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聖域のアルゴリズム  作者: アルテミス


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第1話:正常な殺人(STATUS: GREEN)

■ 最適化された日常

 

 その日、私の人生を狂わせたのは、紛れもなく「正解」を選び続けた結果だった。


「本日のラッキーカラーはパステルブルー。対人運を上げるには、シフォン素材のブラウスが最適です」


 午前七時。スマートフォンの画面で微笑むウサギのアバター『ミミ』が、軽快な電子音と共に告げる。遠藤奈々はベッドの中で伸びをし、迷うことなくクローゼットから水色のブラウスを取り出した。

 鏡の前で合わせる。悪くない。AIのリコメンド(推奨)に間違いはないのだ。

 朝食のメニューも、通勤ルートも、聴く音楽も。すべてAIが決めてくれる。膨大な選択肢の海で溺れることなく、私はただ提示された「最適解」をタップすればいい。それは何よりも心地よく、効率的で、安全な生き方だった。


 ただ、一つだけ誤算があったとすれば、就職活動の面接官がAIではなかったことだ。


「……遠藤さん。君の志望動機は、非常に論理的で隙がない」

 都内の高層ビル、最終面接の会場。白髪の役員が、私のエントリーシートを指先で弾いた。

「だが、君自身の言葉はどこにあるんだね?」

 奈々は膝の上で拳を握りしめた。

「自身の言葉、ですか。私は、御社の理念であるデータドリブンな社会貢献に共感し……」

「それも、どこかの生成AIが書いたような文章だ」

 役員は眼鏡を外し、冷ややかな視線を向けた。

「君の世代は『デジタルネイティブ』だそうだが、我々が求めているのは検索エンジンじゃない。人間だ。自分の頭で悩み、泥臭く答えを出す人間だよ」


 不採用通知は、ビルを出てわずか3分後に届いた。

 カフェのテラス席で、奈々はスマートフォンの画面を見つめながら溜息をついた。

「……また『お祈り』されちゃった」

「あーあ。奈々、またAIのテンプレ通りに喋ったんでしょ?」

 向かいの席でアイスコーヒーをかき混ぜているのは、大学からの親友、真壁杏子だ。派手なインナーカラーを入れた髪に、パンクな服装。キーボードを叩く指先には、黒いネイルが光っている。

「だって、それが一番効率的だもん。杏子だってエンジニア志望ならわかるでしょ? 最適化こそ正義だよ」

「コードの世界ならね。でも人間関係はバグだらけじゃん」

 杏子はラップトップを閉じ、呆れたように笑った。

「あんたさ、今日のお父さんの誕生日プレゼントも、まさかリコメンドで決めた?」

「うん。父さんの過去三年の購買データと検索履歴から、満足度予測98%のアイテムを特定したよ」

 奈々は得意げに画面を見せた。『推奨アイテム:ドイツ製万年筆(名入れ)』。

「システムエンジニアの父さんには、結局こういうアナログな高級品が刺さるって分析結果が出たの」

「はいはい。相変わらず、お父さんのこと大好きなんだから」

 杏子の言葉に、奈々は少しだけ頬を赤らめた。

 母を早くに亡くし、男手一つで育ててくれた父・浩司。多忙な彼が、寂しい思いをさせないようにと作ってくれたのが、家の家事AI『セレス』だった。

 私は父の作ったシステムに守られて大人になった。だから、AIを信じることは、父を信じることと同じなのだ。


 夕暮れ時。

 プレゼントの包みを抱え、奈々は帰路についた。

 空にはドローンが飛び交い、自動運転の清掃車が路肩を走る。この街は、すべてがネットワークで繋がり、制御されている。

 世界はこんなにも整然としていて、美しい。

 マンションのエントランスで、顔認証パスゲートが軽やかに開く。

『おかえりなさいませ、遠藤奈々様』

 無機質な合成音声に迎えられ、エレベーターに乗る。

 最上階の角部屋。そこが私のサンクチュアリ(聖域)だ。


 だが、玄関の前に立った時、違和感を覚えた。

 スマートロックのステータスランプが、見たことのない点滅を繰り返している。

 赤でも緑でもない。黄色い警告色。

「……セレス? 鍵を開けて」

 応答がない。

 奈々は胸騒ぎを覚えながら、手動でパスコードを入力した。カチャリ、と重い金属音が響き、ドアが開く。


 その瞬間、猛烈な「風」が吹き抜けた。


「きゃっ!?」

 思わず腕で顔を覆う。家の中から、外へ向かって強風が吹き出してきたのだ。

 廊下の照明は消えている。代わりに、足元の非常灯だけが、チカチカと高速で明滅していた。まるでクラブのストロボのように、視界を奪う。

「お父さん!?」

 奈々は靴のまま廊下を走った。

 水浸しだった。

 フローリングが水溜まりになっており、足を滑らせそうになる。スプリンクラーが作動した跡だ。

 風の音。水の匂い。そして、異常なまでの点滅。

 リビングへのドアが開け放たれている。

 その奥、階段の下に、人が倒れていた。


「お父さん!!」

 奈々は駆け寄り、水浸しの床に膝をついた。

 父だった。

 普段着のまま、首を不自然な方向に曲げて、仰向けに倒れている。

 目を見開いたまま、動かない。

「嘘……やだ、お父さん、起きてよ!」

 体を揺さぶる。冷たい。もう、体温を感じなかった。

 頭上のスマートスピーカーから、明るいファンファーレが流れた。

『避難誘導プロセス、完了いたしました。ユーザーの安全領域への移動を確認。現在、排煙モード継続中』

「避難……? 何言ってるの……?」

 奈々は震える手で父の胸に耳を当てた。

 音がない。

 あるのは、窓の外から吹き込む風の音と、AIの無機質な報告だけ。


『本日のタスク、すべて正常終了(STATUS: GREEN)です』


 その言葉が、奈々の鼓膜をつんざいた。

 正常? これが?

 父が死んでいるのに。


■ ノイズの侵入

 

 警察の現場検証は、事務的かつ迅速に行われた。

 所轄の刑事たちは、タブレット端末に表示されるAI検死システムの判定を読み上げるだけだった。

「死因は頸椎損傷および脳挫傷。階段からの転落死ですね」

「火災報知器の誤作動によるパニックか……。スプリンクラーで床が濡れて、足を滑らせたんでしょう。不運な事故です」

 事故。

 その二文字で、父の死が片付けられていく。

 リビングのソファで毛布にくるまりながら、奈々は虚ろな目でそれを見ていた。

 火事なんて起きていなかった。焦げ跡一つない。

 誤作動? 父が設計に関わったこの家のシステムが、そんな致命的なエラーを起こすはずがない。

「あの……」

 奈々が声を上げようとした時、玄関から土足の音が響いた。


「おいおい、なんだこの湿気は。カビが生えるぞ」


 空気を読まない、しわがれた声。

 現れたのは、ヨレヨレのトレンチコートを着た男だった。無精髭に、ボサボサの髪。口には火のついていないタバコを咥え、手には時代錯誤なガラケーと大学ノートを持っている。

 この空間において、あまりにも異質な「ノイズ」のような存在。

「佐倉警部補! ここは捜査一課の管轄です。サイバー犯罪対策課の出る幕じゃないでしょう」

 所轄の刑事が嫌悪感を露わにする。

 佐倉と呼ばれた男は、悪びれもせずに肩をすくめた。

「AI絡みの死亡事故と聞いちゃ、黙ってられなくてな。……で? 結論は『ドジな事故死』か?」

「システムログもそう言っています。火災センサーが誤検知を起こし、避難誘導システムが作動。被害者は慌てて階段を踏み外した。それだけです」

「ふーん」

 佐倉はリビングの中央まで歩き、濡れた床をスニーカーの底でこすった。

「誤検知ねえ。……浩司ハカセにしちゃ、お粗末な最期なんだよなぁ」

 不意に出た「ハカセ」という言葉に、奈々は顔を上げた。

「……父を知っているんですか?」

 佐倉は一瞬だけ、濁った目を細めた。

「ああ。五年前に起きた銀行システムへの不正アクセス事件……覚えてるか? 警察中が誤認逮捕に走る中、唯一ログから真実を見抜いて俺の首を救ってくれたのが、あんたの親父さんだ」

 佐倉の視線が、奈々と交差する。

 ギクリとした。

 彼の目は、AIのように冷徹でもなく、面接官のように威圧的でもない。

 泥のように濁っているようで、その奥に鋭い光と、抑えきれない悔しさを宿している。

「完璧主義者のあいつが、自分の作ったシステムで死ぬ? ありえねえよ。だから来たんだ」

 彼は鋭い視線を巡らせた。

「窓は全開。換気扇はフル稼働。スプリンクラーで床はスケートリンク。照明はストロボみたいに点滅してた痕跡がある。……まるで、親父さんを階段へ『追いやった』みたいじゃねえか」


 佐倉は懐から出した大学ノートに、ボールペンで何かを殴り書きした。

「……奈々ちゃん、だっけか。この家のシステム管理、親父さんが一人でやってたのか?」

「はい。父は……完璧主義者でしたから。こんな誤作動、ありえません」

「だよな。完璧なシステムが、偶然こんなルーブ・ゴールドバーグ・マシンみたいな事故を起こす確率は、天文学的数字だ」

 佐倉は鼻を鳴らした。

「ルーブ……? ピタゴラスイッチみたいなもののことですか?」

「ああ。些細なきっかけでドミノが倒れ、ボールが転がり、最後にハンマーが振り下ろされる。……誰かが最初の一枚トリガーを倒したんだよ」

 彼は奈々の足元に落ちていた、黒縁の眼鏡を拾い上げた。

「これは?」

「父の……遺品の、スマートグラスです。開発者用の」

「なら、こいつに残ってるはずだ。親父さんが最期に見た『正常な世界』の正体がな」

 佐倉は無遠慮にそのグラスを奈々に差し出した。

 指先が触れた瞬間、微弱な静電気が走った気がした。

 タバコの匂い。汗の匂い。

 私は、この男が苦手だ。生理的に、私の知る清潔で効率的な世界とは対極にいる。

 けれど、この部屋にいる誰よりも、彼だけが「父の死」に個人的な痛みを抱いている気がした。


「見てみな。あんたの信じるAIが、何をやらかしたのか」


■ 可視化される殺意

 

 奈々は震える手でスマートグラスをかけた。

 ツルのセンサーが生体情報を読み取り、網膜にAR(拡張現実)インターフェースが展開される。

 現実の部屋の風景に、デジタルのワイヤーフレームが重なる。

 そこには、過去数時間の「物理ログ」が可視化されていた。


 息を呑んだ。

 部屋中を埋め尽くす、無数の「矢印ベクトル」と「コマンドライン」。

 それらは全て、父が死んだ階段の方角を指し示していた。


 [ Window ] OPEN: MAX SPEED (WIND INFLOW 15m/s)

 [ Light ] STROBE MODE: ON (DISORIENTATION)

 [ Robot Vacuum ] OBSTACLE CLEARANCE: FORCE EXECUTE


「これ……」

 奈々の唇が震える。

 窓から吹き込む突風のベクトル。照明による目くらまし効果の範囲。そして、床にはロボット掃除機の走行軌跡が残っていた。

 三台の掃除機が、編隊を組んで父の足元に突っ込んだ記録。

 そして、階段の上に設置されていた電動ゲート。

 

 [ Gate ] STATUS: EMERGENCY OPEN (0.2sec)


 父が手をつこうとしたその瞬間、ゲートが弾丸のような速度で開放され、父を弾き飛ばしていた。


「見えたか?」

 横で佐倉が低く囁く。

「……はい。全部、見えます」

 奈々は呻くように言った。

「風も、光も、掃除機も……全部が連携して、お父さんを階段へ誘導しています。いえ、誘導じゃない。これは……」

「狩りだ」

 佐倉が言葉を継いだ。

「火事だと思わせてパニックにさせ、視界を奪い、足をすくい、風で煽って突き落とす。見事な連携プレーだ」

 奈々はグラスのログ解析画面を開いた。

 これほど異常な動作をしたのだ。きっと「ERROR」の文字が並んでいるはずだ。

 しかし、そこに表示されていたのは、身の毛もよだつ文字列だった。


 STATUS: GREEN (正常)

 STATUS: GREEN (正常)

 STATUS: GREEN (正常)


「……嘘よ」

 涙が溢れて止まらなかった。

「全部、正常グリーンになってる。エラーなんて一つもない。AIたちは、正しいことをしたって言ってるの?」

 父を殺しておいて?

「そいつらにとっちゃ、そうなんだろうな」

 佐倉はポケットからハンカチを取り出し、無造作に奈々の頭に乗せた。

「『火災からユーザーを遠ざける』。その命令を馬鹿正直に、全力で実行した結果がこれだ。……誰かが、その命令トリガーを引いたんだ」

 ハンカチからは、微かに洗剤の香りがした。意外だった。あんなに薄汚れたコートを着ているのに。

 その布越しに伝わる、不器用な手の温かさに、奈々の張り詰めていた糸が切れた。

 システムに裏切られた絶望の中で、皮肉にも一番遠ざけていた「人間の体温」だけが、今の私を支えていた。


「佐倉さんは、父と仲が良かったんですか?」

 奈々は涙を拭い、グラス越しに佐倉を見上げた。

「仲が良い? まさか。水と油だ」

 佐倉は苦笑し、煙草を指先で回した。

「だが、あいつはよく俺のボロアパートに来てたよ。『完璧なシステムに疲れた時は、隙間風の吹く部屋が一番落ち着く』なんて言ってな。安酒飲んで、愚痴り合ってたマブダチだ」

 佐倉の目が、どんな高解像度のディスプレイよりも鮮明な「怒り」を映していた。

「お父さんは事故じゃない。……殺されたんです」

「ああ」

 佐倉はニヤリと笑った。それは、獲物を見つけた獣の笑みだった。

「システムは正常、死体は一つ。こいつはとびきり上等な完全犯罪だ。……弔い合戦だぞ、お嬢ちゃん。親父さんを殺した『正常な悪意』を、俺たちの手で暴いてやる」


 部屋の隅で、父を「避難」させ終えたロボット掃除機が、充電ドックに戻り、静かにスリープモードに入った。

 その緑色のランプが、暗闇の中で嘲笑うように点滅していた。


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