御家騒動③
「ああ、飯尾さんが殺害された事件ですね。ニュースを見ました」
斉藤はテーブルの上の電気ポットから急須にお茶を煎れて、二人に振る舞った。
「ありがとうございます。ニュースをご覧になった?」
「ええ。テレビをゆっくり見ている暇がないものですから、インターネットの記事で読みました。最近、ニュースはもっぱらネット記事頼りです」
テレビ局の人間としては、耳が痛い。
「飯尾さんとは、かつて品川ケミカルにいらっしゃった時に、一緒に働いていていらっしゃいましたね?」
「はい。ああ、なるほど・・・」斉藤はひとつ大きく頷くと、「僕を飯尾さん殺害の犯人として疑っていらっしゃる訳だ」と納得した様に言った。
「いえ、そういう訳では、ありません。ただお話をお伺いしたいだけです」
羽田が慌てて否定すると、斉藤は「別に隠さなくても結構ですよ。確かに僕は飯尾さんを殺したいほど憎んでいた訳ですから――」と平然と言い放った。
寺井だろう。「えっ!」と絶句する声がカメラに収められていた。
「と言っても、僕は飯尾さんを殺害してなどいません。事件当夜――と言うか、このところ、僕はずっと研究室にいました。飯尾さんを殺しに行っている暇など、ありませんでした」
「はあ、飯尾さんとの関係をお聞かせ頂けませんか?」
犯行を自白している訳ではなさそうだ。
「品川ケミカルで同僚だったと言うだけです。入社した時期も、ほぼ同じでしたね。僕は三浦化学からの出向でしたが、飯尾さんは初代の高正社長が雇い入れた人でした。
あまり人には言っていなかったようですが、飯尾さん本人から聞いたことがあります。高正社長が過去のカビの生えた様な血縁を頼って――ああ、カビの生えたと言うのは、飯尾さんが言っていた言葉ですけど――品川家は今川氏に繋がる由緒ある家柄で、三浦化学は三浦氏の末裔を称しています。品川ケミカルの初代社長、高正社長は家柄を武器に手練手立てを駆使して三浦化学の子会社の社長に収まると、品川ケミカルを興しました。
飯尾さんはその話をどこからか伝え聞いて、高正社長を尋ねました。そして、『自分は今川氏の家臣であった飯尾氏の末流である』と訴えました――それも立派なカビの生えた様な血縁ですな――私はね、飯尾さんは単に姓が飯尾であったと言うだけで、今川氏の家臣だった飯尾氏とは縁もゆかりも無い家柄だったと思っています。ですが、高正社長は、飯尾さんが訪ねて来たことを、大層、喜びました。
実は昔、今川家の家臣だった飯尾氏について調べてみたことがあります」
斉藤による今川家の家臣だった飯尾氏の解説が続く。
飯尾氏は今川家譜代の家臣で、戦国時代、飯尾氏の当主であった飯尾乗連は今川義元に従軍し、桶狭間の戦いで討ち死にしている。
戦後、乗連の子、連竜が飯尾家の当主となり、義元の跡を継いだ氏真に仕えた。だが、桶狭間の敗戦により今川氏は弱体化、有力家臣の離反が相継いだ。
飯尾連竜は徳川家康に内通し、それを知った氏真は連竜の居城、曳馬城を攻めた。
連竜は城に籠って徹底抗戦を行い、氏真方の武将が次々と戦死するに及び、氏真は連竜と和睦を行い、一旦、兵を退いた。
和睦がなると、氏真は連竜を駿府城に呼び寄せた。連竜はわずかな供を連れただけで、駿府城に入り、城内の一角でだまし討ちに合った。
諸説がありはっきりとしないのだが、家康への内通は単なる疑惑であったとも言われている。連竜の最後についても、氏真により自害させられたと言う説がある。
また、「武徳編年集成」と言う徳川家康側の伝記によれば、駿府城の二の丸で、氏真の兵に囲まれた連竜は寡兵ながら妻のお田鶴と共に奮戦したが、多勢に無勢、連竜は氏真に討ち取られてしまったとある。
「そして、連竜の首は妻のお田鶴の首と共に、駿府城の二の丸大手門に晒されたと言う説があります」
「首が晒された!?」
品川邸の事件との符号に、羽田は思わず声を上げた。犯人は飯尾連竜の故事について、知っていたのかもしれない。
「まあ、そんな訳で飯尾連竜の血流は絶えています。よくて傍流、まあ、姓が飯尾だっただけで無関係だと私が考えるのも無理はないでしょう?
飯尾さんが雇われた頃、私も品川ケミカルに移りました。私が働き始めた時、高正社長がまだ健在で、高憲さんは常務取締役でしたね」
謙遜して言っているようだが、業界関係者の話では、高正はかなりの無理を言って、斎藤を三浦化学から引き抜いたと言うことだった。
「飯尾さんは主に営業方面、私は研究開発が担当でしたので、同じ会社で働いていると言っても、特に親しかった訳ではありません」
その後、初代社長、高正が死去。息子の高憲が新社長に就任した。
「高憲社長は高正社長と違い、妙な愛嬌がありました。傍から見ていると危なかしくって、放っておけませんでしたね」
高憲には父親、高正のような灰汁の強さは無く、人の良さが取り柄の典型的な坊ちゃんタイプの人間だった。斉藤を品川ケミカルに引っ張って来たのは高正だ。高正の死により、斉藤は後ろ盾を無くした恰好となったが、高憲が高正に代わって後ろ盾となってくれた。
「高憲社長にも良くして頂きました」と、斉藤は高憲への感謝を口にした。
高憲の代になると、やり手の飯尾の発言力は益々、強くなって行った。良くも悪くも、会社は飯尾の舵取りのもとで発展を続けた。飯尾の経営センスは高正を凌いでいた。業績は右肩上がりとなり、会社は成長を続けた。
「まあ、人柄はともかく、飯尾さんは経営者として、非常に優秀な人でした」斉藤の飯尾評にはどこか棘があった。
斉藤が青色LEDの開発に成功し、会社の主力商品となると、斉藤は経営陣の一人として迎えられた。この頃から二人の関係は一変する。飯尾が斉藤をライバルとして敵視するようになったからだ。
「飯尾さんはとても優秀な方でしたから、私のような学者馬鹿を追い落とすのは、赤子の手を捻るようなものだったでしょうね」斉藤が笑った。
斉藤は品川ケミカルを退社した理由について、多くを語りたがらなかった。思い出したくもない思い出なのだろう。
「研究開発部にいたあなたの部下たちから、『あなたが研究成果を独り占めにしている』と言う訴えが、社長のもとに寄せられたとお伺いしました」
羽田の直球の質問に、斉藤は苦笑いを浮かべた。「部下と言うより、一緒に研究開発をやってきた仲間だと思っていました。ここにいる学生たちも仲間だと思っています。飯尾さんに唆されたのでしょうね。仲間たちから、研究成果を奪われたと言われたことが、一番、ショックでしたね」