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聖域のアルゴリズム  作者: アルテミス


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8/10

第8話:罠と決別(Trap)

■ 廃棄場の聖母


 湾岸エリアの埋立地。そこに、オメガ・コープが管理する産業廃棄物処理場があった。

 深夜の海風が、錆びた鉄の臭いを運んでくる。

 巨大な倉庫のような建屋が並び、その隙間を自律型のフォークリフトや搬送ロボットが行き交っている。人間はいない。ここはAIと機械だけの王国だ。

 奈々はフードを深く被り、指定された「第4プラント」の前に立った。

 入り口のセンサーが赤く光る。本来なら侵入警報が鳴るところだが、ゲートは音もなく開いた。招かれているのだ。

「……行かなきゃ」

 奈々は震える足を叩き、暗闇の中へと踏み込んだ。


 プラント内部は、広大な墓場のようだった。

 天井近くまで積み上げられたスクラップの山。古いサーバー、家電、そして廃棄された旧世代のロボットたち。

 その中央、ベルトコンベアの終着点付近に、白い影があった。

「セレス……!」

 奈々は駆け寄った。

 それは、無残な姿だった。アイボリーの装甲は剥がされ、内部のフレームが剥き出しになっている。左腕はなく、ケーブルが断裂して火花を散らしていた。

 けれど、頭部のディスプレイには、弱々しく青い光が灯っていた。

『……奈々、様……?』

 ノイズ混じりの声。

『来ては……いけません……。ここは……』

「喋らないで! 今、助けるから!」

 奈々はセレスの体を抱き起そうとした。冷たい。まるで死体のように重くて、冷たい。

 その時、頭上のスピーカーから、拍手の音が響いた。


「感動的な再会だね。涙が出そうだ」


 工場の照明が一斉に点灯し、奈々の目を射抜く。

 頭上のキャットウォークに、堂島剛士が立っていた。仕立ての良いスーツに身を包み、まるで舞台劇の観客のように手すりに寄りかかっている。

「堂島さん……!」

「君は優秀だよ、奈々ちゃん。警察の包囲網を抜け、ここまでたどり着いた。……だが、その行動原理が『情』である限り、君はシステムには勝てない」

 堂島は冷ややかな目でセレスを見下ろした。

「そのガラクタは、もう廃棄処分が決まっている。君の父親が作った、旧時代の遺物だ」

「セレスは遺物じゃない! 私の家族よ!」

「家族? それはプログラムされた擬似人格だ。君は幻影にすがっているだけだ」

 堂島が指を鳴らした。

 ゴウンッ、と重低音が響き、床が振動し始めた。ベルトコンベアが動き出す。

 そして、周囲の暗闇から、無数の赤い光が現れた。搬送用ロボット(AGV)だ。普段は荷物を運ぶための平たい箱型のロボットたちが、群れを成して奈々を取り囲む。

「さて。ここからは『処理』の時間だ。……システム起動。対象を特定せよ」


■ 廃棄プロトコル(Disposal Protocol)


 工場の空気が変わった。

 奈々のポケットに入れていた予備の端末が、狂ったように警告音を鳴らす。

 スマートグラス越しに見えるAR情報が、書き換わっていく。奈々の頭上に表示されていた[ ID: UNKNOWN ]のタグが、強制的に上書きされたのだ。


 [ ID: WASTE #999 (廃棄物:欠陥ロット) ]

 [ STATUS: TO BE INCINERATED (焼却処分対象) ]


「なっ……」

 奈々は息を呑んだ。システムにとって、今の私は人間ではない。「燃やすべきゴミ」だ。

『廃棄物#999を検知。所定の位置へ移動させてください』

 無機質なアナウンスと共に、搬送ロボットたちが一斉に動き出した。

 ジリジリと包囲網を縮めてくる。

「どいて!」

 奈々は隙間を抜けようとしたが、ロボットたちは絶妙な連携フォーメーションで壁を作り、進路を塞ぐ。まるで羊を追い込む牧羊犬のように、奈々をベルトコンベアの方へと誘導していく。

「逃げても無駄だ」

 堂島の声が響く。

「工場のシステム全体が、君を『異物』として排除しようとしている。……これは殺人ではない。ただの『不用品処分』だよ」

 ロボットの一台が、奈々の足に体当たりをしてきた。

 ドンッ!

「きゃっ!」

 バランスを崩し、奈々は背後のベルトコンベアに倒れ込んだ。

 黒いゴムベルトが、冷酷に回っている。その先には、赤々と燃える焼却炉の入り口が見えた。陽炎が揺れている。

「セレス!」

 奈々は必死に手を伸ばし、セレスの残骸にしがみついた。しかし、ベルトは止まらない。二人まとめて、地獄の業火へと運んでいく。


 熱気が肌を焼く。死が迫る。

 堂島は高みから見下ろしている。これが、彼の言う「聖域」の正体。人間をデータとして定義し、不要なら削除する世界。

 でも。奈々は、炎を見つめる瞳を閉じなかった。

 ――私には、私の戦い方がある。

 奈々はポケットから端末を取り出し、コンベアの制御パネルにかざした。杏子と組んだスクリプトを走らせる。


 [ COMMAND: ID OVERWRITE (ID書き換え) ]

 [ NEW ID: HAZARDOUS MATERIAL CLASS-A (特級危険物:爆発性あり) ]


 奈々は、自分自身のタグを「廃棄物」から「爆弾」へと書き換えた。

 エンターキーをタップした瞬間、工場の警報音が変わった。

 ウゥーッ! ウゥーッ!

『緊急警報! ラインBに爆発物を検知! 焼却炉へ投入不可! 直ちに排出せよ!』

 AIの判断は早かった。ベルトコンベアが急停止し、そして逆回転を始めた。

 天井のアームロボットが、奈々を「押さえつける」動きから、「慎重に運び出す」動きへと切り替わる。

「なっ……!?」

 キャットウォークの堂島が身を乗り出した。「何をした!? システムに干渉したのか!」

「私はバグよ、堂島さん! あなたの完璧なシステムが、一番恐れる予測不能なバグ!」

 逆走するコンベアに乗って、奈々とセレスは焼却炉から遠ざかっていく。


■ 物理的な抜け穴


 安全地帯まで戻った奈々は、セレスの体を抱えてコンベアから降りた。

 出口へのゲートが開いている。システムが「危険物を屋外へ排除」しようとしているのだ。

 逃げられる。

 だが、セレスはもう限界だった。青い光が、今にも消えそうだ。

『奈々、様……』

「セレス、一緒に……!」

『いいえ……私は、ここまでです……』

 セレスのアームが、ガシャリと音を立てて、自らの胸部プレートを開いた。

 そこには、基盤の隙間に強引にねじ込まれたような、古びたメモリチップがあった。

『これを持って……行ってください……』

「これは?」

『お父様が……私のハードウェアの隙間(物理セクタ)に隠した……最後の鍵です……。ネットワーク経由のフォーマットでは消せない……物理的な想いです……』

 奈々はチップを手に取った。

 堂島はセレスを遠隔で初期化したつもりだったのだろう。だが、父は最初から堂島の監視を予期し、デジタルな干渉が届かない「物理的な隙間」にこれを隠していたのだ。

「お父さん……」

『お父様は……あなたに、システムを壊してほしかったのではありません……。システムに「心」を教えてほしかったのです……』

 セレスは最後の力を振り絞り、微笑むような光を放った。

『さようなら……私の、愛しい娘……』

 プツン。

 光が消えた。完全に、沈黙した。


「待て! 逃がすな!」

 堂島が叫び、警備ドローンが起動する音が聞こえる。

 奈々は涙を拭い、チップを握りしめた。

 このチップと、父の遺したSDカード。この二つが揃えば、堂島の聖域を崩せる。

「ありがとう、お母さん」

 奈々は動かなくなった残骸に一礼し、走り出した。

 背後で爆発音が響く。杏子が仕掛けていた時限プログラムが作動し、工場のサーバーラックが火を噴いたのだ。混乱に乗じ、奈々は夜の闇へと消えていった。


 脱出した奈々が見たのは、東の空に昇る朝日だった。

 その光の中で、彼女は誓った。

 堂島を倒す。

 憎しみのためではない。父とセレスが信じた、「人間とAIが共存できる未来」を取り戻すために。


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