3.
人生で初めての学食。
選んだメニューは日替わりランチAセット。
味はしなかった。
食堂で俺とナベは向かい合う形で席に着いた。
同じ空間にいる周りの生徒達は、授業から解放された一時の時間を楽しむように、仲の良いメンバーで集まってあれやこれやと会話に花を咲かせている。
そんな中俺達が座る空間だけ異様に暗い。
まるでお通夜と思えるくらいに。
原因はもちろん俺。ナベには申し訳ないと思うけど、この空気を何とかしようという気持ちは湧いてこない。
そんな状態の俺だけど、情報を収集する器官はしっかりと働いているようで、周りの生徒達の会話は不思議に耳に入ってきた。
やはりと言うべきか、姫は学年を越えて有名な生徒だった。
そして姫と一緒にいたあの男子生徒も。
男の名前は四条昴というらしい。
食堂で似たような会話をしている生徒達が「四条くん」や「昴くん」と呼んでいたから間違いないと思う。
四条はスポーツ全般が得意で、特定の部活に入ってはいないけど、大会にはよく助っ人として呼ばれるほど実力があるらしい。
それでいてそのことを鼻にかけず人当たりもいいから、女子生徒だけじゃなく男子生徒からの人気も高いようだ。
ただ空気が読めないところがあるらしいけど、そんな天然なところもいいと女子生徒からは好意的に受け入れられているそうだ。
たった数十分食堂にいただけで、ついさっき知った四条の情報がここまで集まったことに四条昴という男の人気の高さを思い知らされる。
そして、四条とセットで必ず耳にするのが姫、倉敷マヤという名前。
2人は入学当初からその優れた容姿ですぐ話題になり、去年の文化祭では2人揃って1年生にしてミス・ミスターコンで優勝したそうだ。
そんな2人は高校に入ってから何度も告白をされているみたいだけど、2人共その全てを断っているそうだ。理由は2人共同じで好きな人がいるからだという。
高校に入学した姫と四条は同じクラスになりすぐに仲良くなったそうだ。
2人はよく一緒にいてその姿がお似合いに見えることから、2人は密かに付き合ってると考える生徒も少なくないという。
それが本当なら告白を断っている理由も納得というものだ。
そしてもしも俺が姫と関わりの無い人生を送っていたとしたら、きっとその他の生徒同様に2人を話のネタにして、友達と面白おかしく会話に花を咲かせていたことだろう。
......本当になんで俺はこんな所にいるんだろうな。
これじゃあまるで道化だな。
「酒井くん、周りの話なんて気にしちゃダメだよ」
思考が悪い方へと向かい心が暗くなっていく中、ナベの声が聞こえ顔を上げる。
「......ナベ」
「酒井くん、大丈夫。倉敷さんは付き合ってなんかないよ」
俺を見るナベの表情は今までにないくらい真剣なものだ。
「......なんでそうだと言い切れるんだよ?」
「ここにいる人達より、倉敷さんとの付き合いが長いからだよ。
それに酒井くん程じゃないけど、倉敷さんのことはわかってるつもりだよ。
だからわかるんだ。
倉敷さんは付き合ってないし、倉敷さんの好きな人は四条くんじゃないよ」
ハッキリとそう告げるナベの表情は相変わらず真剣そのもので、その話を信じたいと思ってしまう自分がいる。だけど......
「......それは姫に聞いたとかじゃなくて、ただのナベの予想だろ?」
「予想なんかじゃないよ。
僕は倉敷さんが好きな人と一緒にいる時、どんな顔をするのかを知っている。
そして僕は小学校以来、倉敷さんがあの顔をするところを見ていない」
あの顔ってどの顔だよ。
その顔をしないからって、姫の好きな人が変わってない保証はないだろ。
「なんだよそれ。姫だって小学生のままじゃないんだ。表情だって変わるだろ」
「変わらないよ。倉敷さんは何も変わってない。
気持ちだってずっと変わってない」
何故かはわからないけど、ナベは俺に姫のことを諦めて欲しくないようだ。
だけどナベがどう思おうと姫の気持ちが変わっていたとしたら、それはもうどうしようもない。
「なんでそう言い切れるのか分からないけどさ、人の気持ちなんて一年も誰かと一緒にいれば変わることだってあるんだよ」
だって俺がそうだった。
最初は自分の夢の為に姫を利用しようと声を掛けた。
だけど一年もすれば姫のことが好きになっていた。
小学生の頃の俺でそうだったんだ。
思春期の高校生、性格の良いイケメンと毎日一緒にいたら姫だってそっちを好きになったっておかしくない。
そしてその裏付けのようなあの光景。
2人の笑い合う姿を目の当たりにして俺は理解したんだ。
姫はもう俺のことを好きじゃないって。
「だから、ナベの気持ちはありがたいけど、この話はこれで終わりにしよう」
「......酒井くん、君は本当にそれでいいの?」
よくない。
いいわけがない。
だけど、どうしようもないだろ......
「......そろそろ午後の授業が始まる。戻ろうぜ」
「......そうだね」
俺がそれに答えるつもりがないことが伝わったのか、ナベは一度目を閉じると静かに頷いた。
午後の授業はただ視界に教師と黒板を入れているだけで何も考えられなかった。
全ての授業が終わると、すぐに帰り支度をして席を立った。
「酒井くん、もう帰るの?」
ナベがすぐに声をかけてきた。
何となく声をかけてくるとは思っていた。
「......悪い、用事があるんだ。今日はもう帰るよ。
ナベ、またな」
嘘をついた。
用事なんてない。
今日はもう誰にも会いたくない。
さっさと家に帰って何も考えず横になりたかった。
ナベに挨拶をして横を通り抜ける。
「......酒井くん、君はもうヒーローじゃないの?」
唐突に放たれたナベの言葉に足が止まる。
ナベの言いたいことはすぐにわかった。
だけど今の俺はその質問に返す言葉を持っていない。
返せるだけの自信を持っていない。
「......正直、俺にもわからないんだ。......じゃあナベ、また明日」
そのまま振り向きもせず歩き出す。
ナベは何も言ってこなかった。
家に帰ってきてそのまま横になり目を閉じた。
現実から逃れるように、そして起きた時、少しは気持ちの整理がついていることを願いながら。
しばらくして母親に起こされ、言われるがまま食事をとり風呂に入る。
部屋に戻ってきた時、既に21時を回っていた。
ベッドの脇に目をやると自分のスマホが目に入った。
今日一日ほとんど触ることがなかったスマホを開くと、メッセージアプリには十数件の未読を告げるアイコン。送り主は全て姫だった。
トーク画面を開き、メッセージを確認していく。
メッセージは、俺が何組になったのかを確認するものから始まり、返信がないことへの不満、会えなかったことへの不満、返信がないことへの不安へと変わっている。
悪いことしたなと思い、素直に謝罪のメッセージを送ると、すぐに既読が付き、姫から電話が掛かってきた。
「......はい」
「あ、隼人くん? よかった。全然連絡くれないから心配したんだよ?」
受話器の向こうから姫の安堵した声が聞こえてくる。
その声を聞いて久しぶりに見た姫の姿を思い出し、嬉しさと胸の高鳴りを感じるも、次の瞬間四条と笑い合う姫の姿を思い出し胸が強く締め付けられる。
「......隼人くん? ねえ、大丈夫?
もしかして何かあった?」
返事をしない俺を案ずるような、不安そうな姫の声。
俺は無理矢理気持ちを切り替え普段通りを意識するように口を開く。
「悪い。なんか電波が悪いみたいで上手く聞こえなかった。もう大丈夫だと思う。
あと連絡できなくて悪かったよ」
「ならいいんだけど......。本当に心配したんだから。クラスわかったら連絡してって言ったのに全然連絡くれないし。せっかく今日会えると思ったのに......」
俺の嘘を信じた姫は今日会えなかったことへの不満を伝えてくる。
その声色は本当に残念そうで罪悪感を感じてしまう。
俺だって姫に会いたかったよ。
反射的にそんな言葉が口から出そうになるのをグッと飲み込む。
だって会わない選択をしたのは俺自身だから。
「ホント悪かったよ。実はクラスにナベがいてさ、久しぶりに話したから盛り上がっちゃって」
嘘は言ってない。
少なくとも朝の時間は本当に話に夢中で姫に連絡するのを忘れていた。
「ふぅん。隼人くんは、私よりナベくんと話してる方が楽しいんだね」
普段なら不貞腐れた姫も可愛いなんて思うんだろうけど、今はそんな気分になれない。
どうしても心にあの光景が残っていて前向きな気持ちになれないのだ。
「それに放課後も一人で先帰っちゃってるし......」
「え? 放課後うちのクラスに来たのか?
俺、5組って言ってないのによくわかったな」
「転校生が来たってみんな話してたからね。
本当は隼人くんから聞きたかったけど......。
それで教室に行ってみたら、ちょうど出てきたナベくんにもう帰ったって言われちゃって......」
寂しそうに話す姫の声に心が揺さぶられる。
それでも俺は感情を出さないように努めて普段通りを意識した口調を続けた。
「あー、悪かったよ。急ぎの用があったんだ」
きっと普段の俺なら無理にでも時間を作って姫に会いに行ったんだろうな。
「......ねえ隼人くん、何かあったの?
私、隼人くんに何かしちゃったかな?」
どうやら俺の様子がおかしいことに姫も気づいたらしい。
恐る恐るといった感じに何か理由があるのか尋ねてきた。
「姫は何もしてないじゃん。別に普通だよ。
それに俺も昼休みに姫の所に行ったんだよ。結局話しかけられなかったけどな」
話題を変えて姫の気を逸らす。
昼休みの行動は、俺も姫に会いたい気持ちがあったという証明にはちょうどいい行動だった。
その点はナベに感謝だ。
だけどこの話題は今の俺にとっては諸刃の剣だ。
「えっ!? 隼人くん来てたの? 声かけてくれればよかったのに!」
姫が驚きの声を上げる。心做しか嬉しそうだ。
だけど俺の心中は穏やかじゃない。
案の定頭に浮かんだのは姫と四条の笑い合う光景。
自分は当て馬なんじゃないか錯覚するほどの敗北感。
自ずと口調も投げやりなものになる。
「ちょうど姫がイケメンと話してる所だったから邪魔しちゃ悪いと思ってさ。
あのイケメン、四条っていうんだろ?
食堂でみんなあいつの話してたよ。すごい人気だよな」
我ながら嫌味っぽい言い方だと心の中で自嘲する。
だけど姫はそんなこと気にならないようだ。
「あー、四条くんね。すごい人気だよね。
一緒にいると女の子からの視線が痛いんだよ」
姫が何気なく口にした「一緒にいる」という言葉に胸が強く締め付けられる。
正直、姫の口から四条の話なんて聞きたくない。
だけどそんな思いとは裏腹に、俺の口は会話を継続しようと言葉を発する。
「姫は四条とよく一緒にいるのか?
なんか天然とか抜けてる所があるってみんな言ってたけど、そうなのか?」
「そうだね。一緒にいることは多いかな。
あと天然エピソードはいっぱいあるよ。
ちょっと待ってね。今思い出すから......えっとね、───────」
そう言って語り始めた姫の話は、俺の心を抉るには十分過ぎる内容だった。
四条とあそこへ行った時、こんなことがあった。
四条はあそこで、こんなことをやっていた。
四条がこれをやったら、ああなって大変だった。
四条に任せたら、あんなことになった。
姫は四条との思い出を笑いながら、時に怒りながら、そして懐かしむように俺に語った。
「あ、もちろん二人で出掛けたことなんてないよ」
最後にそんなフォローが入ったけど耳に入ってこなかった。
それよりも、もっと大事なことがあったからだ。
姫が語った四条との思い出話に出てきた建物や施設の名前に聞き覚えがあった。
高校1年の頃、姫がメッセージアプリに載せた何枚もの写真。
どこどこに行ったとその度に女子と一緒に写った写真を載せていた。
だからてっきり女子だけで行っているものだと思っていた。
だけどそれは姫が意図的に載せなかっただけでその場所には四条も一緒に来ていたのだ。
それがわかった時、俺の中にある何かがストンと落ちた気がした。
「......隼人くん?」
全然喋らなくなった俺に姫が不安そうに声をかけてくる。
「......なあ、姫。姫は四条をどう思う?」
自分でも思いの外穏やかな声が出たなと思った。
俺の中で気持ちの整理がつき始めているのかもしれない。
「......どうって?」
だからだろうか。
唐突な話題転換もあって、姫の声も俺の真意を探るような慎重なものに変わった。
「悪い話を聞かなかったからさ。実際、姫から見てどうなのかなって」
「......うん。悪い人じゃないよ。
悪口とか言わないし、誰にでも優しいし、怒ってるところも見たことないし......」
姫は人の悪口をあまり言わない。
でも、悪いものはちゃんと悪いと言える。
その姫が四条を悪く言っていない。
「じゃあ、良い奴だな」
「......うん。良い人だよ」
なら、大丈夫だ。
「そっか......なら、いいか」
「なにが......いいの?」
誰が見たって四条との方がいいに決まってる。
「お似合いだよ、姫と四条は。俺なんかよりさ」
「......え? なんで......」
「じゃあ、もう寝るわ。姫、ありがとう」
姫が何か言おうとしてるのを遮り、一方的に電話を切る。
すぐに着信がきたけど通話拒否ボタンを押して、メッセージアプリで「今日はもう寝るから」と送った。
小学校時代から始まった初恋が今日終わった。
全てが終わりスマホを置くと涙が溢れ出した。
思い浮かぶのは小学校時代、まだ俺のことが好きだった頃の姫の笑顔。
可愛くて、愛おしくて、ずっと一緒にいたいと思った。
納得したつもりでいた。踏ん切りがついたと思っていた。でも、そんなことなかった。
姫が好きだ。
姫とずっと一緒にいたい。
四条なんかに渡したくない。
でも結局それは俺の気持ちであって、姫の気持ちが違う方へ向いている今となっては、どうにもならないことで。
だから次は、
まだしばらく考えられそうにないけど、
もしもまた大切な人ができた時は、
今度は逃げないで、ちゃんと気持ちを伝えて、その手を絶対離さないと固く誓った。
その数分後、姫から届いた「おやすみなさい」とだけ書かれたメッセージを読んで、俺はまた涙を流した。
俺が姫への想いを卒業するのは、しばらく先になりそうだ。