンと両手を置いた。

 少しだけ身をかがめて私の顔を覗き込む、そのサファイアの瞳は、激しい怒りと焦燥感でわずかに揺れている。


「エ、ラル……ど。私、は、平気……」

「……ひどい熱だ。喋らなくていい」


 私の荒い呼吸と、熱を持った身体の異変を即座に察知し、エラルドは短くそう告げた。

 そして、私の肩から手を離し、再び冷徹な氷の貴公子の顔に戻って、半身を凍らされた教団の男を見据えた。


「学園の結界をすり抜けて侵入するとは、随分と手慣れたネズミだ。……誰の手引きだ? 目的を吐け」


 絶対零度の威圧感。空気が凍り、温室の温度が急激に下がっていく。

 しかし、教団の男は怯えながらも、歪な三日月の口元をニィッと吊り上げた。


『……くくっ。私が口を割るとでも? 偉大なる灰の教義は、すでにこの箱庭の足元にまで迫っている……』

「なに……?」


 男の身体の奥底から、ボワッ、と不気味な黒い炎が噴き出した。

 それはエラルドの魔法ではない。男自身が、捕縛される前に口封じのために発動した『自死の呪い』だった。


『大いなる灰に、栄光あれ――』


 男の身体は、黒い炎に包まれたかと思うと、悲鳴を上げる間もなく、一瞬にしてサラサラの『灰』となって崩れ落ちた。

 後に残されたのは、最初からそこにあった星見草の残骸と同じ、ただの灰の山だけ。教団に繋がる証拠は、何一つ残されなかった。


「自立式の消滅呪詛……っ。証拠隠滅か」


 エラルドが舌打ちをした、その時だった。

 砕け散った温室の入り口から、息を切らせた数名の生徒たちが雪崩れ込んできた。


「エラルド様! 局地的な結界の破損と、異常な魔力反応を検知して駆けつけましたが……これは一体、何事ですか!?」


 先頭に立っていたのは、生徒会会計係であるガイル(冷静沈着な伯爵家嫡男)と、書記のアーサー(真面目な騎士爵)だった。彼らは破壊された温室と、灰の山、そしてエラルドの背後で肩で息をしている私を見て、驚愕に目を見開いている。


「ガイル、アーサーか。……詳細は後で生徒会室で話す。外部からの不審者の侵入だ。すでに自死して灰になったが、念のためこの温室周辺を封鎖してくれ」

「ふ、不審者ですか!? かしこまりました、すぐに教師陣にも報告を――」


 ガイルの緊迫した声を遠くに聞きながら、私の意識は急速に遠のき始めていた。

 男を殴り飛ばせなかった呪いの反動と、極限の緊張の糸が切れたせいだ。背中の傷が、焼けるように熱い。


(あ、やば……。力、抜ける……)


「――マリーッ!」


 膝から崩れ落ちそうになった私を、エラルドが咄嗟に腕を伸ばして抱き留めてくれた。

 彼の制服の、微かな木の葉の香りが鼻をくすぐる。

 それと同時に、私の意識は完全に暗闇へと沈んでいった。


 * * *


 微かな消毒液の匂いと、清潔なリネンの感触。

 ゆっくりと重い目を開けると、そこは公爵邸ではなく、見慣れた学園の医務室の天井だった。

 窓の外はすでに薄暗く、夕闇が迫っている。


「……気がついたかい、マリー」


 すぐ横から声がして顔を向けると、ベッドの丸椅子に座り、ひどく疲れ切った顔をしたエラルドが私を見下ろしていた。

 彼は私が起き上がろうとするのを「寝てて」と手で制し、静かに息を吐いた。


「ジュリアンの魔法を砕いた熱も下がりきってないのに、無茶をする。……本当に、君は昔から少しも変わらないな」

「……ごめん。でも、あいつら、十年前の……ギデオンと同じ気配がしたから」


 私がそう言うと、エラルドのサファイアの瞳が、一瞬だけ痛ましいものを見るように伏せられた。


「あいつの正体は、教団の末端だった。結界の修復と調査はガイルたちに任せてある。今は教師陣が総出で学園内を警戒しているから、とりあえずの危険はないよ」


 エラルドは淡々と事実だけを告げる。過剰に私を責めることも、大袈裟に心配の言葉を口にすることもない。でも、彼が丸椅子の上でギュッと握りしめている拳が、白く鬱血しているのが見えた。


「……あのさ、エラルド。なんか、いたーい雰囲気出ちゃってるけど、私、負けてないからね」

「え?」

「罠に嵌められちゃったけど、あと一歩で顔面ぶん殴れるところだったんだから。助けてもらったけど、別に、私が弱かったわけじゃないから」


 私が強がってそう言うと、エラルドはきょとんとした後、ふっと肩の力を抜いて、小さく吹き出した。


「ふふっ……ああ、そうだね。君の右ストレートが決まっていれば、あの男は自死する間もなく気絶して、貴重な情報源になっていたかもしれない。惜しいことをした」

「でしょ!? だから、そんなに怖い顔しないでよ」


 私が笑うと、エラルドはようやく、いつもの柔らかな微笑みを浮かべてくれた。


「ほら、立てるかい? 今日はもう、一緒に帰ろう、馬車も用意してある」


 エラルドが立ち上がり、私に向かって手を差し出す。

 私はその大きな手を取って、ベッドから降りた。

 背中の熱はまだ微かに燻っているし、具合も悪いけれど、彼の体温に触れると、不思議と安心感が広がっていく。


 夕日に染まる廊下を、二人で並んで歩く。

 学園に潜む不穏な影。灰の教団の暗躍。

 十年前から続く私たちの因縁は、ここから静かに、そして確実に動き始めようとしていた。

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