魑魅魍魎③
北原美耶という女性だと言う。どうやら、信之の恋人のようだ。独身の信之に恋人がいても不思議ではない。だが、美耶の存在は秘密にしているのだと言う。
「実は、彼女は年上でバツイチ、しかも子持ちなんです」信之は自嘲気味に言った。
美耶は品川ケミカルに勤める信之の部下である上に、年上で離婚歴があり、しかも二歳になる息子がいた。若くして会社の幹部となり、将来を嘱望されている信之の嫁として美耶が相応しい女性であるかどうか、疑問を持つ者は少なくないだろう。特に母親の正子の反応が気になるようだ。
「彼女に僕のアリバイを確認してもらって構いませんが、彼女のことは絶対に内緒にして下さい。特に母には――」と信之が懇願した。
「大丈夫です。捜査上知りえたことを第三者に漏らすことなどありません」
「第三者ではないので困っているのですけど」
事件当夜、信之はビデオ・チャットを使って美耶と会話を楽しんでいた。飯尾の死亡推定時刻は夜の十時から十二時で、信之によると十時半くらいから十一時半くらいまで一時間程度、部屋で美耶とビデオ・チャットを楽しんだと言うことだった。
「なかなか会社の外で会うことができませんので、デートはもっぱら『エアトーク』です」
会社ではあくまで上司と部下として、二人の関係が周囲に漏れないように気を付けていると言う。
「彼女は子供の面倒を見なければなりませんし、それに彼女が、『わたしなんかと付き合っていることが知れたら、あなたの将来に差し障る』と気にするものですから・・・」そう説明しながらも、信之はどこか嬉しそうだった。
美耶に夢中になっている様子が伺えた。
「あなたの部下ということは、北原さん、今、会社にいらっしゃるのですね。後程、アリバイを確認させていただきます」
竹村の言葉に、「彼女と直接、話をするのですか・・・それはちょっと目立ち過ぎるような気が・・・」と逡巡した後で、「そうだなあ~今、呼んでもらっても良いですか? A社の資料を持って来てもらうという理由でこちらに来てもらうので、ここで確認してもらえませんか?」と言った。
「まあ、良いでしょう」と信之に北原を呼んでもらった。
直ぐに、北原美耶が資料を手にやって来た。歳は三十歳前後、若い信之が夢中になるのも頷ける美貌の持ち主だった。背は高くないが、メリハリのついた体型で、スタイルも抜群だった。
「まあ、そこに座って。刑事さんから質問があるそうなので、正直に答えてくれて構わないから」と信之が北原を椅子に座らせた。
「飯尾社長が殺害された夜、あなたは田村信之さんとビデオ通話をされていたそうですが、間違いありませんか?」
竹村の質問を受けた北原は信之の顔色を伺った。正直に話して良いか聞きたいのだ。美貌に加えて、聡明さも持ち合わせている。「大丈夫だよ」と信之が優しく言うと、「はい。あの晩、子供を寝かしつけて、家事を終えた後、信之さんとビデオ・チャットで話をしました。信之さんは、先代社長の四十九日の法要に参加して、品川邸に宿泊していました。話をしている間、ずっと信之さんが品川邸のお部屋に居たことは間違いありません」
さり気なく信之のアリバイを裏付けている。頭の良い女性だ。
なかなか外で会う機会がない二人はほぼ毎日、夜中のビデオ・チャットを日課としていた。事件当夜、信之に飯尾を殺害する機会が無かったことを美耶は、竹村たちに伝えようとしていた。
「どちらから電話をかけられたのですか?」
「それは・・・信之さんの方からです」
「部屋の様子を見て、信之さんが品川邸の部屋から、ビデオ電話を掛けて来ていると分かったのですね?」
「はい」頷いたものの、品川邸に行ったことが無い美耶には、信之が品川邸の部屋にいたかどうか確信が持てたはずない。
「それを証明することができますか?」
「ああ、それなら――」と信之が携帯電話にインストールされた「エアトーク」の通話履歴を見せてくれた。事件当夜、十時二十八分から十一時三十六分までの間、ビデオ通話を行っていた。
「なるほど」と竹村は頷いたが、飯尾の死亡推定時刻は十時から十二時の間だ。ビデオ通話の前後三十分の間に、犯行は可能だった。例えば十時から十時二十八分までの間に飯尾を殺害し、飯尾の部屋から美耶とビデオ通話を行ったとすれば、信之のアリバイは崩れることになる。
いずれにしろ、飯尾の部屋の密室の謎が解けない限り、容疑は確定しないと言えた。
「品川翔子さんが亡くなった土曜日の深夜から日曜日の早朝にかけて、どちらにいらっしゃりましたか?」
「ああ、その時間なら――」と二人は顔を見合わせた後、「私の部屋にいました」と北原が答えた。週末は一緒に過ごすのだと言う。
「まあ、屋敷にいたのは、あなたのお母さんと正憲さんだけでしたけどね」と竹村が言うと、信之が色をなして言った。「大体、翔子さんは自殺でしょう? あの屋敷にいたのが二人切りだったとしても、二人が翔子さんを殺したとは言えないのではありませんか⁉」
「まあ、そうですが、他殺の疑いも捨てきれません。仮に、外部から犯人が屋敷に侵入したとすれば防犯カメラに映っているはずです」
竹村がそう答えると、信之は意外なことを言った。「あの防犯カメラって見せかけのダミーじゃなかったんですか?」
「いいえ、ダミーなんかじゃありませんよ」
「そうなのですか! 子供の頃、高房さんと遊んだ時、防犯カメラがあって格好良いと言う話をしたら、あれは泥棒防止用の見せかけのカメラだと言われました」と信之が言う。
「高房さんは何故、そんな嘘を吐いたのでしょうね」
そして、信之は衝撃の一言を言った。「それは分かりませんが、防犯カメラに映らずに、屋敷に出入りできる秘密の入り口があることは知っています」
「ええっ! どういうことです?」
「品川邸は庭の一部が、ほら、戸越公園に隣接しているでしょう」
信之が言うには、屋敷は高いコンクリート塀で囲まれているが、戸越公園に隣接した一部に、公園側の樹木を伐採できなかったことから、鉄格子となっている箇所があると。鉄格子の隙間から公園側の樹木が品川邸に枝を伸ばしているそうだ。
「一見しただけでは分かりませんが、鉄格子のひとつを外すことができるのです。子供の頃、タカちゃん、いや、高房さんと一緒に、こっそり屋敷を抜け出しては、公園に遊びに行っていました」
子供の頃、信之は年が近かった高房によく遊んでもらっていたと言う。ある日、高房から屋敷の裏庭にある秘密の抜け道を通って、公園に遊びに行く方法を教えてもらった。正門のくぐり戸から出て公園に遊びに行くと遠回りになるが、品川邸の裏庭の秘密の通路を使えば、そのまま公園に出ることができた。
「屋敷の庭から公園に出ることができるのですか!?」竹村が悲鳴を上げた。




