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魔法実技と、砕け散る紅蓮 闘技場にて

翌日の午後。


 昨夜、エラルドの恐ろしくも的確なスパルタ指導によって無事に完成した「原稿用紙五十枚のレポート」を、私は朝一番でクイットウィンク教授のデスクに叩きつけてきた。 ふふっと口角が上がる。今日は達成感でいっぱいで良い1日になりそうだ!


 無事に放校の危機を回避し、午前の授業を今日は珍しく眠りに落ちることもなく、(アイリスには、今日は雪でも降るのかなと心配された)晴れやかな気分で迎えた本日の六時限目は『魔法実技』である。座学で死にかけていた私にとって、唯一身体を動かせる(そして絶対に眠くならない)オアシスのような時間だ。


 座学の教室棟から、ステンドグラスの美しい渡り廊下を抜けた先。


 そこにあるのは、巨大な円形コロシアムのような『第一実技演習室』である。


 生徒たちの魔法が暴発しても外の施設に被害が出ないよう、壁や床の全面が、魔力を吸着し相殺する黒みがかった「魔力吸収鉱石」で覆われている。ドーム状の天井はひどく高く、空間には常に微かなオゾンと、何かが焼け焦げたような乾いた匂いが漂っていた。


 すでに実技用の動きやすいローブに着替えた生徒たちが、すり鉢状になった観覧席に等間隔で座っている。


「さあ、本日は中級の属性投射を行う。各自、闘技場の中央に立ち、ターゲットに向かって自身の最も得意とする属性魔法を放つように。威力だけではない。術式の安定性、発動までの速度、そして何より『己の魔力を完全に制御できているか』を評価する」


 実技担当である、歴戦の魔法騎士のような風貌のバルガス教授が野太い声を張り上げると、生徒たちが名簿順にすり鉢の底――演習用の闘技場へと降りていく。


 ミリス学園の同学年の生徒たちが、優雅な身のこなしで杖を振り、あるいは指先で流麗な魔法陣を描いて、火の球や水刃を的へと放っていく。パァン、と的の中央を射抜く乾いた破裂音が響くたび、観覧席からは上品な拍手が送られていた。この授業は、学年3クラスあるうちの、2クラス合同で行われる授業なのだ。


 やはり、ミリス魔法学園に集められた貴族の子弟たちは、総じて優秀だ。何世代にもわたって純血を保ち、魔力器官を鍛え上げてきた彼らにとって、息を吐くように自然のことわりを歪めることなど造作もないことなのだろう。


「次、ジュリアン・フォン・バルディア!」

「はい」


 名前を呼ばれ、裏地に深紅の布が張られたマントを翻して闘技場の中央に進み出たのは、侯爵家の嫡男であるジュリアンだった。


彼の実家であるバルディア侯爵家は、代々王国の武を司る騎士団長を輩出してきた名門中の名門だ。ジュリアン自身も、剣術と魔法を高度に組み合わせた『魔法剣士』として日々厳しい鍛錬を積んでおり、自身に流れる貴族の血と階級に対して、誰よりも強烈なプライドと誇りを抱いている男である。根はひどく真面目で単純なのだが、それゆえに「貴族たるもの、平民を圧倒する力と優雅さを持たねばならない」という選民思想の塊でもあった。


 そんな根っからの貴族主義である彼にとって、平民の分際で特待生として学園に居座り、あろうことか自身が一方的にライバル視している次期筆頭公爵・エラルドと馴れ馴れしく接するマリーの存在は、我慢ならない「身の程知らず」の象徴なのだ。


 夜空色の髪を完璧になでつけた彼が演習場に立つと、周囲の女子生徒たちから「ジュリアン様……!」と黄色い歓声が上がる。


 ジュリアンは的を見据え、ふと、チラリと観覧席の隅――平民の特待生である私が座っている場所を、見下すような冷ややかな目で一瞥した。

 『平民には到底扱えない、真の貴族の魔法を見せてやる』。口には出さずとも、その傲慢な視線がそう雄弁に語っていた。


「――我に宿る灼熱の息吹よ。理の糸を紡ぎ、全てを穿つ紅蓮の槍となれ」


 ジュリアンが流れるような美しい詠唱と共に、右手を前に突き出す。

 途端に、彼の手のひらの前に複雑な幾何学模様を描く赤い魔法陣が展開され、周囲の空気がビリビリと焼け焦げるような熱を帯びた。


 大気中の魔力素マナが一気に収束し、燃え盛る巨大な『炎槍フレア・ランス』が形作られていく。

 中級魔法のはずだが、彼の生み出した炎の槍は、通常の生徒のそれよりもひと回りもふた回りも大きく、禍々しいほどの熱量を放っていた。


 周囲の令嬢たちから感嘆のどよめきが漏れる。だが、私は微かに眉をひそめた。


(……うわ、あんなに魔力込めたら、制御しきれないんじゃ?)


 野生の勘というやつだろうか。嫌な予感がして、私は観覧席の石のベンチから少しだけ腰を浮かせ、前のめりになって身構えた。

 いくら強力な魔力を持っていても、彼らはまだ二年生だ。見栄を張って身の丈に合わない魔力を注ぎ込めば、術式の基盤を成すルーンが歪む。昨日、エラルドが図書室で嫌というほど解説してくれた『魔力定数のズレ』というやつだ。


「行けッ! 『炎槍フレア・ランス』!!」


 ジュリアンが自信に満ちた声で叫んだ瞬間、凄まじい轟音と共に紅蓮の槍が的へと射出された。

 しかし。

 マリーの嫌な予感は、最悪の形で的中することになる。


 過剰な魔力によって限界まで圧縮されていた炎の槍は、空中で一瞬、不規則にぐらりと軌道をブレさせた。術式の制御が追いつかなかったのだ。

 狙いを外した炎槍は、的の中心ではなく、的を支える魔力吸収鉱石の台座の『縁』に激突した。


 バァァァァァァァンッッ!!!!


 鼓膜を破るような爆発音と共に、強固なはずの的が粉々に吹き飛んだ。

 問題は、そこからだ。

 完全な形で魔力を相殺されなかった炎の槍は、砕け散った的の破片と共に、逃げ場を失った圧縮された炎の塊となって、不規則な軌道を描いて弾き飛ばされた。いわゆる『魔法の跳弾』である。


 そして、その燃え盛る巨大な炎の塊が向かった先は――観覧席の最前列で、震えながら演習を見ていた、私と同じ平民特待生のクロエの顔面だった。


「ひっ……!」


 治癒魔法は天才的でも、戦闘能力は皆無の小柄な少女。

 突然の死の恐怖を前に、クロエは悲鳴を上げることも逃げることもできず、ただ両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込んだ。

 ジュリアンも、バルガス教授でさえも、あまりにも一瞬の出来事に防御魔法の展開が間に合わない。

 誰もが最悪の事態を覚悟し、令嬢たちが目を伏せた、その時。


 ――ダンッ!!


 観覧席の石のベンチを思い切り蹴り飛ばし、私はクロエの前に文字通り『降って』湧いた。


「マ、マリーちゃん……っ!?」

「頭下げてて!!」


 クロエを背中に庇い、私は迫り来る巨大な炎の塊を正面から見据えた。

 普通の魔法使いなら、ここで即座に多重の防御結界を展開するのだろう。だが、私にそんな器用な芸当はできない。私にあるのは、幼い頃からエラルドを連れて野山を駆け回ることで培った野性的な身体能力と、この理不尽な『特異体質』だけだ。


 右足を大きく踏み込み、腰を落とす。

 ごうごうと燃え盛る熱風が、私の寝癖のついた前髪を焦がしそうになる中。

 私は思い切り右の拳を握りしめ、肩の真後ろまで引き絞った。


(魔法なんて、ただのエネルギーの塊。複雑に編み込まれた糸の塊に過ぎない。だったら――!)


「――砕けろぉぉぉっ!!」


 気合いと共に、私は真正面から、紅蓮の炎の塊の『中心』に向かって、渾身の右ストレートを叩き込んだ。


 パァァァァァンッッ!!!!


 闘技場に、ガラスでできた巨大な城が崩れ落ちたような、甲高く、そしてひどく美しい破砕音が響き渡った。

 私の素の拳と、高密度の炎の魔法が衝突した瞬間。

 空間を満たしていたジュリアンの緻密な魔術陣の構成ルールが、魔力を持たない完全なる『物理の暴力』によって、根本から強制的に引き裂かれる。


 人を焼き尽くすはずだった紅蓮の炎は、まるで薄い飴細工が割れるように無数の赤い光の粒子へと変貌し、私の背中――十年前から刻まれている呪いの傷跡へと吸い込まれるようにして、キラキラと霧散していった。


「……………………っ、また貴様は!!」


 一瞬の完全な静寂を破ったのは、闘技場の中央に立つジュリアンの、ギリッと奥歯を噛み砕きそうな怒声だった。

 一年生の時にも何度かやらかしているため、この『魔法を物理で殴り飛ばす』という私の異常な光景は、もはや二年生の間では見慣れたものになりつつあった。


 観覧席の令嬢たちからも、驚きというよりは、「またあの平民の野蛮な体質が……」「呆れたわ。でも、あのジュリアン様の強力な炎槍を素手で散らすなんて……」と、呆れと微かな戦慄、そして不快感が混じったヒソヒソ声が漏れ始める。


「ふう……っ。あぶなー。クロエ、怪我はない!?」


 拳からうっすらと白い煙を上げながら振り返ると、クロエはへたり込んだまま、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔でコクコクと何度も首を縦に振った。火傷一つない無傷だ。


「き、貴様ぁ……! 私の誇り高き魔法を、またしてもその薄汚い平民の拳で蠅のように叩き落としおって!!」

「叩き落とされるような、へっぽこな制御で魔法を撃ったジュリアンが悪いんでしょ! 人に怪我させそうになったんだから、怒る前にまずはクロエに謝るのが先!」


 顔を真っ赤にして激昂するジュリアンに、私も負けじと観覧席の上から指を突きつけて言い返す。

 そこでようやく、事態の収拾に動いたバルガス教授が、ひどく疲れたようにこめかみを揉みながら口を開いた。


「……ジュリアン。マリーの言う通りだ。貴様は自身の魔力量を誇示するあまり、術式の制御を完全に失っていた。中級魔法においてあのような初歩的な暴発を起こすなど、侯爵家の名折れだぞ。マリーのあの『特異体質』が咄嗟に介入していなければ、大惨事になっていたところだ」


「くっ……!! し、しかし教授! 神聖な魔法実技の場において、あのような魔力を持たぬ野蛮な暴力など、我々貴族への侮辱――!」


 ジュリアンが反論しようと声を荒げた、その時だった。

 チリッ、と。

 私の背中の奥、肩甲骨の下あたりに、真っ赤に焼けた鉄串を突き立てられたような鋭い痛みが走った。

 魔法を『砕いて喰った』ことによる、呪いの代償――いつもの知恵熱の前兆だ。


(う……っ、嘘。思ったより早いわ。ジュリアンのやつ、見栄張ってどんだけ魔力込めてたのよ……っ)


 ジュリアンは純粋な魔力量だけで言えば、この学年でエラルドに次いでの実力を誇っている。

痛みを顔に出さないように奥歯を噛み締め、私はフラつく足に必死に力を込めた。

 これ以上目立てば、また貴族たちからの風当たりが強くなる。平然とした顔で席に戻らなければ。




ジュリアンの魔法は、思った以上に高密度だったらしい。背中の傷跡が脈打ち、ひどい熱を持ち始めているのがわかる。

 しかし、ここで私が痛みに顔を歪めれば、平民への風当たりはさらに強くなり、ただでさえ目立っている私のせいで、クロエや他の特待生たちまで余計な非難を浴びることになる。

 それに何より、この件がエラルドの耳に入れば、あいつはまたひどく悲しそうな、自分を責めるような顔をするに決まっている。あの顔だけは、絶対に見たくない。


「ほらほら! 教授もこう言ってるし、怪我人が出なくてよかったじゃん!」


 私は背中の痛みを奥歯を噛み締めて強引に抑え込み、いつもの「能天気なおバカ」を装って、パンパンと明るく手を叩いた。


「とりあえずこの勝負、私の拳の勝ちってことで! さ、実技の続きやろー!」

「だ、誰が勝負などと言った! このふざけた平民が……!」


 怒り心頭のジュリアンだったが、バルガス教授の「ジュリアン、席に戻れ。減点だ」という冷酷な宣告により、真っ赤な顔で引き下がるしかなかった。

 周囲の令嬢たちも「本当に無神経な子」「呆れたわ」とヒソヒソ声を上げながら、次第に興味を失って実技の再開へと意識を戻していく。


「マリーちゃん……ごめんなさい、私のせいで」

「いーのいーの! あんなの、私にかかればハエが飛んできたようなもんよ!」


 涙ぐむクロエの頭を撫でながら、私は無理に笑って見せた。

 ……ハエにしては、少しばかり熱すぎる代償だったけれど。




ジュリアンの起こした騒動の熱が冷めやらぬ中、バルガス教授の「実技を再開する!」という号令で、演習は半ば強制的に進められていった。

 次に名前を呼ばれたのは、アイリスだった。


「次、アイリス・フォン・レイン!」

「はい」


 涼やかな声で返事をし、アイリスが優雅な足取りで闘技場の中央へと進み出る。

 下位貴族である男爵家の令嬢。普段から上位貴族たちに侮られがちな立場だが、彼女が的を見据えてスッと右手を掲げた瞬間、周囲の空気がピンと張り詰めた。


「――静謐なる水面の揺らぎよ、鋭き氷刃となって射抜け」


 無駄のない、流れるように美しい詠唱。

 アイリスの前に青白い魔法陣が展開されると、大気中の水分が一瞬にして凍りつき、三本の鋭い『氷柱のアイス・ランス』が形成された。ジュリアンのような過剰で暴力的な魔力ではない。一滴の無駄もない、極限まで研ぎ澄まされた完璧な魔力制御だ。


 シュッ!!


 風を切り裂く音と共に放たれた氷の槍は、三本とも寸分の狂いなく、新しく用意された的の『ど真ん中』を正確に貫き、美しく砕け散った。


「……見事だ。魔力の出力、術式の安定性、文句のつけようがない。満点だ、アイリス」

「ありがとうございます、教授」


 バルガス教授の感嘆の声に、アイリスは淑女の完璧なお辞儀をして観覧席へと戻ってくる。

 上位貴族の生徒たちも、その洗練された魔法には素直に賞賛を表す。


「すごい! さすがアイリス、完璧じゃん!」

「ジュリアン様のへっぽこ炎槍とは大違いね。……さて、次はいよいよあなたの番よ、マリー」

「うっ……任せておきなさい!」


 痛む背中を庇いながら、私は勢いよく立ち上がった。

 私の特異体質は『飛んできた魔法を物理で砕く』こと。逆に言えば、自身の魔力を体外へ放出する(=普通の魔法を使う)ことは、絶望的なまでに下手なのだ。


「次、マリー・トマス! ……怪我がないなら、やれるな?」

「はいっ! やりまーす!」


 闘技場の中央に立ち、私は大きく深呼吸をした。

 背中の呪いがチリチリと熱を持っているが、これくらいなら誤魔化せる。私は的をキッと睨みつけ、昨日エラルドに教わった(そして三秒で忘れた)詠唱を、なんとか思い出しながら叫んだ。


「えっと……我に宿る大地の……なんかすごいパワーよ! ドーンと飛んでいけ!! 『土球ロック・バレット』!!」


 気合いと共に右手を突き出す。

 ポンッ。

 私の手のひらから、親指の先ほどの小さな、ひどく情けない泥団子のような土の塊が飛び出し――的まであと十メートルというところで、ポスッと虚しい音を立てて地面に転がった。


「……………………」

「……………………ぷっ」


 静まり返るコロシアム。

 直後、周囲の令嬢たちから「あんなの、平民の子供の泥遊びですわ」「やはり魔法の才能など皆無なのね」と、あからさまな嘲笑が巻き起こった。

 バルガス教授はひどく疲れたようにこめかみを揉み、「……放出系の才能は相変わらずゼロだな。赤点ギリギリだ、席に戻れ」とため息をついた。


「えーっ!? 教授、さっきジュリアンの魔法をあんなに綺麗に粉砕したのに、加点はないんですか!?」

「あれは魔法ではなくただの物理攻撃だ!! さっさと戻れ!」


 教授の怒声に追いやられるようにして、私は「ちぇーっ」と唇を尖らせながら観覧席へと戻る。

 嘲笑の的になっても、痛む背中をごまかすには丁度いい。

 何食わぬ顔でアイリスの隣にどっかりと座り込むと、彼女は呆れたように小さく息を吐き、誰にも見えない死角で、私のローブの袖をそっと引いた。


「……無理して笑わなくていいわよ、バカ。背中、痛むんでしょ」

「えっ」

「付き合いの長さを舐めないで。……後で湿布薬、保健室からもらってきてあげるから」

「……アイリスぅぅぅ」


 私の誤魔化しなど、親友の冷ややかで優しい目には完全に筒抜けだったらしい。

 私は彼女の肩にすり寄りながら、痛む背中の熱を少しだけ休ませるのだった。




 * * *




 それからの数日間。

 私は背中に巣食う鈍い熱と痛みを隠したまま、何食わぬ顔で学園生活を送っていた。


 幸い、あの『炎槍』を殴り飛ばした時のダメージは、すぐに高熱で倒れるほどの致命的なものではなかった。ただ、微熱がずっと身体の奥底にへばりつき、鉛のように身体を重くさせている。


 授業中もボーッとしてしまうことが増え、アイリスからは「最近、さらに輪をかけてアホ面になってるわよ、背中まだ痛むの?」と心配されたが、「夜更かしして本読んでただけー!」と笑って誤魔化した。


「マリーちゃんはいつも私を助けてくれる。……あの、せめて私に、お礼をさせて! 私、治癒魔法だけは得意だから!」とあの後お礼に来たクロエは、治癒魔法をかけてくれた。さすがは「治癒魔法の天才」として特待生に選ばれたクロエだ。彼女の魔力は、触れているだけで細胞の疲れを癒やし、痛みを和らげる極上の鎮痛剤のような心地よさがあった。


(……すごい。背中の呪いの熱は消せないけど、少しだけ身体が軽くなった)


 ジュリアンの魔法を砕いたことによる『呪いの代償(知恵熱)』は、闇魔法の呪いに起因するものだから、普通の治癒魔法で根本から治すことはできない。それでも、クロエの純粋で優しい魔力は、強張っていた私の筋肉をほぐしてくれた。


 


 一番神経を使ったのは、たまに顔を合わせるエラルドの前での振る舞いだった。

 彼だって次期公爵として、そして誰もが頼る優秀な生徒として常に忙しい。毎日公爵邸に通ったところで、彼が不在の日だって珍しくはないのだ。大食堂で遠くから眺めるだけで終わる日もある。


 それでも、週に数回、彼と一緒に図書室で勉強を見てもらう時間だけは、絶対にボロを出すわけにはいかなかった。

 エラルドは昔から、私の一挙手一投足の変化に恐ろしいほど敏い。だから私は、彼の前ではいつも以上に大口を開けて笑い、たくさんおやつを食べ、彼の完璧な解説に「さすがエラルド先生!」と大袈裟に拍手を送った。彼が私の背中に触れようとするたび、「くすぐったい!」と大袈裟に身をかわすのは少し胸が痛んだが、彼に心配をかけるわけにはいかないのだ。


 そもそも、なぜ私が『魔法を物理で粉砕する』なんてデタラメなことができるのか。そして、なぜその代償として背中が痛むのか。

 それは、今から十年前。私たちを襲った、ある凄惨な事件が原因だった。


 ミリス王国には、精霊の力を借りる『正の魔法』、大抵魔力と言ってイメージするのはこちらの力である、とは別に、他者の生命力を奪って魔力に変える『闇魔法』を操る危険な地下組織が存在する。

 十年前、その闇の勢力が、規格外の純粋な光の魔力を持って生まれたエラルドを『生贄』として利用するために誘拐しようとしたのだ。

 泣き叫ぶエラルドに向けられた、致死の闇魔法。

 その時、私は何も考えずに飛び出し――彼を庇って、その一撃を背中にまともに受けてしまった。


 本来なら即死だったはずだ。しかし、私の生命力と特異な星の巡りが奇跡を起こしたのか、背中に焼き付いた呪いの傷跡は私の魔力器官と複雑に癒着し、『外部から放たれた魔力を無差別に吸収し、霧散させる』という、ブラックホールのような性質へと変異してしまった。

 いかなる高度な魔法術式であっても、私の拳(傷跡と直結した魔力回路)が触れれば、強制的に乱れて粉砕される。これが、私の特異体質の正体だ。


 しかし、便利なだけの力ではない。

 相手の強力な魔力を砕き、その残滓を吸収するたび、背中の傷跡が『呪い喰い』の反動として焼け焦げるように熱を発し、一時的な高熱を引き起こすのだ。


 私が魔法を砕くたびに、私の身体は熱に蝕まれる。

 だからこそエラルドは、「絶対にマリーに戦わせない」「彼女が拳を振るう前に、俺がすべてを終わらせる」と、私に対して過保護な心配と共に誓いを立てているのだ。


(大丈夫。これくらいの知恵熱、あと数日しっかり寝れば絶対に治る。誰かにバレる前に治してみせる)


 そんなふうに、自身の野生の回復力を過信していたのが間違いだったのかもしれない。





 四日後の、放課後。

 その日、私は図書委員の雑用として、学園の敷地の端――鬱蒼とした森に隣接する『旧温室』へと、古い植物図鑑の整理に向かっていた。図鑑の整理とはマリーの柄ではないのだが、代役が見つからなかった以上しょうがない。

 アイリスは別の用事があり、今日は一人きりだ。


「はぁ……っ、ちょっと、キツいかも……」


 人気のない石畳の小道を歩きながら、私は誰にも聞かれないのを確認して、小さく弱音を吐き出した。

 背中の傷跡が、昨日よりも熱い。呼吸をするたびに、肺の中に熱い空気が満ちていくようで、視界がわずかにぐらりと揺れた。

 歩みを止め、石造りの壁に手をついて息を整える。


「早く終わらせて、今日はエラルドのところはお休みして、家のベッドで寝よう……」


 重い足を引きずり、郊外へ歩くこと10分ほど。 なぜ、こんな校舎から遠いところに旧温室があるのか、心の中でブーブー文句を言いながら、さっさと用事を終わらせて帰るぞと頭の中で調べる項目を一巡りさせる。 ようやくガラス張りの『旧温室』の入り口に辿り着いた、その時だった。


「……え?」


 私は、足元を見てピタリと動きを止めた。

 温室の入り口。いつもなら、見事な青い花を咲かせる『星見草ほしみそう』の鉢植えが並んでいるはずの場所。

 そこにあるのは、花ではなかった。

 鉢植えの中の土も、茎も、花びらも。すべてが色を失い、生命の痕跡を完全に抜き取られたような――『サラサラの灰』の山に変わっていたのだ。


「なに、これ……」


 不思議な現象に首を傾げ、灰の山にそっと指先を伸ばそうとした、その瞬間。


 ――ゾクリ、と。


 背中の『傷跡』が、狂ったような警鐘を鳴らし、これまでとは比べ物にならないほどの激痛と熱を発した。

 それはまるで、天敵の気配を察知したかのような、生物的な防衛本能。


『――ほう。こんな辺境の温室に、迷い込んだ小鳥が一羽』


 背後から、ひどく冷たく、湿った泥のような不気味な声が鼓膜を撫でた。

 振り返るよりも早く、私の周囲の空気が、太陽の光を完全に遮断するような『ドス黒い瘴気』に包み込まれていく。

 ただの知恵熱などではない。背中の傷が悲鳴を上げている。

 十年前、エラルドと私を理不尽な絶望の底に突き落とした、あの『闇魔法』の気配が、すぐ後ろに立っていた。

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