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放課後、図書館でのひととき

その日の放課後。

 私は図書委員の仕事を終え、抱えきれないほどの古い文献を両手に持って、廊下を歩いていた。


放課後の図書室前。

西日が長く伸びる静かな廊下の片隅で、どんよりと重く暗いオーラを放ちながら、頭を抱え込んでいる男子生徒がいた。

同じ班の、気弱な本の虫、セドリックだ。

彼は膝の上に分厚い魔導書を乗せたまま、まるでこの世のすべての絶望を背負い込んだかのように、深く、ひどく重いため息を吐き出していた。


「あれ、セドリック! どうしたの、そんなお化けみたいな顔して。具合でも悪いの?」

「ひゃあ!? ま、マリーさん……!」


私がひょっこり顔を覗き込むと、彼はビクッと肩を跳ねさせ、抱えていた本を落としそうになった。ずり落ちた眼鏡を慌てて中指で押し上げながら、私を見てどこか泣きそうな、情けないふにゃりとした愛想笑いを浮かべる。


「あ、いや……具合が悪いわけじゃないんだ。ただ、実を言うと……来月の舞踏会のことで、少し胃が痛くて」


セドリックは視線を床に落とし、膝の上の魔導書の表紙を指先で所在なげになぞった。その横顔には、普段の温厚な彼からは想像できないほどの深いコンプレックスと、居心地の悪さが滲み出ている。


「学園の規則で、夜会は原則『男女ペアでの参加』が推奨されてるだろ? あれって、僕たち生徒からすればただのお祭りじゃなくて、貴族にとっては将来の派閥作りや、家の釣り合いを見据えた『プレ社交界』みたいなものなんだ」

「……うん、まあ、みんな目の色変えてるもんね」

「そうなんだよ……。でも、僕みたいな領地も継げない男爵家の三男坊で、おまけに隅っこで本ばっかり読んでる冴えない男と……好んで踊ってくれる令嬢なんて、この学園のどこにもいない」


彼の声が、自嘲気味に小さく震えた。

身分社会であるこのミリス魔法学園において、舞踏会で誰からも声がかからない、あるいは誰を誘っても断られるというのは、貴族としての「価値がない」と宣告されるに等しい。彼のような優しくて大人しい気質の生徒にとっては、あの煌びやかで残酷なフロアは、処刑台よりも恐ろしい場所に違いない。


「一人で壁の花になって、周りから哀れむような目で見られるくらいなら……いっそ当日は、ひどい熱病にでもかかったフリをして、寮の部屋に引きこもってしまおうかと……はぁ」


ああ、なるほど。

階級社会の華やかなロマンスの裏には、彼のような非リア充(?)たちの、胃に穴が空きそうなほど切実な悩みと重圧があるというわけか。

彼の縮こまった背中を見ていると、なんだかひどく放っておけない気持ちになってきた。


「そっかー。実は、私も全く同じこと考えてたんだよね!」

「えっ?」


私がカラカラと明るく笑って言うと、セドリックは驚いたように顔を上げ、目を丸くした。


「私も平民で、おまけに特待生の中で一番の落ちこぼれでしょ? 高位貴族の令息が、わざわざこんな色気も作法もない私なんか誘うわけないし。アイリスはさっき、別の上級生から誘われてたみたいだから、完全に一人ぼっちなの! だから当日は、厨房の裏に隠れて余ったローストビーフでもつまみ食いしようかなって思ってたところ!」


私が一切の卑屈さもなく、むしろ清々しいほどの笑顔で言い放つと、セドリックはポカンと口を開けた後、毒気を抜かれたようにふっと肩の力を抜いた。


「そっか……やっぱり僕たちあぶれ者仲間なんだね。でも、マリーさんはちっとも気にしてないみたいですごいや」

「だって、美味しいご飯が食べられればそれでいいもん! だから当日は、一人ぼっち同士、一緒に厨房の裏に避難して美味しいお肉でも食べようよ!」

「ふふっ……マリーさんらしいや。うん、それなら少しは舞踏会も楽しめる気がする」


私たちが「新たな意味を付与したあぶれ者同盟(とりあえず壁際で一緒にご飯を食べる会)」を結成して笑い合っていた、その時だった。

 


 

「――マリー。こんなところにいたのか。迎えに来たよ」


 涼やかで、心地よく響く声。

 夕日を背に受けて廊下の入り口に立っていたのは、生徒会の腕章をつけたエラルドだった。

 西日が彼のプラチナブロンドの髪を透かし、まるで神話の光輪のような黄金の縁取りを与えている。彼が一歩足を踏み出した瞬間、静かだった図書室前の廊下の空気が、ピンと張り詰めた。


「うそ、エラルド様……っ」「どうして放課後の図書館棟に?」

「お昼、大食堂でミーシア様とご一緒だったのに……本当に絵画のようだったわ」


 周囲にいた生徒たちが、ハッと息を呑んで道を譲る。誰もが憧憬と畏怖の入り混じった熱い視線を向ける中、当のエラルドは周囲のざわめきなど一切気にも留めず、ただ真っ直ぐに私だけを見て歩み寄ってきた。


「エ、エラルド様……っ!?」


 セドリックはバネ仕掛けの人形のように跳ね起き、ガチガチに緊張して直立不動になった。

 無理もない。下位貴族の彼にとって、次期筆頭公爵にして生徒会役員のエラルドは、まさに雲の上の、さらにその上の存在。さっきまで遠くの特等席で「美しい絵画」として眺めていた絶対者が、なぜかいきなり自分の目の前に降臨したのだから。


 そんなセドリックの極度のパニックをよそに、エラルドは私の目の前で立ち止まると、私が抱えていた重い本の山を「貸してごらん」とごく自然な動作で半分引き受けてくれた。


「ん、ありがと。すっごく重かったんだよね、これ」

「だから図書委員の仕事がある日は、終わるまで待つと言っただろ。君は少し油断するとすぐに無茶をする」


 呆れたような、けれど真摯な響きを帯びた声。

 私は「だって早く終わらせたかったんだもん」と遠慮なく口を尖らせる。わざわざこんな場所に来てくれなくても。

 身分の壁など微塵も存在しない親密なやり取りに、周囲の生徒たちが「あんなエラルド様、見たことない……」「本当に、家族みたいに仲が良いのね……」と呆然と囁き合っていた。



 ふと、エラルドが私から視線を外し、緊張で石像のように固まっているセドリックの方へと向き直った。


「君はたしか、薬学実習でマリーと同じ班の……セドリック・フォスターだったね」


 涼やかで、心地よく響くバリトンの声。

 セドリックは「ひゃ、はいぃっ! お、おっしゃる通りでございます……っ!」と、裏返った声で叫んだ。


「いつも彼女を助けてくれてありがとう」


 エラルドは、西日を浴びてキラキラと輝くような、完璧な貴公子の微笑みをふわりと浮かべた。

 それは、微塵の威圧感もない、ただひたすらに洗練されたスマートな仕草だった。


「マリーは少しお転婆だから、君のような知識の豊富な優秀な生徒が傍にいてくれると、僕も安心だよ。これからも、マリーのことをよろしく頼むよ」


 身分の低い男爵家の三男坊に対して、学園のトップがわざわざフルネームを覚え、あろうことか頭を下げて感謝を伝えてきたのだ。

 先ほどまで「あぶれ者」として底辺を自認し、舞踏会を休もうかとまで思い詰めていたセドリックにとって、それは天地がひっくり返るほどの衝撃だったに違いない。


「は、はははははいっ!! 光栄の極みです! ぼ、僕なんかでよければ、全力でサポートさせていただきますっ!」


 セドリックは顔を真っ赤にして、カクカクとロボットのようにお辞儀を繰り返した。雲の上の存在から直接声をかけられ、その圧倒的なカリスマにあてられた彼の目は、感動とパニックですっかり潤んでいる。


「ほら、帰ろうマリー。トマスおじさんが、今日は特製のシチューを作って待ってくれているそうだよ」

「やった! じゃあね、セドリック! また明日!」

「あ、ああ……さようなら、マリーさん。エラルド様……」


 私たちは、胸の前で両手を組んで拝むように見送るセドリックを残して、並んで廊下を歩き出した。

(うーん、やっぱりエラルドはすごいなぁ。誰に対してもあんなに紳士的で、スマートで)


 隣を歩く彼の綺麗な横顔を見上げながら、私は改めて感心してしまった。

 彼がどれほど大人になっても。いつか誰かの特別な人になってしまったとしても。

 こんな風に隣を歩いて、一緒に私の家に帰ってくれるこの当たり前の日常が、少しでも長く続いてほしいな。私は夕日に染まる廊下で、胸の奥の小さな願いをそっと抱きしめ直したのだった。


 


図書室前の廊下で、下位貴族であるセドリックが、エラルドのあまりにも完璧な『次期公爵としての立ち居振る舞い(?)』に平伏してから一夜が明けた。


 翌日の朝。

 爽やかな秋晴れの空から差し込む陽光が、ミリス魔法学園の白亜の校舎を美しく照らしている。来月に控えた『魔法祭』と『大舞踏会』の話題で、登校してくる生徒たちの足取りはどこかそわそわと浮き足立っていた。


「おはよう、アイリス!」


 教室に入り、自分の席に鞄を置きながら、私は前の席に座る親友に元気よく声をかけた。

 アイリス・フォン・レイン。男爵家令嬢である彼女は、今朝も一寸の狂いもなく美しい亜麻色の髪をハーフアップにまとめ、優雅な姿勢で分厚い魔法史の予習に目を通していた。


「おはよう、マリー。今日もギリギリの登校ね。もう少し余裕を持って家を出られないの?」

「へへっ、お父さんの焼きたてパンが美味しすぎて、ついお代わりしちゃったんだよねー。……あ、そういえばさ、アイリス」


 私は椅子を引き、身を乗り出して小声で尋ねた。


「昨日の放課後、別の上級生から舞踏会に誘われてたって言ってたじゃん? どうだったの? 誰と行くか決めた?」


 昨日、私とセドリックが「誰からも誘われないあぶれ者同盟」を結成した裏で、アイリスには上級生からのエスコートの誘いが来ていたはずなのだ。

 しかし、私の問いを聞いたアイリスは、読んでいた本をパタンと閉じ、ふんと鼻を鳴らして氷のように冷たい声を出した。


「……断ったわよ」

「えっ! 断っちゃったの!? なんで? 相手、嫌な人だった?」


 私が驚いて聞き返すと、アイリスは秀麗な眉を不快げに顰めた。


「相手は、侯爵家の一門に連なる子爵家の嫡男よ。家格としては申し分ないし、成績も優秀な先輩だったわ。……でも、誘い方が最悪だったの」

「最悪って……?」

「『君のような下位の男爵令嬢が、この私とファーストダンスを踊れるのだ。これほど名誉なことはないだろう? 特別に見初めたのだから、光栄に思うことだ』……ですって」


 アイリスの声が、さらに数度下がって絶対零度になった。


「はぁ!? 何その高慢ちきな言い方! すっごく腹立つ!!」

「でしょう? 自分が上の身分であることをこれ見よがしに傘に着て、私をまるで『引き立て役のアクセサリー』か何かのように扱おうとしたのよ。だから私、最高の淑女の微笑みを浮かべて言ってやったわ。『身に余る光栄でございますが、あいにく当日は、私のような田舎娘には不釣り合いなほど【高尚な靴擦れ】を起こす予定ですので』って」

「ぶっ! あははははっ! アイリス最高!!」


 相手のプライドを完璧な敬語で粉々に打ち砕く、アイリス流の冷酷な辞退。

 顔を真っ赤にしてワナワナと震えるその高慢ちきな上級生の顔が目に浮かぶようで、私は思わずお腹を抱えて笑ってしまった。


「当然よ。いくら家格が上でも、あんな鼻持ちならない男にエスコートされるくらいなら、私は一人で壁の染みを数えていた方がマシだわ」

「うんうん、アイリスは偉い! もしそいつが逆ギレしてアイリスに手を出そうとしてたら、私がそいつの顔面に最高のストレートをお見舞いしてやったのに!」


 私がファイティングポーズを取りながら熱弁を振るっていると、背後から「おっ、朝から物騒だな」と快活な声が降ってきた。


「よっ、お前らおはよーさん!」


 燃えるような赤毛を掻き上げながら、ルーズな制服姿で登校してきたのは、クラスのムードメーカーであり侯爵家嫡男のアイクだった。

 彼は自分の席(私の隣)にドカッと鞄を投げ置くと、ニヤニヤしながらアイリスの顔を覗き込んだ。


「なんだなんだ? アイリス様が朝からご機嫌斜めじゃねーか。……ってか、お前、上級生の誘い断ったのか?」

「……盗み聞きなんて悪趣味ね。ええ、断ったわよ。私には私のプライドがあるもの」


 アイリスがツンとそっぽを向く。

 すると、アイクは口元を手で覆い、ニヤリとさせてからニカッと笑った。


「わははっ! お前らしいぜ! ま、変な見栄張ってつまんねー男と踊るより、お前にはもっと……その、釣り合う奴がいるだろ!」

「……釣り合う奴って、誰のことよ」

「そ、そりゃあ! もっとこう、気さくで、お前の口うるさい説教にも耐えられて……あー、とにかく! 魔法祭の夜まではまだまだ長いんだから、焦るこたぁねえってことだよ!」


 しどろもどろになりながら、アイクがワシャワシャと自分の赤毛を掻き毟る。

 アイリスは「……馬鹿みたい」と呆れたように言いながらも、その耳の先はほんのりと赤く染まっていて、先ほどまでの不機嫌さはすっかり霧散していた。


(うわぁ……朝から甘酸っぱいなぁ、この二人。アイクもあんな遠回しなこと言ってないで、さっさと『俺と踊ろう』って誘えばいいのに)


 私は完全に第三者の「観客モード」で、ニヤニヤしながら二人のやり取りを眺めていた。


 キィーン、コォーン……。

 やがて、朝のホームルームの開始を告げる鐘が鳴り響いた。


「おい、席に着け。HRを始めるぞ」


 教室の扉が開き、教壇に立ったのは、一人の男子生徒だった。

 きっちりと一番上までボタンの留められた制服。神経質そうに整えられた黒髪。そして、銀縁の眼鏡の奥からクラスメイトたちを鋭く見据える、知的な灰色の瞳。

 彼の手には、スケジュールがびっしりと書き込まれた分厚いバインダーが握られている。


 彼の名は、フェリクス・フォン・アッシュバッハ。

 歴史ある伯爵家の次男であり、このクラスの『学級委員長』を務める、超がつくほどの生真面目な秀才である。生徒会の会計ガイル先輩に少し似たタイプだが、フェリクスの方がより小言が多く、そして冗談の通じない男である。


「いいかお前ら。今日のホームルームの議題はただ一つ。来月に控えた『魔法祭』の、我々クラスの出し物の決定だ」


 フェリクスがチョークを手に取り、黒板に『魔法祭・展示企画案』と綺麗な文字で書き殴る。


「魔法祭は、単なるお祭り騒ぎの場ではない。我がミリス魔法学園の生徒として、日々の魔法学問の成果を王家や貴族院の大人たちに示す、極めて重要なプレゼンテーションの場だ。最優秀クラスには多額の活動資金が与えられ、それは我々の将来の評価にも直結する。……ゆえに、遊び半分ではなく、高度な魔法技術を証明できる企画を提案するように」


 フェリクスが銀縁眼鏡をクイッと押し上げ、厳格な声で宣言した。

 しかし、そんな委員長の熱弁を、お祭り大好きなこのクラスの面々が素直に聞くはずもなかった。


「はいはいはいっ! 委員長!!」


 真っ先に勢いよく手を挙げたのは、当然のようにアイクだった。


「俺は絶対に『お化け屋敷』がいいと思うぜ! 俺の高度な幻影魔法イリュージョンと、アイリスの氷魔法で室温を下げれば、王都の大人たちもチビるくらいリアルな恐怖体験を提供できる! これは魔法の立派な応用だろ!」

「却下だ」


 フェリクスが秒で切り捨てる。


「理由の第一に、貴族の令嬢たちが悲鳴を上げて逃げ惑うような下品な展示は、品位に関わる。第二に、暗闇に乗じて女子生徒にイタズラをしようとするお前の不純な動機が透けて見えるからだ。……次!」


 アイクが「ちぇっ、バレたか」と舌打ちして座る。

 すかさず、私がビシッと手を挙げた。


「はいっ! 私は『食べ歩き屋台の集合体』がいいと思います! 私の実家特製のジンジャーソースを使ったお肉の串焼きとか、魔法で瞬間冷却したフルーツ飴とか! お祭りはやっぱり、美味しくてナンボだと思うんです!」

「……マリー・トマス。君の食欲には敬意を表するが、それのどこに『学業の成果』がある? ただの炊き出しではないか。火と氷の基礎魔法しか使わないような展示で、大人たちが感心すると思うか? 却下だ。……次!」


 フェリクスがこめかみを揉みながら、バインダーにペンを走らせる。


「じゃあ、魔法で光るドレスのファッションショーは?」

「衣装代の予算がクラスの割り当てをオーバーする」

「俺たちで魔法の剣技の演武をやるのはどうだ!」

「大講堂のステージ枠は、すでに三年生の上級騎士クラスに押さえられている。室内でやれば教室が崩壊するだろうが。少しは頭を使え」


 次々と上がるクラスメイトたちの自由すぎる提案を、フェリクスが冷徹なロジックでバッサバッサと斬り捨てていく。

 議論は完全に平行線を辿り、教室は「ああでもない」「こうでもない」と騒がしいカオス状態へと陥っていった。


「静かにしろ! 何故お前たちは、もっとこう、学術的で、かつ実現可能で、エレガントな案を出せないのだ……っ! 胃が、私の胃が……」


 フェリクスが胃の辺りを押さえながら、ついに教壇の上でうずくまりそうになった、その時だった。


「あ、あの……! ちょっと、いいかな……」


 教室の隅から、おずおずと控えめに、しかしはっきりとした声が上がった。

 私と「あぶれ者同盟」を結成したばかりの、気弱な本の虫――セドリックだ。

 彼は皆の視線が一斉に集まったことにビクッと肩をすくめながらも、立ち上がってフェリクスの方を見た。


「フェリクス委員長。その……みんなの意見を、全部合わせるのはどうかなって思って」

「……全部合わせる?幻影魔法と、食欲と、貴族としてのエレガントさを、同時に満たす案があるというのか?」

「う、うん。……『仮面カフェ(マスカレード・カフェ)』とか、どうだろう」


 セドリックの言葉に、教室中が静まり返った。

 フェリクスが「詳しく説明しろ」と眼鏡の奥の目を鋭く光らせる。セドリックは少しだけ自信を取り戻したように、胸に抱えていた分厚いノートを開いた。


「アイク君が得意な幻影魔法を、お化け屋敷じゃなくて、教室全体の『装飾』に使うんだ。たとえば、王城の夜会のような、煌びやかで幻想的な空間を魔法で作る」

「ほほう?」とアイクが身を乗り出す。

「そこで、マリーさんが希望する軽食や、アイリスさんの氷魔法で冷やした美しいドリンクを提供する。……ただのカフェじゃない。ご来店いただいたお客さまには入り口で、僕が調合した『魔力インク』で描かれた【仮面】を配るんだ」


 セドリックは黒板の前まで歩み出ると、チョークでサラサラと美しい蝶の形をした仮面のスケッチを描いた。


「この仮面には、簡単な『認識阻害』と『声帯変調』の術式を組み込んでおく。つまり、このカフェの中にいる間だけは、王族も、高位貴族も、平民も……誰も自分が何者であるかを隠して、身分の壁を越えて優雅な時間を楽しむことができる。……どうかな?」


 セドリックのプレゼンが終わった瞬間。

 教室の空気が、完全に変わった。


「……素晴らしい」


 誰よりも早く反応したのは、フェリクスだった。

 彼は胃の痛みを忘れ、興奮したようにバインダーを叩いた。


「空間全体を覆う持続性の幻影魔法。ポーション学を応用した魔力インクによる術式の定着。そして何より、『身分の壁を一時的に取り払う』という、現国王陛下の実力主義の理念にも通じる前衛的なコンセプト! これなら、魔法技術の証明としても、芸術点としても申し分ない!」

「すっげえ!! それ、めちゃくちゃ面白そうじゃん!! 誰が誰だかわかんねーカフェで給仕するんだろ!? スリル満点だぜ!」

「ええ。それに、顔が隠れるなら、普段は人目を気にして甘いものを食べられないような厳格な大人たちも、気兼ねなく足を運んでくれるかもしれないわね。……セドリック、あなた意外と商才があるんじゃない?」


 アイクが目を輝かせ、アイリスが感心したように頷く。


「やったー! セドリック、天才! それなら美味しいケーキとお茶も出せるね! 私、厨房係と買い出しやる!」


 私がバンザイをして叫ぶと、クラスの他の生徒たちも「俺は幻影の維持に協力する!」「私は仮面のデザインを考えるわ!」と、次々に賛同の声を上げ始めた。

 先ほどまでのバラバラだった意見が、セドリックの一つのアイデアによって、見事なまでに一つにまとまったのだ。


「よし、決まりだ!」


 フェリクスが黒板に大きく『仮面カフェ(マスカレード・カフェ)』と書き込み、パンッとチョークの粉を払った。


「我がクラスの出し物は、この『仮面カフェ』に決定する! 魔法祭本番まであと一ヶ月。各班に分かれて、至急作業に取り掛かるぞ! 決して他のクラスに後れを取るな!」


「「「おおおおおっ!!」」」


 フェリクスの号令に、教室中から割れんばかりの歓声が上がった。

 気弱だったセドリックも、クラスメイトたちから「お前すげーな!」「頼りにしてるぜ!」と肩を叩かれ、顔を真っ赤にしながらも嬉しそうに笑っている。


 窓の外の青空の下、王都の空気は日に日に魔法祭の熱気を帯びていく。

 秘密の仮面。身分を隠した優雅な時間。

学園祭の盛り上がりがより一層感じられた。

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