日常のありがたみ 魔法薬調合の授業にて
「失礼しまーす……っ!」
そっと、なるべく音を立てないように教室の後ろの扉を開ける。
すでに一限目の『魔法史』の授業は始まっており、教壇ではサリバン教授がミリス王国建国の歴史について単調な声で語っていた。
抜き足差し足で後ろの方の列の自分の席へと滑り込むと、隣の席からチクッとするような冷ややかな視線が突き刺さった。
「……随分と遅いご到着ね、マリー」
「ご、ごめんアイリス。生徒会長のお話が長くて……」
教科書を立てて顔を隠しながら小声で謝ると、ピンと伸びた姿勢でノートをとっていたアイリスが、呆れたように小さくため息をついた。
「平民の特待生がいきなり生徒会室に呼び出されるなんて、教室中が大騒ぎだったのよ。また何かやらかしたんじゃないかって、私がどれだけヒヤヒヤしたか」
「やらかしてないよ! ちょっと……そう、一昨日の旧温室が壊れた件で、たまたま近くにいたから目撃証言を聞かれただけ!」
嘘は言っていない。ただ、私がその温室をぶっ壊す原因の一端を担っていたことと、闇の教団が絡んでいることだけは綺麗に伏せておいた。優しい彼女を、これ以上危険な事態に巻き込むわけにはいかないからだ。
「ふうん……ならいいけど。ノート、後で写させてあげるから、今は静かにしていなさい」
「アイリスぅ……! やっぱり私の女神!」
「うるさい」
ツンとした態度の裏にある親友の確かな優しさに、私はへへっと笑って教科書を開いた。
生徒会室での張り詰めた空気から一転、退屈だけれど平和な授業風景。窓から差し込む朝の光が、チョークの粉をキラキラと照らしている。この当たり前の日常が、なんだかひどく愛おしく感じられた。
* * *
待ちに待ったお昼休みの鐘が鳴ると、私は真っ先に大食堂へと駆け込んだ。もちろんアイリスを引っ張って。 ローストポークは学内で作られている数が限定されていて、早めに行かないと売り切れていることも多々あるのだ。今日こそは絶対に食べると決意して今日は学校に来たのだ。
昨日一日中ベッドで寝込んでいた反動か、今日の私の胃袋はブラックホールのように空っぽだった。
「んーっ! やっぱり学園のローストポークは最高だね! このベリーのソースが絶妙!」
「マリー、食べるか喋るかどちらかにしなさい。お行儀が悪いわよ」
私の向かいの席で、アイリスが白身魚のソテーを優雅に切り分けながら小言を言う。
私は山盛りのポテトと分厚いお肉をあっという間に平らげ、食後のフルーツタルトにフォークを伸ばした。
「だって、昨日お母さんのスープしか飲んでないからお腹ペコペコなんだもん。……そういえば、アイリス。午後の授業ってなんだっけ?」
「『魔法薬学の実習』よ。今日は新しく班分けをして、調合の基礎をやるってフィリップ先生が言っていたわ。……マリー、あなたまさか先週の宿題、また忘れてないでしょうね?」
ゲッと一瞬呼吸が止まる。誤魔化すようにとぼけてみた。
「えっ!? あ、あはははは……昨日は熱で寝込んでたし? 仕方ないよね!」
「……エラルド様も、よくあなたの面倒を見切れるわね」
アイリスが頭痛を堪えるようにこめかみを揉む。
大食堂の喧騒の中、私たちはいつも通りの他愛のない会話を弾ませた。遅れてやってきたクラスメイトも数名合流し、いつも通り賑やかな昼食となった。
* * *
午後の『魔法薬学』の実習室は、独特のハーブと薬品の匂いが立ち込めていた。
石造りの冷たい部屋には、大きな実験台がいくつも並んでおり、生徒たちは三人一組の班に分かれて作業を行う。
教室のあちこちから、シュンシュンと色鮮やかな魔法の煙が立ち上っていた。
ミリス魔法学園の貴族生徒たちは、薬作りすらも優雅だ。彼らは泥臭く包丁で薬草を刻んだり、お玉で鍋をかき混ぜたりはしない。杖を振り、風の魔法で薬草を空中に浮かせて不可視の刃で微塵切りにし、念動力で大鍋の中身を滑らかに攪拌している。
淡いピンク色や、透き通るような青色の液体がポコポコと音を立てる光景は、まるで幻想的な実験室のようだった。
「えー、それでは本日から新しい班での実習となる。マリー、アイリス。君たちの班には、今日から彼が加わることになった」
フィリップ先生に連れられて私たちの実験台にやってきたのは、少し背を丸めた、眼鏡の男子生徒だった。
亜麻色の髪を少し長めに伸ばし、どこかオドオドとした様子で分厚い本を胸に抱えている。
「セドリック・フォスターです……。その、よろしく、お願いします」
「よろしくね、セドリック! 私マリー、こっちがアイリスだよ」
私が元気に手を差し出すと、彼はビクッと肩を揺らし、恐る恐る私の手を握り返した。
セドリックは下位貴族の男爵家の三男坊だ。普段から大人しく、教室でも常に本を読んでいるため、同じクラスではあるがあまり話したことがなかった。貴族特有の傲慢さは全くなく、むしろ平民である私に対しても極度に遠慮がちな態度をとっている。
「おいおい、見ろよあの底辺の寄せ集め班。平民のじゃじゃ馬に、没落寸前の男爵令嬢、そして魔法が使えない本の虫のセドリックか」
突然、隣の実験台からひどく嫌味な声が飛んできた。
声の主は、一昨日の実技演習で魔法を暴発させた侯爵家の嫡男、ジュリアンだった。この授業も他クラスと合同開催のため、こいつと同じ授業なのだ!!
彼は取り巻きの生徒たちを従え、自分たちの大鍋で光り輝く完璧な『中級回復薬』を見せびらかすように腕を組んでいた。
「魔法を上手く扱えない平民が、この神聖な薬学実習で何をするつもりだ? 大鍋に拳でも叩き込むのか? ……ふん。私のように魔力で素材の不純物を飛ばすこともできまい。泥水でも煮込んでいるのがお似合いだぞ」
「なっ……!」
私が言い返そうと立ち上がった瞬間、アイリスがすっと手を出して私を制止した。
「放っておきなさい、マリー。実技であなたに惨敗した腹いせよ。口の減らないお坊ちゃまの相手をしている暇があったら、手を動かすことね」
「き、貴様ぁ……下位貴族の分際で!」
顔を真っ赤にするジュリアンを無視して、アイリスは私たちの実験台へと向き直った。
「よろしく、セドリック。今日は『中級回復薬』の調合ね。私が魔力で火加減を調整するから、マリーはそこの薬草を刻んで。セドリックは……」
「あっ、僕、分量の計量と、触媒の調合をやります。……薬草の知識には、少しだけ自信があるから」
セドリックは眼鏡の位置を押し上げると、先ほどまでの気弱な態度が嘘のように、手際よく実験器具を並べ始めた。その流れるような手つきは、明らかに実習に慣れている者のそれだった。
「へえ、すごいねセドリック! 迷いがない!」
マリーが目を輝かせると
「そ、そうかな……。ただ本を読むのが好きなだけだよ。マリーさんこそ、さっきから薬草を刻むスピードが凄まじいね……。まるで歴戦の料理人みたいだ」
と謙遜した。
歴戦の料理人........!! 褒められていい気分になった私は
「ふふん、実家が薬局だからね! お父さんの手伝いで薬草刻むのだけは得意なんだー!」
私は得意げに胸を張り、トントントンッとリズミカルに『月光草』の葉を細かく刻んでいく。
「でも、マリー。さっきから刻んでいるそれ、月光草じゃなくて毒消し草よ」
「えっ」
「……ええっ!? マリーさん、それを入れたら回復薬じゃなくて爆発薬になっちゃうよ!?」
「うわああぁぁっ!? ご、ごめん!!」
私の手から大鍋に薬草が投下された瞬間、大鍋の中からゴボゴボと不気味な赤い泡が吹き出し始めた。
アイリスの冷ややかな指摘とセドリックの悲鳴が上がり、私たちの班は一気にパニックに陥った。隣の班のジュリアンが「ほら見ろ! 自爆するぞ!」と慌てて防御結界を張って後ずさる。
「もう……マリーと同じ班になると、私の寿命が縮むわ!!」
「ええいっ! セドリック、中和剤!!」
「は、はいっ! 蒸留水3に、青星の粉末を2の割合で……今だっ!」
慌てて大鍋から間違えた薬草を掬い出そうとする私。
その横から、セドリックが信じられないほどの正確さとスピードで調合した中和剤の小瓶を大鍋に投げ入れ、同時にアイリスが「――凍てつけ!」と強力な氷魔法で鍋全体の温度を強制的に下げた。
シュゥゥゥゥゥッ……!
真っ赤に沸騰していた大鍋の煙が、一瞬にして静まり返る。
ドタバタとした騒動の末、鍋の中から現れたのは……透明度が高く、光を反射してキラキラと輝く、完璧なエメラルドグリーン色をした『中級回復薬』だった。
「……う、うそ。成功した?」
「ふう……心臓が止まるかと思った……」
私たちは三人で、その場にへたり込んでホッと胸を撫で下ろした。
隣の班では、ジュリアンが「ば、馬鹿な……あんな出鱈目な調合で、なぜ私の作ったものより純度が高いのだ……っ!?」と信じられないものを見るような顔でへたり込んでいる。
一つの危機(完全に私の自業自得だが)を乗り越えたことで、最初はおどおどしていたセドリックの顔にも、自然な笑みが浮かんでいた。
「ふふっ……マリーさんといると、退屈しないね。アイリスさんのフォローも完璧だったし、この班になれてよかったよ」
「でしょ? セドリックの知識、すっごく頼りになったよ! 私たち、最強のトリオになれるかも!」
「……マリーがもう少し落ち着いてくれたらね」
アイリスが呆れたように言いながらも、その瞳は優しく細められていた。
窓の外からは、運動場で実技の授業を受けている生徒たちの明るい声が聞こえてくる。
薬草の匂い。鍋がコトコトと煮える音。親友と、新しい友達との他愛のない笑い声。
(生徒会室での怖い話なんて、嘘みたいだな……)
私はこの温かくて騒がしい日常を、絶対に守らなきゃいけないんだと、二人の顔と教室中を見わたしながら、強く心に誓ったのだった。




