第7話:ちょっと気になっただけよ
朝。
アンナとアビーがシェアしている寮の部屋。
騒がしく鳴る目覚まし時計を乱暴に叩くアンナ。
アイマスクをおでこにずらした彼女はいつもの状況に、いつものようにため息をついた。
彼女の腰にはアビーの腕が乗っている。
視線を右に動かすと、アビーの顔が間近にあった。
「もう! アビー!」
アンナが体勢を変えずに大きな声を出す。
その声に起こされたアビーがうっすらと目を開けた。
「おはようございます。アンナちゃん」
「おはようじゃないわ! なんでアタシのベッドに入ってくるのよ! それにアタシは抱き枕でもぬいぐるみでもないわ! アンタのぬいぐるみはそこ! 足元にあるヤツよ!」
「だって、私は寝相が悪いので」
ふたりのベッドはくっついて並んでいるので、何度か寝返りをうつと簡単に相手のベッドに移動してしまう。
最初は離していたのだが、ふたりと私物が多くて置き場を確保するために自然とベッドの距離が縮まっていったのだ。
「そんなことより、起きなくていいんですか? 今日は事務所に行く日ですよね?」
「あ! やばっ! アビー! 早く支度しないと!」
アンナは腰に置かれたアビーの腕を横に払うと、がばっと飛び起きた。
◆◆◆◆◆◆
サモン・ハンターズ第21局。
第2班の事務室へと続く廊下を歩く、アンナとアビー。
アビーはここ最近、アンナの表情が少し陰っていることが気がかりだった。
「ねぇ、アビー」
視線は前を向いたまま、歩きながらアンナがぽつりとつぶやいた。
「なんですか?」
「数日前に『保護』したおばあさん、どうなったか知ってる?」
「心配なんですか?」
「別に……ちょっと気になっただけよ」
アンナが元気がなかったのは、あのおばあさんのことが気がかりだったのか。
唇を尖らせて気まずそうなアンナを見て、アビーはそう察した。
「あのおばあさんの詳しいことはわからないですけど、召喚直後のスキル発動による損害は無罪です。重傷者や死者を出したり、行政施設や歴史的建造物を破壊したりした場合は例外ですけど。あのおばあさんの場合は例外には属さないので、『保護』の後は『サモン・ハンターズ』に入るか、召喚者の保護地区で暮らすか。いつもと同じ処置がされるでしょうね」
「そんな基本的なことはわかってるわ」
「なら何が気になるんですか?」
「召喚者の多くはアビーみたいな若い世代。それより年上でも40代くらいが多いでしょ。その年齢だったら異世界に召喚されても、その現実を受け止めて新しい生き方を始めるのもそこまで難しくないわ。心の整理に時間がかかっても、残された人生がまだたくさんあるから。でも、あんな高齢でこんな状況に立たされたら……」
「適応するのも大変ですし、新しい人生を生きるにしても時間が少ないですね」
「本当に神は何を考えてるのかしら! 人の迷惑を考えずに。あーもー、もし会うことができたら、一発ぶん殴ってやるわ!」
「アンナちゃん、一応、この世界の神様ですよ。バチが当たるんじゃ……」
「知ったことじゃないわ!」
「なんにせよ。おばあさんがこの世界で楽しく生きていけるといいですね」
「あの年齢だから保護地区で暮らすのかしら?」
「教えてあげましょうか?」
「!?」
アンナとアビーの間をすっと人影が通り過ぎた。
第21局の所長だ。
それまで全く気配を感じなかったふたりは驚いて歩みを止めた。
「気が付いてた?」とアイコンタクトをするアンナに、アビーは無言で首を横に振る。
所長はそんなふたりのリアクションは無視して、さらに数歩進むとくるりと振り返った。
「彼女は『サモン・ハンターズ』に入りましたよ。正確には新設部署『復興局』ですけど」
「復興局? なにそれ? アビー知ってる?」
「いえ。知りません」
困惑するふたりに、変わらずほほ笑む所長。
本当に内心が全く読めない人だなとアビーは思った。
そんなアビーの思考も読み取っているような表情で所長が口を開く。
「復興局は召喚者のスキルで破壊された自然環境などを治す部隊です。彼女のスキルは『植物操作』だと判明したので、私がスカウトしました。この世界の文化や法律を学ぶ社会適応プログラムを受けながら働いてもらう予定です」
「おばあさん、よく承諾しましたね」
「それは私も少し驚きました。どうやら元の世界での生活に嫌気がさしていたようです。仕事の話をしたら、嬉々として入所したいと言ってましたよ」
所長の答えにアンナは得心がいった。
嫁が憎いって言ってたから、その嫁から解放されて自立して生きていけることが、この世界に放り出された不安に勝ったのかもしれない。
「アンナちゃん、良かったですね」
「別に……」
素直じゃないな。
アビーはふふっと小さく笑った。
「あ! それより、復興局よ! そんな組織ができるなら、これからはアタシの魔法も使い放題ね!」
「そうですよ! これからは報酬の減額もなくなります!」
よからぬ期待に胸をふくらますふたりに、所長は咳払いをして制止した。
「復興局が対象にするのは、あくまで召喚者による破壊活動です。所員の尻拭いではありません。あなたちにはよりスマートな対処を期待していますよ」
「うぅ……」
「それと、復興局の新設のほかにあなたちにも関係する新制度ができますので、早く班長のところに行くようにね」
「新制度?」
アビーの質問に答えず、所長はすっとふたりの間を通り過ぎていく。
その後姿が廊下の角を曲がるまで、ふたりはじっと見つめていた。
途中で消えるのではないかとふたりは思ったが、それは考え過ぎだったようだ。