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ファーストダンスとご馳走

ゴォーン……ゴォーン……。


 夜の王都に、大舞踏会の開門を告げる重厚な鐘の音が鳴り響いた。

 それを合図に、噴水広場に集まっていた着飾った生徒たちが、さざ波のような歓声と共に、ゆっくりと大広間へと続く正面階段に向かって歩き始める。


「よし、私たちも行こうか!」


 私がアイクとアイリス、そしてセドリックに声をかけ、四人で階段に足を踏み入れようとした、その時だった。


周囲の生徒たちがハッと息を呑み、モーゼの十戒のようにサッと道を空けた。

 広場の入り口に、規則正しい蹄の音と車輪の軋む音を響かせて滑り込んできたのは、純白の車体に黄金の流線型装飾が施された、一際豪奢な馬車だった。四頭立ての美しい白馬が荒い鼻息を吐き、ガス灯の暖かなオレンジ色の光を照り返すその姿は、王族のそれに勝るとも劣らない圧倒的な威厳を放っている。


 カチャリ、と従者が恭しく扉を開ける。

 そこから、一人の青年が、音もなく静かに降り立った。


 仕立ての完璧な、深いミッドナイトブルーの夜会服テールコート。襟元には公爵家を表す豪奢なダイヤモンドのピンブローチが輝き、夜風が彼のプラチナブロンドの髪をサラリと揺らす。

 エラルドだった。

 ガス灯の柔らかな光の下で見る彼の顔立ちは、昼間よりもさらに陰影を深め、まるで天才彫刻家が精魂込めて削り出したかのような、非の打ち所のない美しさを誇っていた。涼やかで知的なサファイアの瞳、スッと通った高い鼻梁、そして薄く形の良い唇。

 彼は振り向くと、流れるような優雅な所作で、馬車の中へと右手を差し出した。


 その、エスコートのために差し出された手を取って、ふわりと降りてきたのは――公爵令嬢、ミーシア様だ。

 月光そのものを織り込んだような、透け感のある純白のシフォンドレス。動くたびに、何層にも重なった布地と、裾に施された銀糸の雪の結晶の刺繍が、星屑のようにキラキラと瞬く。彼女の透き通るように白い肌と、背中まで流れる艶やかな銀色の髪が、暗い夜の背景に浮かび上がるように映えていた。長い睫毛に縁取られた伏し目がちな瞳と、儚げで気品のある顔立ちは、まさに銀の精霊そのものだ。


「はぁぁ……」「なんて、美しいの……」


 周囲から、ため息とも感嘆ともつかない声が、夜の空気に溶けるように漏れ出した。

 学園祭マジックで誰もが大人びて見え、これ以上ないほどに着飾っているこの数百人の人混みの中にあってすら。二人の存在は、まるで別次元だった。


 エラルドの研ぎ澄まされた冷たい美貌と、ミーシア様の触れれば壊れてしまいそうな儚い美しさ。夜の闇と月光が交わるような、奇跡的なまでに完璧なコントラスト。並び立つ二人は、誇張でもなんでもなく、彼ら自身が内側から神々しく『発光』しているようにすら見えたのだ。


(……すごい。やっぱり2人の周りだけ光って見える)


 私は群衆の端に紛れたまま、ポカンと口を開けてその光景を見つめていた。

 エラルドは、ミーシア様にふわりと完璧な大人の微笑みを向け、何か言葉を交わして談笑している。その横顔は、私の知っている『口うるさい幼馴染』の欠片もなく、ひどく落ち着き払っていて、スマートで、遥か遠い世界に住む『次期筆頭公爵様』そのものだった。

 甘く重い香水の香りと、遠くから聞こえるワルツの調べが、夜の艶やかな魔法となって、彼と私の間にある見えない身分の壁を、より一層厚くしているように感じる。


 まるで、知らない人みたいだ。

 



 階段を上り始めたエラルドが、ふと群衆の方へと視線を流した。

 涼やかなサファイアの瞳が、ふらりと宙を滑り――私の着ているアプリコット・オレンジのドレスを捉え、ピタリと止まった。


「あ……」


 一瞬。本当に、心臓が一拍打つだけの短い時間、私とエラルドの視線が交差した。

 驚きなのか、それとも別の感情なのか、彼の瞳の奥で微かに何かの光が揺れたような気がした。しかし、エラルドの端正な表情は全く崩れなかった。

 彼はまるで「見知らぬ生徒の一人」を見たかのように、何事もなかったかのようにすっと視線を外し、再びミーシア様をエスコートして、重厚な扉の奥へと足を踏み入れていった。


「……そっか。今日は、公爵様だもんね」


 私は小さく呟いた。

 ちょっぴり寂しかったけれど、すぐに「まあいっか!」と気を取り直した。その時、アイリスの声が横から響いてきた。


「ほらマリー、私たちも入るわよ」

「うん!」


 アイリスに促され、私たち四人もついに大広間へと足を踏み入れた。


 * * *


「うわぁぁ……!!」


 一歩足を踏み入れた瞬間、私は感嘆の声を上げて立ち尽くした。

 王城の謁見の間に匹敵する広大な大広間は、まさに幻想の夜そのものだった。

 吹き抜けの巨大な天井からは、何百という輝石を繋ぎ合わせた『星空のシャンデリア』が吊るされ、そこから黄金色の魔力の粒子が、淡い雪のようにチラチラと舞い落ちている。

 床は鏡のように磨き上げられた純白の大理石。壁際には、見上げるほど高い氷の彫刻が飾られ、その間を縫うように、美しい花々で彩られた巨大なビュッフェテーブルが果てしなく続いていた。


(お、お肉……っ! あんなところに、丸焼きの仔牛のローストが……っ!!)


 私が即座にビュッフェテーブルにロックオンしていると、参加生徒たちが全員ホール内に収まったのであろうか。ファンファーレと共に、広間の空気が一瞬にして静まり返った。


『――これより、魔法祭大舞踏会を開会いたします。まずは、我が学園の誇りである生徒会役員の方々による、ファーストダンスです』



 広間の中央。円形に空けられたフロアに、数組の男女が静かに進み出た。

 中央に立つのは、王家の象徴である純白と金の夜会服に身を包んだ、生徒会長のレオンハルト殿下。

彼がその手を取っているのは、友好国から招かれた王女である、燃えるような真紅のドレスを纏った華やかな令嬢だ。


 その隣には、銀縁眼鏡を光らせる生徒会会計のガイル先輩が、理知的なエメラルドグリーンのドレスを着た侯爵令嬢を、普段の神経質な様子からは想像もつかないほどスマートにエスコートしている。


 さらに、代々近衛騎士を輩出する騎士爵家の長男であり、書記を務める生真面目なアーサー先輩も、一寸の隙もない洗練された夜会服姿で、薄桃色のドレスを纏った令嬢を力強く、かつ紳士的にリードしている 。


 そして――ミッドナイトブルーの夜会服を着たエラルドと、純白のドレスに身を包んだミーシア様のペアだ。


 バルコニーに控えていたフルオーケストラが、指揮者のタクトの動きに合わせて、一斉に音を奏で始める。

 選ばれた曲は、建国神話をモチーフにしたとされる学園伝統のワルツ『星の戴冠』。チェロとコントラバスの深く重厚な低音が広間の空気を震わせ、それに呼応するように、何十本ものヴァイオリンが、甘く切なく、それでいて圧倒的に優雅な三拍子の主旋律を歌い上げた。


 それは、ため息が出るほどに完璧で、まるで緻密に計算された一枚の巨大な絵画のような群舞だった。


 レオンハルト殿下の、王者のごとき堂々とした力強いステップ。ガイルの、幾何学模様を描くような正確無比なターンとアーサーの、騎士の家系で鍛え上げられた体幹のブレない流麗なエスコート 。

 しかし、その研ぎ澄まされた舞の中でも、一際人々の視線を、いや、魂すらも釘付けにしていたのは、やはりエラルドとミーシア様の二人だった。


 エラルドのリードは、呼吸のタイミングすら相手と完全に同調しているかのように、一寸の狂いも、少しの力みもない。彼が滑るように足を踏み出し、しなやかな腕で彼女の腰を導くと、ミーシア様の月光のようなシフォンドレスが風を孕み、大輪の白い百合の花のようにふわりと円を描いて広がる。

 彼らが軽やかにターンをするたび、ドレスに施された銀糸の刺繍が魔力ランプの光を乱反射し、天井から降る黄金の光の粒子が、二人の周囲に吸い寄せられるように美しい螺旋を描き出した。


 ミッドナイトブルーと、純白。

 重厚な弦楽器の響きが最高潮に達した瞬間、エラルドがミーシア様の腰をグッと強く抱き寄せ、長い脚で大きくフロアを蹴る。二人の姿は、重力という物理法則から完全に解放されているかのようだった。

 熱を帯びたオーケストラの旋律の中で、彼らの周りだけが、ひどく静謐で神聖な空気に包まれている。


 まさに、神話のワンシーン。

 広間を取り囲む数百人の生徒たちは誰一人として言葉を発することなく、瞬きすら惜しむように、その圧倒的な「美」の暴力に酔いしれていた。私もまた、息をするのも忘れて、遠くで輝く幼馴染の姿をただただ見つめ続けていたのだった。


 やがて、曲が静かに終わりを告げ、彼らが優雅に一礼すると、割れんばかりの拍手と歓声が大広間を揺るがした。

「……美しいわね。さすがは学園の代表よ」

「ああ。俺たちも、負けてられねえな」


 アイリスとアイクが、真剣な眼差しでその舞を見つめている。

 誰一人言葉を発することなく、数百人の生徒たちが、彼らのファーストダンスに酔いしれていた。私も、それらの姿を、まばたきすら忘れて見つめていた。


 やがて、曲が静かに終わりを告げると、割れんばかりの拍手が大広間を包み込んだ。


『――それでは皆様、今宵の宴を存分にお楽しみください!』


 アナウンスと共に、オーケストラの曲調が少しだけ軽やかなワルツへと変わった。

 それを合図に、広間を囲んでいた一般の生徒たちが、入り口で配られた仮面をつけ、次々とパートナーの手を取ってフロアへと滑り出していく。色とりどりのドレスと夜会服が混ざり合い、大理石の床に美しい万華鏡のような模様を描き始めた。


「じゃあ、俺たちも行くか。……行くぞ、アイリス」

「え、ええ。足、踏まないでよね」


 アイクが恭しく手を差し出し、アイリスが少し頬を染めてその手を取る。

 少し離れた場所で踊り始めた二人の姿は、驚くほど様になっていた。アイクのリードは侯爵家嫡男らしく力強くスマートで、アイスブルーのドレスを纏ったアイリスは、彼の腕の中で雪の妖精のように軽やかにターンを決めている。時折何か口喧嘩のような言葉を交わしながらも、二人の見つめ合う視線には甘く初々しい空気が漂っていた。


 周囲を見渡せば、男女の生徒達が、うっとりとするような顔で大人のロマンスを繰り広げている。

 仄かな香水の匂い、絹の擦れる音、熱を帯びた吐息のような囁き。生徒たちは、誰もが背伸びをして、この艶やかでムーディーな特別な学園の空気にどっぷりと酔いしれていた。


 ――ただ一組の、強烈な例外を除いて。


「あーあ、みんな行っちゃった。さあ、残されたあぶれ者同盟の出番だね!」


 私が振り返ると、そこには顔をガチガチに引き攣らせ、まるで死地に赴く兵士のような顔をしたセドリックが直立不動で立っていた。


「ま、マリーさん……。ほ、本当に僕なんかでいいんでしょうか……こんな素敵なドレスを着たマリーさんのエスコートなんて、僕の拙いステップじゃ、絶対に恥をかかせてしまう……っ」

「何言ってんの! 転ぶ時は二人一緒だよ! ほら、手を出して!」


 私が強引に彼の手を取って、フロアの端っこ――あまり目立たない壁際のスペース――へと引っ張っていく。


「いい? 音楽は聴かなくていいから! とにかく『イチ、ニ、サン』の掛け声だけに合わせて! いくよ!」

「ひゃ、ひゃいっ!」


 フロアの隅で、私たちは向かい合い、お互いの肩と腰に恐る恐る手を添えた。

 すぐ横では、密着するような距離で愛を囁き合いながら優雅にターンを決める令嬢たちがいるというのに。


「イチ! ニ! サン! はい右足!」

「イ、イチ! ニ! サンッ!」


 私たちは完全に下を向き、親の仇でも睨むかのように互いの足元だけを凝視しながら、カニのような横歩きでジリジリと移動していた。

 ロマンチックなムード? 大人の階段? 知ったことではない。私にとってこのダンスは、怪我なく生き残るための『体育の補習』であり、この後に控える美味しいご飯にありつくための『試練』に他ならないのだ。

 フェリクス委員長の地獄の特訓と、エラルドのレッスンのおかげか、私の足捌きは奇跡的に安定していた。


「おっ、いい感じだよセドリック! 今のところ、お互いのつま先は無事!」

「は、はいっ! マリーさん、リードが上手です!」

「私がリードしちゃダメなんだけどね! あはは!」


 幻想的で、どこまでも大人っぽいこの空間で。

 周囲の甘い空気をものともせず、一人で「はい次ターンのふり!」と無邪気に掛け声をかける私と、それに必死に食らいつきながら滝のような汗を流しているセドリック。

 優雅さのカケラもない。雰囲気なんて微塵もない。

 けれど、セドリックの顔からはいつの間にか極度の緊張が消え、彼も私も、足を踏まないように必死になるあまり、お互いの不格好な動きを見てゲラゲラと笑い合っていた。


 ジャーン、と。

 やがて、一曲目のワルツが終わりの音を奏でた。


「……終わった」

「終わりました……」


 私とセドリックは、フロアの隅でピタリと止まり、お互いの足元を確認した。

 私のヒールも、セドリックの革靴も、一度も踏まれた形跡はなく、ピカピカなままだった。


「「やったーーーーっ!!」」


 私たちは貴族の礼儀作法もへったくれもなく、その場でバチーン! と盛大にハイタッチを交わした。


「すごいよセドリック! 私たち、一回も足踏まなかった!!」

「マリーさんのおかげです! 舞踏会で、無事に一曲踊り切れる日が来るなんて……!」


 感動で少しだけ涙目になっているセドリックの肩を、私はバンバンと力強く叩いた。


「よーし、大仕事は無事に終わった! ミッション・コンプリートだ!」

「はいっ!」

「じゃあ……あぶれ者同盟、次の作戦に移行するよ!」


 私がキラリと目を光らせて指差した先。

 そこには、フロアの反対側で鎮座する、手付かずの『仔牛のロースト』と山積みの豪華な料理の数々があった。


「目標、ビュッフェテーブル! ご飯食べに行くぞーっ!」

「おおーっ!」


 私たちは、華やかなフロアで愛を囁き合う令嬢たちを華麗にすり抜け、猛ダッシュで料理の山へと突撃していったのだった。


ビュッフェに辿り着いた私は、とりあえず目に付いた色鮮やかなカナッペやフルーツ、そして分厚いローストビーフを皿に山盛りにしていた。


その時。

「ふふっ。君のように可愛らしいお嬢さんが、そんなに急いで料理を取らなくても、逃げやしないよ?」

 ふと、横から甘い声と一緒に、少しキツめの香水の匂いが漂ってきた。


 見ると、ワイングラスを持った見知らぬ上級生の貴族の男性が、私にウインクをして微笑みかけていた。学園祭マジックにあてられ、少しだけ火遊びの相手を探しているような、そんな大人の色気を漂わせている。が、


「そのアプリコットのドレス、君の健康的な肌によく似合っている。良ければこの後、少し静かなバルコニーで、僕と二人きりで――」

「えっ!? お兄さん、そんなにお腹空いてるんですか!?」


「……はい?」


「可哀想に! 貴族の方って、こういう場所だと品位を保つためにもあんまりご飯食べられないですもんね! はい、これ! 私のお肉、半分分けてあげますから、バルコニーで隠れていっぱい食べてきてください!」


 私は彼が持っていたワイングラスを持つ手を無理やり退け、空いたもう片方の手に、山盛りのローストビーフが乗った小皿をドサッと押し付けた。

「さあ、遠慮せずに! ほらセドリック、私たちもあっちの仔牛の丸焼き行くよ!」

「あ、はいっ!」

「えっ、あ、ちょ、待っ……」

 ロマンチックな誘いを文字通り肉に粉砕された上級生は、片手にワイン、片手に大量の肉を持たされたまま、ポカンと口を開けて立ち尽くしていた。

 周囲の艶やかな大人のムードなど、私の前では『食欲』という絶対的なパワーの前にひれ伏すしかないのだ。

マリーはせっかく年頃の娘さんなのに食べ物のことしか考えてないですね笑 天真爛漫な彼女を面白い女だと軽くちょっかい出そうとしたって彼女には意図がひとかけらも伝わってません。

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