学園祭の前夜
言っていませんでしたが、マリーの父の名前はトマス・トマスというんです笑 家名と名前が同じなので、たまにマリーに揶揄われています。
待ちに待った学園祭の前日の夕方がやってきた。
私たちのクラス3の教室は、明日の本番に向けた最終準備の熱気に包まれていた。
天井には幻影魔法による美しい夜のオーロラが揺らめき、魔法を込めた魔石が、部屋の空気をひんやりと神秘的な温度に保っている。各テーブルには私が倉庫から取ってきたアンティークの燭台が置かれ、入り口にはセドリックと几帳面なクラスメイト数名が徹夜で仕上げた『認識阻害の魔力インク』を塗った蝶の仮面が、ズラリと美しく並べられていた。
「よし、幻影の定着も問題ない。魔石の魔力残量も計算通りだ」
完璧な黒服の衣装に身を包んだフェリクス委員長が、バインダーを閉じ、銀縁眼鏡をクイッと押し上げた。
彼は教壇――いや、今はカフェのレジカウンターとなっている場所に立ち、クラスの全員を見渡した。
「諸君、この一ヶ月間、よくぞ私の厳しい要求とスケジューリングに応えてくれた。この『仮面カフェ』は、ただのお祭り騒ぎではない。我がクラスの知力と魔法技術の結晶であり、王都の大人たちに我々の実力を示す最高の舞台だ」
「おうよ! 幻影魔法の調整で俺の魔力はすっからかんだぜ! 明日は絶対大繁盛間違いなしだな!」
「ええ。セドリックの仮面のおかげで、普段はお堅い先生たちもこっそり遊びに来てくれるはずよ」
「明日のおもてなし緊張するなー」
アイクが快活に笑い、アイリスも満足げに頷く。クラスメイトも声を張り上げた・
セドリックは「ぼ、僕のインクなんて大したことないよ……」と照れてモジモジしていた。
「さあ、明日は忙しくなるぞ! 今日はもう解散して、各自明日に備えて英気を養うように。……最後に気合いを入れるぞ!」
フェリクス委員長が右手を高く突き上げた。
「我らがクラス3、『仮面カフェ』!! 明日は大成功させるぞ!!」
「「「おおおおおーーーっ!!!」」」
教室中に、クラスメイトたちの割れんばかりの歓声が響き渡った。
私も「よーし! お肉いっぱい焼くぞー!!」と両手を挙げて飛び跳ねた。
* * *
「はぁーっ、いよいよ明日かぁ! なんだかすっごくワクワクしてきたね!」
放課後。私は、アイリスの家の豪奢な馬車にちゃっかりと同乗させてもらい、公爵邸までの帰路についていた。
窓の外には、夕暮れに染まる王都の街並みが流れていく。お祭り前日の浮き足立った空気が、街全体をオレンジ色に輝かせているようだった。
「あなたはお肉を焼くことと、食べることしか考えていないでしょうけどね。……でも、なんとか形になってよかったわ。これで少しは、私たちのクラスの評価も上がるはずよ」
「ふふっ、アイリスってば真面目だなぁ。……あ、でも明日の夜は、お仕事抜きで楽しめるじゃん!」
私がニヤニヤしながら身を乗り出すと、アイリスはビクッと肩を震わせた。
「な、何よ」
「明日の夜の舞踏会! アイクのエスコート、楽しみだねーって! あいつ、ステップの練習すっごく頑張ってたし!」
「……っ、ば、馬鹿なこと言わないでちょうだい。あんなの、相手がいないから仕方なく妥協して……」
アイリスは顔を真っ赤にしてツンとそっぽを向いたが、その口元は隠しきれないほどに綻んでいた。
夕暮れの王都の景色に照らされて、どちらが赤いのか分からないくらいだ。
「それに、マリーだってセドリックと踊るんでしょう? 彼、さっきも廊下でクラスの数人に冷やかされながらステップの復習してたわよ。あんまり彼を振り回して、困らせないようにしなさいよね」
「任せてよ! いざとなったら、私がセドリックを抱えて厨房の裏まで走るから!」
「……本当に、あなたって子は」
呆れ果てたアイリスの笑い声。
一呼吸おき、
「……念のために聞いておくけど、マリー。あなた、明日の舞踏会に何を着ていくつもり?」
「え? 何って……学園の制服だけど。ダメなの?」
私がキョトンとして答えると、アイリスは「やっぱりね」と頭痛を堪えるようにこめかみを揉んだ。
「だ・め・に・決まってるでしょう!! 大舞踏会は正装が義務付けられているのよ! 制服でフロアに入ろうものなら、入り口で風紀委員に追い返されるわ!」
「ええーっ!? 知らなかった! じゃあ私、厨房の裏口でお肉食べられないじゃん!」
「心配するポイントはそこじゃないわよ……はぁ」
アイリスは呆れ果てたように息を吐き出すと、座席の横に置いてあった綺麗な箱をポンと叩いた。
「全く、あなたなら絶対にそう言うと思って、用意しておいて正解だったわ。私のお抱えのお針子に頼んで、少し前に私が着ていたドレスを、あなたのサイズに仕立て直しておいたの」
「えっ!? アイリス、私にドレス用意してくれたの!?」
「別に、あなたのためじゃないわ。私の親友が制服で入れないフロアの前をうろついていたら、私のプライドに関わるからよ。……デザインも、あなたのお転婆でも動きやすいように、少し軽めのシフォン生地にしておいたわ。色は……見てのお楽しみよ」
ツンとそっぽを向くアイリスの耳の先は、少しだけ赤くなっている。
私は嬉しさのあまり、思わず馬車の中で彼女に勢いよく抱きついた。
「わあぁぁっ、アイリス大好き! さすが私の女神様! 一生ついていく!」
「ちょっ、マリー! 暑苦しいし、ドレスの箱が潰れちゃうでしょ! 離れなさい!」
文句を言いながらも、彼女が私を突き飛ばすことはなかった。
呆れ果てたアイリスの笑い声と共に、馬車はゆっくりと公爵邸の巨大な黒鉄の門をくぐり抜けた。
馬車はゆっくりと公爵邸の巨大な黒鉄の門をくぐり抜けた。
* * *
「お父さーん、お母さーん! ただいまー!」
公爵邸の敷地内にある実家――トマス薬局に顔を出すと、一階の店舗では、両親が明日の王都の混雑に備えて、山のような薬草の調合と在庫整理に追われていた。
「おお、マリー! お帰り! ごめんな、今日はお母さんもお父さんも手が離せなくて、夕飯はまだなんだ!」
「いーよいーよ! 私、明日のカフェで出すお肉の仕込みの続きやるから!」
私は二階の自宅へと駆け上がり、ホッと息をついた。
私の家は、エラルドの住む本館の豪華絢爛さや、彼の私室のような洗練された空間とは、文字通り「対極」にある場所だ。
リビングの天井の梁からは乾燥中のハーブが何束も吊るされ、使い込まれたオーク材のテーブルの上には、お父さんの読みかけの魔導書や乳鉢が乱雑に置かれている。壁紙は少し色褪せ、部屋の隅には私が小さい頃に描いた落書きの跡がまだ微かに残っていた。
お世辞にも片付いているとは言えない、生活感と薬草の匂いが染み付いた雑多な空間。でも、私にとっては世界で一番安心できる、温かくて大好きな場所だ。
「あー、ちょっと疲れちゃった。少しだけ休んでからお肉切ろっと」
私がエプロンを外し、使い込まれた二人掛けのソファにドサリと腰を下ろして伸びをした、その時だった。
コンコン、と。
階下に続く階段の方から、控えめなノックの音が聞こえた。
「はーい、どうぞー!」
ガチャリとドアが開き、姿を見せたのは、見慣れたプラチナブロンドの青年だった。
「……こんばんは、マリー。お邪魔してもいいかい?」
「エラルド! どうしたの、こんな時間に。今日は生徒会の仕事は終わったの?」
エラルドは「うん」と短く頷き、トマスさんたち忙しそうだねとゆっくりとした足取りでリビングに入ってきた。
学園の制服姿だが、いつもは一寸の隙もなく締められているネクタイが少し緩められ、その端正な顔立ちには隠しきれない疲労の色が濃く滲んでいる。
一昨日の『旧温室の襲撃事件』以来、彼は生徒会役員として学園祭の運営準備を進める傍ら、王宮の魔導士団と連携して結界の修復と学園内の警戒網の構築に奔走していた。教団からの新たな接触は今のところないようだが、見えない敵への警戒が、彼の神経をギリギリまで削り取っているのは明らかだった。
「わぁ、またすっごいクマできてるよ。エラルド、ちゃんと寝てる?」
「……一応ね。でも、書類の文字がゲシュタルト崩壊を起こしそうになって、少し限界だったんだ」
エラルドは苦笑しながら、私の家の使い込まれた二人掛けのソファにドサリと腰を下ろした。
不思議なものだ。このちょっと散らかった、薬草の匂いが漂う平民の家の片隅でさえ。彼がそこに座るだけで、まるで一枚の絵画のように、その場がパッと華やいで見えてしまう。彼の放つ圧倒的な「美」は、どんな背景もひれ伏させてしまうらしい。
「お疲れ様。お茶淹れるね。お母さんが焼いたパウンドケーキもあるよ」
「ありがとう。……でも、お茶の前に」
私がキッチンに向かおうと立ち上がった瞬間。
エラルドがスッと手を伸ばし、私の手首を掴んで、強引にソファの自分の隣へと引き寄せた。
「ひゃっ!?」
バランスを崩した私が、ポンッとソファに座り直させられる。
その直後。
エラルドはふうっと深く、ひどく重い息を吐き出しながら――私の肩に、コテンと自分の頭を乗せてきたのだ。
「え、エラルド?」
「……ごめん。五分だけ。少しだけ、このままでいさせて」
かすれた、甘えるような低い声。
彼のプラチナブロンドの柔らかな髪が私の頬をくすぐり、整った高い鼻梁が私の首筋のすぐ傍にうずめられる。
彼から漂う、微かなシダーウッドの香水と、少しだけ焦げたような魔法の残り香。
まるで、主人の元に帰ってきて安心しきった大型犬が、全幅の信頼を寄せて寄りかかってきているみたいだった。
「……もう。本当に、無理しすぎなんだから」
私は呆れたように笑い、彼が少しでも楽になるように姿勢を直して、そっと彼の背中に手を回した。
昔からそうだ。彼が魔力の熱で苦しんだ時も、両親を失ってから泣き疲れた夜も。彼はこうして私に寄りかかり、私は彼が落ち着くまで、その背中をずっとポンポンと優しく叩き続けてきた。
「はいはい、エラルドお疲れさまー。生徒会長さんたちにこき使われて大変だねぇ」
「……子ども扱いしないでくれ。俺は君と同い年だ」
エラルドがくぐもった声で文句を言うが、その身体の力は完全に抜けきり、私の肩に全体重が預けられている。
私にとってこれは、事件が起こった六歳の頃から何百回と繰り返してきた「いつもの家族のスキンシップ」。なんの変哲もない、幼馴染の特権。
私の首筋に顔を埋めた彼のサファイアの瞳は、疲労で半ば閉じられながらも、ひどく暗く、重い熱を帯びている。
彼が私の肩に顔をうずめて私の匂いを深く吸い込んだ。
「ああ……落ち着く」
エラルドは深く安堵の息を吐いた。
学園で『完璧な貴公子』として振る舞う彼にとって、この平民の雑多な家と、何の打算もなく自分を受け入れてくれる私の隣だけが、飾らずにゆっくり呼吸ができる場所なのだろう。
「ねえ、エラルド。明日の舞踏会、ミーシア様とのファーストダンスのステップ、完璧?」
「ん……まあね。君と違って、俺は人の足を踏んだりしないから」
「むっ、失礼な! 私だってセドリックといっぱい練習したんだから! 当日は華麗なステップで厨房の裏口まで滑り込んで、二人でローストビーフを先に確保する作戦なんだ!」
私が得意げに胸を張ると、エラルドの肩がピクリと反応した。
「……セドリックと」
「うん! あぶれ者同盟の絆を見せてやるんだ!」
「……そう。彼の足を踏まないようにね。」
「ええっ!? だからなんで私が足を踏む前提になってるの!? 踏むんだとしたらセドリックの方でしょ!」
エラルドの言葉にカチンときた私は目をカッぴらいて、慌ててツッコミを入れると、彼は首筋に顔を埋めたまま、クスクスと低く笑った。
その吐息が直接肌に当たり、私は「くすぐったい!」と身をよじる。
「だめだ。五分経つまで動かないで。僕の魔力充電が切れてしまう」
「魔力充電って……エラルドは魔導具か!」
私が文句を言いながらも大人しく背中を叩き続けていると、やがて彼は「……ありがとう」と小さく呟き、ゆっくりと顔を上げた。
その表情は、先ほどまでの疲労が嘘のようにスッキリと晴れ渡り、目に輝きがある、いつもの爽やかな『エラルド』に戻っていた。
「おかげで少し生き返ったよ。これで、明日の警備も万全にこなせそうだ」
茶めっけたっぷりに伸びをしながら立ち上がる。
「ふふん! 私の充電効果は抜群でしょ! いつでも寄りかかってきなさい!」
「ああ。頼りにしているよ、マリー」
エラルドが私の頭をポンポンと優しく撫でる。
その手のひらの温かさに、私は心があったかくなるのを感じた。
「さあ、明日はいよいよ魔法祭だね。君の『仮面カフェ』、楽しみにしているよ。……もし仕事の切りがつきそうだったら、僕もこっそりお客さんとして行きたいな」
「本当!? 絶対来てよ! 私の特製スタミナ串焼き、ご馳走してあげるから!」
「……それは、少し胃腸薬が必要になりそうだけれど」
私たちは顔を見合わせて笑い合った。
窓の外、王都の夜空には、明日の喧騒を予感させるような星々が瞬いている。
この温かくて少しだけもどかしい「いつもの日常」が、永遠に続けばいいのに。
私たちはそれぞれに違う思いを抱えながら、明日から始まる華やかで、そして波乱に満ちた『魔法祭』の幕開けを、静かに待ちわびていたのだった。




