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舞踏会の終焉

レオンハルト殿下の一喝を合図に、オーケストラが再び力強いワルツを奏で始めた。

 最初は戸惑っていた生徒たちも、殿下のカリスマ性と、エラルドの圧倒的な力に守られているという絶対的な安心感から、次々とフロアに戻り、再び華やかな狂騒が広間を包み込んでいった。


呆然としていた私も、ハッと我にかえる。エラルドの一瞬の鎮圧で大事なことが頭から飛びそうになっていた! 危ない危ない。


「よーし! 敵もいなくなったし、今度こそお肉だーっ!!」


 私は気を取り直して、トングをナイフに持ち替え、厨房の前の騒ぎなど微塵も気にする様子もなく『仔牛の丸焼き』へと突撃した。


「ま、マリーさん……! さっきあんな恐ろしい魔獣に襲われかけたのに、どうしてそんなに平常心でお肉を切り分けられるんですか!?」

「え? だってエラルドが全部凍らせてくれたし。冷めちゃう前に食べないと、お肉に失礼でしょ! ほら、セドリックもいっぱい食べて!」

「ぼ、僕の胃はもう、色んな意味で限界です……っ」


 私が山盛りのお肉とローストビーフを皿に乗せてホクホク顔で頬張っていると、フロアの喧騒を抜けて、見慣れた二人が歩み寄ってきた。


「全く……あなたは本当に、神経が鋼でできているのね。少しは心配した私が馬鹿みたいじゃない」

「あははっ! 相変わらずブレねえな、マリーは。無事で何よりだぜ」


 呆れ顔のアイリスと、快活に笑うアイクだ。

 二人は無事に一曲踊り終えたらしく、アイリスの白い頬は楽しげな熱を帯びてほんのりと桜色に染まり、アイクもどこか誇らしげな顔をしている。


「おかえり二人とも! ダンスどうだった? アイク、アイリスの足踏まなかった?」

「おうよ! 俺の完璧なエスコートで、アイリスをフロアで一番輝かせてやったぜ!」

「……調子に乗らないで。三回は私の足を踏みそうになって、その度に私が無理やり軌道修正してあげたのよ」


 フイッとそっぽを向くアイリスだが、その声はひどく弾んでいて、二人がどれだけ楽しい時間を過ごしたのかが手に取るようにわかった。

 私たちは壁際のテーブルを囲み、美味しい料理と甘い果実水を持ち寄って、最高に楽しい舞踏会の夜を満喫し始めた。


 ふとフロアの向こうを見渡すと、いつの間にか復活を遂げた2組のジュリアンが、取り巻きの令嬢たちに囲まれて何やら大声で熱弁を振るっていた。


「ふんっ、先ほどの襲撃など恐れるに足らん! アルバーン公爵家の彼が出しゃばらなければ、この僕が華麗な剣技で魔獣どもを真っ二つにしてやったものを……っ! ああっ、僕の剣が血を求めて疼く……ッ」

「きゃああっ! ジュリアン様、素敵!」

「あの時も一番に剣の柄に手をかけていらっしゃいましたものね!」


 令嬢たちの黄色い歓声を浴びて得意げにマントを翻すジュリアンだったが、その顔色はまだうっすらと土気色だ。

 大きくターンを決めた瞬間、彼は「ウグッ……」と不自然に胃の辺りを押さえて顔を引き攣らせた。


「おーい、ジュリアン!! 無理して踊ると、またお腹痛くなるよー! お肉食べる!?」


 私が遠くから無邪気に大声を張り上げると、ジュリアンは「ビクゥッ!!」と肩を震わせ、耳まで真っ赤にして「き、貴様ぁ! 淑女の前で大声を出すな、この野蛮な平民がぁぁっ!!」と叫びながら、そそくさとフロアの反対側へと逃げていってしまった。

 その滑稽な姿に、私やアイクたちは腹を抱えてゲラゲラと笑い合った。


 広間の中心では、生徒会の面々が、見事な手腕で事態の収拾と貴族たちのケアに当たっていた。

 レオンハルト殿下は、全く動じることなく他国の王族たちと優雅にグラスを交わし「我が学園の余興はいかがでしたかな?」と豪快に笑い飛ばしている。

 ガイルとアーサーは、駆けつけた近衛騎士たちを的確に指揮し、氷漬けにされた教団員たちを誰の目にも触れないよう裏口からスムーズに搬出させていた。

 そしてミーシア様はといえば、襲撃の最前線にいたというのに、ドレスの裾一つ乱すことなく、扇子で口元を隠しながらご令嬢たちと「冷や汗をかいてお化粧が崩れてしまいましたわ」と、信じられないほど優雅に談笑している。

 本当に、この学園のトップ層の大人びた精神力には脱帽するしかない。


 ――そして。

 そのトップ層の中でも、今宵の絶対的な『主役』となった男の周りには、尋常ではない熱気が渦巻いていた。


「エラルド様! 先ほどは素晴らしい魔法でしたわ! どうか、次の曲は私と……!」

「いいえ、私と踊ってくださいませエラルド様! この日のためにステップを猛特訓してまいりましたの!」

「エラルド様! ぜひ我が伯爵家の夜会にも足を運んでいただきたく……っ!」


 エラルドは、文字通り「ドレスの壁」に囲まれていた。

 ただでさえ絵画のように美しい筆頭公爵家の次期当主が、あんなにも圧倒的で英雄的な力を見せつけたのだ。令嬢たちが群がらないわけがない。

 色とりどりのドレスと甘い香水の匂いに押し潰されそうになりながらも、エラルドは一寸の隙もない完璧な『氷の貴公子』の微笑みを浮かべていた。


「ありがとうございます、麗しきレディたち。皆さんがご無事で本当に良かった。……ですが、僕の魔法でフロアを少し冷やしてしまいました。皆様が風邪を引かれてはいけませんから、今は温かいお飲み物で身体を休めてくださいね」


 誰も傷つけず、誰にも特別を与えない、完璧で甘い断り文句。

 令嬢たちは「はぁぁ……っ、お優しい!」とさらにうっとりとため息を吐き、彼への熱狂はとどまることを知らない。

 エラルドは誰にも気づかれないように、ほんのわずかに、本当にわずかにだけ「疲れた」とばかりにサファイアの瞳を細めた。



私が、串焼きのお肉をモグモグと咀嚼した。 ほっぺに手を当てて、美味しーーーい、振り返ったその時だった。


 ドレスの波の隙間から。

 エラルドの涼やかな視線が、ふらりとフロアの壁際にいた私を捉えた。

 目が合った。私はニカッと笑って、手に持っていた『仔牛のロースト(特大サイズ)』が乗った皿を、「お疲れ様!」とばかりに彼に向かって軽く掲げて見せた。

 すると、エラルドは一瞬目を丸くした後――私がよく知っている、柔らかくて少しだけ呆れたような、本当に嬉しそうな笑みを、ほんの一瞬だけ口元に浮かべたのだ。


 コクリ、と。

 彼が私に向けて、小さく頷く。

 それだけで、彼との間にある見えない壁が少しだけ薄くなったような気がして、私は満足して残りのローストビーフを胃袋へと流し込んだ。


 幻想的なオーケストラの調べと、着飾った生徒たちの甘い溜息。

 美味しい料理と、親友たちとの笑い声。

 少しのパニックと、それを補って余りあるほどの最高にロマンチックで艶やかな空気。

 学園祭マジックに彩られた夢のような夜は、こうして誰もが笑顔のまま、静かに更けていったのだった。


 



――かくして、波乱の大舞踏会は幕を閉じた。


 厨房の爆発という前代未聞のテロはあったものの、レオンハルト殿下の迅速な指揮と、エラルドの圧倒的な制圧劇により、生徒たちに一人の死傷者も出ることなく、魔法祭は無事にフィナーレを迎えることができた。

 私とセドリックのあぶれ者同盟も、その後は平和にビュッフェの『仔牛の丸焼き』を心ゆくまで堪能し、お腹をさすりながらアイリスの馬車で家路についたのだった。


「ただいまー!」

 公爵邸の敷地内にある実家の薬局に戻ると、一階の店舗部分はすでに閉まっており、二階のリビングからは温かいスープの匂いが漂っていた。

「おお、マリー! おかえり! 舞踏会はどうだった?」

「すごく綺麗ね、そのドレス! アイリスお嬢様が用意してくださったの?」

 父さんと母さんが、夜食のハーブティーを飲みながら私を笑顔で出迎えてくれた。私は「うんっ!」と元気よく頷き、ドレスの裾を翻していつもの使い込まれたソファにドスッと腰を下ろした。

「もうね、すっごく楽しかったよ! 会場中がキラキラしてて、お肉もケーキも食べ放題だったの!」

「あはは、お前は相変わらず色気より食い気だな。セドリック君とのダンスは上手くいったのか?」

「完璧! 二人でカニみたいに『イチ、ニ、サン』って横歩きしたから、一回も足踏まなかったよ!」

 私の得意げな報告に、両親は「それはダンスと呼べるのか?」と顔を見合わせてゲラゲラと笑った。

「途中でね、厨房から変な魔獣がいっぱい出てきてビックリしたんだけど、エラルドがシュパパパッ!って全部氷漬けにして倒してくれたの! エラルド、王子様みたいで本当にカッコよかったんだから!」

「へえ、エラルド坊ちゃんがねぇ。……そりゃあ、大活躍だっただろうな」

 父さんが少しだけ誇らしげに、けれどどこか苦笑いのような表情で頷いた。幼い頃からエラルドを知っている両親にとって、彼がどれだけ強大な魔力を持っているか、ある程度察しがついているのだろう。

「私も早く強くなって、あんな風に悪いやつらをバンバン倒せるようになりたいなー。……ふぁぁ」

 お腹がいっぱいで、温かいお茶を飲んだら、急激に眠気が襲ってきた。

「ほらほら、お姫様はもう限界みたいね。ドレスを脱いで、早くベッドに入りなさい」

「はーい……おやすみなさい、お父さん、お母さん」

 母さんに背中を押されながら、私は自分の部屋へと向かった。

 煌びやかな魔法祭の夜。少しだけ背伸びをした大人の世界は楽しかったけれど、やっぱり私には、この少し散らかっていて、薬草の匂いがする温かい実家が一番落ち着くのだった。



* * *



 生徒たちが皆帰り去り、静寂を取り戻した深夜の大広間に、ただ一人残っている影があった。


 ミッドナイトブルーの夜会服を着たエラルドである。

 彼は、先ほどまで華やかな音楽が響き渡っていた無人のフロアを抜け、夜風が吹き込むバルコニーへと静かに足を踏み出した。

 


すべての品物は事前に厳重に検品され、品質管理がされているはずだった。それなのに、なぜ大量の賊と魔獣が潜り込めたのか。確実に、学園の内部に手引きをした『裏切り者』がいる。

 一昨日の旧温室の件と合わせ、二度にわたってこのような致命的な失態が起こった事実を重く受け止め、舞踏会の後、生徒会の緊急会議が開かれることになっていた。


 

 手すりに寄りかかり、眼下に広がる中庭を見下ろす彼のサファイアの瞳は、昼間の爽やかな笑顔からは想像もつかないほどに冷たく、凪いでいる。


「……ネズミの死骸の片付けは終わったよ。もう出てきたらどうだい」


 エラルドが、夜の闇に向かってぽつりと呟いた。

 誰もいないはずのバルコニー。しかし次の瞬間、エラルドの背後の空間が、陽炎のようにゆらりと歪んだ。


『――流石だな、若き公爵殿。我が教団の隠密結界を、息をするように見破るとは』


 空間の歪みから滲み出るように現れたのは、一人の男だった。

 先ほどの襲撃者たちのような薄汚れたローブ姿ではない。仕立ての良い漆黒の外套を羽織り、顔の半分を『灰色の仮面』で隠した、異様な気配を纏う長身の男。

 先ほどの暴れるだけの捨て駒たちとは次元が違う。立っているだけで周囲の魔力が死滅していくような、濃密で圧倒的な『死』のプレッシャー。

 間違いなく、灰の教団の最高幹部の一人だった。


「五十人の信者と魔獣を、ただの『時間稼ぎ』にするとはね。ずいぶんと悪趣味な組織だ」

「くくっ……彼らは本望さ。舞踏会の熱気で膨れ上がった生徒たちの魔力と、あの愚か者たちが貴様に凍らされて散らした『死の魔力』……その二つが混ざり合った強力なノイズこそが、学園の地下霊脈に『灰の種』を植え付けるための、最高の隠れ蓑になったのだからな」


 男の言葉に、エラルドの瞳がスッと細められた。

 彼らがこの舞踏会を狙った真の目的。それは生徒の暗殺ではない。エラルドや近衛騎士たちが広間での派手な戦闘に気を取られている数分の間に、男が地下へと潜り込み、学園の防御網の要である霊脈を汚染する『灰の種』を密かに仕込むことだったのだ。

 今はまだ何も起きていないが、いずれ内側から結界を食い破る「時限爆弾」が、すでにこの学園にセットされてしまったということだ。


「なるほど。随分と手の込んだ嫌がらせだ。……それで? 用が済んだならさっさと帰ればいいものを、わざわざ僕の前に姿を現した理由はなんだい?」


 エラルドは振り返ることなく、右手を軽く持ち上げた。

 刹那。

 男の足元から、大広間で見せたのと同じ、絶対零度の氷の棘が音もなく凄まじい速度で突き上げられた。

 対象を完全に串刺しにする、必殺の一撃。

 ――しかし。


「ほう。無詠唱での氷結魔法。やはり、純粋な魔力出力では我々でも敵わんな」


 シュゥゥゥ……ッ。

 男が外套をわずかに翻した瞬間、氷の棘は男の身体に触れる直前で、まるで泥のようにドロドロと崩れ落ち、ただの『灰』となって風に消えてしまった。

 魔力の物理的な減衰――いや、魔法そのものの『死滅』。


「……ほう」

「無駄だ。私の『灰』の前では、いかなる特権階級の魔力も平等に無に還る。貴様を殺すつもりでここに来たわけではない。……ただ、少し『確認』しておきたくてな」


 男は仮面の下で、三日月のように口角を吊り上げた。


「襲撃の際、私は暗がりからずっと貴様の動きを観察していた。王都の未来を担うレオンハルト殿下や、貴様の婚約者候補である公爵令嬢……守るべきVIPが広間の中央にいたにも関わらず、貴様は一番最初に、遥か遠くの厨房前にいた『ただの平民の娘』を確認したな」


 ピタリ、と。

 エラルドの指先が止まった。


「常に冷静で完璧な氷の貴公子が、王族よりも、誰よりも優先して目をやったのが、絶世の美女でもない、ただの騒がしい平民の娘。……不自然だとは思わないか?」

「…………」

「アレが、貴様にとっての『人間らしさの鎖』というわけか、エラルド・フォン・アルバーン。あんな平凡な娘が、貴様の唯一の弱点だとはな」


 男が嘲るように笑い声を上げた、その直後だった。


 パキィィィィンッ!!!!


 バルコニーの手すりが、石畳が、そして男の立っていた空間そのものが、爆発的な勢いで白く凍りついた。

 一切の詠唱もない。ただエラルドが「男を睨んだ」だけで、大気中の水分はおろか、魔力そのものが限界点を超えて凍結したのだ。

 先ほど大広間で見せた力など、ただの児戯。これが、エラルドの本当の出力。


「ッ……!?」


 男は咄嗟に灰の魔力で防御したが、防ぎきれずに外套の半分が粉々に砕け散り、仮面の一部が弾け飛んだ。

 凍りつく空間の中で、エラルドだけが、ゆっくりと男に向かって歩み寄ってくる。

 その顔には、もはやいつもの涼やかな笑みは欠片もなかった。

 ただただ、底なしの暗闇のような、絶対的な『死』を約束する瞳。


「……一つ、教えてあげよう」


 エラルドの声は、吹雪よりも冷たく、重かった。


「僕の前で、二度と彼女の存在を口にするな。……次にその舌が彼女を侮辱した時は、灰になる暇も与えず、魂ごとすり潰す」

「くっ……ははっ、いい目だ……! 狂気を隠し持った、見事な目だ……!」


 男は凍りついた片腕を押さえながら、歪んだ笑い声を上げた。

 勝敗は明らかだった。しかし、男の目的は最初から戦うことではない。


「傑作だな。その鎖を断ち切られた時、貴様のその分厚い理性の仮面がどう剥がれ落ちるのか……今から楽しみでならないよ。せいぜい守り抜くことだな、若き公爵殿」


 その言葉を残し、男の身体は文字通りサラサラと『灰』になって崩れ落ち、夜風に乗って跡形もなく消え去ってしまった。


 後には、極寒の冷気に包まれたバルコニーと、一人立ち尽くすエラルドだけが残された。

 彼は深く、ひどく重い息を吐き出すと、夜空の月を見上げた。

 少しだけ疲れた顔をして。


「……絶対に、触れさせはしないさ」


 彼が誰にも聞こえない声で呟いたその誓いは、そしてどこまでも冷酷な響きを帯びて夜空に溶けていった。

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