第3話
「マモルーっ! おかえりー!」
今日も橋の下から大きな声で呼ばれる。
守流はちょっとうんざりしながら、橋の下をチラッと覗き、お義理に手を軽く上げて通り過ぎる。
「また明日なー!」
背中から、懲りずにそう言うキハチの声が響いた。
このやり取りをするのは、一体何日目だろう。
自称河童のキハチという名の少年は、あれからも毎日、夕方のこの時間にゴミ拾いを続けている。
そして、守流を見つけては声を掛けた。
気付かれないように道路の左側を歩いてみても、何故か目敏く見つけてキハチは守流の名を呼んだ。
帰り道を変えようかとも考えたが、家はもうこの目と鼻の先だ。
この道を通らないようにするには、随分回り道をして帰らなければならなくなるのだ。
そんな面倒なことはしたくない。
それで、さっきみたいに挨拶を返して立ち去ることにしていた。
ちょっと手を振ってやれば、キハチは『また明日』と言うだけで、特に何もしてこない。
「なあ、あれ、知り合い?」
「拓人!?」
突然後ろから肩を叩かれて、振り返ったら拓人がいた。
走って来たのか、息が上がっている。
「どうしているの? 部活は?」
「総体終わったから、今週休み」
「終わったの?」
「負けたんだよ、一回戦で。今日の校内放送で結果報告してただろ?」
そういえば、確かに聞いた。
拓人は負けたんだな、と思ったけれど、それで総体が終わったという風には繋がっていなかった。
「大して興味なかったんだろ?」
「…………ごめん」
素直に謝れば、拓人は可笑しそうに笑った。
こういう細かなことにこだわらない大らかなところが、拓人の良いところのひとつだ。
「で、あの子誰? 友達?」
拓人がガードレールから乗り出して、下を覗いて言った。
守流は何と答えて良いか分からず、口籠る。
知り合いでもない。
ましてや友達でも。
顔見知り、と言っていいのかすら分からない。
「一応……顔見知り?」
「何だそりゃ」
疑問形で言った守流も『何だそれ』と思うが、他に何と説明すれば良いのか分からないのだ。
守流が悩んでいる間に、いつもならさっさと通り過ぎてしまう守流がまだ橋の上にいることに気付き、キハチは大きく手を振ってきた。
「マモルー! 帰らないならこっちに来なよ!」
「呼んでるぞ?」
「……呼んでるね」
再び何だそりゃと言いながら、拓人はさっさとガードレールの縁から下の生活道路に降りた。
「やあ、君、何やってんの? 掃除?」
「うん。川の掃除してんだ」
話し掛けられたのが嬉しいのか、キハチはニイと大きく口角を上げる。
垂れ下がった細目が更に細くなって、糸みたいに見えた。
「お前マモルの友達か? 名前は? オレ、キハチ」
「拓人だよ。守流の友達」
屈託なく話し掛けるキハチに、人懐っこい拓人は、なんの躊躇いもなく返事をする。
微妙に居心地が悪い思いで拓人の側まで行った守流は、二人のやり取りを聞いて、あれ?と思った。
拓人が通学鞄とは別に持っているスポーツバッグには、中学校のロゴマークがデザインされている横に、『中西 拓人』と名前が書かれてある。
守流の水筒に書かれた名前よりも、ずっと大きく書いてあるのに、何故キハチは拓人の名前は気付かなかったのだろうか。
そんな守流の考えをよそに、拓人は道路端にしゃがみ込んでキハチと喋っていた。
「え? 学校行ってねぇの?」
「うん。だって、河童に学校ないもん」
「カッパ〜? キハチ、河童なのかよ」
全く信じていない様子で、拓人が笑った。
ああ、またおかしな会話になってしまった。
守流は僅かに顔をしかめ、もう帰ろうと拓人を促そうとした時だった。
「そうだよ。河童だよ。見る?」
言うが早いか、キハチは古ぼけた麦わら帽子をヒョイと持ち上げた。
前回のように、ザンバラの髪はちょんまげに結われてはいなかった。
その頭頂に乗った、緑白色の丸く平たい皿がつるりと光を弾く。
「皿? 何? 河童になったつもりで皿乗せてんの?」
「乗せてるんじゃなくて、オレの頭だよ」
皿を見て笑った拓人に向けて、キハチは頭を突き出した。
大人の身長程も深さがある用水路に立っているので、背伸びして突き出された頭は、しゃがみ込んだ拓人の足元よりもちょっと低い。
拓人は何度か瞬きをして、おもむろに手を伸ばした。
キハチの頭に届いた指は、皿を突付いて止まる。
「……くっついてる」
拓人は目を真ん丸にして、隣に立ったままの守流を見上げる。
側で見ていた守流も、拓人と同じ表情をしていた。
キハチの頭には、どう見ても艷やかな皿がくっついていた。
「…………本物の河童、なのか?」
「だから、そう言ってるじゃない」
キハチはニイと笑った。