第5話:指名手配(Public Enemy)
■ 反転する世界
奈々たちに指名手配のアラートが出る少し前。
オメガ・コープ日本支社、最上階の執務室。
堂島剛士は、窓の外に広がる夜景を見下ろしていた。
背後のモニターには、浩司の自宅サーバーからハッキングを受けた痕跡が表示されている。
「……浩司の娘か。やはり、血は争えないな」
堂島は苦々しく呟き、手元の端末を操作した。
表示されたのは、警視庁のデータベースへのバックドア(裏口)。
彼は迷わず、『重要指名手配登録』のコマンドを入力しようとした。
「お待ちください」
涼やかな、しかし鋭い声が制止した。
監査役のリサ・オーウェンだ。彼女はタブレットを抱え、堂島のデスクの横に立っていた。
「警察のデータベースへの直接介入は、重大な協定違反です。本社(HQ)の承認が得られていません」
「緊急措置だ、リサ。テロリストが我が社の機密データを盗み出したんだぞ」
「テロリスト、ですか」
リサは冷ややかな視線を堂島に向けた。
「彼女たちはまだ、何も公表していません。それに、盗まれたデータが正当なものなら、法的に対処すべきです。……支社長、あなたは焦りすぎている」
堂島の手が止まる。
彼はゆっくりと振り返り、リサを見据えた。
「君は誰の味方だ? 会社か? それとも……」
「私は『オメガ・コープの利益』の味方です」
リサは一歩も引かなかった。
「あなたの行動が、もし個人的な感情に基づく暴走であれば……監査役として看過できません」
「……暴走ではない。これは『最適化』だ」
堂島は冷たく言い放ち、エンターキーを叩いた。
[ COMMAND EXECUTED ]
画面に『指名手配完了』の文字が浮かぶ。
「すべての責任は私が持つ。君は黙って記録していればいい」
堂島は部屋を出て行った。記者会見の準備に向かったのだ。
残されたリサは、モニターに映し出された奈々の顔写真を見つめた。
「……証明してみなさい、遠藤奈々」
彼女は小さく呟いた。
「彼が正しいのか、あなたが正しいのか。……論理で示して」
(再び指名手配の緊急警報が出た奈々たちに戻る。)
世界が敵に回った。
マンションのエントランスを出た瞬間だった。
深夜のオフィス街。静まり返っていたはずの街頭ビジョンが、一斉に明滅を始めた。
極彩色の広告が消え、無機質な赤と黒の警告画面に切り替わる。
[ BREAKING NEWS: TERRORIST ALERT ]
けたたましいアラート音が、ビルの谷間に反響する。
画面に映し出されたのは、私の顔だった。
就職活動用の証明写真。真面目そうな笑顔の横に、赤い文字で『WANTED(指名手配)』と刻印されている。
そして隣には、険しい顔をした佐倉の写真。
『警視庁特捜部より緊急入電。重要インフラへのサイバーテロおよび殺人容疑で、以下の二名の身柄を拘束中……』
AIアナウンサーの声が、事務的に、しかし断定的に告げる。
「殺人……? 私が、父を?」
奈々は呆然と立ち尽くした。
父を殺したのは堂島だ。私たちはその証拠を掴んだだけなのに。
真実が、捻じ曲げられている。
「走れ!」
佐倉が奈々の腕を掴み、強引に引っ張った。
「悠長にニュース見てる場合か! ここの監視カメラにお前の顔がバッチリ映ってるぞ!」
頭上でドローンの駆動音がした。
見上げると、警備用の自律ドローンが三機、赤いサーチライトを向けて降下してくる。
『対象を発見。直ちに投降してください』
「くそっ、仕事が早えな!」
佐倉は懐からペイントガンを取り出し、発砲した。
バシュッ!
一発が先頭のドローンのカメラに命中する。ドローンはバランスを崩し、空中で回転した。
「路地に入れ! 大通りは全部『目』だらけだ!」
二人は裏路地へと駆け込んだ。
息が切れる。心臓が早鐘を打つ。
喉が渇いた。
奈々は無意識に、路地裏の自動販売機に駆け寄った。ミネラルウォーターのボタンを押す。
しかし、反応がない。
電子マネー端末にスマホをかざすが、赤いランプが点灯するだけだ。
[ ERROR: ACCOUNT FROZEN (口座凍結) ]
「……嘘」
奈々はスマホの画面を見た。
銀行口座、クレジットカード、交通系IC、電子マネー。すべての決済アプリに『利用停止』のアイコンが表示されている。
「水も、買えないの……?」
「テロリストの資産凍結措置だ。堂島の野郎、警察システムの特権を使いやがったな」
佐倉が忌々しげに舌打ちをする。
彼はポケットから小銭を取り出し、自販機に投入した。チャリ、という硬貨の音が、やけに虚しく響く。
ガコン、と落ちてきた冷たいペットボトルを、佐倉は奈々に押し付けた。
「飲め。これからは、電子データなんて何の役にも立たねえ。現金と体力だけの勝負だ」
奈々は震える手でキャップを開け、水を流し込んだ。
冷たさが食道を通る。
生きている心地がしなかった。
昨日まで当たり前に享受していた「便利な生活」が、オセロの石をひっくり返すように、すべて「私を追い詰める凶器」に変わってしまった。
電車にも乗れない。タクシーも呼べない。コンビニにも入れない。
私たちは、この巨大なデジタル都市の中で、完全に孤立したのだ。
『緊急手配。被疑者は現在、渋谷区神南エリアを逃走中。市民の皆様は、スマートグラスの通報機能(Watch Mode)をオンにしてください』
街中のスピーカーから、無慈悲なアナウンスが響く。
路地を抜けた先にいた数人の通行人が、一斉にこちらを見た。
彼らのスマートグラスには、きっと私の顔と「懸賞金」が表示されているのだろう。
好奇の目。敵意に満ちた目。
スマホを向けてくる若者。「あいつだ!」と叫ぶサラリーマン。
誰もが、私を「悪」だと信じ込んでいる。
システムがそう言っているから。
「……逃げるぞ」
佐倉が奈々のフードを深く被らせた。
「下を向け。顔を上げるな。システムに認識させるな」
■ 正義の独演会
逃亡の最中、街頭ビジョンの映像が切り替わった。
緊急記者会見。
無数のフラッシュの中、登壇したのは堂島剛士だった。
彼は沈痛な面持ちで、マイクの前に立っていた。
『市民の皆様。オメガ・コープ代表の堂島です。……非常に残念なお知らせがあります』
奈々と佐倉は、ビルの陰からその映像を見上げた。
『私の旧友であり、優秀なエンジニアだった遠藤浩司氏が殺害されました。犯人は……実の娘である遠藤奈々、および、それに加担した悪徳刑事、佐倉悠斗です』
「ふざけんな!」
佐倉が低く唸る。
『彼らは、浩司氏が開発していた次世代防犯システム「聖域」の機密データを盗み出し、闇マーケットに売り捌こうとしていました。浩司氏はそれに気づき、実の娘の手によって……』
堂島は言葉を詰まらせ、ハンカチで目元を拭う仕草を見せた。
完璧な演技だ。
大衆の同情を誘い、私たちへの憎悪を煽る。
『このような悲劇を二度と繰り返さないために。私は本日、政府に対し「行動制御システム」の全面導入を提言しました。AIによる完全な監視があれば、親殺しのような非人道的な犯罪は未然に防げたはずなのです』
画面の中の堂島が、力強く拳を握る。
『人間の心は弱い。闇に落ちやすい。だからこそ、システムという「光」が必要なのです』
拍手。
会場から、そして街中の人々から、拍手が湧き起こる。
誰も疑わない。堂島の言葉を。AIの判定を。
奈々は唇を噛み締めすぎて、血の味がした。
悔しい。
父の名誉も、私の人生も、佐倉さんの正義も。
すべてが、あの男のシナリオの一部として消費されていく。
「……見ろ、警察だ」
佐倉の声に、ハッとした。
大通りの向こうから、パトカーの列が迫ってくる。
その先頭車両から降りてきたのは、スーツ姿の男たち。サイバー犯罪対策課の刑事たちだ。かつての佐倉の同僚たち。
「佐倉! 観念しろ!」
拡声器を持った刑事が叫ぶ。
「お前がそんな真似をするとは思わなかったぞ! 金に目が眩んだか!」
佐倉は苦笑した。
「金ねえ……。俺の口座、残高三千円だぞ。夢見すぎだ、お前ら」
「抵抗するな! AIの予測システムによれば、お前の逃走成功率は0.02%だ!」
「うるせえよ。俺は昔から、確率の低い方にかけるのが好きなんだ」
佐倉は奈々の手を引いた。
「行くぞ。地下鉄の入り口がある」
「でも、改札は……」
「改札なんざ通らねえ。……非常口だ」
二人は地下鉄駅への階段を駆け下りた。
背後から、「止まれ!」という怒号と、発砲音が響く。
威嚇射撃ではない。実弾だ。
テロリスト相手なら、射殺も許可されているのか。
奈々は死に物狂いで走った。ハイヒールが邪魔で、途中で脱ぎ捨てた。
裸足の足裏に、コンクリートの冷たさと痛みが走る。
でも、止まれば終わりだ。
地下鉄構内。
自動改札機が、侵入者を検知して赤く点滅し、警報を鳴らす。
佐倉は迷わず、業務用通路のドアを蹴破った。
「こっちだ! 旧路線のメンテナンス用トンネルがある!」
二人は暗闇の中へと飛び込んだ。
■ アナログの闇へ
そこは、光の届かない世界だった。
廃止された地下鉄のトンネル。湿った空気と、ネズミの走る音。
地上の華やかなデジタル都市とは対極にある、打ち捨てられた昭和の遺物。
佐倉は懐中電灯を点け、先導した。
「ここまで来れば、電波も届かねえし、監視カメラもねえ。AIの目が届かない聖域だ」
皮肉な響きだった。
堂島の言う「聖域」は光に満ちた管理社会。
私たちの「聖域」は、暗くて汚い地下道。
奈々はその場に座り込んだ。
足の裏が血だらけだった。
緊張が切れ、全身の震えが止まらない。
「……もう、ダメです」
弱音が漏れた。
「私、何もしてないのに。ただ、お父さんの無念を晴らしたかっただけなのに……。テロリストなんて……」
涙で視界が滲む。
社会から抹殺された。
明日からの生活も、住む場所も、名前さえも失った。
AIに依存していた私には、あまりにも過酷な現実だった。
「……お嬢ちゃん」
佐倉が屈み込み、自分のコートを脱いで奈々の肩にかけた。
タバコと汗の匂いがする、温かいコート。
「あんたは何も間違っちゃいねえ」
佐倉は不器用に奈々の頭を撫でた。
「間違ってるのは、システムの方だ。……だがな、システムってのは図体がデカすぎて、小回りが利かねえ。俺たちみたいな『バグ』を見つけるのは得意だが、捕まえるのは下手くそだ」
佐倉はニカッと笑った。
「俺の隠れ家がある。ボロアパートだが、電気もガスも契約してねえから、足はつかねえ。そこで態勢を立て直すぞ」
「……勝てますか? あんな、世界中を敵に回して」
「勝つさ」
佐倉は奈々の目を見据えた。
「あいつらは数字しか見てねえ。人間の『執念』ってやつを計算に入れてねえんだ。……親父さんが遺したデータと、あんたの技術。そして俺のアナログな勘がありゃ、ひっくり返せる」
佐倉は懐から、一枚のSDカードを取り出した。
奈々が命懸けで持ち出した、希望の欠片。
「反撃の狼煙を上げるぞ。ここからが、人間様のターンだ」
奈々は涙を拭った。
暗闇の中で、佐倉の持つき小さな懐中電灯の光だけが、頼りなく揺れている。
でも、その光は決して消えそうになかった。
私は、もう逃げない。
AIが決めた「正解」ではなく、泥だらけの「現実」を選んだのだから。
「……はい」
奈々は立ち上がった。
裸足の痛みは、生きている証拠だ。
二人は闇の奥へと歩き出した。
頭上からは、微かに地下鉄の走行音が響いてくる。
私たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。




