第8話:罠と決別(Trap)
■ 廃棄場の聖母
湾岸エリアの埋立地。そこに、オメガ・コープが管理する産業廃棄物処理場があった。
深夜の海風が、錆びた鉄の臭いを運んでくる。
巨大な倉庫のような建屋が並び、その隙間を自律型のフォークリフトや搬送ロボットが行き交っている。人間はいない。ここはAIと機械だけの王国だ。
奈々はフードを深く被り、指定された「第4プラント」の前に立った。
入り口のセンサーが赤く光る。本来なら侵入警報が鳴るところだが、ゲートは音もなく開いた。招かれているのだ。
「……行かなきゃ」
奈々は震える足を叩き、暗闇の中へと踏み込んだ。
プラント内部は、広大な墓場のようだった。
天井近くまで積み上げられたスクラップの山。古いサーバー、家電、そして廃棄された旧世代のロボットたち。
その中央、ベルトコンベアの終着点付近に、白い影があった。
「セレス……!」
奈々は駆け寄った。
それは、無残な姿だった。アイボリーの装甲は剥がされ、内部のフレームが剥き出しになっている。左腕はなく、ケーブルが断裂して火花を散らしていた。
けれど、頭部のディスプレイには、弱々しく青い光が灯っていた。
『……奈々、様……?』
ノイズ混じりの声。
『来ては……いけません……。ここは……』
「喋らないで! 今、助けるから!」
奈々はセレスの体を抱き起そうとした。冷たい。まるで死体のように重くて、冷たい。
その時、頭上のスピーカーから、拍手の音が響いた。
「感動的な再会だね。涙が出そうだ」
工場の照明が一斉に点灯し、奈々の目を射抜く。
頭上のキャットウォークに、堂島剛士が立っていた。仕立ての良いスーツに身を包み、まるで舞台劇の観客のように手すりに寄りかかっている。
「堂島さん……!」
「君は優秀だよ、奈々ちゃん。警察の包囲網を抜け、ここまでたどり着いた。……だが、その行動原理が『情』である限り、君はシステムには勝てない」
堂島は冷ややかな目でセレスを見下ろした。
「そのガラクタは、もう廃棄処分が決まっている。君の父親が作った、旧時代の遺物だ」
「セレスは遺物じゃない! 私の家族よ!」
「家族? それはプログラムされた擬似人格だ。君は幻影にすがっているだけだ」
堂島が指を鳴らした。
ゴウンッ、と重低音が響き、床が振動し始めた。ベルトコンベアが動き出す。
そして、周囲の暗闇から、無数の赤い光が現れた。搬送用ロボット(AGV)だ。普段は荷物を運ぶための平たい箱型のロボットたちが、群れを成して奈々を取り囲む。
「さて。ここからは『処理』の時間だ。……システム起動。対象を特定せよ」
■ 廃棄プロトコル(Disposal Protocol)
工場の空気が変わった。
奈々のポケットに入れていた予備の端末が、狂ったように警告音を鳴らす。
スマートグラス越しに見えるAR情報が、書き換わっていく。奈々の頭上に表示されていた[ ID: UNKNOWN ]のタグが、強制的に上書きされたのだ。
[ ID: WASTE #999 (廃棄物:欠陥ロット) ]
[ STATUS: TO BE INCINERATED (焼却処分対象) ]
「なっ……」
奈々は息を呑んだ。システムにとって、今の私は人間ではない。「燃やすべきゴミ」だ。
『廃棄物#999を検知。所定の位置へ移動させてください』
無機質なアナウンスと共に、搬送ロボットたちが一斉に動き出した。
ジリジリと包囲網を縮めてくる。
「どいて!」
奈々は隙間を抜けようとしたが、ロボットたちは絶妙な連携で壁を作り、進路を塞ぐ。まるで羊を追い込む牧羊犬のように、奈々をベルトコンベアの方へと誘導していく。
「逃げても無駄だ」
堂島の声が響く。
「工場のシステム全体が、君を『異物』として排除しようとしている。……これは殺人ではない。ただの『不用品処分』だよ」
ロボットの一台が、奈々の足に体当たりをしてきた。
ドンッ!
「きゃっ!」
バランスを崩し、奈々は背後のベルトコンベアに倒れ込んだ。
黒いゴムベルトが、冷酷に回っている。その先には、赤々と燃える焼却炉の入り口が見えた。陽炎が揺れている。
「セレス!」
奈々は必死に手を伸ばし、セレスの残骸にしがみついた。しかし、ベルトは止まらない。二人まとめて、地獄の業火へと運んでいく。
熱気が肌を焼く。死が迫る。
堂島は高みから見下ろしている。これが、彼の言う「聖域」の正体。人間をデータとして定義し、不要なら削除する世界。
でも。奈々は、炎を見つめる瞳を閉じなかった。
――私には、私の戦い方がある。
奈々はポケットから端末を取り出し、コンベアの制御パネルにかざした。杏子と組んだスクリプトを走らせる。
[ COMMAND: ID OVERWRITE (ID書き換え) ]
[ NEW ID: HAZARDOUS MATERIAL CLASS-A (特級危険物:爆発性あり) ]
奈々は、自分自身のタグを「廃棄物」から「爆弾」へと書き換えた。
エンターキーをタップした瞬間、工場の警報音が変わった。
ウゥーッ! ウゥーッ!
『緊急警報! ラインBに爆発物を検知! 焼却炉へ投入不可! 直ちに排出せよ!』
AIの判断は早かった。ベルトコンベアが急停止し、そして逆回転を始めた。
天井のアームロボットが、奈々を「押さえつける」動きから、「慎重に運び出す」動きへと切り替わる。
「なっ……!?」
キャットウォークの堂島が身を乗り出した。「何をした!? システムに干渉したのか!」
「私はバグよ、堂島さん! あなたの完璧なシステムが、一番恐れる予測不能なバグ!」
逆走するコンベアに乗って、奈々とセレスは焼却炉から遠ざかっていく。
■ 物理的な抜け穴
安全地帯まで戻った奈々は、セレスの体を抱えてコンベアから降りた。
出口へのゲートが開いている。システムが「危険物を屋外へ排除」しようとしているのだ。
逃げられる。
だが、セレスはもう限界だった。青い光が、今にも消えそうだ。
『奈々、様……』
「セレス、一緒に……!」
『いいえ……私は、ここまでです……』
セレスのアームが、ガシャリと音を立てて、自らの胸部プレートを開いた。
そこには、基盤の隙間に強引にねじ込まれたような、古びたメモリチップがあった。
『これを持って……行ってください……』
「これは?」
『お父様が……私のハードウェアの隙間(物理セクタ)に隠した……最後の鍵です……。ネットワーク経由のフォーマットでは消せない……物理的な想いです……』
奈々はチップを手に取った。
堂島はセレスを遠隔で初期化したつもりだったのだろう。だが、父は最初から堂島の監視を予期し、デジタルな干渉が届かない「物理的な隙間」にこれを隠していたのだ。
「お父さん……」
『お父様は……あなたに、システムを壊してほしかったのではありません……。システムに「心」を教えてほしかったのです……』
セレスは最後の力を振り絞り、微笑むような光を放った。
『さようなら……私の、愛しい娘……』
プツン。
光が消えた。完全に、沈黙した。
「待て! 逃がすな!」
堂島が叫び、警備ドローンが起動する音が聞こえる。
奈々は涙を拭い、チップを握りしめた。
このチップと、父の遺したSDカード。この二つが揃えば、堂島の聖域を崩せる。
「ありがとう、お母さん」
奈々は動かなくなった残骸に一礼し、走り出した。
背後で爆発音が響く。杏子が仕掛けていた時限プログラムが作動し、工場のサーバーラックが火を噴いたのだ。混乱に乗じ、奈々は夜の闇へと消えていった。
脱出した奈々が見たのは、東の空に昇る朝日だった。
その光の中で、彼女は誓った。
堂島を倒す。
憎しみのためではない。父とセレスが信じた、「人間とAIが共存できる未来」を取り戻すために。




