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『第四章~Nデバイス』

 ガンシップが沈黙してから三十分ほど経過していた。

 BBとマリーが用意した水や食料でどうにか復活したパイロットとコ・パイは、ケイジには入らず、ガンシップを日除けにして砂地に座り込んで待機していた。トラックはコルトによってケイジ内へ誘導され、そのままオズが入院しているラボに横付けし、歩兵二人が大袈裟な機材をラボに搬入した。トラックには他に二人の白衣が乗っていた。痩せたノッポの男性と、紺色のロングヘアの女性で、二人の白衣の右胸には「IZA」と小さくプリントされていた。歩兵二人が機材を手早くラボに搬入するのを眺めてから、白衣の二人もラボに入った。機材搬入の合間、白衣の男性に呼ばれたリッパーも一緒にラボに戻った。

 BBはケイジに戻ったが、コルトとマリーはガンシップのパイロットたちと雑談していた。

 パイロットとコ・パイがガンシップから離れないのは警戒のためだが、マリーがガンシップに興味津々でケイジに戻ろうとしないので、念のためにとコルトも外に残っていた。騒動が落ち着いてパイロットたちがどうにか平常に戻ってから、マリーが恐る恐るガンシップに近付いて放った第一声は「カッコイイ!」だった。

「ヘリコプターは何度か見たことがあるけど、こんな凄いのは初めて! ヘリってこう、丸っぽいイメージなんだけど、この子、カクカクで尖がってて、ヘリなのに翼まであって、素敵! 武器を一杯くっつけてて防弾で凄く重そうなのに、これで百五十キロで飛べるだなんて信じられない!」

 マリーの瞳が感動でキラキラと輝いていた。

 休憩と冷えた水で回復したメインパイロットは、マリーが騒いでいるのをどうともなく聞いていたのだが、マリーが「凄い」だ「カッコイイ」だを連発するので、リッパーとインドラ・ファイブによってすっかり削ぎ落とされていたトップガンのプライドだとか自信だとかが戻ったらしく、マリーに応えた。

「ベッピンのお嬢ちゃん。どなたか知らねーが、良くぞ言ってくれた! こいつはスーパーコブラ! 最強の攻撃ヘリさ! 百五十なんて序の口よ。最高速度はその倍以上、時速三百五十キロさ! 高度六千五百まで昇れるんだぜ?」

「スーパーコブラ! 素敵! コルト! 三百五十キロだって! 六千五百メートルって物凄い高さじゃない?」

 マリーとパイロットはテンションをどんどん上げていくのだが、コルトは普通だった。

「そりゃあ、まあ、仮にもガンシップだからな。スーパーコブラなんて機体が地上に残ってるってのは確かに驚きだが、中規模の陸軍ベースキャンプだったら一機くらいあっても別に不思議でもないぜ?」

 コルトが淡々と言うのに対して、フライトスーツを着たパイロットは、ちちち、と指を振った。

「二挺拳銃の旦那ぁ、そりゃねーぜ。俺っちの自慢のスーパーコブラを、そこいらの攻撃ヘリと一緒にしてもらっちゃあ困るぜ? こいつには最新のFCSをドッサリと積んであるんだ。電子線機並の演算ユニットまであって、見ての通りのステルス仕様だ。戦闘機とドックファイトやれるだけの能力だ。こいつは最強の攻撃ヘリさ」

「そのご自慢の機体が、ついさっきまで、リッパー一人相手にオタオタしてたぜ?」

 ぷっ! とコルトは吹き出した。

「あのイカれ野郎は例外だ。あんなドでかいバレットライフルで、しかもTADSでマルチロック掛けて、レーザー・デジグネーターのパルス照射? そんなライフル、見たことも聞いたこともねーぜ! 弾頭はレンズ付けた誘導式か? デタラメだ! 今時の海兵隊はあんな化物を使ってんのか?」

 パイロットが悪態を付き、コルトは煙草の煙を口からゆっくりと吐き出した。

「リッパーの獲物は、ロストレンジ・スナイピング仕様の大型バレットライフルさ。性能のいい光学スコープをマウントしてあるが、それ以外はデカイってだけだぜ? レーザーロックはそっちのアラート鳴らすためのオマケだろ。右腕がとびきりなガンスリンガーなリッパーだったら、スコープなんてなくても精密射撃できるさ。そもそも、バレットライフルでコントロール弾ってことはないだろ? そんなモンがありゃあ便利だがな」

 言いつつコルトは、シングルアクションアーミーでトリックプレイ、ガンスピンさせていた。右手でシルバーのリボルバーがキリキリと回っている。左手は煙草をつまんでいた。

「インドラ・ファイブとリッパーは置いといて、そのスーパーコブラって、何馬力くらいなの?」

 マリーの興味は今だガンシップに向けられていた。

「おうよ、話の解るお嬢ちゃん! こいつにはターボシャフトエンジンが二基で、馬力は三千五百ってところさ!」

「三千五百! ブラックバードの三倍以上!」

 マリーの悲鳴に、コルトはうなだれた。

「あのな、マリー。ヘリと車を並べてどうすんだ? こいつは空飛ぶ戦車みてーなモンで、燃料を千五百リットルくらい積んでる防弾装甲の塊だぜ?」

「二挺拳銃の旦那、ブラックバードってのは? そんな機体、あったか?」

 と、マリーが水色のワンピースを羽ばたかせてケイジのゲートに走った。コルトは、マリーが何をしようとしているのか簡単に想像出来たので、煙草を吹かしてマリーの艶っぽい黒髪を無言で眺めた。パイロットがもう一度質問しようとしたところに、ブラックバードのイグニッションとV8の咆哮が被さった。爆音でゆっくりゲートをくぐったブラックバードが、パイロットとコルトの目の前で停止したが、耳を打つアイドリングは続いたままだった。

「何だ何だ? そのご機嫌なマシンは? V8サウンドじゃねーか! こんな貴重品がどうして砂漠の片隅にあるんだ?」

 パイロットは立ち上がってブラックバードと、そのフロント越しでVサインを向けるマリーを呆然半分で見た。アクセルを二回ほど踏んで、爆音が三倍くらいになった。

「ミスター・トップガン、あれがブラックバードだ。マリーご自慢のモンスタークーペだよ。って、うるせーからエンジン切れよ」

 角ばったシルエットのブラックバードは、同じく角ばったスーパーコブラに雰囲気が似ていた。ドアから頭を出したマリーが何か言っているが、やかましくて聞こえない。すると、パイロットが後ろを向いて、ガンシップのタラップを駆け上がった。直後、ガンシップのエンジンに火が入り、ターボシャフトエンジンが吼え始めた。

 ケイジのゲート前で千馬力のV8と、三千五百馬力のターボシャフトが爆音を辺りに撒き散らし、その意味不明な饗宴にコルトとコ・パイロットは呆れるばかりだった。

「何でこいつら、ご機嫌で意気投合してんだ? 燃料が勿体無いだけだろうに。こういう連中のやることは、俺にゃあサッパリ解らん。ヘイ、トップガンの相棒さん。俺はリッパーのラボに行くから、このコンサートが終わったらマリー、あっちのV8吹かして喜んでる女に、そう伝えてくれ。これやるよ」

 コルトはコ・パイに煙草を一箱渡すと、左耳を押さえたままケイジのゲートに向かった。

「ヘイ、ビリー・ボーイ、聞こえるか? ガンシップに給油してやれ。何? 聞こえねーぞ? ああ、そうだ、給油だよ。満タン? あるだけくれてやれ。ケロシンだぞ? 間違ってガソリンなんか入れるんじゃねーぞ? ヘマしてガンシップが吹っ飛んだら、ビリー・ボーイ、背中から銃殺されても文句言えねーからな。ついでに水やら食料ももっと出してやれ。リッパーのほうはまだ時間がかかるらしいからな。支払い? 知るか! 死神コルト様につけとけ。後でリッパーに請求書回すさ。ついでに警戒レベル、一個上げとけ。何せガンシップが目の前だ。ハイブに狙撃でもされたら、俺がリッパーに銃殺されちまう。ゲートは空けたままだ。手早くだぜ、じゃあな」


 五階建てのラボは外観も内観も白一色だった。

 コルトは入り口にあるクリーンルームでポンチョに付いた砂埃を払われてから、一階にあるオズの病室に向かった。広いラボだが何度も出入りしているので、迷わず病室に辿り着いた。入り口にアサルトライフルを持った歩兵が二人立っていた。ガンシップと共にトラックでやって来た、機材を搬入していた二人だ。歩兵に対してコルトは、ポンチョを広げてリボルバー二挺を見せて、両手を挙げたままその場で一回転した。

「リッパーとミスター・オズの知り合いのコルトだ。ガンベルトはアンタらに渡すのかい?」

「ミスター・コルト、お名前は伺っております。そのままでどうぞ」

 ドアがスライドし、コルトは歩兵の一人の肩を軽く叩いてから入室し、直後、大爆笑した。何事かと歩兵二人がコルトを見たが、コルトは笑いを堪えて「何でもない」と歩兵を定位置に押し返し、ドアを閉じた。

 大きなベッドが三つと、コーヒーブレイクのスペースに小さなキッチンまである広い病室は、通路と同じく白で清潔だった。窓際のベッドに眠るオズは、三週間前からずっとその位置から動いていない。コルトは柔らかい長椅子に腰掛け、白いベッドに座るリッパーを見て、再び吹き出してから笑った。

「ははは! 将校さまのストリップなんて、俺は初めてだぞ? リッパー? 海兵隊からショウダンサーに職替えか? しかし、こいつは傑作だ!」

 コルトはモバイルを持ち出し、レンズをリッパーに向けてシャッターボタンを押した。

「ちょっと、コルト。何勝手に撮影してんのよ」

 リッパーはコルトの言うように、ショーツ一枚の全裸で白いベッドにあぐらだった。

「こいつは高く売れそうだからな。ビリー・ボーイに見せたら面白いことになりそうだ、ははは!」

「アナタねぇ、傭兵がピンク屋の真似するんじゃあないわよ」

 リッパーが抗議するが、コルトは笑いながらもう二回ほどモバイルのシャッターを押した。

「よう、リッパー。もっと体をくねらせろ。そんな尖がった目付きじゃあなくて、色っぽい流し目よこせよ。何だ、リッパーは着やせするタイプだったのか。マリーとどっこいのいい胸じゃねーか」

「このエロ傭兵。男ってのは、どいつもこいつも胸しか見てないの? アナタ、マリーをどんな風に見てるのよ」

 コルトは笑いながらもう一度シャッターを押すと、モバイルをポケットに戻し、煙草を咥えた。

「ここ、禁煙じゃあないんだろ? そっちで口から煙吹いてる奴がいるし、ヘビースモークのリッパーが煙草ナシでこんなところで黙ってる訳ないしな。どちらさんか知らんが、灰皿借りるよ」

 マグカップと煙草を両手の白衣の女性の前にあった空の灰皿を拝借し、コルトは長椅子に戻った。

「コルト」

 リッパーは言いつつ、口を突き出した。

「何だ? ヌードの次はキスでもくれるってか?」

「バカ。煙草。一人でくつろいでんじゃあないわよ。今日はまだ一本も吸ってないの。ニコチン不足で頭の回転が鈍い」

「禁煙ルームじゃあないんだろ? 好きに吸えばいいじゃねーか。そこの博士さんは灰皿、山盛りにしてるぜ?」

「両腕外されてて、足で吸えますかって」

 コルトは今だ笑みのまま立ち上がり、リッパーの口に煙草を一本放り込み、オイルライターで火を付けた。

「腕を外したりくっ付けたり、まるでレゴブロックみたいな奴だな?」

「誰が好きでそんな真似するのよ。そっちの、ミスター・テッド・バンディの仕業よ。灰皿」

 リッパーの前にテンガロンハットが飛んできた。

「テッド・バンディ? そこで機械いじってるドクターだかの名前か?」

「そうよ。女ばっかり狙って切り刻んで、腕とか足とかをコレクションしてる変態殺人鬼。それよりコルト。この帽子、大切なものでしょう?」

 長椅子に腰を落とし、煙草をゆっくり吸い込んだコルトは、茶髪の頭をバリバリ掻きながら「別に」と返した。

「長いこと頭に乗せてるが、只のレザーハットだよ。別に灰皿代わりにしたって燃えちまう訳でもないだろ。焦げたって日除けくらいにゃあなるさ。それで、テッドナントカって女の腕コレクターの殺人鬼が、ガンシップの護衛でこんなところに来たのは、リッパーにストリップさせるためかい? そりゃあ、とびきりの秘密任務だ」

 マグカップを手に、ソファでくつろいでいる白衣の女性がケタケタと笑った。ずっと機械をいじっていた白衣の男性が、椅子からゆっくり立ち上がった。コルトより少し低い背丈で、コルトよりもずっと痩せている。伸びっぱなしの茶髪はあちこち跳ねて丸眼鏡。マリーのパンチ一発で気絶しそうに見える。

「僕はテッド・バンディみたいな頭の壊れたシリアルキラーじゃあないよ。エラルド・ワトソン。IZA社のシステム工学部主任で、Nシステム計画のサブ・チーフだ。あちらでコーヒーブレイクしているのは、ドクター・アオイ。僕の助手役としてIZA社に来てくれている、医者だ。そちらは、コルト・ギャレットさんだね?」

「エラルド・ワトソン? 何だか賢そうな名前だな。俺は傭兵のコルト。一応ギルドに登録してあるが、フリーランスみたいなモンだ。ドクター・エラルド、アンタのほうが年上だろうし、呼び捨てでいいよ。死神コルト、でもいいがな。まあ、よろしくな」

 口から煙を吹きながら、コルトは手をひらひらさせた。

「あら? アナタ、ドクターだったの? しかも主任でサブチーフ?」

 煙草を咥えたリッパーが、不思議そうに言った。灰がぽとりとテンガロンハットに落ちた。

「リッパーさん。僕は何度も名乗ったが、アナタは僕には全く関心がないようだね?」

「初めて会って、いきなり素っ裸になれって言われて、イザナミとイザナギを取っちゃうんだから、ビックリして名前なんて忘れちゃうわよ。服を脱ぐのはいいけど、両腕をもがれて丸裸にされたら、戦闘力は二十パーセント以下。蹴りだけでハイブを倒すのって難しいわよ?」

 片手でコンソールをいじっているドクター・エラルドは、ふうと溜息を吐いた。

「そういうことがないように、部屋の外に二人も兵隊がいて、ケイジの真正面には攻撃ヘリまであるんだが? コアユニットから戦闘データを吸い出すよ? 何本かケーブルを繋ぐから、しばらく動かないでいて欲しいんだが?」

 言うと、ドクター・エラルドはリッパーの首筋をいじり、持参した機械から伸びるケーブルを三本ほどそこに刺してから、コンソールを操作した。

「首に紐つけて、お散歩してる子犬みたい」

 コルトがまた笑った。

「ステルスガンシップのトップガンズを真っ青にしといて、子犬ときた。ドーベルマンかチーター辺りだろうに、くくく! ドクター・エラルド。リッパーはな、ガンシップを蹴りで吹っ飛ばすぜ? しっかり繋いでおいてくれ」

「ダイゾウじゃああるまいし、素足でハイパーカーバイド装甲なんて抜ける訳ないでしょうが。コルト、アナタ、あたしを何者だと思ってるの?」

 煙草を灰にしたコルトは、くつろいでいるほうの白衣の女性に歩き、マグカップにコーヒーを注いでから戻った。

「敵にしたくないタイプだよ、リッパーは。ヘルファイヤなんて頭突きで跳ね返しそうだ」

「またまたダイゾウじゃああるまいし、対地ミサイルなんか食らったら、あたしだって吹き飛ぶわよ」

 リッパーの煙草も灰になったので、コルトが二本目を出した。

「ははは! 確かにな。ダイゾウだったら三十ミリなんざ、ブレード一本で跳ね返すに違いない。ガンシップは、シノビファイトとやらで月まで吹っ飛ばすだろうよ。ところでリッパー。両腕さんがだんまりだが、故障でもしてるのか?」

 コルトの問いに答えたのはドクター・エラルドだった。

「イザナミとイザナギは今、回路を閉鎖してあるんだ。色々と手を加えるためにね。僕がここに来た目的の一つだよ」

 椅子に座ってコンソールを操作しつつ、ドクター・エラルドが言った。

「オーバーホールみたいなもんか。機械の腕なんて便利だと思ってたが、何かと面倒なんだな?」

「汎用のマシンアームならともかく、Nデバイスは特別だからね。こいつはまだ、試作段階なんだよ」

 丸裸のリッパーは、二本目の煙草をあっという間に灰にして、コルトに次をせがんだ。

「ヘイ、リッパーよう。一緒に煙吐いててなんだが、あっちにはミスター・オズが寝てるんだ。ほどほどにしとけよ」

「煙は全部、天井の吸気口よ? あたしもコーヒー飲みたい。一口よこしなさいよ」

 やれやれ、とコルトは立ち上がり、リッパーに寄ってマグカップをその口に当てた。

「しっかし、色っぽい胸してんな? 柔らかそうだ」

「触ったら殺すわよ? このエロ傭兵」

「それで喋らなけりゃ最高なんだがな」

 小さい溜息を一つ、コルトは長椅子に深く腰掛けた。コーヒーを一口飲み、姿勢を少し戻してから、腰から二挺のリボルバーを抜いて、ガンスピンさせ始めた。シルバーのシングルアクションアーミーが両手で縦横前後に回転する。ホルスターに戻ったと思ったらまた出て、きりきりと回ってまたホルスターに戻る。

「器用な兄ちゃんやなー」

 そう声を掛けたのは、コーヒーテーブルで溶けたように座っていた、白衣の女性だった。腰まである紺色のストレートヘアで、横長のシルバーフレームの眼鏡をかけたその白衣の口には、煙草が咥えられている。

「そりゃどうも。何だかこっちも色っぽいが、どちらさん?」

 ガンスピンさせたまま、コルトが尋ねた。

「ウチ? ウチはお医者さんや。エラルド博士の手伝いやっとる、ツユクサ・アオイ。ああ、こっちの方やと名前逆さまやったな。アオイ・ツユクサや。器用な兄ちゃん、よろしゅうな?」

 アオイ・ツユクサと名乗った白衣の女性は、コルトとリッパーに向けて手をひらひらさせた。

「ツユクサ・アオイ? 東の方の響きだな? まあ、美人なら何でもいいか。俺はコルトだ」

「おー、何かさっき言うとったな。死神やったっけ? 物騒な名前やな?」

「只の通り名だよ。ドクター・ツユクサ、アンタもIZAの人だろう?」

「ちゃうねん。逆さまやから、アオイ・ツユクサやねん」

 その科白に、コルトとリッパーが首をひねった。

「ウチはお医者さんやからドクターやけどな、エラルド博士と同じで、アオイ先生や」

「何だか知らんが、医者のミス・アオイ――」

「ミス? ウチ、ミスなんかしてへんで? これでも名医や。ミスなんかせんて」

 しばらく黙ったコルトは、煙草を咥えて火を付け、片方のリボルバーをガンスピンさせながら一言。

「めんどくさい女だな」

 リッパーも頷いた。


「何だこれは! まるでデタラメじゃあないか!」

 コルトがドクター・アオイと世間話を始めてすぐ、ドクター・エラルドが叫んだ。リッパーは眉をへの字にして、コルトはガンスピンを止めた。

「ハイブとの戦闘中、サテライトリンクを三分以上も開きっぱなしだ! しかも、オーヴァードライヴまで併用してる! そもそも、オーヴァードライヴの使用回数が多すぎる! イザナミの制御を上位コマンドで無視してるじゃあないか!」

 ドクター・エラルドが叫びながらコンソールとリッパーを交互に睨んだ。

「えっと、ドクター? Nデバイスって、サテライトネットからの情報を中心にした、多用途戦闘システム、イン・ファイト・データリンク、IFDLシステムでしょう? 衛星を使わないんだったら、Nデバイスなんて只のFCSじゃなくて? オーヴァードライヴって?」

 リッパーは当然だと返したが、ドクター・エラルドは「違う!」とまた叫んだ。

「Nデバイスは確かに、衛星ネットを利用した戦闘システムだが、使い方がデタラメだって言ってるんだ! ハイブが百や二百いようと、衛星にリンクするのは一回、五秒で足りる! 使う衛星だって二基もあれば十分だ! それなのにきみは、十五分以上の戦闘中に衛星にリンクしたままで、しかも同時に十基以上の衛星にまでアクセスしている! オーヴァードライヴというのは臨界駆動だよ! 機動歩兵が使ってるアクセルデバイスと同じようなものだが、Nデバイスのオーヴァードライヴモードはアクセルの数倍の能力だ! イザナミが制御している筈なのに、きみは上位コマンドでこいつを多用している! 全く、信じられない!」

 ドクター・エラルドが物凄い形相でリッパーを睨むので、リッパーは困った顔をコルトに向けた。

「ドクター・エラルド。俺はNデバイスのスペックなんかは知らんが、リッパーの戦闘力はハイブと互角以上だったぜ? リッパーが強いっていっても、相手は硬い頭で怪力で素早いハイブどもだ。手を抜けば只じゃあ済まないと思うんだが?」

「ミスター・コルト。リッパーさん、彼女はファーストシリーズ、プロトタイプの両腕を敵に奪われただろう? 戦闘記録にはサイキック能力を持ったハイブとある」

「ああ。見えない壁を作るハイブと、テレポート射撃をするハイブだ。プロトタイプだかの両腕を奪ったのはその二匹だ。リッパーはバリアを使えるが、敵はバンテルタンクの戦車砲を撃ち込んで来てた。多分、ゼロレンジ砲撃だ。そんなモンに狙われたら外部ジェネレーターもないバリアシステムなんて紙みたいなモンだ。そんな化物と、デカいバレットライフルを弾く壁を作るハイブで、オマケに、サイキッカーなんて野郎も出たんだ。ダイゾウがいたから勝てたが、いなけりゃあ俺もリッパーも、サイキッカーに辿り着く前にミンチで墓地行きだぜ?」

 コルトの簡単な説明をリッパーの首筋から吸い出した戦闘データと照らし合わせながら、ドクター・エラルドは頷いた。

「リッパーさん?」

「何? お説教ならイヤよ? コルトが言ったように、手加減してどうこうなる相手じゃあなかったのよ」

「Nデバイスがどういう構造か、理解しているだろう?」

「まあ、大体は。最初にくっつけた人達、IZA社の人は簡単にしか教えてくれなかったけど、イザナミから何度も聞かされたわよ?」

「きみは脳を機械化していないし、アクセルも補助デバイスも埋め込んでいない。全くの生身だ」

 ええ、とリッパーは返した。

「あたしは宇宙戦艦の艦長だもの。ブリッジクルーからコックまで、搭乗員は全員生身よ? 宇宙配備の海兵隊は陸軍と違って、基本的に脳デバイスは使ってないわ。外部からハッキングされたら大事だし、スタードライヴの最中に操舵主の脳補助デバイスが故障でもしたら、艦は宇宙の果てまで飛ばされて二度と戻れないもの」

 リッパーの説明に頷いてから、ドクター・エラルドが返した

「Nデバイスというのは、きみの首筋のコアユニットから衛星にコマンドを送り、データを受信して、両腕、イザナミとイザナギの量子演算ユニットにデータを分配するが、コアユニットと両腕の途中にきみの脳を経由している、知ってるだろう?」

「イザナミがそんなこと言ってたわね。それが?」

「サテライトリンクシステムの中枢でもある首筋のコアユニット、こいつにはデータのフィルタリングと分配のために演算ユニットが組み込まれてあるが、その演算にはきみの脳を使用しているんだよ。コアユニットが敵に奪われても独立で動かせないようにだ。仮に奪われても、コアユニットは一度登録した脳以外では起動さえしない。扱えるのはリッパーさん、アナタだけなんだ」

 ドクター・エラルドの説明は知っている範囲だったので、リッパーは解ってると頷く。

「只の海兵には勿体無い代物ってことでしょう?」

「それは違う。きみのIQは概算でも三百オーバーで、その年齢で宇宙艦隊の指揮までこなす。海兵だろうが歩兵だろうが民間人だろうが、そんな人間は地上と月を探したって二人といない。Nデバイスを扱える理想的な人間なんだ」

「そんな怖い口調だと、褒められてもあんまり嬉しくないわね。何だか宇宙人みたいに聞こえるし。ドクター、少しクールダウンしましょう? コルトと一緒に一服付けて、コーヒーでも飲んだら?」

「僕は禁煙家だよ。コーヒー、そうだね。戦闘データのデタラメさで少し血が上ってるようだ」

 リッパーの薦めで、ドクター・エラルドはドクター・アオイの隣の椅子に腰掛け、アオイから差し出されたコーヒーを飲んだ。コルトがリッパーの口に煙草を放り込んで火を付け、自分ももう一本咥え、アオイも継ぎ足す。オズが静かに眠る病室は、三人のヘビースモーカーが出す煙で真っ白になっていたが、天井の吸気口がそれを吸い込み、ついでに涼しい風を送り出すので、ドクター・エラルドはすぐに落ち着いた。コルトは普段通りの表情で、リッパーは若干曇り、ドクター・アオイは涼しそうな顔で窓を眺めていた。


 三分ほど休憩して、ドクター・エラルドが口を開いた。怒鳴るようではなく、冷静に。

「先ほども言ったが、Nデバイスはコアユニットとイザナミ、イザナギで構成された情報処理システムだ。そしてここが肝心なんだが、コアユニットはリッパーさんの脳を演算ユニットとして情報処理を行う。サテライトリンクで衛星ネットにアクセスして、膨大なデータをコアユニットが受け取るんだが、ここで一旦、リッパーさんの脳を経由するんだ」

 ドクター・エラルドは手振りで、情報が衛星から地上に降りる様子を再現しつつ、続けた。

「衛星からの情報はコアユニットが持つ演算ユニットでフィルタリングされた最小限のものだが、旧式でも監視衛星一基の瞬間情報量は莫大で、並のコンピュータでは計算が追いつかないんだ。勿論、コアユニットにだってそれだけの演算能力はない。だからコアユニットは、リッパーさんの脳を借りて演算するんだ。並の脳では邪魔なだけだが、リッパーさんの脳は優秀だからコアユニットをサポート出来る。そうやって、衛星からの情報をイザナミとイザナギの演算ユニットに分配する。一旦イザナミらに情報を渡せば、フィルタリングされた情報でイザナミらは状況に応じた最良のデータをリッパーさんの脳に、コアユニット経由でフィードバックさせる。イザナミの戦艦クラスの策敵やイザナギのアドバンスドFCSは、リッパーさんの負担を最小限にして、最大の能力を発揮するんだ」

 長科白を一旦区切り、ドクター・エラルドはコーヒーをすすった。コルトが感心のまなざしでリッパーを見つめている。今は白銀の両腕を取り外されているリッパーの額辺りを見て、頷いていた。リッパーは、ドクター・エラルドの説明に対して、ただ煙草をぷかぷかやっているだけだった。そういった話はイザナミに何度もされていたので、別に驚くでもない。

「なあ、ドクター? リッパーは要するに、高性能の電子線機みたいなモンなんだろ? 衛星とリンクできる電子線機なんて存在しないが、レーダーの類を自前じゃあなく、衛星ネットに移してるから、コンパクトで高性能。しかも、荷電ビーム粒子の残留する分厚い天然のジャミング層を突き抜けて、地上から直接衛星にアクセス出来るんだから、便利なモンだ」

 コルトの科白に、ドクター・エラルドは頷いた

「ミスター・コルトの言う通り、彼女は最先端の電子線機みたいなものだ。しかしだ、問題はNデバイスがリッパーさんの脳にその能力の殆どを預けている、ここだよ」

「あたしが抜けたら、Nデバイスは役立たずってことよね? でも、サイキッカーの、ランスロウとか言う奴は、Nデバイスは戦艦に搭載されるシステムだとか、そんなことを言ってたわよ?」

「戦闘データを見たよ。僕はサイキッカーという種類の人間がどういう連中なのか詳しくない。何せ実物を見た人間が殆どいないからね。データがなければ解析も出来ない。そのサイキッカーとの交戦データ、コアユニットにあったあれは最重要機密の一つさ。解析するのにどれくらいかかるか解らないが、軍司令部の演算ユニットが使えれば、幾らか連中の正体が解るかもしれない。そんなサイキッカーが、戦艦にNデバイスという発想は、確かに有効的だが、正確には、戦艦に搭載しても能力を発揮する、これがNデバイスだ。航空機に搭載しようが機動歩兵に持たせようが、どこかの基地の防衛システムに組み込もうが、Nデバイスはその性能を最大限に発揮するんだよ。Nデバイスを搭載した戦艦は確かに強力だろうが、それは運用方法の一つに過ぎない。僕に言わせれば、戦艦なんてものに搭載するよりも、リッパーさんが扱うほうが何倍も有効だ。宇宙戦艦には巨大な量子演算ユニットが元々搭載されているんだから、Nデバイスなんてなくても十分な戦力だからね」

 リッパーの咥えた煙草が灰になってくずれ、コルトのテンガロンハットに落ちた。リッパーは目で合図してコルトに次をせがみつつ、ドクター・エラルドに言った。

「つまり、あたしが使ってても問題ないんでしょう? 怒鳴るほどの話でもないと思うけど?」

「怒鳴るほどなんだよ。リッパーさんはNデバイスを、プロトタイプのファーストシリーズも、テストタイプのセカンドシリーズも、ほぼスペック上限近くで使っていた」

「デバイスをスペック通りに扱って、どうして怒鳴られるのよ?」

 ドクター・エラルドは大きな溜息で答えた。

「イザナミが厳重に説明している筈なんだが、Nデバイスはオーバースペックで設計・製造されたものなんだよ。策敵や照準に衛星を使うのはいい。しかしだ、十基もの衛星を、それも何分間もリンクさせるだなんて真似をして、その情報量にきみの脳が追いつける筈がない。機械化どころかアクセルさえ付けていない、まっさらな生身の脳だよ? 衛星十基の情報量は、IQが高いだとかそういう次元の話じゃあない。それでも五秒やそこらならまだ解るが、きみはハイブとの戦闘中、ずっとサテライトリンクを継続して使用している。そもそも膨大な情報を、何分も何十分も脳に送り続けるなんて、デタラメだ。そこに更にオーヴァードライヴ、臨界駆動まで使っている。

 オーヴァードライヴというのは一種のアクセルデバイスで、一時的に知覚神経系の反応速度を高めるものだが、陸軍機動歩兵のアクセルが精々三倍の知覚増幅なのに対して、Nデバイスのオーヴァードライヴは二十倍以上、神経系を強制加速させる。当然、脳の知覚も二十倍以上にだ。戦闘データで、ファーストシリーズで最長十二秒、セカンドでは七分以上、オーヴァードライヴを使っている。サテライトリンクを切らずにだ。

 きみがNデバイスを持ったのは半年ほど前だが、オーヴァードライヴの使用回数は交戦回数の半分、軽く百回以上だ。最前線の機動歩兵だって、一度の戦闘でアクセルを可動させるのは、奇襲やら強襲、撤退の際の五秒くらいで、戦闘回数は三十日、一ヶ月に二度くらいだ。つまり、アクセルの使用は半年でも十二回かそこらだ。それに対してリッパーさんは半年で百回。脳補助デバイスをどっさり埋め込んだ熟練の歩兵だって発狂する回数だ。Nデバイスのコアユニットはアクセルなんて安っぽいデバイスとは違うが、それでも知覚を強制加速させている対象は生身の脳には違いない。ミスター、これを見てくれ」

 ドクター・エラルドがコルトに渡したのは、白黒のMRIフィルムだった。

「こいつは? 脳のレントゲンかい?」

「MRIだよ、リッパーさんの。こっちが僕の、つまり、普通の脳の映像だ」

 もう一枚をコルトに渡した。

「こっちがリッパーのおつむで、こいつがドクターの? んー、リッパーのほうは何だか白い影があちこちにあるな? 病気かい?」

「白い影は、シナプスが寸断されて血流が滞った部分だ。それ自体は珍しくもないが、リッパーさんの脳はそんな部分だらけだ。病気ではなく、物凄い情報量を瞬時に、膨大に叩き込んで、しかもコアユニットでそれを制御して、更にオーヴァードライヴで強制加速させた結果だよ」

 コルトとドクター・エラルドがリッパーを見た。

「つまり、あたしってバカになってるってこと? って、ジョークよ、怖い目で見ないでよ。おつむに無理させてるってことでしょう? ドクター、IQが高いって言ってくれたじゃあないの。あたしのおつむは他より頑丈なのよ」

「リッパーさん。きみの脳がシリコン素子で出来ているのなら僕だって騒いだりしないさ。無理をさせているとかそういうレベルじゃあない。こんな状態で冗談が出るのがおかしいんだよ。爆発と死体だらけの最前線から戻って頭が壊れた歩兵だって、ここまで酷くはない。脳再生手術を受ければ、軍人は無理でも普通に生活出来るまでにはなる。リッパーさん、きみの脳はそんな脳再生でも難しいレベルなんだよ。ここまで壊れていたら、再生するよりデバイスで補助したほうが早いし、再生手術で元に戻すにしても三年はかかる。自覚症状が出てる筈だ。リッパーさん、甘いものを甘いと感じるかい? ミスター、チョコか何か持っていないかな?」

 言われたコルトは、半分食べかけの板チョコをドクター・エラルドに渡した。ドクター・エラルドはそれを爪の先ほどに割って、リッパーに寄った。

「リッパーさん、これを舌に乗せてみてくれ。煙草はお預けだ」

 リッパーは、べぇ、と舌を出し、小さなチョコの欠片を口にした。

「どうだい?」

「どうって、こんな欠片じゃあ味なんて解らない。もっと大きいのを頂戴よ」

「やっぱりだ。味覚のうち甘味は敏感なほうで、そんな欠片でも甘く感じる筈なんだが、リッパーさんは味がしないと言う。つまり、味覚が麻痺してるってことだよ」

 丸眼鏡を取り、自分の額をがっちり掴み、ドクター・エラルドは椅子に戻った。

「幻聴は?」

「左腕と右腕が喋ってるように聞こえるわ」

「それはイザナミとイザナギだろう? 頼むから真面目に聞いてくれ」

「オーケイオーケイ、シリアスなのは苦手なのよ。幻聴はない、と思う」

「視覚は? 目の前が真っ白になったり、火花が散ったように見えることは?」

「寝て、起きたときにたまに目の前がチカチカすることはあるけど、それってディープスリープ錠剤の副作用でしょう?」

「ディープスリープは脳活動を最低限まで停止させる薬で、そんな副作用はないよ。ディープスリープで他に妙なことは?」

「別に。吐き気とかもないし、ただ、夢を見るくらいだけど?」

 それを聞いたドクター・エラルドは、コーヒーを吹き出した。

「夢だって? どんな? いや、内容なんてどうでもいい。脳活動を最低限にするディープスリープ薬で夢を見る? 薬が効いていないじゃあないか。ディープスリープ薬は依存性も副作用もない、鎮痛剤みたいなものだ。Nデバイスで酷使した脳を休めるのがその目的だが、それを使って眠っていて夢を、脳活動が収まっていないなんて、最悪だ。断片的な報告でリッパーさんがNデバイスを使っていると聞いて、セカンドシリーズの調整のつもりでここに来たんだが、予想以上に深刻だ」

「ねえ、コルト? あたし、夢も自由に見られないみたい。軍属は辛いわね?」

「いや、リッパー。そういう話じゃあないだろう? なあドクター。衛星を使わずにガンを握るのは、やっぱり危ないのかい?」

 頭を押さえてコーヒーを飲むドクター・エラルドに、コルトが尋ねた。

「イザナミとイザナギには、それぞれ独立した量子演算ユニットを搭載してあるから、無理に衛星を使わなくても策敵だのFCS制御だのはやれるよ。しかし、二つの演算ユニットはコアユニットを経由してリッパーさんの脳に情報をフィードバックさせるし、その逆もだ。これは万が一、衛星との通信を妨害された場合を想定した仕様なんだが、サテライトリンクよりは負担は断然に少ないが、普通以上の情報処理を行っていることに違いはない。でなければ、単身で最新鋭のガンシップに足止めなんて真似は出来ないよ」

「衛星ネットが使えなければ、あたしなんて只の歩兵だわ」

 リッパーが不満そうに言った。

「きみはそもそも月方面の艦長だろう? ハイブがうようよしてる最前線にいること自体、おかしいんだよ。きみにNデバイスを渡したのはIZA、ウチのやったことだが、IZAは軍需企業ではあるが、人間をモルモットみたいに扱うほどじゃあない。そういうのはH&H社辺りの専売特許だよ」

「実験用マウスと同じでしょう? 腕をマシンアームに入れ替えて、性能のいい衛星電話みたいなものを、デカいリボルバーと一緒に渡して。H&H社っていうのはハイブのカーネルを設計した、サイボーグだとか生体デバイスが得意な会社の一つでしょう?」

 ふう、と一息、ドクター・エラルドは続けた。

「言い訳のつもりはないが、きみが宇宙から脱出ポッドで落ちてきたとき、きみの両腕は重度の火傷でボロボロだった。再生なんてとても無理なほどだったと聞いている。ウチの支社がきみをICUに放り込んで、意識が戻って聞けば海兵隊の艦長で、ハイブだらけの地上で仲間探しをするなんてとんでもないことを言い出した。両腕もナシでハイブのど真ん中に突撃をかけると言って聞かないきみに、プロトタイプのNデバイス、最高機密のシステムと強力な武器を預けたのは、ウチの技術開発部がH&Hの連中より、まともな倫理観を持っていたからだよ。当然、実働データ取りという面もあるだろうが、支社の権限で最高機密を預けたのは、純粋にきみをサポートしてあげたかったからさ。IZA社に兵隊はいないし、軍に要請して動かせる兵隊も少しだけで、只の支社レベルでそんなものは用意出来ない。当時の支社長の裁量では、Nデバイスとベッセルとその弾丸をどっさりと渡す、これで一杯だ。それでも越権で、支社長は地方に飛ばされたよ」

 優秀で哀れな支社長に乾杯、といった具合にドクター・エラルドはマグカップを捧げ、続ける。

「仮にきみが落下したのがH&H社の前だったら、海兵の艦長は極上のサンプルだ。脳をばらばらにされて試験管に収まっていても全く不思議でもない。H&Hはそういう連中の集まりだ。海兵隊艦長の脳からデータを吸い出して、新しいカーネルを作ってハイブのボディに乗せて、上等な兵士が出来上がったなんて喜ぶ連中だ。生命倫理もへったくれもないクズどもさ。僕がもし、ベッセルを扱える兵士だったら、ハイブなんて後回しでH&Hの本社に突撃してやりたいくらいさ。ハイブ生産工場が裏でH&Hと繋がってるなんて噂もあるからね。話がそれたが、機密でまだ試作段階のNデバイスを、それを扱える人間が装備して、ハイブどもをなぎ倒していると聞いたときは、部の同僚と一緒に喜んだものさ。祝勝パーティーでもって勢いでね。

 しかし、いくらNデバイスが強力とはいえ、耳に入る戦火は尋常ではない。地上で仲間と合流して一個師団辺りで進軍しているのかと思えば、支社を出たときと同じく単身だと言う。そんな真似は設計スペックの最大限でもかなり難しい。情報が錯綜しているのか、事実なのかを確かめようと、きみとコンタクトを取ろうとしているうちに、プロトタイプからテストタイプのセカンドシリーズに乗り換えたと聞いて驚いたよ。セカンドはルナ・リングにあるIZA月支部で開発中なのに、何故だかそいつが地上に降りた。それだけでも驚きなのに、未確認タイプのハイブと、得体の知れないサイキッカーなんて化物を潰したなんて報告が入った。それで慌てて荷造りして、陸軍に護衛を頼んで駆けつけてみれば、Nデバイスを全くデタラメに使っている。

 Nデバイスが機密で、IZAが幾ら軍需企業でも、自分の頭をパンクさせたままハイブと戦ってる海兵隊の艦長なんて、ほったらかしには出来ない。最初から頭が壊れると解って装備を与えるなんて人間は、軍隊にもIZAにもいやしないさ。装備者に相当の負担がかかっているのは予測していたから、ドクター・アオイにも同行をお願いしたんだが、負担どころか殆ど瀕死だ。ドクター・アオイの腕は確かだが、さすがに彼女でもこんな状態をどうこうするには機材が足りない。

 ミスター・オズ、だったかな? 彼が脳機能障害で再生手術待ちだと聞いていたが、その彼よりもっと酷いことになってる。ミスター・オズはサイキックに似た特殊な能力でどうにか生きているが、Nデバイスをフルスペックで扱ってるもう一人の海兵、リッパーさん、きみだよ? そちらには特殊能力なんてなく、脳はボロボロで再生手術でも五分な状態だ。僕から見れば、どうしてきみが平気な顔をして煙草を吸っているのか、それさえ解らない。長くなって申し訳ないが、リッパーさんに自分がどういう状態なのかをしっかりと認識してもらうためだ。ミスター・コルトにも伝わっただろうから、彼女がこれ以上、無茶をしないようにお願いしたいところだ。どうだろう? 理解してもらったかな?」

 延々と語ったドクター・エラルドは、カラカラになった喉を潤すためにコーヒーを一気に飲み干した。ドクター・アオイは涼しい顔のまま、コーヒーと煙草を交互に口に運んでいるが、コルトは何とも難しい顔をしていた。手にある煙草は根元まで灰になり、ガンスピンも止まっている。ほぼ全裸で両腕のないリッパーは、とっくに灰になった煙草をコルトのテンガロンハットに落とし、口をへの字にしたまま、不機嫌そうな顔をしていた。

「ドクターは、あたしからイザナミとイザナギを取り上げて、そのままベッドに括り付けにするつもりなのかしら?」

「ついでにコアユニットを外して、ベッセルも没収したいところだがね」

「海兵を除隊して、オズと一緒に寝てろってこと? おつむが元に戻るまで、ずーっと?」

「きみは半年以上、一人でハイブと戦ったんだから、立派な名誉除隊扱いだろう? 争いから身を引いても誰も責めないさ」

 ドクター・エラルドは優しく言うが、丸裸で両腕のないリッパーは、口調こそ柔らかいが、言い返す。

「あたし、海兵が好きだもの。それに、まだハイブはうようよしてるし、サイキッカーに至ってはどれだけの戦力なのかすら不明よ? そんな状態で一人だけ安全な所で寝てるなんて真似、海兵隊のプライドが許さないわよ。仲間を見捨てて戦場から去っていいのは、新米と負傷兵だけなのよ?」

「軍人のプライドは解るが、きみはもう負傷兵だ。最前線に立つ必然がない」

「デカいので腕を何発か撃たれたし、胸もザックリと刺されたけど、腕は新品になったし、胸の傷はご覧の通り、とっくに塞がってるわよ。ちょっとおつむが疲れてるから下がって寝てろって?」

「オマケで禁煙、禁酒で、牧師でも呼んで改心してくれれば、僕の仕事はずっと楽になるよ」

 ドクター・エラルドはやれやれとゼスチャーして、コルトを見た。難しい顔だったコルトは、何本目かの煙草を灰皿に押し当て、リボルバーを抜いた。

「まあ、俺はどっちの意見にも賛成だな。ドクターが言ってることが本当なら、リッパーはもう戦うべきじゃあないが、軍人に戦うな、なんて言うのはナンセンスさ。軍に肩書き置いてりゃあ、床屋だろうがコックだろうがガンを持つ、んなこと当たり前さ。戦場じゃあメディックもラジオマンも武装してトリガー引いてるんだ。相手が話の通じる野郎なら、そこに牧師でも立たせて説教させてもいいが、出来損ないの機械の頭乗っけてるハイブに説教なんて通じねーよ。こっちの話も聞かずに馬鹿力で突撃してくるアホが百も現れりゃあ、やる事は一つ、ブレットを山ほどぶち込むだけさ。アホどもにロケットでもミサイルでもありったけを叩き込んで、ビリー・ボーイやらマリーみたいな連中がV8で遊んでられるようにするのが、軍人やら傭兵の仕事で、こいつはそのための道具だ。リボルバー二挺もぶら下げてて知り合い一人も守れねーんなら、傭兵なんぞ辞めて牧師にでもなるさ。

 軍人や傭兵ってのは人殺しのプロだが、殺し屋とはちょいと違うんだよ。誰かを守るなんて偉そうな大儀なんて俺にゃあないが、プライドもナシでトリガー引いてるのは只のガキだ。こいつは人殺しの道具だがな、相手を選ぶんだよ。俺やら俺の知り合いにナイフだのガンだのを向ける野郎は、全員蜂の巣で地獄送りだ」

 コルトの両手で二挺のリボルバーが回る。いつもよりガンスピンの速度が速い。ホルスターに戻っては出てきてを繰り返し、キリキリと回る。

「俺は死神だ。腕がもげたら足で撃ってやるし、足もなくなったら口でトリガー引いてやる。ハイブだろうがサイキッカーだろうが同じだ。死神コルトのポケットにゃあ、地獄行きの片道エクスプレスチケットが目一杯詰まってるんだよ。でもって、リッパーのマントにも同じチケットが山ほどある。頭が疲れてるんだったら、頭使わずにトリガー引いてりゃあいいのさ。相手はチンケなハイブどもだ。両目つぶってても額にトンネル作ってやれるだけの腕がリッパーにはある。

 ドクターの言う通り、ボーイフレンドと仲良く引っ込んでるのもいいが、本人にそのつもりがないんじゃあ、言うだけ無駄だよ。リッパーは色っぽい美人の癖に、人の忠告なんぞ全く聞きやしねー。ずーっと最前線で、しかも俺と一緒で自分の勘で動く。頭のいい左腕さんやら右腕さんの言うことなんぞ、ちっとも聞かねーで、フィーリングでトリガー引きやがる血の気の塊だ。そんなで宇宙戦艦の艦長やってて、今は地上でガンマンだ。リッパーを止めたいんだったら、俺のリボルバー使いな。しかし、こいつは一発二発じゃあ止まらんぜ? 俺が言えるのはこんなところだよ、ドクター」

 コルトのリボルバーがピタリと止まり、ホルスターに戻った。リッパーはうんうんと頷き、ドクター・エラルドは大きな溜息を一つ。

「ミスター・コルト、きみの言うことは理解出来るつもりだ。だが、リッパーさんの状態はきみにも解るだろう? 勇気と無謀は別物だ。きみが戦いのプロなら、勝てるように、守れるように戦うだろう? 最初から負けると解ってる戦争なんて、もう戦争じゃあない。戦場で散って英雄なんて呼ばれるのを喜ぶほど、きみもリッパーさんも幼稚じゃあない筈だ。

 戦場に立たなくても戦う手段は幾らもある。情報を提供したり、治療をしたり、武器を集めたり、楽器を演奏したりする人間がいなければ、どんなに訓練された兵士だってまともに戦えやしないし、後ろでそうやってるのだって立派な戦いだ、違うかい? 僕は銃を扱えないが、ハイブ相手でも兵士が戦える武器なりを作って渡すことで、自分では戦っているつもりだ。海兵や傭兵にプライドがあるのと同じで、技術屋には技術屋のプライドがある。僕は医師でもある。体に無理がきている兵士を引き止める義務がある」

 ドクター・エラルドはゆっくりと、強く言う。再びガンスピンを始めたコルトは、その言葉に頷く。

「さすがに賢い博士さんだな、説得力があるよ。そう、アンタだって戦ってる、解るよ。アンタみたいな人がいてくれるから、リッパーは戦えたんだ。アンタは俺なんかよりもよっぽど勇敢な兵士だ。ビリー・ボーイみたいなのがいるから俺がトリガー引いてる、確かにそうさ。V8吹かして喜んでるマリー、あいつはライフルを持ってるが、正直、撃たせたくない。ビリー・ボーイやらマリーに武器は似合わねー。ビリー・ボーイは水でも運んで、マリーはV8のステア握ってるのがお似合いなのさ。

 そんなところにハイブの一匹でも出たら、誰がそいつを始末する? 俺しかいねーじゃねーか。

 でもって俺の四十五口径を跳ね返す化物が出たら、俺よりデカい獲物持ってるリッパーの出番だ。そのリッパーでも苦戦するゲテモノが出たら、シノビファイター、ダイゾウの出番だ。ダイゾウの野郎は妙な奴だが、とにかくやたらと強い。ダイゾウから見れば、俺なんぞビリー・ボーイとどっこいだろうよ。俺、リッパー、ダイゾウの三段構え。この守りを抜ける野郎なんざ、火星まで含めて只の一人もいやしねーさ。俺とリッパーとダイゾウ、この三人を殺りたけりゃあ、水爆でも持って来いって話さ。そんなモンが飛んできても、撃ち落してやるがな。

 博士が医者としてリッパーを引っ込めたい、ってのも解る。それが医者の仕事だからな。でもな? リッパーはもうしばらく前線にいたがってる。だったらよう、自慢の腕でどうにかしてやれよ? そのために色んな機材を持ち込んだんだろう? ドクター・エラルドが本気でリッパー心配してんのは俺にだって解るし、リッパーにだって解るさ。しかしだ、俺の代わりはいても、リッパーの代わりはいねーだろ? ドクター、言ってたろ、Nデバイスはリッパーにしか使えないって。サイキックなハイブと本物のサイキッカーが出たら、ドクターの切り札、とびきり強力なNデバイスでもなけりゃあ、まともな撃ち合いすら出来ねーよ。リッパーだって自分のおつむのことくらい解るさ。

 でもな、こいつは死んでも仲間守るっていう愛情満載なタイプだ。頭吹っ飛ぶまで最前線でデカいリボルバー撃ちまくる。自爆装置でも持たせたら、ハイブの群れのど真ん中に突撃かますタイプだ。そんな無茶やる女を守れるのは、ドクター自慢のNデバイスくらいなもんさ。リッパーは俺やダイゾウがどうこう言って下がる奴じゃあない。セカンドシリーズとかってあの新品の両腕は、強力なバリアでバンテルタンクの砲撃を弾きやがった。インドラでも抜けないサイキックな壁を、ダイゾウのシノビソードで切り裂いて、デカいリボルバーでクソハイブの頭を吹っ飛ばした。消えたり出たりのクソメイドもリボルバーの精密射撃でバラバラだ。シノビで強烈に強いダイゾウと互角で渡り合うサイキック野郎も、デカいリボルバーでミンチにしやがった。それをやったのはな、ドクター・エラルド、アンタだ。アンタがあの怪物集団を殺ったんだ。あんなのがケイジに来てみろ、三分と待たずにクレーターになっちまう。それを止めたのがアンタだ。俺のリボルバーを跳ね返す怪物どもを、アンタが始末したんだよ。

 俺だのリッパーだのは、アンタにちょいと手を貸した、その程度だ。ドクター・エラルドは後方支援どころか最前線のまた先だ。そんなアンタに、リッパーは力貸してくれって言ってるんだ。贅沢は言わねーさ。もうちょいでいい、リッパーに力貸してやってくれ。死神コルトさまからも頼むぜ。でもってゴタゴタが収まったら、俺がリッパーを力ずくでベッドにでも教会にでも連れてってやるよ。なーに、手遅れにゃならんさ。リッパーは生粋の軍人で海兵隊艦隊の艦長だぜ? 引き際を見誤るほどマヌケじゃあねえ。俺もだよ。突っ込むだけならルーキーにだって出来るが、俺やリッパーはルーキーじゃあねえんだ。押すところは押して、引くところは引く。それが出来ずにハイブだのサイキックなんぞとやりあえねえよ。その辺が殺し屋と軍人の違いさ、オーライ?」

 両手でガンスピンを続けるコルトと、リッパーの視線が重なった。二人とも笑顔だった。コルトの言葉にドクター・エラルドは困惑した表情だったが、何度目かの溜息の後、コーヒーをすすった。

「僕は僕の仕事をして、余計なことは言うな、ってところかい? ミスター死神?」

「ミスターは余計だよ。別に黙ってろってんじゃあない、むしろ逆さ。アンタにしか解らないことは山ほどある。助言がなけりゃあリッパーだってまともにゃあ戦えないよ。ただ、リッパーの立ち位置も解ってやってくれって、そんだけさ」

「ドクター・エラルド?」

 リッパーが静かに口を開いた。

「アナタのアドヴァイスは聞くわよ? Nデバイスを一番理解してるのはアナタでしょうから。無理してるってのも、まあ自覚はある。でも、あたしは別に死ぬつもりなんてないし、そもそも火星に攻め込もうとか、ハイブどもにケンカ売ろうって訳じゃあないの。現時点では、一旦宇宙に戻りたい、それだけ。

 サイキッカーがもし火星側で、こっちに攻めて来るのなら、その時は当然迎え撃つけど、海兵隊だけでも七つも艦隊があるの。空軍の宇宙戦力も同じくらい。あたしが無理して先方に立たなくても、艦隊は他に六つもあるし、空軍の戦力だってある。あたしの指揮する第七艦隊は確かに強いけど、宇宙に上がればあたしの代わりは幾らもいるのよ。

 月の環状防衛網、ルナ・リングとラグランジュ・ポイントの戦艦ドックの戦力を集めれば、相手が一万隻だろうが互角以上に戦える、あたし抜きでね? でも、まだ火星側が敵なのか不明だし、サイキッカーが何をしたいのかも不明。もしかしたら戦争なんて起きないかもしれない。

 あたしが宇宙に戻りたいのは、その辺の事情を知りたいからよ?

 サイキッカーは得体の知れない集団だけど、ハイブと違って少なくとも話し合いの余地はある。仮に火星に大規模艦隊がいたとしても、真正面から突っ込んでくるなんて馬鹿はやらない筈。火星とサイキッカーのトップに話の解る連中がいれば、和平だ停戦だって話し合える。戦争をするのはそういうのが全部駄目だった場合の最後の最後で、お互いに特使でも送りあえば、馬鹿な戦争なんて起きないわ。

 十五年も沈黙してるってことは、真正面からやりあいたくないってことでしょう? 勿論、十五年かけて戦力をかき集めてる可能性はあるけど、海兵隊艦隊と真正面から撃ち合う戦力なんて、たかだが十五年で準備できる訳ないわ。

 それだけの戦力差を引っくり返す秘密兵器があったとしても、そもそも月だの地球だのに攻め込む理由がない。ドクターなら知ってるでしょうけど、何世紀もかけたテラフォーミングで火星は今じゃあ第二の地球で、荒れてる地球よりずっと居心地がいい筈よ。そんなのがあるのに、荒れた地球を欲しがる理由なんて、火星側にはないと思う。

 散発的に、サイキッカーを地上に送り込んで、サイコハイブなんて化物まで作り出して、それでいて地上の拠点を落とすでも、ルナ・リングを攻めるでもない。幾らか推測は出来るけど、どの辺が本心なのかは解らないわ。相手の最終目的が解らない以上、迂闊に艦隊は動かせないからルナ・リングの戦力は十五年、ずっと火星方向に睨みを効かせてるだけ。

 こんな状態がずっと続いたら、さすがの宇宙艦隊も痺れを切らして、火星に突撃するかも知れない。そしてもし、それが相手の狙いだったら、突撃した艦隊は間違いなく落とされる。ルナ・リングの艦隊を落とされたら地球と月は丸裸になるわ。艦隊のない海兵なんて全く役に立たず、戦艦一隻で地球の制空権を取られる。

 そんなことになって戦艦のビームの一発でも撃ちこまれたら、残ってる都市なんて一瞬で蒸発しちゃう。十五年前の惨事と同じことがもう一度起これば、もう地上には誰も住めなくなる。当然、月面都市も同じく。

 仮にそれがサイキッカーの狙いだとしたら、そんなことはとっくにやれるわよ。戦艦数隻をスタードライヴでいきなり軌道上に送り込んで、艦砲射撃をすればそれで終わり。迎撃する暇もなく、地上も月もメチャクチャにされて、ルナ・リングと戦艦ドックにも一撃入れれば、内側から艦隊を切り裂ける。ルナ・リングの防衛網がいくら強力でも、いきなりスタードライヴで攻められたら防ぎようがない。そのくらい、火星側だってサイキッカーだって知ってる筈なのに、それをやらない。

 こんなことは、あたしでなくても艦隊の指揮を執ってる将校なら誰だって解るわ。ルナ・リングの司令部だってその程度は予測してる筈。解るからこそ、迂闊に艦隊を動かせないで十五年も守りに徹している。

 推測だけで戦力は動かせない。事情をもっと詳しく知るには、宇宙に上がるしかないの。地上拠点に幾ら大きな演算ユニットがあっても、見えない相手に戦略なんて組めないのよ。宇宙に上がってルナ・リングの防衛網で覗くにも限界があって、実際に火星に行って見る、これしか手段はないの。

 実際、何度か火星に戦艦を送り込んでいるけど、一隻も戻ってこない。落とされたのかどうかさえ不明なの。スパイでも偵察でも、バランタイン級の戦艦じゃあないと戻って来れない程度の防衛網が火星にはあると、あたしは睨んでるし、多分、ルナ・リング司令部も同じだと思う。

 相手の狙いが解らずで守りに徹して、裏を欠かれたら全部パー。かといって戦力を送り込んで防衛網を丸裸にしても同じく。動けないけど、そろそろ動かないと、取り返しがつかなくなるの。

 あたしがピリピリしてる理由はね? 実際にサイキッカーと戦ったことがあるから。

 あんな化物が一人でもルナ・リングに現れたら、守備隊なんて役に立たないわ。そして、スタードライヴ並の奇襲を掛けるだけの能力がサイキッカーにはある。月の司令部や艦隊はこれを知らないの。

 知らせるのはいいけど、対抗手段もないままそんなことを知らされたら、司令部と艦隊はパニックになって突撃するかも知れない。そしてもし、それがサイキッカーの狙いだとしたら、事態は最悪よ?

 バランタインで探るにしても、サイキッカー相手に互角で戦えるだけの戦力が必要で、そんなもの、地上にも月にもない。唯一対抗できるのは、シノビファイターのダイゾウか、Nデバイス、これだけ。ダイゾウに偵察をお願いするという手もあるけど、彼は多分、こちらの最後の切り札。で、残るは、あたしとNデバイス。

 Nデバイスがあって、バランタインが本来の性能を取り戻せば、サイキッカー相手でも互角でやり合える……と思う。

 無茶に聞こえるでしょうけど、次世代艦のバランタインは単独で艦隊戦をやれるだけの性能があるの。海兵隊艦隊を動かさず、空軍艦隊も温存したままで火星に行けるのは、あたしとバランタインだけなの。あたしじゃあなくて別がバランタインを指揮してもいいけど、それでもNデバイスは外せない。

 これなら、最悪でもバランタイン一隻の犠牲で済む。二百ものクルーをそんな危ない作戦に参加させられないから、搭乗員は多くても二十人くらい。バランタインと海兵隊クルー二十人とあたし。これだけで意味不明な睨み合いが終わるなら、戦争が起きるのを防げるのなら、命を掛けるだけの価値はある。勿論、あたしは死ぬつもりなんてないし、二度もバランタインを落としたりはしない。最悪を想定して動くのは軍人なら当たり前で、それを避けるように戦略を組んで艦を指揮するのが、あたしや宇宙戦艦の艦長の仕事よ?

 ドクター・エラルド、勘違いしないでね? あたしは戦争をするために宇宙に戻るんじゃあないし、死ぬつもりも毛頭ない。ただ、探りを入れて状況を良い方向に向かわせたい、それだけよ。サイキッカーが完全に敵対するなら、やり合う以外ないけど、それだって可能性の話。ESPだかの妙な能力があるといっても、人間には違いない。話し合いで譲歩し合って事態が収まるなら、それが最良だし、今はそのつもりよ?

 Nデバイスの能力があればこそ、サイキッカー相手に話し合いも出来る。つまり、なければ話し合いすら出来ないの。イザナミとイザナギにベッセルを二挺。丸腰で和平だのを持ちかけて、耳を貸すとは思えないから、最低限、サイキッカーと互角にやれるだけの装備で出向く。そして、それが出来るのは現時点ではあたしだけ。

 宇宙に上がる前にハイブにやられちゃあ話にならないから、ハイブと対抗出来るだけの戦闘力が必要で、同じく途中でサイキッカーに襲撃されても逃げ切るだけの戦闘力が必要なの。Nデバイスが他の人でも扱えるのなら譲っても構わないけど、その人にはきっちり仕事をやってもらう必要があるの。

 ドクターの作ったNデバイス、これを訓練もなしに扱える人間がいるとは思えない。半年前にあたしは偶然でこれを持ったけど、半年間かかってようやく使いこなせるようになった。つまり、半年程度の実戦訓練がなければ扱えない、Nデバイスってそれくらいのものでしょう? もう一組Nデバイスを作れるのなら、ドクターにはそれをお願いして、誰か適正のある人間を見付けて半年間、実戦訓練をさせればいいわ。

 もし、万が一、あたしがヘマをしても、もう一人か二人、同じスペックの兵士がいれば、巻き返す機会はその分出来る。それを待てと言うのなら待っても構わないけど、もう半年も一年もサイキッカーが黙っているとは思えない。ランスロウとかってのが仕掛けて来たからね。つまり、事態は動きつつあるの。

 何を企んでいるか解らないサイキッカーに先手を取られてるのよ。こっちも一手、コマを進めておく必要がある。でなければ、全部がパーになる可能性だってある。そんなのを黙って見てられないわよ。このケイジにビームが撃ち込まれたり、サイキッカーが現れたりしたら、BBもマリーもコルトもトップガンも、みんな……ドクター、解るでしょう?

 ドクターに言われなくたって、必死になって助けたオズの横でのんびりしてたいわよ。

 ここは素敵なケイジだし、みんな良い人だし、住み心地は最高だもの。でもね、だからこそ、あたしはさっさと宇宙に上がって、あたしにしか出来ない仕事を片付けて、ここに戻ってくるの。そしたらドクターの言うことを聞いて、ICUだろうが監獄だろうが入ってあげるから、それまで待って。無茶はしないわよ。オズが待っているのに死ぬようなことなんてしないわ。ドクター・エラルド、アナタの協力が必要なの。もう少しだけ力を貸して。

 全部片付いたら、Nデバイスは返してもいい。イザナミとイザナギは残して欲しいけど、プラズマディフェンサーだのAFCSだのサテライトリンクだの、なくてもいいわ。イザナミとイザナギはあたしの友達だから、二人を残してくれるなら、ベッセルだってIZAに返してもいい。海兵隊を抜けろと言うのなら、そうしてもいい。でも、まだ駄目、今じゃあないの。あたしからのお願いよ。

 海兵隊からの命令でも要請でもない、IZA社もどうでもいい。あたし、リッパー個人からの、ドクター・エラルド個人へのお願い。お金なんて殆ど持ってないけど、いるっていうのなら工面するから、Nデバイスを、イザナミとイザナギとベッセルを使えるように戻して。最初のは壊しちゃったけど、もう壊さないし、磨いて手入れして新品で返すから……お願いします、ドクター・エラルド」

 延々と喋り、途中から涙目になりつつ必死に訴え、最後に、リッパーはおでこをベッドに押し当てた。


 銀髪が垂れ下がり、首筋にある半分開いた七十カラットのエメラルド、Nデバイスのコアユニットが見えた。ケーブルが三本接続されており、深い緑でうっすらと輝いている。上に何も着ていないので、両方の肩甲骨を覆う複合チタン装甲も見えた。

 複合チタン装甲には縦にガイドレールがあり、リッパーのメインアームである五十五口径のカスタムリボルバー、IZA-N-VSL3、ベッセル・ストライクガンが二挺、そこにセットされるのだが、今は取り外されており、只の防弾装甲にしか見えない。肩の切断面はマシンアーム用コネクターになっており、Nデバイスシステムを構成する両腕、左腕のIZA-N-AMI、通称イザナミと、右腕のIZA-N-AGI、通称イザナギの二本は、ベッセルと同じく取り外されて、搬入された機材の上の置かれている。両肩のコネクターから二本の細いケーブルが伸びて外された両腕と繋がっているが、今はリッパーの意思では動かせないし、自ら動きも喋りも出来ないように回路を閉鎖されているので、両腕はずっと沈黙している。

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