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禁書庫での手がかり 作戦決行

生徒会室の扉を蹴り破った、その日の放課後。

 夕日が完全に落ち、王都を凍てつくような冬の夜闇が包み込み始めた頃。

 私たち『あぶれ者同盟』の四人は、人気のない中央図書館棟の地下深く――あの『第三閉架書庫』へと続く冷たい石段を、息を潜めて下りていた。


凍てつくような冬の夜風が吹きすさぶ外の世界とは対照的に、中央図書館棟の地下深くは、一切の空気の流れが止まった「死の静寂」に支配されていた。

 私たち『あぶれ者同盟』の四人は、アイクの展開する微弱な幻影のヴェールに包まれながら、石段を一段ずつ慎重に下りていた。


「……アイク、熱源探知の結界は?」

「誤魔化してる。だが、マリー。お前の足音だけはどうにもならねえから、絶対に音を立てるなよ」


 アイクの張り詰めた囁きに、私は無言で頷いた。

 地下書庫の最奥。『第三閉架書庫』の分厚い鉄格子の前に立つと、あの時セドリックが嗅ぎつけた、生命を腐らせるような『灰の匂い』が、カビの匂いに混じってじっとりと鼻腔にへばりついてくるのが分かった。


(ルカくんは、一ヶ月前の魔法祭の取材で、この『灰』の秘密に気づいてしまったから……事故に見せかけて殺されたのかな)


 暗闇を見据える私の瞳の奥で、冷たい怒りの炎がチリチリと音を立てて燃えている。

 内通者だとか、裏の事情なんて私は知らない。ただ、目をキラキラさせて私の串焼きを褒めてくれたあの後輩が、冷たい暗闇の中で誰にも助けを呼べないまま理不尽に命を奪われたのかもしれないという事実。そして、灰の教団、次期侯爵としての重責、それらを全て背負って一人で泥水啜って泣いている馬鹿な幼馴染の存在が、私の腹の底でマグマのような怒りとなって渦巻いていた。ふん、私をこども扱いしたツケを払ってもらうぞ。今日1日で教団に近づいて、スパッと解決してやる!


「よし。アイリス、お願い」

「……見つかったら放校なんだからね。――『氷結破砕』」


 アイリスの放った極低温の魔力が、厳重な鉄の錠前を凍らせ、カチンと乾いた音を立てて粉砕する。

 重い扉を押し開き、禁書区画へと足を踏み入れた重い扉を押し開き、禁書区画へと足を踏み入れた瞬間。

 そこには――私たちが拍子抜けするほど、『何もない、ただの古い書庫』が広がっていた。


「……なんだ? 敵がいるわけでも、荒らされた形跡があるわけでもねえな」

「そうね。ただカビ臭いだけで、本も全部綺麗に並んでいるわ」


 アイクとアイリスが、拍子抜けしたように周囲を見渡す。

以前4人でベヒモス・ピッグのお肉を求めて忍び込んだ時と景色は何ら変わりない。

 天井まで届くマホガニーの巨大な本棚には、分厚い魔導書や羊皮紙の束が、一寸の狂いもなく整然と収められている。教団が侵入したような痕跡など、どこにも見当たらない。

4人は暗い書庫の奥へと進んでいく。

第一甲種、第二甲種、第三甲種、ーーーーー

棚の難しそうないかにも危険そうな書物のたくさん入った天井まで届く巨大な本棚をじっくり確認していく。

特に異常もなく、どんどん奥へと迷路のように入り組んだ書庫を進んでいく。


 その時。

 第九甲種の棚の前をただ一人、セドリックだけが「あっ」と小さく息を呑み、血の気の引いた顔で足を止めていた。


「……どうしたの、セドリック」

「おかしい……。マリーさん、アイク君の展開している幻影のヴェールを、ほんの少しだけ解いてくれませんか」


 セドリックの異様なまでの真剣さに押され、アイクが指先を鳴らして幻影を解く。

 すると、セドリックは眼鏡の奥の瞳を限界まで細め、吸い寄せられるように、奥から三番目の『第九甲種』に分類された本棚へと引き寄せられていく。


「セドリック、何もないよ? 本がちゃんと並んでるだけじゃん」

「……『並んでいるように見える』だけです」


 セドリックの声は、微かに震えていた。


「この第九甲種の棚には、数百年前に書かれた貴重な古文書が収められているはずなんです。当然、紙の劣化を防ぐために、棚自体に『微弱な乾燥の結界』が張られている。……でも、匂いがおかしい。古い羊皮紙特有のインクと膠にかわの匂いが、この一角からだけ『完全に消滅』している」


 彼はそう言うと、ゴクリと唾を飲み込み、棚に並んでいる分厚い背表紙の一つに、そっと自らの指先を触れさせた。

 ――その瞬間だった。


 サラ……ッ。


 セドリックの指が触れた背表紙が、まるで砂上の楼閣のように、音もなく崩れ落ちたのだ。

 幻影が解けたわけではない。物理的な現象として、そこにあったはずの数十冊の分厚い魔導書が、すべて『サラサラの灰』となって、石畳の床に雪崩れ落ちたのである。


「なっ……!?」

「本が、灰に……!?」


 私とアイクが驚愕に目を見開く。


「教団は、証拠を残すほど甘くありませんでした。もう彼らは来た後だった。遅かった。彼らは本を『盗み出した』んじゃない」


 セドリックは床に落ちた灰の山を前に、自身の膨大な知識の引き出しから、恐るべき真実を導き出していた。


「これは『知識の簒奪さんだつ』と呼ばれる高度な闇の呪詛です。対象となる書物から、暗号化された瘴気で中身の情報だけを吸い上げ、原本を完全に炭化させて隠滅する。そして、周囲の人間が『本が失われたこと』に気づかないよう、灰の表面に精巧な【物理偽装の幻術】を被せていたんだ……!」


(……なんてこと。ただの泥棒じゃない。情報を盗んだ上で、誰にも気づかれないように完璧に痕跡を消していたっていうの?)


 背筋を、冷たい氷の刃で撫でられたような悪寒が走る。

 ルカくんは、この完璧な偽装に違和感を覚え、この棚の真実に触れてしまったからこそ……秘密を守るための「自動防衛の罠」にかけられ、殺されたのだろうか。謎は深まっていく。 禁書庫の場所は、旧温室とは離れているし、ただの予想だ。


「ちなみに、この棚に収められていた本は……?」

「……王都の地下霊脈の古地図と、大結界の基点の構造式に関する文献です。彼らは、学園の結界を内側から破壊するための『正確な場所』を、ここから引き抜いた」


 アイリスの問いに、セドリックが重苦しい声で答える。

 完璧な手口だ。魔法の痕跡も、侵入の証拠も、一切残されていない。王宮の魔導士団が調査に入ったとしても、この「偽装された灰の本」に気付くのには数週間はかかっただろう。

 それを、匂いと湿度の僅かな違和感だけで見破ったセドリックの『知識の深さ』には脱帽だった。


「……でも、完璧な魔法でも、物質の化学反応までは誤魔化しきれません」

「セドリック大手柄!」

私が満面の笑みで彼の背中をバシッと叩いた。


 セドリックは鞄から小さなルーペとピンセットを取り出すと、床に崩れ落ちた灰の山を慎重に探り始めた。


「彼らがこの呪詛を発動させるために使った『触媒』の微細な燃えカスが、灰の中に残っているはずです。魔力は消せても、物質の残滓は残るは……


 その時だった。


 ――ドクンッ。


 地下書庫の空気が、突如として不気味に脈打った。

 セドリックの足元に散らばっていた『灰の山』が、まるで意思を持ったスライムのように急速に集まり、ドロドロと膨張し始めたのだ。


「え……?」

「いかん! セドリック、マリー、離れろ!!」


 アイクが私を突き飛ばすと同時だった。

 床に付着していた灰の痕跡が、まるで意思を持つスライムのように急速に集まり、膨張していく。それは、禁書区画への侵入者を抹殺するために教団が残していった自動防衛の罠――泥と骨で形成された、体長三メートルを超える巨大な『灰の魔獣ゴーレム』だった。


『ギィィィィィィッ……!!』


 金属を引っ掻くような咆哮が、地下書庫の空気をビリビリと震わせる。

 魔獣が巨大な腕を振り下ろし、本棚が紙屑のように粉砕された。


「させないわ! ――『氷絶の城壁アイス・ウォール』!!」


 アイリスが杖を高く掲げる。極北の冷気が渦を巻き、私たちの前方に分厚い氷の防壁が隆起した。魔獣の豪腕がその壁に激突し、凄まじい衝撃音が地下に響き渡る。

 だが、敵の纏う濃密な瘴気は氷を瞬く間に黒く腐らせ、防壁にはピキピキと致命的なヒビが入り始めた。


「くそっ、瘴気が強すぎる! 俺の幻影じゃ目眩ましにもならねえ!」

「アイリスさんの壁が溶かされる……! なら、これで!」


 震える足を踏みとどまらせ、セドリックが自身の鞄から二つのガラス瓶を取り出し、魔獣の足元へと正確に投げつけた。

 パリンッ! という音と共に、瓶の中から淡い緑色の粉末と液体が撒き散らされる。


「『竜胆草』と『銀砂』の調合液……! 瘴気の魔力結合を阻害する中和剤です! 奴の装甲は今、脆くなっています!」

「ナイス、セドリック! アイク、壁が崩れる瞬間に一番強い光を!!」


 私は、アイリスの氷の壁のすぐ後ろで、右腕の筋肉がはち切れるほど強く拳を引き絞った。

 背中の傷跡が、敵の放つ瘴気に呼応して、皮膚を焼き切るような高熱を発する。


(――頼りない平民だと、舐めるなよー!!)


「今よ!!」

「食らいな! 『白夜の閃光』!!」


 アイリスが自ら氷の壁を解除した瞬間、アイクの指先から放たれた強烈な閃光が魔獣の視覚(魔力探知)を完全に奪った。

 もうもうと舞い上がる氷の破片と中和剤の粉塵。

 その真ん中を、私は一直線に駆け抜けた。


『ギ、ガァァァァッ!?』


 盲目になり暴れる魔獣。そのがら空きになった胴体の『コア』に向けて、私は全身の筋力と怒りを乗せた右拳を叩き込んだ。


 パァァァァァァンッ!!!!


 甲高く、どこまでも美しい破砕音。

 私の拳が直撃した瞬間、セドリックの薬で脆くなっていた魔獣の瘴気装甲が、まるで薄い飴細工のように木っ端微塵に粉砕された。

 断末魔の悲鳴と共に、魔獣はただのサラサラとした泥の山となって、石畳の床に崩れ落ちる。


「……ふぅっ」


 荒い息を吐きながら、私は痛む右手の拳をギュッと握り直す。背中の痛みも特に残っていない。

 静寂が戻った地下書庫で、もう動くものは何もない。


「やった……私たちだけで、倒した……!」

「ははっ、マジでやりやがったぜ。お前ら、最高だ!」


 アイリスが安堵の息を吐き、アイクが快活に笑って私の肩を叩く。

 だが、私たちの勝利の余韻は、セドリックの真剣な声によってすぐに引き締められた。


「みんな、待って。これを見てください」


 セドリックは、魔獣が崩れ落ちた跡に残された『泥』を、小さなピンセットとルーペで慎重に観察していた。セドリックの鞄には一体どれだけの実験器具が入っているのだろう。


「ただの泥じゃない。……微かに『硝石』の匂いと、特有の青みを帯びた『月長石』の粉末が混ざっています。それに、この土の異常なまでの保水性……」

「月長石? なんだそれ」

「王都の周辺で、月長石と硝石が同時に産出され、これほど魔力を含んだ地下水脈がある土壌は一箇所しかありません。……王都の北西、今は完全に閉鎖されている『旧時代の地下廃坑』です」


 セドリックの丸眼鏡の奥の瞳が、知的な光を鋭く反射した。


「彼らが連れてきたこの魔獣を形成している泥の成分……間違いありません。この学園を狙う『灰の教団』の王都における本拠地は、その地下廃坑にあるかもしれません」


 セドリックの膨大な知識が、見事に敵の急所を暴き出した瞬間だった。

 頼りなかった三男坊の、あまりにも見事な分析に、私とアイクは「おおおっ!」と歓声を上げ、アイリスも感心したように目を丸くした。


「すごいよセドリック! 大手柄だね!」

「い、いえ! 僕はただ、本で読んだ知識を繋ぎ合わせただけで……戦ったのはマリーさんたちですから」


 照れてモジモジする彼に、私はニヤリと笑いかけた。

「ううん、四人で掴んだ勝利だよ。……これで、敵の居場所は分かった」


 私は、暗い地下の奥を睨み据え、固く拳を握りしめた。

 生徒会のお偉いさんたちに任せておけば、きっといつかは解決するのかもしれない。でも、エラルドがこれ以上、私に隠れてボロボロに傷つくのだけは、絶対に御免だ。


(エラルド。あんたが一人で全部抱え込んで、私を安全な場所に閉じ込めようとするなら)

(私が、あんたの周りの暗闇を根こそぎぶっ潰して、無理やりにでも太陽の下に引きずり出してやる)


「……行くよ、みんな。生徒会のお偉いさんたちが動く前に、私たち『あぶれ者同盟』の手で、教団の根城を叩き潰す!」


 冷たい地下の底で。

 大人の保護を自ら蹴り飛ばし、危険な真実の渦中へと飛び込んでいく私たちの決意は、冬の寒さなど消し飛ばすほどに熱く、確かなものだった。




* * *




灰の教団の王都における本拠地――『旧時代の地下廃坑』。

 そこへ乗り込むと決めた日の日中、私たちの時間は、まるで時限爆弾の導火線がジリジリと燃え進むような、胃の痛くなるような焦燥感と共に過ぎていった。


 昼休み。人気のない旧校舎の空き教室に集まった私たちの中心には、セドリックが図書館の歴史区画からこっそりと持ち出してきた、古く黄ばんだ『王都北西・地下見取り図』が広げられていた。


「……廃坑の内部は、まるで巨大な蟻の巣です」


 セドリックが、震える指先で複雑に交差する坑道の線をなぞる。

「教団が陣取っているのは、おそらく最も瘴気が溜まりやすい最深部の採掘場。僕たちの目的は、敵の殲滅じゃありません。あくまで『教団の全貌と、ルカ君の死の真実に繋がる証拠』を持ち帰ることです」

「ああ。まともにドンパチやったら、いくらマリーの拳があっても多勢に無勢だ。俺の幻影魔法ステルスで気配と熱源を完全に遮断して、最短ルートで潜り込む」


 アイクが真剣な顔つきで頷く。作戦の絶対条件は『徹底した隠密』。無用な戦闘はすべて避け、影から影へと渡り歩く泥棒猫のやり方だ。


「もし見つかったら、どうするの?」

「その時は、一目散に逃げるわよ。私たちは訓練された騎士でも兵士でもない、ただの学生なのよ」


 アイリスが、氷のように冷たく理知的な声で釘を刺した。

「いいこと、マリー。あなたのその真っ直ぐな拳は頼りになるけれど、今回ばかりは『敵を殴り飛ばすこと』を最優先にしないで。……少しでも命の危険を感じたら、這ってでも逃げ帰る。それがこの無謀な作戦の、唯一の絶対ルールよ」

「分かってるって! 証拠さえ掴めば、あとは生徒会のお偉いさんたちに丸投げしてやるんだから!」


 私が両手で丸を作って見せると、セドリックは「その逃走のための『切り札』ですが」と、鞄の中から慎重に一つの小箱を取り出した。

 中に入っていたのは、青白い液体が渦を巻く、手のひらサイズの美しいガラス玉が三つ。


「放課後の実験室で、僕の調合した爆薬に、アイリスさんの『極低温の魔力』と、アイク君の『幻惑の閃光』を圧縮して封じ込めました。名付けて『極夜の閃光玉』です」


 セドリックの分厚い眼鏡の奥の瞳が、知的な光を放つ。

「敵に囲まれたら、これを足元に叩きつけてください。半径十メートルの空間を瞬時に凍結させ、同時に視神経を焼くほどの閃光を放ちます。……敵の動きが止まるのは、長くて十秒。その十秒の間に、全力で坑道を逆走して逃げるんです」


 瘴気の中和剤、傷薬、そして逃走のための完璧な切り札。

 主にセドリックとアイリスが練り上げた策は、学生がする準備としては、緻密で、論理的な生存戦略だった。

 目的地が定まった2日後の深夜。私たち「あぶれ者同盟」の四人は、それぞれ寝静まった王都の闇を抜け、公爵邸の敷地内にある私の実家、トマス薬局の一階に集結していた。


 ストーブの火が落ちた深夜の店舗内には、薬草のツンとした匂いと、凍てつくような冬の冷気が重く立ち込めている。

 セドリックは学園の男子寮の監視の目を盗んで抜け出し、アイリスとアイクもまた、それぞれ厳重な警備が敷かれた自身の屋敷(男爵邸と侯爵邸)から、使用人たちに隠れてこっそりと抜け出してきたのだ。


 カチャ、カチャ……。

 静寂の中、セドリックが革袋にポーションの小瓶を詰める音が、微かに震えて鳴っている。


(……怖い。本当に、僕たちだけで行くんだ)


 セドリックは、震えを隠すように両手を強く握り合わせた。

 ルカという一年生が、あの日どうやって命を落としたのか。その本当の死因も、教団の全貌も、彼らにはまだ何も分からない。分からないからこそ、底知れない化け物の巣穴に、温室育ちの学生が丸腰で飛び込むような恐怖があった。

 胃が締め付けられ、足の震えが止まらない。

 けれど。セドリックは顔を上げ、前でブーツの紐を結んでいるマリーの背中を見た。


(僕は、ずっと暗い書庫の隅で、誰にも期待されずに腐っていくはずだった。……そんな僕を、マリーさんは日の当たる場所に引っ張り出してくれたんだ。ここで逃げたら、僕は一生、元の暗闇から出られない)


 恐怖で白んだ唇をギュッと噛み締め、セドリックは特製の『中和剤』の瓶を、決意と共に鞄の奥深くへと押し込んだ。


 その隣では、アイリスが微かな月明かりを頼りに、自身の氷魔法の触媒である銀の杖を、布で何度も磨き上げていた。


(正気の沙汰じゃないわ。大人たちですら全貌を掴めていないテロリストのアジトに、学生が四人で乗り込むだなんて。完全な自殺行為よ)


 アイリスの透き通るような青い瞳には、明確な恐怖と葛藤が張り付いていた。

 ルカの死の真相を暴く。それは立派な動機だが、命を賭けるにはあまりにも無謀だ。理性が「今すぐ引き返して、生徒会に報告しろ」と警鐘を鳴らし続けている。

 だが、アイリスは杖を磨く手を止めず、隣で笑う親友を見た。

 マリーは、一度決めたら絶対に止まらない。ブレーキの壊れた馬車だ。私たちがここで「行かない」と言えば、彼女は一人で平然とあの闇の中へ突っ込んでいくだろう。


(……この大馬鹿者を一人で死なせたら、私の『親友』としてのプライドが許さないわ。それに、私たち四人で乗り越えてきた時間は、もう絶対に切れない絆なんだから)


 アイリスは、ふと視線を横に滑らせた。

 壁に背を預け、普段と変わらない飄々とした態度で、宙に銀貨を放り投げてはキャッチしている男――アイクの姿があった。


「……よぉし、持ち物の準備はバッチリだな! まさか学生のうちから、こんなスリリングな課外授業ができるなんて思わなかったぜ。血が騒ぐな!」


 アイクはニシシと悪戯っぽく笑い、銀貨をポケットにしまった。

 だが、アイリスには分かっていた。彼がポケットに突っ込んだその手のひらが、先ほどからずっと、じっとりと冷たい汗を握っていることを。

 侯爵家の嫡男として、温かい場所でヘラヘラと笑って生きてきた彼にとって、これが人生で初めて直面する「本物の暴力」と「死の危険」だ。強がってはいるが、心臓は早鐘のように打ち鳴らされ、逃げ出したい本能を、必死の虚勢という薄皮一枚で覆い隠しているのだ。


(……ビビってんのは、俺も同じだ。でもよ)


 アイクは、ポケットの中で震える拳を強く握り込んだ。


(マリーが前をこじ開けて、セドリックが頭脳で道を作るっていうなら。俺が一番後ろで、絶対にアイリスを守り抜く『盾』にならなきゃ嘘だろ。……男見せるところだぜ、アイク・フォン・ランバート)


 巻き込まれただけの厄介事。けれど、強がりから出たその決意は、いつしか本物の覚悟へと変わり、彼の金色の瞳に静かな熱を灯していた。


 恐怖、葛藤、そして決して切れない絆への信頼。

 三者三様の重い感情が交錯する中。

 ただ一人、私――マリー・トマスだけは、微塵の恐怖も抱いていなかった。


「……よしっ! 準備体操おっけー!」


 私は両腕をぐるぐると回し、パンッ! と気合を入れるように両頬を叩いた。

 ルカくんが、冷たい闇の中でどんな恐ろしい目に遭ったのか。その真相はまだ分からない。でも、だからこそ、自分たちの目で確かめて、けりをつけなきゃいけないのだ。


(エラルド。あんた、いつも私には何も怖いことは知らなくていい、大丈夫だって顔をするよね)


 目を閉じれば、深夜の裏庭で私を痛いほど抱きしめてきた、あの馬鹿な幼馴染の震える身体の感触が蘇る。

 自分の手を血と泥で汚して、私を守ろうとしてくれる。その過保護で不器用な優しさが、たまらなく愛おしくて……そして、同じくらい腹立たしい。


(私が欲しいのは、あんたが命を削って作った『安全な箱庭』なんかじゃない。あんたと一緒に、馬鹿みたいに笑い合える『ただの日常』なの。……あんたを縛り付けてる教団っていう重い鎖、私がこれから、根こそぎぶっ壊してやるから)


 相手がどんなに恐ろしいカルト集団だろうが、化け物だろうが関係ない。

 私の幼馴染の重荷を剥ぎ取り、学園で愛されていた後輩を奪った奴らのアジトを丸ごと吹き飛ばす。ただそれだけの、極めてシンプルで暴力的な決意が、私の全身の細胞を熱く燃えたぎらせていた。


「みんな、準備はいい? 私のわがままに巻き込んじゃってごめんね。でも、あんたたちがいなきゃ、私一人じゃ迷子になっちゃうから!」


 私が振り返り、ニカッと笑って見せると。

 恐怖で青ざめていた三人の顔に、ふっと毒気を抜かれたような、呆れと絶対的な信頼の入り混じった笑みが浮かんだ。


「……ええ。死んでも足手まといにはならないわ」

「おう! 俺の完璧な幻影で、敵の懐までエスコートしてやるよ」

「ぼ、僕の知識と薬も……全部、使い切ってみせます!」


 月明かりすら届かない、王都の北西。

 私たちは互いに頷き合うと、薬局の裏口から、冷たい冬の闇夜へと音もなく滑り出した。

 それが、自分たちの日常と引き換えにする、あまりにも無謀で危険な『反逆』の始まりだということを、四人はその身を震わせながら、確かに理解していたのだった。

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