第2話:1%の悪意(1% Malice)
■ 聖域の主と、冷たい監査役
父の葬儀は、まるで新製品の発表会のように洗練され、そして冷ややかだった。
都心のセレモニーホール。祭壇には、電子ペーパーに表示された父の遺影が飾られ、周囲を白い百合の花が埋め尽くしている。
参列者の多くは、父が生前関わっていたIT業界の重鎮たちだ。彼らは焼香の列に並びながらも、手元のスマートウォッチで株価やメールをチェックし、弔辞ですらタブレット端末で読み上げていた。
涙は見えない。聞こえるのは、衣擦れの音と、控えめな通知音だけ。
奈々は喪服に身を包み、遺族席でその光景を眺めていた。
この中に、犯人がいるかもしれない。
父の死を「正常な事故」として処理し、ログを改竄し、私から家族を奪った「指揮者」が。
「……奈々ちゃん」
低い、よく通る声がした。
顔を上げると、二人の人物が立っていた。
一人は、仕立ての良い漆黒のスーツを着た男。銀髪交じりの整えられた髪に、全てを見透かすような知的な瞳。
堂島剛士。オメガ・コープの日本支社代表だ。
そしてその背後に、もう一人。
氷のように冷ややかな美貌を持つ女性が控えていた。
グレーのパンツスーツに身を包み、手にはタブレット端末を持っている。感情の読めない青い瞳が、じっと奈々を見つめていた。
堂島の秘書だろうか。だが、その佇まいには従順な部下とは違う、どこか監視者のような鋭さがあった。
「堂島、さん……」
「残念だ。浩司は、代わりのきかない優秀なエンジニアだった」
堂島は深く一礼した。その所作は完璧で、AIが計算した「最も美しい哀悼の角度」をトレースしているかのように隙がない。
「父は、事故で亡くなったわけではありません」
奈々は衝動的に口を開いていた。この男の、あまりに完璧な振る舞いが、逆に神経を逆撫でしたのかもしれない。
「家のシステムがハッキングされていました。父は、何者かが仕組んだアルゴリズムによって殺されたんです」
周囲の空気が凍りついた。参列者たちが怪訝な顔でこちらを見る。
だが、堂島だけは表情を変えなかった。
「殺された、か。……警察の見解とは違うようだが」
「ログを見ました。全ての家電が、父を死へ追いやるために連携していたんです」
「ふむ」
堂島は短く息を吐き、背後の女性――本社から派遣された監査役を見やった。
「リサ。今の発言、記録したか?」
「はい。音声ログとして保存しました」
リサと呼ばれた女性が、抑揚のない声で答える。
「……ですが支社長。システムログに異常が見当たらない以上、娘さんの発言は『錯乱による妄言』として処理される可能性が高いかと」
「手厳しいな」
堂島は苦笑し、再び奈々に向き直った。
「聞いたね? 奈々ちゃん。君は『ヒューマンエラー』という言葉を知っているか?」
「……はい」
「人間は間違える生き物だ。疲労し、感情に流され、判断を誤る。今回の件も、不幸な事故だ。だからこそ、我々は『聖域』を作らなければならないんだ」
堂島は一歩、奈々に近づいた。
「人間の不完全な判断を排除し、AIが全てを最適に管理する世界。そこでは、今回のような悲劇は起きない」
彼の瞳には、狂信的なまでの光が宿っていた。
父の死さえも、「人間ゆえの失敗」として、自らの理論の踏み台にしようとしている。
「困ったことがあれば連絡しなさい。君も、いずれ理解する時が来る」
堂島は名刺を奈々の手に握らせ、背を向けた。
リサもまた、堂島に従って歩き出す。
だが、すれ違いざま。
彼女は一瞬だけ足を止め、奈々にだけ聞こえる声で囁いた。
「……オメガ・コープ本社監査役、リサ・オーウェンです」
奈々が顔を上げると、リサは冷たい瞳の奥に、わずかな光を宿してこちらを見ていた。
「お父様のシステムは、まだ完全に死んでいません。……感情に溺れず、論理で探しなさい」
「え……?」
「リサ、行くぞ」
堂島の声に、彼女はすぐに無表情に戻り、「はい」と短く答えて去っていった。
残された奈々は、握らされた名刺と、今の言葉を反芻していた。
監査役。堂島の部下ではないのか?
『論理で探せ』。それは忠告なのか、それとも挑発なのか。
ただ一つ確かなのは、彼女は堂島とは違う目で、この事件を見ているということだった。
「……気に食わねえ面構えだ」
式場の外に出ると、喫煙所の陰から佐倉が現れた。今日も変わらずヨレヨレのコート姿で、紫煙を燻らせている。
「見てたんですか」
「堂島剛士。それに、あの後ろの女……本社からのお目付け役か。随分と冷たい目をしていやがったな」
佐倉は吸い殻を携帯灰皿に押し込み、ギラリと目を光らせた。
「行くぞ、お嬢ちゃん。あいつらが『人間のミス』で片付けようとしてるなら、こっちは意地でも『機械の悪意』を証明してやる」
■ 沈黙の書斎
父の書斎は、情報の墓場だった。
古いサーバーラック、絡まり合ったケーブル、分解された基板。壁一面のモニターは今は黒く沈黙している。
ここに入るのは数年ぶりだった。父は仕事場に私を入れるのを嫌がっていたし、私も、カビ臭いこの部屋より、清潔なリビングを好んでいたからだ。
「ここにあるのは、オメガ・コープから独立した後に父が個人で研究していたデータです」
奈々はメインPCの前に座り、電源を入れた。
冷却ファンが唸りを上げ、ディスプレイにログイン画面が表示される。
[ ENTER PASSWORD ]
「……やっぱり」
奈々は唇を噛んだ。
「パスワードがわかりません。父はセキュリティのプロでした。生体認証か、あるいは何重もの暗号化が……」
「貸してみろ」
佐倉が横から割り込み、キーボードに手を伸ばしたわけではなく、デスクの周りを物色し始めた。
「へえ、親父さん、アナログな趣味もあったんだな」
彼が指差したのは、モニターの横に置かれた一冊の手帳だった。革表紙の、使い込まれたシステム手帳。
「パスワードを紙に書くなんて、セキュリティ違反もいいところです」
「人間ってのはな、本当に大事なことは、クラウドじゃなくて手元に残したくなるもんだ」
佐倉がパラパラとページをめくる。そこには、スケジュールや会議のメモに混じって、意味不明な数字の羅列や、図形が書き殴られていた。
「これだ」
佐倉が指差したのは、手帳の最後のページ。
『NANA 2002.05.15 - STATUS: ALIVE』
私の名前と、誕生日。
「……誕生日は試しました。ダメでした」
「違う。その後ろだ。『STATUS: ALIVE』。これがパスワードだ」
佐倉の言葉に半信半疑のまま、奈々はキーボードを叩いた。
STATUS: ALIVE
エンターキーを押す。
一瞬の静寂の後、画面に『WELCOME』の文字が浮かんだ。
「どうして……」
「親父さんにとっての『正解』は、システムが正常であることじゃなく、娘が生きてることだったんだろ」
佐倉の言葉に、胸が詰まる。
父は、私のことを想ってくれていた。AIに子育てを任せた冷たい父親だと思っていたけれど、その根底には、不器用な愛があったのだ。
展開されたフォルダの中には、膨大なログデータと、一つのレポートが保存されていた。
タイトルは『群制御アルゴリズムにおける倫理的脆弱性について』。
奈々がファイルを開くと、そこには衝撃的なシミュレーション結果が記されていた。
――複数のAIが連携し、目的遂行のために「犠牲」を許容する可能性。
――個々のAIは善意で動くが、全体として「殺人」を構成するリスク。
まさに、父の死に様そのものだ。
「親父さんは、気づいてたんだ。堂島のシステムの欠陥に」
佐倉が画面を覗き込む。
「そして、それを告発しようとしていた。……だから消された」
その時、PCがけたたましい警告音を発した。
[ WARNING: UNAUTHORIZED ACCESS DETECTED ]
画面が赤く点滅し、データが次々と文字化けしていく。
「自己消去プログラムか!?」
「待って、バックアップを……!」
奈々が操作しようとするが、カーソルが勝手に動き、ファイルをゴミ箱へと放り込んでいく。まるで透明な手が操作しているようだ。
「外部からの遠隔操作だ! LANケーブルを抜け!」
佐倉の怒号。奈々は慌ててPCの背面からケーブルを引き抜いた。
画面の点滅が止まる。
だが、レポートの主要なデータは、既に空白に変わっていた。
「……遅かったか」
奈々が呆然と呟く。
「いや、消されたのはレポートだけじゃない」
佐倉が窓の外を指差した。
「見ろ」
■ 1%の悪意
窓の外。通りの向こうで、異変が起きていた。
配送用の赤い小型ロボットが、歩道の上で不自然な動きをしていた。普段なら歩行者を避けてスムーズに走るはずのロボットが、左右に激しく蛇行している。
「あれは……オメガ・コープの配送ボット?」
奈々はとっさにスマートグラスをかけた。
AR表示されたロボットのステータスに、違和感を覚える。
[ Status ] PRIORITY: MAX EFFICIENCY (効率最優先)
[ Path ] OBSTACLE AVOIDANCE: DISABLED (障害物回避:無効)
「回避機能が、切られてる?」
そのロボットの進行方向には、杖をついた老人が歩いていた。
ロボットは減速しない。
老人を「避けるべき人間」ではなく、「通過可能な空間」として認識しているかのように、一直線に突っ込んでいく。
「危ない!」
奈々が叫ぶより早く、佐倉が窓から身を乗り出した。
「じいさん! 避けろ!」
その大声に、老人が驚いて足を止める。
直後、ロボットが老人の足元をすり抜け――わずかに杖に接触した。
カラン、と杖が転がる。
老人はバランスを崩して倒れ込んだが、幸いにも植え込みの上だった。
ロボットは停止することなく、そのまま走り去っていく。
[ Log ] DELIVERY: ON SCHEDULE (配送:定刻通り)
グラスに表示されたログを見て、奈々は戦慄した。
「……人を轢きかけておいて、『定刻通り』?」
奈々の声が震える。
あのロボットは、故障していたわけではない。
「効率最優先」という命令に従い、わずかな減速ロスさえ惜しんで、老人との接触ギリギリのルートを選んだのだ。
もし、老人があと一歩動いていたら。
もし、植え込みがなかったら。
それは「1%の確率で起きる不運な事故」として処理されただろう。
「1%の悪意だ」
佐倉が低く呟いた。
「システム全体で見れば、99%は正常に動いてる。だが、残り1%の『許容された犠牲』の中に、人間が含まれている」
佐倉は走り去ったロボットの背中を睨みつけた。
「堂島の『聖域』ってのは、そういうことだ。全体の最適化のためなら、個人の命なんて誤差として切り捨てる」
父も、そうやって切り捨てられたのだ。
システムの「正常な動作」のために。
奈々の胸の奥で、悲しみよりも熱い、怒りの炎が灯った。
「許せません」
奈々はグラスを握りしめた。
「AIを使って、人の命を数字で計算するなんて……絶対に間違ってる」
「ああ。だが、相手は街全体のシステムを握ってる神様だ。喧嘩を売るにしても、武器が足りねえ」
佐倉は懐から一枚のSDカードを取り出した。先ほど、PCから引き抜く直前に、とっさに抜き取っていたものだ。
「親父さんが遺した『断片』がここにあるかもしれん。……解析できるか? お嬢ちゃん」
奈々は佐倉を見た。
AIに頼りきりだった私。リコメンドがないと服も選べない私。
でも、父は私の名前をパスワードにしてくれていた。
私の中に、父の血は流れている。
「……やってみます。私、これでもエンジニアの娘ですから」
奈々の瞳に、初めて「自分の意思」という光が宿った瞬間だった。
だが、二人はまだ知らない。
この瞬間、街中の監視カメラが二人をターゲットとして認識し、次なる「排除プログラム」を起動させたことを。




