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第10話

 帰宅した守流まもるに、居間で洗濯物を畳んでいた母さんが声を掛けた。


「ねえ、守流。もしかしてきゅうり採った?」


 守流はドキリとした。

 一昨日に続き、今日も一本喜八(きはち)に持って行ったが、まさか黙ってきゅうりを収穫したことを気付かれると思わなかった。


「え!……あ、うん。きゅうりが好きだって言う友達にあげた……」

「あげたって……、そのまま食べたの?」

「そう。丸かじりして、美味しいって喜んでたよ」


 母さんは可笑しそうに笑う。


望果みかと同じでカッパみたいな子がいるのねぇ」


『カッパみたいな子』じゃなくて、本物の河童なんだけど、と守流は思ったが、勿論口には出さない。



 洗濯物を畳み終えた母さんは、立ち上がってペンを持つ。

 そして、カレンダーの所に行って、下の余白部分に正の字の線を書き足した。

 どうやら数を数える為に書かれているようで、よく見れば二段になっていて、『きゅうり』と『ミニトマト』と書かれてある。


「もしかして、採った数を数えてるの?」

「そうよ。きゅうりはこれで十三本で、ミニトマトは二十二個! こんなに採れて、嬉しくなるじゃない? ふふ、毎日の楽しみよ!」




『嬉しいがいっぱいあって、俺、幸せだもん』



 今日、喜八が言った言葉が思い出された。


「僕、そんなに毎日嬉しいこと、ないけどな……」

「そう? とっても小さなことでいいのよ? ご飯が美味しいとか、今日は天気がいいとか、友達と動画の話で盛り上がったとか」


 思わずポツリと口から出たが、それを聞いた母さんはあっけらかんとそんなことを言う。


「そんな毎日の当たり前のこと、“嬉しい”とか“楽しい”なんて、いちいち思わないけど……」

「あら、勿体ない! “嬉しい”、“楽しい”って、自分への栄養よ」

「自分への栄養?」

「そうよ。小さなことでも、嬉しいことや楽しいことがあると、元気が出るじゃない?」


 守流は、拓人たくとが変わってしまった訳じゃないと気付いた時のことを思い出した。

 嬉しくて、思わず走って小石を蹴った。

 自分でも笑っちゃうくらい元気が出たと思う。



「ねえ守流。今日は楽しいこと、あった?」


 不意に掛けられた母さんの優しい問いに、目を瞬いた。


「えっと……、うん」


 あの後、拓人と喜八と一緒に、町田さんが持って来てくれた饅頭を食べた。

 拓人と今度自転車で、少し離れた緑地公園まで行こうと話した。

 町田さんの新作の竹とんぼの話を聞いて驚いた。

 明日また用水路に行って、見せてもらう約束をして帰って来た。


 小さなことだけれど、そのどれも、思い出すと胸が小さく弾むような気持ちになる。


「そう! 良かったわね!」


 守流の答えは歯切れの良いものではなかったのに、母さんは、さっききゅうりの本数を書いていた時よりも、もっと嬉しそうな顔をした。




 ちょうど望果みかが公園から帰って来た。

 母さんは「今日はどうだった?」と聞き、望果は「楽しかったよ!」と答えて、友達と遊んだ内容をせわしく話し始める。


 いつものことだ。


 そう、いつも母さんは、帰宅すると『今日はどうだった?』と聞く。

 朝の『楽しんでおいで』と同様、母さんのルーティンなのだと思っていたので、守流は深く考えずにいつも『別に』と答えていた。

 でも、もしかしたら……?


「母さん、もしかして、朝いつも『楽しんでおいで』って言うの、楽しいこと見つけろってことだったの?」

「見つけろとまで言わないけど、見つけてくれたらいいなって、毎日思ってるわよ」


 母さんは笑って言って、台所へ向かう。




 “楽しい”、“嬉しい”は、自分への栄養。

 守流や望果に、元気でいて欲しいために。


 毎朝玄関から送り出す時、母さんにそんな気持ちで送り出されていたのかと思うと、何だかくすぐったいような、恥ずかしいような気分になった。


 しかし、今日の楽しかったことを思い出した時のように、守流の胸は小さく弾んだのだった。






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