『第一章~マビノギオン』
毛足の長い赤い絨毯{じゅうたん}の大広間の中央に、大きな丸いテーブルがあった。
黒く、一見すると黒曜石のようにも見えるが、分厚い縁に施された、つる草やつぼみを模した丁寧な彫り飾りに欠けやヒビはなく、黒曜石よりもずっと硬い岩の削り出しのようだった。テーブルクロスや水差しやグラスはなく、花瓶の一つすらない。
テーブルにあるのは二冊の大振りの古書、それだけである。旧約聖書の原本を一回り大きくしたようで分厚く、装丁は干乾びた革に見える。一冊は赤で、一冊は白。
そのテーブルに乗った二冊の本を、十三脚の椅子が囲んでいる。
椅子もテーブルと同じ石造りで、テーブルの縁に似た彫り物があったが、椅子の背にルーン文字が刻まれており、文字は十三脚の椅子それぞれ違い、同じものはなかった。
頭から黒いローブをまとった鷲鼻の老齢は、その二冊を「マビノギオン」と呼んだ。
正確には「マビノギオン、ルゼルフの白の書と、ヘルゲストの赤の書」。
黒ローブの老齢は、大きな丸テーブルに置かれた二冊のうち、ヘルゲストという赤いほうにルーン文字を一行書き込み、掠れた声で小さく笑い、自ら書き込んだルーン文字を潰した声で読み上げた。
「我らが最強が一人、ランスロウ・ペンドラゴン卿、海兵の兵士に敗れる」
それを聞いた一人が、石椅子に座ったまま「不愉快だ」とテーブルを叩いた。黒ローブより幾らか若いくらいのその年配は、ヘルゲストの赤の書を睨み、黒ローブの老齢を睨んだ。
ルーン文字が刻まれた十三脚の椅子には、その男の他に三人が座っていた。幼さの残る男、細身の若い女、巨躯の中年の男。年配の男が再び丸いテーブルを叩くと、若い女が大笑いした。
「あはは! ペンドラゴンの称号を持った者が、ただの水兵に負けるだなんて、傑作じゃあないか。マーリン、マビノギオンはいつから寓話集になったんだい?」
若い女は笑いながらマーリン、黒ローブの老齢に尋ねた。
「悲しみの騎士、トリスタン卿よ。水兵ではない、海兵だ」
「どっちでも同じさね。あの高慢ちきは油断して水兵に寝首を欠かれた。海兵だったかい? 誰であれ、この円卓に座る者が敗れるなんてことはマビノギオンにだって書かれていない。ランスロウは我々の歴史に、とびきりの冗談を置いていきやがったのさ。海兵だってさ? 笑える話じゃあないか。あはは!」
痩躯の女、トリスタンは笑いながらテーブル、黒い円卓をパタパタと叩いた。
「何をはしゃぐ、トリスタン卿。我ら、円卓の騎士の一角が敗れたのだぞ? しかもあの、ランスロウ卿が、だ」
黒ローブの老齢、マーリンに対して不愉快だと言った年配の男が、その不機嫌な視線を痩躯の女、トリスタンに向けて言う。声色は円卓のように黒い。
「ランスロウ卿は最強であり、かつ、我らが旗艦アマテラスを任されし者。卿によりアマテラスは可動状態になったが、同胞を、どこの馬の骨とも知らぬ者に葬られたとあっては、我ら円卓の騎士の名に傷が付く」
「同胞? 笑わせるんじゃあないよ、谷駆け抜ける騎士。私たちは仲良しごっこじゃあないし、そもそも私は、あのランスロウは好きじゃあない。アマテラスさえ動き出せばあいつの役目は終わりだよ。それに、円卓の面子なんてのもどうでもいいのさ。椅子に空きが出れば補充すればいいし、邪魔者は残らず潰す、それだけさ。これが私の流儀だ、お分かりかい? 頭でっかちのパーシヴァル・ペンドラゴン?」
からからと笑いながら若いトリスタンは、年配のパーシヴァルに返した。パーシヴァルの表情は朗々と語る女、トリスタンの正反対、苦虫を噛み潰したかのようだった。
「それが聖杯騎士の言葉とはな」
パーシヴァルは笑い続けるトリスタンを睨みつけたが、トリスタンの口元は緩んだままだった。割って入ったのは黒ローブのマーリンだった。
「悲しみの騎士に、谷駆ける騎士よ。マビノギオン、ヘルゲストの赤の書の次節に入ろうではないか」
言いつつ、マーリンは赤の書にルーン文字を書き込んだ。トリスタンは笑顔で、パーシヴァルはこわばった顔のままで、黒いローブのマーリンを見た。老齢のマーリンは自分で書き込んだルーン文字を、掠れた黒い声で読み上げた。
「……我がマビノギオンを遅らせる障害は、全て消え果てた。パーシヴァル・ペンドラゴン卿、お願いできるかな?」
「無論だ」
「私も出させてもらうよ、マーリン」
パーシヴァルにトリスタンが続いた。
「パーシヴァル、アンタを軽く見てるんじゃあない。やるなら徹底的に、だ。私の流儀さね」
「ならば」
別の声が大広間に入った。マーリンでもなく、パーシヴァルでもなく、トリスタンでもない。黒い円卓の岩椅子に座る別の二人でもない。灰色の軍将校服を着た男が現れ、ルーン文字が刻まれた石椅子に座った。
「ここにいる四人、全員だ」
「アンタ……ランスロウかい? 何だいそのナリは? 自分の顔も忘れたのかい? ははは!」
灰色の軍服の男、名はランスロウ。トリスタンが指摘した顔は、口と片目以外は、でこぼこな赤黒い肉の塊で、表情はない。トリスタン、パーシヴァルとマーリンはランスロウの様子に反応したが、残り二人は無言のままだった。
「おお、ランスロウ卿。マーリンの話では海兵に敗れたと」
苦い表情だったパーシヴァルが少し緩んだ。同胞の帰還を喜んでいるようにも見える。トリスタンは最初こそ驚いてみせたが、すぐに興味を別に向けた。
「只の海兵なぞに敗れる私ではない。奴はNデバイスの所有者であり、シノビを連れていた」
ふん! とトリスタンが吐き捨てた。
「円卓最強の聖杯騎士の一人、かのランスロウ様が言い訳かい? ちょいと派手な武器を持った海兵に、シノビ? そんな面で何を言い出すのかと思えば、よりにもよってシノビときた。あはは! こいつはお笑いだね。マーリン、ヘルゲストの赤の書に愉快な寓話がもう一つだよ。ランスロウと私が三世紀も前に根絶やしにした、シノビの奴らが出たんだってさ。自分で殺った奴にやられてりゃあ世話ないさ。我らが最強ランスロウ様は、どうやら地上に長く居過ぎて、地球人みたくなっちまったみたいだよ。ははは!」
再び高笑いのトリスタンに対して、ランスロウの表情は読み取れない。表情を作る筋肉がボロボロだからだ。
「何とでも言え、悲しみの。私は計画通りに事を進めた。海兵とシノビはその後のお遊びに過ぎん。さりとて油断などしておらん。相手を軽く見ると、トリスタン、貴様も足をすくわれるぞ?」
「あはは! ランスロウ! アンタと一緒にするなよ。私は円卓の聖杯騎士、悲しみのトリスタンだぞ? 海兵だろうがシノビだろうが、いたぶり殺してやるさね。一人で足りるが、マーリンの手を煩わすのも何だから、パーシヴァルも連れて行く。ついでに、あのオモチャも持っていくよ。二人で十分さ。何だったらアンタも行くかい?」
トリスタンはケタケタと笑いながらランスロウを指差した。ランスロウは残った片目でトリスタンを睨みつけ、石椅子から腰を挙げた。
「四人で行けと言っている。貴様とパーシヴァル卿、残る二人もだ。私は再生が終わるまでここに残る。マーリン、マビノギオンにそう記せ」
ダン! と円卓を叩いたのはトリスタンだった。
「……なあ? 死にぞこない風情が偉そうだな? 自慢のクラブジャックを抜けよ、相手をしてやるぞ?」
笑顔のままトリスタンが椅子から腰を挙げたが、パーシヴァルが制した。
「止めろ、二人とも。俺は死んだと聞かされたランスロウ卿が戻って嬉しい。そのランスロウ卿が四人で行けと言うのだから、それほどの相手なのだろう。トリスタン卿、お前の流儀は徹底的に、だろう? ならばそうしてやればいい。手勢が増えて何が不服か?」
言われて、トリスタンは椅子に戻った。
「聖杯騎士の面子なんざどうでもいいが、海兵だか水兵だかに、私がランスロウと同じに思われるのが気に入らんのさ。当然、シノビの奴らもな。まあいいさ、ぞろぞろと出向いても、私が全部潰せば話は一緒さ。マビノギオンの範囲内で好きにやらせてもらうよ。ランスロウ、これでいいな?」
沈黙の返答に、トリスタンは舌打ちした。黒ローブのマーリンが、マビノギオンの一冊、ヘルゲストの赤の書にルーン文字を書き入れて、読み上げた。
「聖杯の祝福を受けし円卓の騎士が四、地上に降臨す……」