第7話:反撃の狼煙(Backdoor)
■ ダイヤルアップの亡霊
翌朝、佐倉のアパートに奇妙な音が響いた。
ピーヒョロロロ、ガガーッ……。
電子的な悲鳴のような、懐かしくも耳障りなノイズ。
「な、何ですかこの音?」
奈々が飛び起きると、佐倉が押し入れから引っ張り出した古いノートパソコンと格闘していた。電話線が壁のモジュラージャックに繋がっている。
「ダイヤルアップ接続だ。お前ら若いのは知らんだろうがな」
佐倉はニヤリと笑った。
「オメガ・コープの最新監視システムは、光回線や5Gのパケット通信は常時監視してるが、この時代遅れのアナログ回線はノーマークだ。遅すぎて使い物にならねえからな」
画面に『接続完了』の文字が出る。通信速度は数kbps。現代のWebサイトなど一つも開けない速度だ。
「これでどうするんです?」
「狼煙を上げるんだよ。……来たぞ」
黒い画面に、テキストだけが表示された。
『Knock, Knock, Neo.』
映画のセリフを引用したメッセージ。
「場所は特定した。迎えに行くぞ」
二人が向かったのは、街外れのコインランドリーだった。
乾燥機の回る音が響く店内。その一番奥で、派手なインナーカラーの髪を揺らしながら、洗濯物を畳んでいる人物がいた。
「杏子!」
奈々が駆け寄ると、真壁杏子は驚いて振り返り、そして満面の笑みで抱きついてきた。
「奈々! 生きてた! ニュース見て心臓止まるかと思ったよ!」
「ごめん、巻き込んで……。でも、どうしてここが?」
「佐倉のおっさんから、公衆電話経由で暗号メールが来たのよ。『洗濯物が溜まってる』ってね」
杏子は足元のランドリーバッグを開けた。中に入っていたのは服ではなく、自作の高性能サーバー機材と、束になったケーブル類だった。
「デジタルの逃亡者には、これが必要でしょ?」
杏子はウインクした。
「大学の研究室から『借りて』きたわ。これを使えば、オフライン環境でも父さんのデータを解析できる」
アパートに戻ると、六畳一間は即席の司令室へと変貌した。
ちゃぶ台の上にサーバーが鎮座し、冷却ファンの音が扇風機の風切り音と混ざり合う。
奈々は父の遺したSDカードを差し込んだ。
「解析開始。……杏子、暗号化のレイヤーを剥がすのを手伝って」
「任せて。オメガ社のセキュリティなんて、穴だらけのチーズみたいにしてやるわ」
二人の指がキーボードを叩く。
高速で流れるコード。
佐倉はその様子を、缶コーヒーを片手に眺めていた。
「デジタルな魔法使いが二人か。頼もしいねえ」
「おっさんは黙ってて。……ビンゴ! 開いたわ!」
杏子がエンターキーを叩く。
モニターに表示されたのは、堂島剛士の「裏帳簿」とも呼べる、極秘の個人データだった。
■ 聖域の正体
そこに記されていたのは、堂島の狂気のルーツだった。
10年前の交通事故。
堂島の妻と、当時5歳だった娘が、飲酒運転のトラックに巻き込まれて死亡した事故の詳細なレポート。
そして、その事故を起こした運転手の精神鑑定書。
『ヒューマンエラーによる悲劇。人間の不完全性が招いた殺戮』
堂島の手記には、震える文字でそう書き殴られていた。
「……これが、動機」
奈々は呟いた。
「彼は憎んでいるんだわ。ミスをする人間そのものを。だから、AIによる完全な管理社会を作ろうとした」
「悲しい話ね」杏子がポツリと言う。「娘を愛しすぎて、世界中の人間を檻に入れたくなったってわけ?」
「だが、それだけじゃねえ」
佐倉が画面の一点を指差した。
『Project: Sanctuary - 資金提供者リスト』
そこに並んでいたのは、海外の軍事企業や、独裁国家の政府機関の名前だった。
「堂島の『聖域』システムは、平和利用だけが目的じゃない。国民監視ツールとして、海外に高値で売るつもりだ」
佐倉の声が低くなる。
「あいつは自分の悲劇を、ビジネスに変えたんだよ。莫大な金と引き換えに、世界中に監視の目を張り巡らせる。……俺たちが追われているのは、このリストを見たからだ」
奈々は拳を握りしめた。
父は、これを知っていた。堂島の理想が、いつの間にか金と権力に汚染されていることに気づき、止めようとしたのだ。
さらに解析を進めると、システムに奇妙な「ゆらぎ」があることが判明した。
鉄壁に見えるオメガ・コープのシステムだが、ある特定のIDからのアクセスだけ、監視レベルが極端に低いのだ。
ID名:『LISA_O』
「誰これ? リサ?」
杏子が首をかしげる。
「管理者権限を持ってるけど、堂島とは別の動きをしてる。……まるで、堂島を監視しているみたい」
「……知ってる」
奈々が画面を凝視した。その名前に、記憶が蘇る。
「葬儀の時に、堂島の後ろにいた女性だわ。本社から来た監査役の、リサ・オーウェン」
「監査役? 敵じゃないの?」
「わからない。でも、彼女は私に囁いたの。『感情に溺れず、論理で探せ』って」
奈々はハッとした。
「論理で探せ……。彼女は、私たちがここ(システムログ)に辿り着くのを待っていたのかもしれない」
「なるほどな」
佐倉がニヤリと笑った。
「本社のお目付け役が、自分じゃ手を出せない代わりに、俺たちにヒントを投げてきやがったか。……敵の内部分裂だ。こいつは使えるぞ」
作戦は決まった。
狙うは、明後日に控えた「聖域システム」の正式稼働日。
そのメインサーバーに、父が遺した「告発プログラム」を流し込み、堂島の悪事を全世界に暴露する。
だが、そのためにはネット経由では不可能だ。物理的に遮断されたメインサーバーに直接接続する必要がある。
場所は、オメガ・コープのデータセンター。通称「要塞」。
「真正面から乗り込むなんて自殺行為よ」杏子が呆れる。
「だから、裏口を使う」
佐倉がニヤリと笑い、一枚の地図を広げた。
「俺が足で稼いだ情報だ。この要塞には、廃棄された旧地下鉄のトンネルが接続されている。……俺たちの得意分野だろ?」
■ 囮の匂い
その夜。
作戦決行に向け、三人はつかの間の休息を取っていた。
ちゃぶ台には、コンビニで買ってきた(佐倉が変装して調達した)おにぎりと、杏子が持ってきたスナック菓子が並んでいる。
「久しぶりのシャバの味!」
杏子がポテトチップスを頬張る。奈々も梅おにぎりを一口食べた。酸っぱさが体に染みる。
その時。
杏子の予備端末が震えた。通知音が、静かな部屋に響く。
着信。発信元は『UNKNOWN(不明)』。
「……警察? それとも堂島?」
緊張が走る。奈々は佐倉と顔を見合わせ、通話ボタンを押した。スピーカーモードにする。
『……奈々様』
聞こえてきたのは、ノイズ混じりの、しかし聞き覚えのある声だった。
息を呑む。
「セレス……?」
破壊したはずだ。初期化して、機能停止したはずのセレスの声。
『助けて……ください……』
声は弱々しく、途切れ途切れだった。
『私は……廃棄処分場に……います……。堂島様が……私を……溶鉱炉へ……』
『お父様の……本当の最期の言葉を……思い出しました……どうしても……伝えたい……』
プツン。
通話が切れた。送られてきたのは、位置情報。湾岸エリアにある産業廃棄物処理場だ。
「罠だ」
佐倉が即座に断言した。
「セレスは壊れた。あれは堂島が作った合成音声か、あるいは残骸を再起動させてお前をおびき出す餌だ」
「わかっています」
奈々は端末を握りしめた。
罠だ。わかっている。
でも、「父の最期の言葉」と言われたら。そして、かつての母代わりだったセレスが溶かされようとしているとしたら。
「……行かなくちゃ」
奈々は立ち上がった。
「奈々! 死にに行くようなものよ!」杏子が止める。
「これが堂島のやり方なのよ。人の情につけ込んで、おびき出す。……でも、だからこそ行かなきゃいけない」
奈々は強い瞳で佐倉を見た。
「私が囮になります。堂島が私に気を取られている間に、佐倉さんと杏子はデータセンターへの侵入ルートを確保してください」
「……本気か?」
「はい。私には、私の戦い方があります」
奈々は杏子のパソコンに向かい、あるプログラムを書き込み始めた。
「それに、ただで捕まるつもりはありません。……私を『廃棄物』扱いしたことを、後悔させてやる」
佐倉はしばらく奈々を睨んでいたが、やがて大きくため息をつき、頭を掻いた。
「……たく、肝が据わってきやがったな。ハカセに似てきたぜ」
彼は立ち上がり、ペイントガンを点検した。
「いいだろう。陽動はお前に任せる。だが、死ぬなよ。死んだら承知しねえぞ」
「はい。必ず、生きて合流します」
決戦の夜明け前。
奈々は一人、罠が待ち受ける湾岸エリアへと向かう。
それが、システムを崩壊させるための、最初の一手になると信じて。




