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始まる学園祭準備

初秋の夕暮れ。放課後の3学年3組の教室は、むせ返るようなペンキと真新しい木材の匂い、そして三十人の生徒たちが発する熱気と喧騒に完全に支配されていた。


「おーいマリー! そっちの壁用のベニヤ板、迷宮の通路に使うから十枚くらいまとめて運んでくれ!」

「オッケー! ついでにこの丸太も持っていくねー!」

「いや、丸太を片手で軽々担ぐな! どんな筋力してんだお前は!」


アイクのツッコミを背に受けながら、私は巨大な木材をひょいっと持ち上げ、教室の隅に設営中の巨大なセットへと運んだ。

 ドスンッ、と丸太を下ろすと、床が微かに震える。作業をしていた男子生徒たちが「相変わらずどういう筋肉してんだあの特待生……」「魔法使わずにアレだぞ……」とドン引き交じりの感嘆の声を漏らしているが、気にしない。力仕事なら私の独壇場だ。


王宮で旧守派の大人たちがどれほどドロドロとした権力闘争を繰り広げていようと、ここはミリス魔法学園。私たち学生にとって、秋の『魔法祭』は泣いても笑ってもこれが最後、最高学年としての意地と青春を懸けた一大イベントなのだ。


「アイリスー、これどこに置く?」

「そこら辺に積んでおいて。……ああもう、装飾の魔光石の仕入れ値が予定より3パーセントも高いじゃない。どこかで予算を削らないと……」


教卓に陣取ったアイリスは、腕まくりをして分厚い帳簿と魔導計算機を弾きながら、生徒会会計として目覚めたのか、鋭い商人のようにぶつぶつと呟いている。

 我が3組……通称『あぶれ者同盟』の巣窟であるこのクラスの出し物は、激しい議論(という名の欲望のぶつけ合い)の末、『体験型・からくり美食迷宮ダンジョン&タバーン』に決定していた。


事の発端は一週間前のホームルームだ。

 「とにかく美味い肉が食える屋台がいい! 魔法祭といえば肉一択!」と主張する私と、「身体を動かして戦える闘技場だろ! 魔法の腕を見せつけてやる!」と叫ぶアイク。相変わらず主張の激しいマリーとアイクの独壇場になる学園祭、ヒートアップする議論に水を差したのはなんと、セドリックだった。そして「魔界植物の安全な展示会を……」と控えめに提案するのであった。

 見事にバラバラな意見を前に、委員長フェリクスが冷徹な笑顔で黒板を叩いたのだ。


『馬鹿だな、全部組み合わせればいいのだ。セドリックの植物とアイクの仕掛けで迷宮アトラクションを作り、客を歩かせて疲れさせる。そして無事にゴールした達成感の中で、マリー・トマスの考えた極上のお肉と冷たい飲み物を売りつける。……去年と同じく皆の意見の合わせ技だ!』


かくして、私たち3組の教室は現在、巨大な迷宮のセットと、スパイスの香りが漂う模擬厨房の建設ラッシュに沸いていた。


「ふぅ……ちょっと休憩! はい、みんなに購買で買ってきた新作の『カボチャと栗の甘食パン』の差し入れ!」


私が紙袋から湯気の立つパンを取り出すと、作業をしていたクラスメイトたちが「おっ、マリーのおごりか!」「ありがとう!」「サンキュー!」と群がってきた。

 窓際の席に腰を下ろし、甘くてホクホクのパンをかじりながら、中庭で赤や黄色に色づき始めた木々を見下ろす。秋風が心地よく、汗ばんだ額を撫でていく。


「……にしても、いよいよ来月かぁ。魔法祭」

「ええ。泣いても笑っても、これが私たちの学生生活最後の祝祭よ」


アイリスが帳簿を閉じ、私の隣に座って上品にパンを千切って口に運んだ。

 その向かいの席に、木屑だらけになったアイクと、丸眼鏡を曇らせたセドリックもドカッと腰を下ろす。


「そういや、お前ら。魔法祭の夜の『大舞踏会』……誰と踊るか、もう決めたのか?」


アイクが、自分の分のパンを豪快に頬張りながら、何気ない風を装って尋ねた。

 魔法祭のフィナーレを飾る大舞踏会。それは、王宮の星夏祭のようなカビの生えた政治の場ではなく、学園の生徒たちにとって純粋な「愛の告白」と「青春」の集大成の場だ。


「あら。侯爵家の嫡男たるものが、まだお相手を見つけていないの?」


アイリスが、からかうように扇子で口元を隠し、流し目でアイクを見た。

 すると、アイクは耳の先まで真っ赤にして、持っていた甘食パンをボロッと落としそうになりながら、大声で怒鳴った。


「ばっ、馬鹿野郎! 俺はもうずっと前から、お前と踊るって決めてんだろうが! ……夏にも踊ったし、その、今回も……俺の相手、してくれるだろ」

「……ふふっ。エスコートでまた私のドレスの裾を踏んだら、次期生徒会の予算からあなたの道場の修繕費を全額カットするから、死ぬ気で練習なさいな」

「いつも同じセリフで飽きねえな! 任せとけ!!」


照れ隠しにガハハと笑うアイクと、ツンとそっぽを向きながらも嬉しそうに微笑むアイリス。

 二人の間に流れる、砂糖を煮詰めたような甘酸っぱい空気に、私とセドリックは「ヒューヒュー! 当て馬はお呼びじゃないね!」と冷やかしの声を上げた。


「アイクの奴、直球だなぁ! で、セドリックはどうなの? 声かけたい子、いるの?」

「ぼ、僕ですか!? 僕はほら、当日は迷宮の魔界植物の管理がありますから、今年は踊っている暇なんてありませんよ……っ」


セドリックが顔を真っ赤にして丸眼鏡を押し上げるのを見て、私たちは一斉にドッと笑い声を上げた。




平和で、騒がしくて、愛おしい時間。

 でも、「大舞踏会」や「男女の逢瀬」という甘い話題が出た瞬間。私の脳裏に、去年の秋に旧校舎の備品倉庫で遭遇した、『ある事件』の記憶が唐突に蘇ってきたのだ。


当時の私は、恋愛の「れ」の字も知らない野生児だった。薄暗い埃まみれの倉庫の奥で、むせ返るような香水の匂いの中、壁際で顔を真っ赤にして息も絶え絶えに支え合っている上級生の男女を見た私は――。

 本気で『すっごい高熱で苦しんでる!』と勘違いし、「保健室に担ぎますよ!」と正面から乱入して、彼らをパニックに陥らせてしまったのだ。

 後から教室で報告して、アイリスに『朴念仁! 野生児!』と頭を抱えて激怒されても、何のことかさっぱり分かっていなかったけれど。


「〜〜〜〜〜〜ッ!!」


ボンッ!!!

 現在の3組の教室で。甘食パンをかじりながら去年の出来事を思い出していた私の顔面から、突如として火柱が上がるような音がした。


(あ、あああ……っ! 今なら分かる! 今なら、あの先輩たちが暗い倉庫で何をしてたのか、痛いほどよく分かるぅぅぅっ!)


私は持っていたパンを机に置き、両手で自分の真っ赤に染まった顔を覆って、机に突っ伏した。


男と女が、壁際で密着して、荒い息を吐きながら首筋に顔を埋める。

 それが『高熱』なんかじゃなく、お互いの甘ku

激しい情欲をぶつけ合う、生々しい『逢瀬』だったということに。

 ほんの数ヶ月前、初夏に呪いで暴走したエラルドにベッドに押し倒され、あの重たくて熱い体温とシダーウッドの香りに閉じ込められた経験を持つ今の私には、先輩たちのあの密会がどれほど艶めかしいものだったか、完全に理解できてしまったのだ。


「ちょっとマリー? 急に頭抱えてどうしたのよ。甘食パンが喉に詰まった?」


アイリスがいぶかしげに私を覗き込んでくる。

 私は「な、なんでもない!」と首を横に振りながら、悶々とした感情の行き場を探していた。


(……それにしても)


私の脳裏に、去年の先輩たちの情熱的な姿と、現在のエラルドの『過保護な保護者』の顔が交差する。


あの先輩たちは、埃っぽい備品倉庫の暗がりで、あんなに激しく求め合っていた。

 なのに。エラルドときたら、次期公爵という最高の権力を持ち、豪華な私室もふかふかのベッドも選び放題だというのに、私に対して見事なまでにお行儀が良い。

 口元を拭ってくれたり、頭を撫でてくれたり、美味しいご飯を山のように食べさせてくれたり……甘やかしてはくれるけれど、あんな風に、理性を失って押し付けてくるような素振りは一切見せない。

 いや、それどころか。


「んがっ、もごもご……っ! ほんっと、あいつむかつく!!」

「……あいつって、エラルド様のこと?」


アイリスが、ピクリと眉を動かした。

 私は牛乳でパンを流し込みながら、机をバンッと叩いて身を乗り出した。


「そうよ! アイリス聞いてよ! こないだ旧校舎で、旧守派の貴族の先輩たちに魔法で襲われた時さ。私、素手で魔法を全部バーンって消し飛ばして、傷一つなく完全勝利したのよ!」

「ええ、聞いたわよ。あわや退学騒動の裏で、あんたがローストビーフサンドを片手に無双してたって話」

「でしょ!? なのに、後から駆けつけてきたエラルドときたら、私が勝ったことなんてガン無視して、『また君が死にかけたらどうするんだ!』って、すっごい怖い顔で怒鳴りつけてきたのよ!」


私は、あの時のエラルドの顔を思い出して、ギリッと奥歯を噛み締めた。


「私、ちゃんと『大丈夫だ、自分の身は自分で守れる』って言ったのに! 私がエラルドの前で生傷作ったり高熱出したりしたのだって、今まで何回もあったでしょ!? 今更過保護に包んだって遅いっつーの!

 それなのにあいつ、いつまで経っても私を鳥籠の中のお姫様みたいに扱って、全然私の強さを認めてくれないの! いつになったら対等だって認めてくれるわけ!? 大丈夫だって言ってんのにひどく心配そうにするのをやめないって、それって私のこと全然信頼してないってことじゃないのさ!」


私が鼻息荒く不満をぶちまけると。

 アイリスは、冷めた紅茶を一口飲み、扇子をパチンと閉じて、氷のように冷ややかな視線を私に向けた。


「……あのねぇ、マリー。あんたが『私は大丈夫だ』と言って、本当に大丈夫だったこと……片手で数えられるほどしかないってこと、自覚してる?」

「えっ」


アイリスの痛烈すぎる正論の矢が、私の心臓にグサッと突き刺さった。


「あんたは自分の頑丈さを過信しすぎてるわ。ほんの数ヶ月前、彼の暴走した呪いをその身に引き受けて、高熱で倒れたのはどこの誰よ。1年前だって色々巻き込まれては倒れてたわ。……いつだってあんたは『私なら大丈夫!』って無茶をして、死にかけて、エラルド様に寿命が縮むような思いをさせてきたじゃない」

「うっ……そ、それは……結果的に助かったし……」

「結果論よ。エラルド様にとって、あんたが傷つくことは、ご自分が傷つくよりも何百倍も恐ろしいことなの。あんたの特異点がどれだけ無敵だろうと、彼の中では、あんたはいつまで経っても『自分が命を懸けて守り抜かなければならない、かけがえのない宝物』なのよ」


アイリスは、呆れと、少しの同情を交えたため息をついた。


「過保護で息苦しいのは分かるわ。でも、彼がそうやって過剰に心配するのは、あんたを信頼していないからじゃない。……あんたを深く愛していて、二度と失いたくないというトラウマから逃れられないからよ」


アイリスの言葉に、私はぐうの音も出なかった。

 確かにそうだ。エラルドが怒ったのは、私の強さを否定したからじゃない。私が傷つく可能性そのものに怯えていたのだ。

 数ヶ月前のあの夜、私を力ずくで傷つけた(と思い込んでいる)罪悪感と、私が倒れたトラウマ。彼はそこから逃れられず、綺麗な王子様の仮面を被って、私を安全な場所に閉じ込めようとしている。


「……なるほどね」


私は、机の上で両手をギュッと握りしめ、ボキボキッと指の関節を鳴らした。


「マリー?」

「アイリスの言う通りかも。あいつは私のことを信頼してないんじゃなくて、ただのビビリになってるだけなんだ。……だったら、私がどれだけ言葉で『大丈夫だ』って言っても無駄じゃん」


私は顔を上げ、アイリスたちを真っ直ぐに見据えた。

 私の胸の奥で、苛立ちと、彼への愛おしさが混ざり合い、強烈なエネルギーとなって燃え上がっている。


「エラルドが私を壊れ物みたいに扱って、勝手に『触れちゃいけないお姫様』の箱に閉じ込めるなら……そんな箱、私が物理攻撃でぶっ壊してやるしかないでしょ」

「ぶっ壊すって……あんた、まさか」

「私がどれだけ頑丈で、あいつの重たい感情を全部受け止められるだけの『図太い盾』なのか。……言葉じゃなくて、わからせてやる。とりあえず、購買で新作の肉まん5個買ってスタミナつけてから、公爵邸にカチ込む!!」


私が力強く宣言し、椅子からバンッと立ち上がると、アイクが「ぶふっ!」と飲んでいた水を吹き出し、セドリックが「ま、マリーさん!? 公爵邸にカチ込むって、まさかエラルド様に力業で……!?」と顔を真っ赤にしてパニックになり始めた。

 アイリスだけは、やれやれとこめかみを押さえながらも、どこか面白そうな笑みを口元に浮かべている。


「……本当に、あんたのその野生児の図太さには恐れ入るわ。氷の貴公子様のトラウマと理性をぶっ壊す気なら、中途半端な突撃じゃいなされるわよ?」

「任せて。私、お肉への執着と、相棒を独りぼっちにさせないことに関しては、誰にも負けないタチだから。あいつが私の強さを認めて、対等な相棒として扱うまで、絶対にあいつの部屋から一歩も出てやらないんだから!」


秋風が、教室の窓から吹き込み、迷宮のセットに塗られたペンキの匂いを運んでくる。

 彼が私のことを、守るべき箱入り娘だと思っているなら。

 その箱ごと、私のこの拳と食欲で粉砕してやる。


私は、来るべき決戦(という名のエラルドへの物理的突撃)に向けて、嵐のような足音を立てて購買部へと走り出した。

 エラルド・フォン・アルバーン。あんたのその過保護な理性の壁、覚悟しておきなさいよ!

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