物語の終わりに感じるもの ~100ワニの失敗から学ぶ~
皆様は100日後に死ぬワニというコンテンツをご存じだろうか?
まぁ、あれだけ広報に力を入れていたらのだから、知らない人の方が少ないだろう。
あの作品、実は嫌いではない。むしろ結構好きな方。リアルタイムで追いかたわけではないが、まとめられていたものを見てそれなりに興味を持った。
ゆるいタッチの絵で描かれたありきたりな日常的物語に、主人公が100日後に死ぬと確定した設定を付け加えることで、今までにない新しいコンテンツとして注目を集める。ツイッターでの毎日更新と言うこともあり、100ワニの話題はどんどん拡散され、ネット上で大いに話題となった。
内容は本当にとりとめのないもので、ワニくんが友達とバイトしたり、遊びに行ったり、恋をしてドキドキしたりと、ごく普通の日常風景が描かれていた。
大して面白いものではないはずなのだが、私はなんとなーくその作品を読んで、なんとなーく結末まで追いかけようと思った。
別に作者であるきくちゆうき氏に対して強い思い入れがあるわけでもなく、ツイッターなどろくにやらないので、まとめられたものをただ流し読みするだけ。
それでも、最後まで追いかけてみようと思わせるだけの魅力があった。
ワニ君のゆるーい日常は、最後の最後まで続き、ついに100日を迎えてしまう。
一応ネタバレになるので、どうなったかは伏せるが……って、伏せる意味もあんまりない気もするが。
とにかくあの物語はきちんと完結したのだ。
何の脈絡もなくSF要素や超展開がぶち込まれたりとか、投げっぱなしエンドになったりするでもなく、きちんと物語を終わらせたことについては、評価している人も多いのではないだろうか。
問題は100ワニが完結したそのあと。
書籍化、グッズ化、そして映画化と、100ワニの読者を置き去りにするかのように、怒涛の勢いで商業展開が始まった。
この辺りでネット上では某社の関与がささやかれ始めたが、本当の所はどうか分からない。ただ、分からないだけで、みんなほぼ確信しているかと思う。私もそうだ。
命をテーマにする作品だけあって、この流れにはネット上で批判の声が上がり、瞬く間に炎上してしまう。
この炎上の件については全国ネットのニュースでも取り上げられ、とある芸人のコメンテーターの方が、批判している人たちに苦言を呈していたのを今でも覚えている。
別に無料のコンテンツが商業化したところで、何の問題もないはずだ。問題なのはその売り方。ブームが終結する前に少しでもお金を稼ごうと焦ったのか、ワニ君が死んですぐにグッズを売り出し始めたのは、さすがにどうかと思った。
もう少し待てなかったのと。
そんなわけで炎上してしまった100ワニだが、そもそもこのコンテンツ自体が金になったのかという疑問がある。
あれはなんとなーく追いかけて、なんとなーく話題になって、なんとなーく完結するような、ゆるくてまったりとした作品だ。お金を出してまで続きを読みたいとはあまり思わない。
仮に商業展開するにしても、できるだけゆっくり小規模にやるのが、ベストではなかったのだろうか?
まぁ、こんなところで言っても仕方がない。私以外にも似たような主張をしている人を各所で散々見かけた。関係者も似たようなことを何度も言われて耳にタコだろう。
では何でこんなことを今更話題にするのか。
ワニ君の失敗が他人ごとではないからだ。
ありがたいことに、私のエッセイを読んだ読者様から、多数の感想やご意見、ブックマークやポイントをいただいた。そしてなんと、日刊ランキングに乗ったのだ。
普段ランキングなんて全く見ていないので、読者の方から教えてもらうまで気づきもしなかった。
正直言って、かなり嬉しい。自分の書いたエッセイをたくさんの人が読んでくれて、評価までしてくれるなんて思っていなかった。
エッセイを書いた影響かどうか分からないが、連載作品の方もPVが増えている。レビューを書いてくれた読者様までいた。
ここ数日、嬉しいことの連続でのぼせていたのだが、急に不安になってしまう。
生み出した作品が一定の評価を受けることで、私の心の中に『欲』が生まれてしまったのだ。
確かに、当初は連載作品のブクマやポイント欲しさにエッセイを書き始めた。しかし、注目を集めることは意識せず、素直な気持ちで文章を書き綴った。
すると、なかなかどうして意外とこれが面白く、自分の中にある正直な気持ちを書き綴ることで、なにか解放されたような気分になった。
私は続けて二作、三作とエッセイを投稿。ブクマやポイントなど気にせず、過去の失敗を告白して思うがままにフラストレーションを解放する。
小説を書くのとはまた違った楽しみがあり、夢中になって書き連ねた文章は、私の心の中を正直に表していた。
それが良かったのか分からないが、皆様のおかげでランキングに乗ることができました。本当にありがとうございます。
とまぁ、こんな感じでちょっとした成功体験をしたのだが、やはり人間とは欲深い者で、次も、さらにその次も、エッセイの日刊ランキングに自分の作品を乗せようという欲望が頭をもたげ始める。
エッセイとは、本来は注目を集めるために書くものではなく、自分の中にある意見や思いを正直に述べるものだと考えている。それができないのであれば、エッセイは書かない方がいいとさえ思う(あくまで私一個人の場合に限った話です)。
しかしながら、今の私には『欲』が芽生えてしまい、これからも正直な気持ちでエッセイが書けるのかと不安に思っているところである。
100ワニが『欲』を出したかどうか分からないが、商業展開のやり方が杜撰すぎるあまり、オワコン(終わったコンテンツ)化してしまった。映画もほとんど観客が入らず、ネットで嘲笑の的になっている。
もし、あの物語の持つ情緒を大切にしていたのなら、もっと違った結果になったのではないかと、思わなくもない。
生と死を扱う物語は、やはり情緒が大事だ。著名人の葬儀会場のすぐ隣に追悼記念とかいう物販コーナーを見かけたら誰だって嫌な気持になる。
全ての物語には終わりがやってくる。物語が終わるとユーザーは余韻に浸ってこみあげる感情を内々に処理する。映画のエンドロールが終わる前に帰ろうとする人が嫌われるのは、余韻に浸っていたい人の感情を無下に扱うからだ。ああ……この人はこの作品に何も思わなかったのだと、失意にも似た感情を抱いてしまう。
創作者は物語が終わって余韻に浸るユーザーの気持ちに寄り添うべきだ。その感情を無下にしたら、作品ごと作者を嫌いになるだろう。
こんなふうに……ね。
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